※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います。※※
----------
10月23日追記:
(ヘッドライトに浮かぶ臥龍山林道最奥、車両回転場横の斜面・想像図)
某日刊スポーツ紙の社会面によると、発生から丸6年を迎えたこの事件について警察は本日、「平岡さんの失踪直前の防犯カメラ画像(これまでのものとは別角度)を新たに公開した」というのですが、被害者の失踪直前の画像を6年ものあいだ秘匿していた意図は何なのか・・・という疑問はともかくとして、このところ長く引っ張ってきたこの事件の記事についても、ここらで一区切り入れようかなと。
あらためて自分の考えを整理(というか、とりとめもなく羅列)してみると、この事件については、私的に軸足を置いている----と言えば聞こえはいいが要は決めつけて考えている----部分が二つありまして、一つは、
1. 2009年11月4日の午前1時~4時ごろ、つまり「平岡さんの公開捜査が開始された11月2日の実質翌日の深夜」に臥龍山の山頂付近で長時間ヘッドライトを灯し停車していた車は犯人のものである
ということであり、もう一つは、
2. 浜田バイパス高架下の側道わきの溝から発見された黒い靴(左側のみ)について、これは平岡さんの靴であり、しかも犯人による後置きではない
この二点が自分的にこの事件を見る上での軸足(決めつけポイント)であり、1からさらに妄想すれば、犯人は平岡さんの公開捜査開始によって、
「はやく平岡さん(の遺体)を手放さなければ」
という危機感を抱い(て公開捜査開始の実質翌日の深夜に急ぎ臥龍山に遺体を捨てに行っ)た人物であり、多分にそれは、
「平岡さんの公開捜査となれば我が身に捜索の手が伸びるかもしれないことを自覚していた人物」
「事件当時、平岡さんに人的~地理的に近いところにいた人物」
であることが想像されるのであり、また2からさらに妄想すると、
「靴の発見現場」 = 「平岡さんの靴が脱げてしまうような出来事が起きた現場」
であり、多分にそれは、
「靴の発見現場」 = 「犯人による平岡さん襲撃現場」
であることが想像され、平岡さん本人がその現場から消え去っている以上は、
「犯人は車を使用した(車で連れ去った)」
ということが強く想像されるのですが、
(赤丸○は靴発見現場)
この現場に犯人が車でやって来た時の状況を想像してみると、
例えば、平岡さんが浜田久光山八幡宮を抜けて山の急坂を一人歩きしている時に車で低速で付きまとい、たまりかねた平岡さんが高架下側道に(画像、赤矢印のように)逃げ込んだところをなおも追いかけ、画像で言えばDのあたりで車の左フロントを平岡さんに衝突させ、動けなくなったところを縛り上げて連れ去ったのか、
あるいは計画的だったか偶発的だったかはともかくとして、下の画像で言えばAやCあたりに車を停め、B方面から徒歩で坂を登ってきた平岡さんを襲撃し、側道(赤矢印方向)に逃げ込んだ平岡さんをなおも追いかけ、路上に組み伏せたのか、
(靴発見現場○の付近を上空から。黄色矢印は女子寮方向。)
(黄色矢印は女子寮方向。赤矢印は靴発見現場方向。)
(同じ場所を南側から眺めた画像。黄色矢印が女子寮方向、赤矢印が靴発見現場方向。)
またあるいは、平岡さんはどこかで自発的に犯人の車に乗り込み、その車は画像のCかDあたりで停車し、そこで二人の間にトラブルが発生し、車を飛び出した平岡さんを犯人が追いかけ、靴発見現場あたりで路上に組み伏せたのか・・・
いくつかのパターンが考えられますが正直よくわかりません。
いずれにしても女子寮方向(黄色矢印、太い道)に突っ走ったのではなく、「街灯も何もない真っ暗で細い側道(赤矢印方向)に逃げ込んだ」とすれば、その時の平岡さんの心理は察するに余りあるかもしれません。
そこには、「車の追って来にくい細道に逃げ込もう」という心理が咄嗟に働いたのかもしれませんが、いずれにしても、そんな道にでも思わず駆け込んでしまうような、「捕まれば何をされるかわからない(殺されるかも)」というほどの切迫した心理状態にあったのかもしれないと想像します。
犯人はこの場所で、それほどの勢いで平岡さんに迫ったのかなと。
さて平岡さんが徒歩でこの高架下の現場に辿り着いたのか、それとも自発的に犯人の車に乗ってこの現場にやって来たのか、あるいはどこかで車で拉致されてからこの現場にやって来たのか、そこがよくわからないのですが、
「目立つと思われる横しまのワンピースを着ていてなお、ゆめタウン退店後に平岡さんを目撃したという情報が皆無である」
という事実や、
「いつもはジーンズ姿が多かったという平岡さんが、失踪当夜は横しまのワンピースやおろしたての黒い靴で、どうやらお洒落をしていたらしい」
という事などから推し量ると、彼女は退店時に手にしていたというゴミ袋をゴミ収集所に出した直後に、ゆめタウンの駐車場で待ち合わせていた誰かの車に乗り込んだのかもしれず、
(水色○はゆめタウン従業員通用口、黄色○はごみ収集所と思われる場所、赤枠内はゆめタウン駐車場、ピンクの道は平岡さんの普段の帰宅ルートと見られている道。)
また、「ゆめタウン退店後に携帯電話の電源を入れた形跡がない」とのことから妄想すれば、彼女が待ち合わせていた人物とは、彼女にとって、「会っている最中は携帯の電源を切っておきたい人物」だったのかもしれませんが、
「お洒落をしていたことや携帯の電源が切れていたのはただの偶然」で、実際は、単に彼女の知り合い(帰る方向が同じ)が、たまたまゆめタウンの駐車場~そのあたりに車を停めており、サイドウィンドーを降ろして、「ひらおかぁ~、帰りか? 乗ってくか?」などと声を掛け、平岡さんがそれに応じた、というだけのことかもしれません。
犯人が平岡さんを襲撃した動機は何だったのか、ということを考えてみると、「発見された胴体は全体的に黒ずみ、油をかけて焼かれた形跡がある」ということに加えて、「性器や両乳房が切除され、内臓の大部分が無かった」というのが臥龍山の動物の仕業によるのではなく、犯人の仕業であるとすれば、それは性的暴行の痕跡を遮二無二抹消しようとしたかのようでもあり、だとすれば襲撃の動機は、
「性的暴行(監禁+性的暴行)」
のようにも思われるのですが、最近は佐世保の女子高生のように、単に「殺して解体してみたかった」という動機もあるのでよくわかりません。
ただ、事件から6年経って、この島根の犯人はどうやら再犯をしてないっぽい・・・という状況から推し量れば、もしかすると犯人は自分が危ない橋を渡ったことに対し(もちろん自己愛から)冷や汗をかいているかもしれず、とすれば、この事件は自分的には、
「人並みの社会生活を営んでいる人物による、性がらみの、突発的な犯行」
という気がしないでもないですが、どんなもんでしょうか。
今さら過ぎる内容でしたがこのあたりで区切りとして、10月26日以降の警察発表~マスコミ報道を待ちたいと思います。
---------------
10月17日追記:
さて2009年11月に臥龍山の山頂付近で発見された平岡さんの胴体部分、これに付着していたビニールの断片がどうやら「NTT電話帳配布用の袋(の断片)である」と情報公開されたのが、事件発生から約1年半が経過した2011年5月のことでした。
袋の写真をもっと早くから見ていれば、「あー!この袋!」と何らかの記憶が喚起される人々がいたかもしれず、期待薄とはいえ、中には、
「うちで大量に余ってたやつだな。一昨年だったか、犬の散歩をよくする近所のAさんに”よければ使って”と、まとまった量をあげたやつだ」
「うちの事務所で長い間XXを入れてたやつだ。そう言えば最近なくなってたな」
などという証言が、捜査員の思いもよらぬ人や地域から得られたかもしれません。
事件から3年が経過し、もはや風化の兆しも見え始めていた2012年10月には、
「平岡さんがゆめタウン従業員通用口から退出した時間帯、その通用口付近に白いセダンが止められ、近くに男女が立っていた」
「その白いセダンは”旧型のトヨタ・マークⅡ”と思われる」
「これと思われる車が、ゆめタウン駐車場から9号線に強引に割り込み、東に走って行った」
「実は平岡さんの靴発見現場にも白いセダンが停まっていたとの目撃情報が、2012年5月に寄せられていた」
ということが情報公開されました。
不審車両の一つが「白いセダン」で「トヨタの旧型マークⅡ」だ、ということが、なぜ事件から3年経った2012年に公開されたのかはよくわからないのですが(警察がいつこの情報を入手したのかもわかりません)、
もしこれが人々の記憶も新しいうちに公開されていれば、例えば、「その車っぽいのをどこそこで見た」とか、あるいは、「あーそれならXXさんの家の車がそうだ。そういえばあの家の長男は島根の大学に通っているとか言ってたな」などという耳寄りな情報が、可能性は低いかもしれませんが、捜査員の思いもよらぬ人や地域から寄せられる場合もあったかもしれません。
事件から3年後に、「実は白いセダンが・・・」と情報を求められても、情報を求められた側は何も思い出せず、ポカンとするだけかと思います。
さらに事件から5年が経過し、いよいよ風化の色合いが濃くなった2014年10月には、
「2009年11月4日の午前1時~午前4時ごろにかけて、臥龍山山頂付近に車が長時間ヘッドライトを灯したまま停車し続けていたのを、麓の住民が目撃していた」
という事実が公開されました。
(臥龍山ヘッドライト目撃、想像図)
この事実が、まだ人々の記憶も新しいうちに公開されていれば、例えば、
「その日の朝4時半ごろ、トイレに起きたら、隣のAさんちの息子(県立大生、20歳)が乗ってる黒い軽ワゴンが広島方面から帰ってきて駐車場に入ったよ」
などというタレコミが、これまた捜査員の思いもよらぬ人や地域から得られた可能性がゼロとは言えない、と思います。
「そのAさんちの息子が、その2日前の深夜(11月2日、平岡さんが公開捜査になった日の夜)、家の前の簡易焼却炉で何かを長時間燃やしていた。深夜なのに妙だと思ったし、肉を焦がすような臭いがしたので印象に残っている」
などという証言が得られる可能性は低いとは思いますが、しかし皆無ではないわけです。
(注: 発見された遺体の胴体部分は焚き火か何かで焼かれたように全体的に黒ずみ、油の成分も検出されたそうです。)
一方で、情報を市民に公開しなければ、少なくとも捜査員が聞き込みに回る範囲”外”の人や地域から情報がもたらされる可能性は、ほぼ絶無ではないでしょうか。
情報を公開すれば、犯人が(その公開された情報に関係する)証拠の隠滅に走る恐れがあるので、「いつ、どこまでの情報を公開するのか」の判断は難しいのかもしれません。
しかし少なくとも上にあげたような事実(袋、車、ヘッドライト等々)は、果たして3年も5年も秘匿しておくべき事柄だったのでしょうか(警察がいつこれらの事実を掴んだのかは不明ですが)。
多くの未解決事件について思うことですが、この島根県浜田市の事件も、公開されている情報があまりに少ないように思います。
得られた情報をなるべく公開せず、秘匿したままでは、警察が重要事実を抱え込んだまま事件を闇から闇へ葬り去る役割を演じてしまうことにもなりかねず(まさか、迷宮入りを見越してそれを狙っているわけでもないでしょうが)、それは捜査本部にとっても不本意なことではないでしょうか。
事件から6年が経過した現在、鮮度の高い情報はほぼ皆無とは思いますが、
「警察の存在意義を懸けた闘い(by 大橋亘島根県警本部長@2009)」
の現状がこういう事態に立ち至っている以上、人々の記憶の新しいうちになるべく多くの情報を公開し、そこからまた新たな情報を募る・・・ということも必要ではないかと思うのですが、どうでしょうか。
---------------
10月13日追記:
この事件の遺留品について、ウィキペディアによると、
「被害者の血がつき、胴体に付着していたビニール片が遺留品となっている。捜査本部はNTTが電話帳の配達に使用するポリ袋の一部とみている。配達の年・地域によって色や文字・デザインが異なることがある。犯人の遺留品とみて、包装資材業者など流通ルートを調べた。その結果、インクの成分から1995年初めに広島県の5市(三次市、安芸高田市、東広島市、呉市、三原市)に配達されていたものであることが判明した。」
とあり、警察によると、
「遺棄現場付近で発見されたNTT電話帳配布用のポリ袋について 、これまでに、広島県三次市・安芸高田市、東広島市、呉市、三原市で配布事実を確認 していますが、これら以外にも配布された可能性もあります。 同種ポリ袋に関する情報をお寄せ下さい。」
とのことでした。
となると犯人は事件当時、島根側ではなく、広島側のどこかに在住していた可能性が高い・・・という気もしてきますが、警察は必ずしもそう見ている風でもなく、少なくとも手持ちのあらゆる情報をもとに分析したのであろう警察庁科学警察研究所(科警研)によると犯人は、
「被害者の自宅または通勤路沿線などに居住していた、20~40代程度の男」
との見立てでした。
「袋の主たる配布地がどうやら広島県だったらしい」
ということをもってして、
「犯人 = 事件当時広島県在住者」
という風には、警察は見ていないようでした。
犯人がこの袋を入手した経緯を考えてみても、1995年当時に犯人自身が固定電話の加入者(の家族)として広島県で入手したものを14年後の2009年にもまだ所有していたのか、
それとも単にどこかから拾ってきたのか、遺体損壊時に空き家か何かを利用し、その場に落ちていた袋を利用しただけなのか、
あるいは、例えば、袋の製造会社が作りすぎた余剰品を「余ったからあげるよ」などとまとまった量を譲り受けていたのか、
逆に(犯人は)袋を受け取る側ではなく配布する側(流通させる側)に携わっていたのか、
はたまたオークションで商品を買ったら出品者がこの袋にくるんで送ってきたのか、
あるいはまた、田舎の両親が、「野菜を食うべえ」と言ってこの袋に野菜をくるみ、宅配便で送ってきたものを保管していたのか、
とにかく袋入手のいきさつには様々なケースが考えられ、さらにいえば犯人がこの袋を本当に遺棄に利用したのかどうかさえも定かとはいえず(可能性は低いと思いますが、例えば野外で遺体を焼こうとしたとき、たまたまその焼却場所に落ちていた袋が燃えて遺体に付着しただけかもしれません)、それ故、「袋の主たる配布地がどうやら広島県だったらしい」にもかかわらず、科警研は
「犯人 = 事件当時広島県在住者」
とは見ていないらしく、
「犯人 = 事件当時、平岡さんの自宅または通勤路沿線の在住者」
という風に見立てた、ということ自体に、そう不思議はないのかなという気がします。
いずれにしても、この袋をどう見るかは悩ましいところだと思います。
---------------
以下、10月11日アップロード:
(出雲大社石見分祠前の交差点でたたずむボーダーワンピースの女性、想像図)
さて一つ前の記事「その10」で言及した、
「平岡都さん失踪当夜の唯一の目撃情報(21時16分以降)」
についてですが、その目撃時刻は「2009年10月26日の21時30分頃」、場所は平岡さんのバイト先だった「ゆめタウン浜田店」から東へ約1キロほど行った「出雲大社石見分祠」という神社の前あたり(9号線沿い)とのことでした。
下の図でいえば青丸○あたりと想像されます。
当時、11月1日の「浜田医療センター(浜田駅北側)」オープンに向けて9号線でも拡幅工事が行われており、それに伴って車両や歩行者の通行規制が行われていたらしいのですが、図中、青丸○のあたりにも道路警備員が立っていたらしく、
その警備員の一人が21時30分頃、横しま模様の服つまり、
この失踪当夜の平岡さんと同様の服を着た一人歩きの女性を見た・・・と証言したわけでした。
この道路警備員(目撃者)によると、
「国道を横断する人がいたら誘導するので気にかけていた。」
「(目撃したのは)休憩 する約10分前で、一人歩きの女性だったので、よく覚えている」
とのことで、「21時30分ごろ」という目撃時間については記憶に残っているらしく、確かにその夜、平岡さんがゆめタウン浜田店の従業員通用口を退出したのは、通用口の防犯カメラによると、
「21時16分頃」
であり、身長147センチの平岡さんが「分速60~70メートル」で9号線の歩道を東進したとすれば、およそ15分で(約1キロ先の)出雲大社石見分祠前に到着すると思われ、
それはつまり道路警備員がボーダー服の女性を目撃したという「21時30分ごろ」とも一致するのであり、道路警備員の証言は、時間的には、そう無理はないのかな、と思われます。ただ、
「警備員が見たというそのボーダー服の女性が、果たして本当に平岡さんだったのか?」
となると、それはまた別問題と思います。
この道路警備員による目撃情報について、気になる点はいくつかありまして、
例えば当時の報道によると、 「ボーダー服の女性を目撃した」というその道路警備員(仮に”A”とします)の「その先にいた数人の同僚警備員は、その(ボーダー服の)女性を目撃していない」というのでした。
報道でいう「その先」がどの先なのかはわからないのですが、とにかくAが立っていた地点よりもおそらくはJR浜田駅寄りに立っていたのであろう数人の同僚警備員は、「Aが見たのと同一人物と思われるボーダー服の女性を見ていない」というのでした。
そして、「ボーダー服の女性を見ていない」というのはそれら数人の同僚警備員にとどまらず、報道によればその夜、
「(Aを除けば)全浜田市内の誰一人として、画像のようなボーダー服の女性を見たという目撃者は存在しない」
ということのようであり(目撃者はAのみ)、「似たような服装の女性を乗せました」というタクシーの運ちゃんも現れず、JR浜田駅発の島根県立大学行きバスの運ちゃんも、「そういう服装の女性を乗せた記憶はありません」というのであり、
要するに、全浜田市でただ一人、Aのみが、「出雲大社石見分祠前で、ボーダー服の女性を見た」と証言している、ということなのでした。
「全浜田市内で、目撃者がAのみ」
という状況はやはり気にはなるのですが(だから私はAによる目撃情報というのは、ボーダーはボーダーでもボーダー違いの”善意の見間違え”のたぐいかと思っています)、ここであえて、「Aが目撃したのが本当に平岡さんだった場合」を考えてみると、
「平岡さんはその時間、何しに出雲大社石見分祠前あたりを歩いていたのか?」
という疑問が生じると思うのですが、おそらくそれは、
「浜田駅前発~県立大学行きの最終バス(21時45分発)に乗るため、浜田駅を目指して歩いていた」
というのが、方角的にも時間的にも、あり得る推論ではないかと思います。
島根県の「石見交通(いわみこうつう)」が出しているこのバスは、浜田駅前を出発し、下の図でいえば緑のラインを通って島根県立大学まで運行しているのであり、始点から終点までの所要時間は約10分でした。
(画像は基本的にグーグルマップの向きそのままで、上が北、下が南となります。)
平岡さん的には、バイト先の「ゆめタウン」から「浜田駅」までの約1.8キロちょっと(徒歩約30分?)を歩きさえすれば、そこから石見交通のバス(21時45分発最終)に乗り、約10分で女子寮まで帰れたわけです。
これだとあの「浜田久光山八幡宮」の160段の階段を含む、暗くて人気のない山道を通らなくて済むのであり、
それゆえ、平岡さんはこのバスの最終便(21時45分発)に間に合うため、浜田駅を目指して歩いており、その途中の出雲大社石見分祠前あたりで道路警備員に目撃されたのではないか、とも推論できるわけです。
他の可能性としては
図中の赤線のルートを通って、(バスではなく)徒歩で女子寮まで帰宅しようとしていた、という可能性でしょうか。
(左上のゆめタウンが出発点、下の女子寮がゴール。)
ストリートビューを見ればわかりますが、この赤線のルートだと、途中、「竹迫町バス停」を過ぎたあたりから登りの山道が始まるものの、終始片道1車線のよく整備された道(広い歩道付き)なのであり、
あの160段の神社の道(図中、青線の道)よりもはるかに見通しは良く、車の行き来も多そうなのであり、
「平岡さんはこの赤線のルートを徒歩で帰宅しようとしていた(途中、青丸○の箇所で道路警備員に目撃された)」
という可能性なきにしもあらず、とは思います。
ところでこの赤線のルート沿いには「コンビニ」が1軒あります(このコンビニから60メートルほど女子寮側に下ったところに先の「竹迫町バス停」あり)。
上の図で、JR浜田駅を南に下ったあたり、赤線と186号線が交わる交差点にそのコンビニがあるのですが(★)、そこの防犯カメラは下の画像のような方向を向いているので、仮に平岡さんが赤線のルートを通ったとしても、防犯カメラには映らなかっただろうとは思います。
(赤矢印方面が女子寮。防犯カメラは逆向き。)
さて、では実際に平岡さんはこの赤線のルートを徒歩で帰宅しようとしたのだろうか?・・・ということを考えてみると、
確かにこの道は夜中に女子が一人歩きするには、「浜田久光山八幡宮を経由するあの(図中の)青線の道よりは、遥かにマシ」とは思えるのですが、
問題はこの赤線のルートは距離が「約3.8キロ」と、けっこうな距離なのであり、あの暗くて寂しい青線のルートを避けるためとはいえ、本当にこの3.8キロの道のりを夜間徒歩で帰宅しようとしたのかとなると、相当疑問に思えるのでした。
この赤線のルートは、ゆめタウンから女子寮を目指すには、まず単純に「方向違い」ですし、また夜に徒歩で行くには「距離がありすぎる」という気がします。
私的には、もし仮に「出雲大社石見分祠前で平岡さんが目撃された」のが事実であるなら、彼女は赤線のルートを徒歩で帰ろうとしていたのではなく、「バスの最終便(21時45分発)に乗るため、JR浜田駅を目指して歩いていた」と見るのが妥当ではないか、と思います。
(ちなみに浜田駅前のバス停ではなく、もう少し南に下った「竹迫町バス停」を目指していたのなら、出雲大社石見分祠前を経由するルートではなく、別のルートを通るのではないかと思います。)
さて、もし平岡さんが「出雲大社石見分祠前」から「JR浜田駅(最終バス)」を目指したのであれば、彼女が徒歩で辿ったと思われるルートは、下図で言えば、
「水色のライン」
「ピンクのライン」
この2通りが考えられるでしょうか。
(緑のラインは大学行きバスの走行ルート)
上の青丸○(出雲大社石見分祠前)あたりの拡大衛星画像は、
この通りになります。
流れとしては画像左手のゆめタウン方面からやってきて分祠前で道路警備員に目撃され、横断歩道を渡ったのであれば上の画像(赤線)のような歩き方だったと思われます。
(横断歩道ではなく、交差点北側の歩道橋を渡ったことも考えられますが。)
いずれにしても分祠前の交差点を東側へと横切り、「水色かピンクの道を通ってJR浜田駅を目指した」という前提で考えてみると、
「水色の道だと、分祠前交差点から浜田駅まで、約730メートル」
「ピンクの道だと、分祠前交差点から浜田駅まで、約670メートル」
であり、身長147センチの平岡さんが分速60~70メートルで歩いたとすれば、浜田駅まで徒歩で約10分かそこらの道のりだったと思われます。
私はこれらの道を平岡さんが当夜歩いたとは思っていませんが、
とりあえず、水色とピンクそれぞれの道がどんな様子かをストリートビューで眺めてみると、まず浜田市の大通りの一つともいうべき水色の道については(スタートは出雲大社石見分祠前です)、
正面が浜田駅、右斜め前が目指すバス停となります。
ロータリーをぐるりと回り、このバス停を背後から見てみると、
ここにバスが入ると、
こんな風景になるらしいです。
その夜の大学行き最終は「21時45分」だったので、彼女が目指していたとすれば、それでしょうか。
いずれにしても平岡さんがもし、この水色のルートを歩いたとすれば、「その姿が誰にも目撃されていない」というのは、やはり不自然な感じはします。
平岡さんの当夜の服装は目につくボーダー柄のワンピースでもあり(先の画像)、誰か一人くらいは目撃者がいてもおかしくないのではないか、と思うのですが・・・。
次に、裏道ともいうべきピンクの道については(これも出雲大社石見分祠前がスタート)、
ここまでは水色の道と共通ですが、高架の前から細い路地に左折します。
この細い路地の入口を正面から見ると、
これを道なりにどんどん行きます。
やがて線路を渡り、線路沿いの細道で浜田駅を目指します。
奥に見えているのが浜田駅前のバス停です。
ストリートビューの画像から分かることは限られているとは思いますが、水色の道とピンクの道、それぞれの(なんとなくの)雰囲気だけでも、画像から推察いただければと思います。
また、仮に、「出雲大社石見分祠前で道路警備員が目撃したのが確かに平岡さんだった」として、彼女が先の二つのルート(水色~ピンク)以外のルートを通って、どこか全く別の場所を目指していた、という可能性もあるとは思いますが、そこまで検討するときりがないので、ここでは止めておきます。
いずれにしても、これらのルート上を含め、失踪当夜(21時16分以降)、全浜田市内の路上で、
「”平岡さん”又は”平岡さんに似たボーダー服の女性”を目撃した」
という人物は(分祠前の警備員A以外は)一人も現れておらず、また、
「”平岡さんらしい女性を乗せた”というタクシーやバスの運転手も、一人も現れていない」
というのは、その後の報道などからも事実と思われます。
また事件から6年経って、どうやら警察はこの分祠前での目撃証言をスルーしている風があること(その後の言及なし)、また、「ほぼ平岡さんのものと見て間違いない黒い靴(左側)」が、
「ゆめタウン浜田店」 → 「浜田久光山八幡宮(160段)」 → 「女子寮」
と通じる、平岡さんが実際に使っていた最短帰宅ルート沿いで現に発見されていること(あの靴について、当ブログは”犯人による後置きではない”という立場)、等々を考え合わせると、
「この警備員Aによる目撃情報の信憑性は、どうなのだろうか?」
ということを考えざるを得ず、私としてはおそらく、
「ボーダー服はボーダー服でも、違う種類のボーダー服だった」
とか、要はそのたぐいによる「善意の見間違え」だったのではないか、と想像しています。ところで、
ここで発見された平岡さんのものとみられる「黒い靴(左足のみ)」についてですが、
3日前(10月8日)に放送されたテレビ朝日の、「列島警察捜査網 THE追跡」をご覧になられたでしょうか?
番組の中で、覚せい剤使用の男が京都府の市中を車で暴走し、降車後に数人の警察官に路上に組み伏せられるシーンがありました。
男は組み伏せられながらも足をばたつかせて猛然と抵抗していたのですが、そのうち右足の靴が脱げてしまいました。
路上に組み伏せられ、足をばたつかせて暴れるうちに、靴が脱げてしまう・・・
これと全く同様のシーンが、今年3月17日放送のフジテレビ、「カスぺ!逮捕の瞬間!密着24時 執念の空陸大追跡SP」でも放送されていました。
(同じく京都府、こちらは覚せい剤使用の”女”でしたが。以下、当方過去記事)。http://ameblo.jp/maeba28/entry-12004807024.html
テレビの映像とはいえ、リアルなシーンを2度見ることで、やはり靴の発見現場(浜田バイパス高架下の側道)で、平岡さんの靴が脱げて吹っ飛んでしまうような出来事があったのではないか、という思いを強くしました。
(その他、平岡さん失踪後の目撃情報としては、
「失踪3日後の10月29日、浜田駅前の飲食店付近でボーダー服の女性が二人の男性に連れ添われ歩いていた・・・」
という、タクシー運転手による証言があるのですが、これもその後、スルーというか、立ち消えてしまっているようであり、
また、全浜田市でこのタクシー運転手ただ一人のみによる失踪3日後の目撃証言であり、私もよくわからないので、このブログでは検討しません。)