人の愚痴を真に受けない、鵜呑みしないための俺的心得です。
しょぼい状態でそれが成り立っているのは
成功法則の予感
Aさんが以下のような愚痴を話したとします。
「どこどこの店員の態度が悪い。あの店はいずれ潰れる」
愚痴を言うAさんの主張Aは
A①自分は嫌な思いをした
A②店員の態度が悪い
A③他の店員も似たようなもの
A④自分以外にも嫌な思いをする客がきっといる
A⑤やがて客足が遠のく
A⑥つまり、この店は潰れる
大体こんな感じです。
この愚痴、ウソかもしれません。結論A⑥この店は潰れる、は、誤りである可能性もあります。
以下のような推察Bもできます。①~③までは同じとします。
B①自分は嫌な思いをした
B②店員の態度が悪い
B③他の店員も似たようなもの
B④店員の程度が低いのは教育にコストをかけない方針が原因かも
B⑤人件費以外にも、競合店よりコスト安で維持する運営のコツがあるかも
B⑥つまり、店員の態度が悪いのは店舗の生き残り作戦の表れである
百貨店の店員さんは完璧ですが、百貨店が十分生き残れているかというと微妙です。
スーパーの店員さんは百貨店に比べると微妙です(といって態度が悪いまでの人はいません)が、百貨店よりははるかにたくさん新しいお店ができてどの店も毎日混雑してます。レジめっちゃ並ばされますよね。
こんな感じで、他人の愚痴に対して「しょぼい状態でそれが成り立っているのは成功法則の予感」と思って聞くようにすると、しょうもない愚痴に流されず、そこから自分が今後身に着けるべき姿勢についてのヒントをもらえることもあります。
・あいつは愛想が悪いからダメ
→愛想が悪いのを仮に事実であるとすると、愛想が悪いことによってメンタル消耗を抑えて生きる道もある、その一例の証明となるのではないか?
・あいつはケチだ
→ケチくさいのを事実とすると、ケチこそ今後を生き抜くヒントの一つになるのではないか?
・あいつは人の気持ちを考えない
→Aさんの気持ちをあえて無視した方が幸せに生きられると判断する人もいるのかもしれない
・あの業者は適当だ、あの営業はいい加減だ
→それを事実とすると、顧客や案件によっては適当に手を抜くことこそ企業経営のコツになるのではないか?
愚痴はバリエーションがあまりに多いですが、だいたい以下のような考え方で同じような推察ができるはずです。
(1)愚痴っているAさんが思い描いている理想について、もしそれを誰かが叶えようとしたときに必要となるコスト(金銭、精神、時間あるいは人数など)について考える
(2)わざわざコストをかけ、Aさん個人の理想を叶えて、その結果得られるメリットはどの程度のものかを考える
(3)そのコストをかけたことによって、死んでしまうかもしれないリスクについて考える
(4)そのコストをあえて省いているライバルと比較して、生き残りの可能性に差が出るかを考える
──
以上です。
現代人は他人のしょうもない愚痴に踊らされて、日常の精神コストや仕事の精神コストが増えすぎているような気がします。
昔(20年ぐらい前)は、他人のしょうもない愚痴は新聞雑誌の読者の声的コーナーか職場の喫煙所(や給湯室)ぐらいでしか触れることがなかったと思いますが、近年はネットのそこら中で参考にする価値のない愚痴情報が溢れてます。
「こんな男はダメ」「こういうやつが仕事できる」こんなんアテにしちゃダメですよ。自分で考えてください。という提案でした。
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