「性奴隷」の定義は次のようになっています。
"a person who is forced into prostitution and held against their will."
"Sexual slavery is the slavery of unwilling people for sexual exploitation."
"forced prostitution."
本人の意思に反して売春をさせられれば、「性奴隷」です。ですから、「親に売られた」とか「借金の方」として売春をさせられれば、「性奴隷」で、強制連行の場合に限りません。
2014年09月30日 04:03
> コメント3連発で、相手の反論を目立たなくする様な卑怯なマネはやめましょうね。 貴殿のコメントにある誤りはすぐに分かりましたが、その根拠となる記事をWebで探して、ひとつづつ返信し、さらに探したらもっと良い記事がありましたので、返信が細切れになりました。
2014年09月30日 03:56
> 「慰安婦の6割が日本人でほとんどが遊郭からの参加者であった。朝鮮人は約2割で、その他が中国人や台湾人であった」と書かれています。 この推定の根拠を訊ねているのです。
2014年09月30日 03:52
> 「日本政府は、一切取り締まりもせず、日本政府が率先して人身売買を行っていた」 というわけでなく、形式的に禁止令をだしても、まじめに取り締まらなかった例として、明白な違反である年齢違反をだしただけです。 仕事の内容を偽り戦地に送りこむといったような誘拐行為は、応募者を船に乗せる前に、正確な仕事の内容と、行き先が軍事機密ならすくなくとも戦地であることを告げて、承諾を得るべきでした。
2014年09月30日 03:39
> 朝鮮では18歳以上という規則がありました。 17才が正しいようです。 訂正します。 次のような募集広告がありましたから、間違えました。 『毎日新報』(1944年10月27日付) 「軍慰安婦急募集」 行先 ○○部隊慰安所 応募資格 年齢18歳以上30歳以内身体強健女性 募集期日 10月27日より11月8日 契約及待遇 本人面接後即時決定 募集人員 数十名 希望者 左記場所に至急問議の事 京城府鍾路区樂園町195 朝鮮旅館内光③2645(許氏)
2014年09月29日 17:32
> 『宮大工』と言う技術者のことをご存じですか? 神社仏閣だけでなく、時には御輿なども手がけ、専門技能・技術の伝承を行ってるわけです 私の母方の伯父が神社やお寺の建物も造りました。でも、そのような仕事は頻繁にはないので、通常はお金持ちの人達のために総檜造りの民家を建てていました。 私の家では、この伯父に納屋と鶏小屋と離れを作ってもらいました。 それから、息子の代になりましたが、最近はお寺の建物や神社の拝殿などは鉄筋のものが多くなり、昔のような仕事はなくなったようです。 > 世界トップクラスだった我が国の航空機技術・ノウハウを根絶やしにする ドイツのロケット技術者達は、米国に連れて行かれました。その後、ナチス党員でもあったブラウン博士は、NASAの長官になり、アポロ計画におけるサターンロケットの開発に成功し、月旅行を実現しました。
2014年09月29日 15:45
> 16歳以下はあったかな。ちょっと記憶にない。 アジア女性基金による『「従軍慰安婦」関係資料集3」の49ページにある「検微成績の件通牒」では、2名が16才です。この検査報告によると、12名のうち3名が不可で、性病罹患者が多いことも分かります。 50ページにある報告書では15才の少女もみられます。
2014年09月29日 15:22
> 田中利幸氏の事でしょうかね? 彼の本は共産党系の研究者が支援団体の証言集を英訳した2次資料で、研究者には引用されないレベルとの指摘もされている為、信憑性に問題があり、少なくとも政府が調査しないと判断が出来ませんね。政府はその件について特に発表もしていない為、嘘情報と判断したかも知れませんね。 アンボン島の慰安婦の件はTanaka氏の本でなくて、吉見氏の本に記されていました。 海軍特別警察隊員だった禾(のぎ)晴道中尉の手記には、次のように記されているとのことです。 「民政警察の指導にあたっていた木村司政官が敗戦後、戦犯容疑者として収容されたとき話してくれたが、その時の女性集めにはそうとう苦しいことがあったことを知った。 『あの慰安婦集めでは、まったくひどいめに会いましたよ。サパロワ島で、リストに報告されていた娘を集めて強引に船に乗せようとしたとき、いまでも忘れられないが、娘たちの住んでいる部落の住民が、ぞくぞく港に集まって船に近づいてきて、娘を返せ!! 娘を返せ!! と叫んだ声が耳に残っていますよ。こぶしをふりあげた住民の集団は恐ろしかったですよ。思わず腰のピストルに手をかけましたよ。思い出しても、ゾーッとしますよ。敗れた日本で、占領軍に日本の娘があんなにされたんでは、だれでも怒るでしょうよ』。」 アジア女性基金のサイトの下記の報告書には、「オランダによるBC級戦犯容疑者の尋問調書にアンボン島のバトゥ・ガントゥンにあった慰安所について、『地元の少女を慰安婦に徴募』という短い記述があった』と記しています。 http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf
2014年09月29日 07:51
日本人慰安婦には、元公娼で年上の女性が多く、外地の慰安所では慰安婦のリーダー格になった人達が多かったそうです。 それから、日本国内で騙したりして慰安婦を集めると、日本軍兵士の士気が落ちるということで、募集手段も手加減されたということです。 それから、日本人女性が日本国政府を訴えたりすれば、朝鮮人慰安婦がされているように、あることないことをいわれて袋叩きにされます。朝鮮人慰安婦なら日本人に袋叩きにされても、それほどこたえませんが、日本人なら違います。 戦前に特高による、虐殺が80人、拷問による獄中死が114人、病気による獄中死が1503人と推定されていますが、これらの被害者の遺族が日本国政府に賠償要求をしたという話は聞いていません。
2014年09月29日 07:29
> 強制売春を止めさせたのも日本の国としての判断。 被害者がオランダ人女性の場合は日本軍がやめさせていますが、フィリピンやインドネシアで被害者が現地人女性の場合は止めさせていません。 戦後のバタビア臨時軍事裁判の記録には被害者が現地人女性の場合も記してあるそうですが、処罰はされなかったということです。米国下院の議会調査局の報告書にも簡単に記してあります。 インドネシアのアンボン島における事件では、戦後に現地の人達が加害者を罰しようとしましたが、日本軍はすでに撤退していたので、日本軍に協力して強制連行を行った現地人の警察官だけを罰したということです。詳しいことは、Yuki Tanaka 氏の本に記してあります。この事件については、元日本人将校の手記もあります。 オランダ人が被害者の場合だけ特別扱いされたのは、日本軍およびオランダ軍が共に、現地人を蔑視していたことが原因と考えられています。
2014年09月29日 03:36
> 日本人の元慰安婦で名乗り出た人は一人もいませんでした。考えてみるとヘンな話なんですよ。 > 私は、左翼が一番数が多かった日本人慰安婦は眼中にない事をブロゴス上で昔から指摘していました。 http://www.liveinpeace925.com/sex_slavery/kanita_fujinnomura.htm
2014年09月29日 03:28
> 私は、左翼が一番数が多かった日本人慰安婦は眼中にない事をブロゴス上で昔から指摘していました。 http://jcp-chiba.web5.jp/minpo1208/hito/hito2013/hito140413.html https://www.youtube.com/watch?v=co42FFsHx6Q
2014年09月29日 03:14
> 日本人の元慰安婦で名乗り出た人は一人もいませんでした。考えてみるとヘンな話なんですよ。 http://bunka-isan.awa.jp/About/item.htm?iid=446 http://d.hatena.ne.jp/miyotya/20130528 『千葉県南房総に、婦人保護施設「かにた婦人の村」「噫(ああ)従軍慰安婦」の碑があります。』 「1956年(昭和31年)に売春防止法が制定され、性病や知的障害になった慰安婦の安住の地を作ってほしいと、深津牧師の強い働きかけで1965年(昭和40年)に婦人保護施設「かにた婦人の村」が開設されました。 「当時のお金で1億円かかりましたが、国が出したのは1,000万円だけで、残りの9,000万円は世界中のキリスト教の人々からの寄付金でまかなわれたそうです。」 「戦後40年近くを経て、1984年(昭和59年)に城田すず子さん(仮名)という、元従軍慰安婦の胸を引き裂くような告白(石の叫び)に心を打たれた深津牧師が檜1本の碑を建てました。 「その後さらに、全国166人から浄財が寄せられて、1985年(昭和60年)に「噫(ああ)従軍慰安婦」の石碑が建立される事へと発展したそうです。」 「戦争が終わって40年にもなるというのに、戦死した兵隊さんや民間の人のことは各地で弔われるけれど、戦争で引っ張られて行った慰安婦に対する声はひとつも聞えてきません。 「中国・東南アジア・南洋諸島・アリューシャン列島で、性的欲望のため体を提供させられた娘たちは、死ぬとジャングルの穴に捨てられ、親元に知らせるすべもない有様です。 「途中で足手まといになった女はほっぽり出され、荒野をさまよい凍てつく山野で食もなく、野犬か狼のエサになり骨はさらされ土になり、粉々に砕けた手足は陣地の表示板になりました。」
2014年09月29日 03:00
慰安婦の総数ははっきりしていませんし、慰安婦の出身地は、慰安所において大きく異なります。 そこで、日本人慰安婦の数はどのようにして推定されているのでしょうか?日本人慰安婦が大半であったということの根拠を探していますが、みつかりません。ただし、このことは、アジア女性基金の文書にも記されていますので、否定したことはありません。 それから、慰安婦を統率したのは、元売春婦であった日本人女性が多かったようです。
2014年09月29日 02:43
> 日本政府が把握すれば、摘発していた 慰安婦の年齢に関して、日本国内では21歳以上、朝鮮では18歳以上という規則がありました。しかし、慰安婦の性病検査の報告書をみると17才以下の慰安婦が何人も記載されています。
2014年09月29日 02:28
> スマラン事件とかの裁判資料を見る限り、本人自筆の承諾書がある事をが、慰安婦で働ける条件だった事が解ります。 スマラン事件の被害者であったジャン・オハーンさんは、日本語が読めないオランダ人女性が承諾書に署名させられたと証言しています。
2014年09月24日 14:18
>> 現地の日本領事館は、このような苛めの具体例は見出せなかったと外務省に報告したそうです。 > この情報元は? 領事館に電話しました。
2014年09月24日 05:28
> 奴隷は、物(自動車、家屋・・・)のように持ち主に所有権があります。 英語の Slave には、日本語の「奴隷」より幅広い意味があります。 例えば、電子回路に 「マスタースレーブ・フリップフロップ」というものがあります。これを、日本語に直訳すれば、「主人奴隷ドタンバタン」となりますが、これではおかしいので、日本語でも 「マスタースレーブ・フリップフロップ」といいます。この場合のスレーブは、単に「つき従う」という意味で、「所有権」は関係ありません。 「性奴隷」が日本語で不適当なら、「セックススレーブ」もしくは「性しもべ」はどうでしょうか?
2014年09月24日 05:16
> ”性奴隷”は、弁護士が都合で作り出した用語だから。 戦前の文書で、公娼制度を奴隷制度と読んでいるものをあげます。 http://d.hatena.ne.jp/keiyousan/20140308/1394235156 政府は大英断を以て娼妓を廃した。明治五年十月二日、一片の太政官布告を以て日本は廃娼國になった。 その頃は政革の気分があったから当局者は徹底的に法律を実施した。然し興論が伴ってゐなかったので実行力が乏しく、直に元へ戻った。解放された娼妓は國へ帰っても、親は貧乏で食はせる事が出来ないので、叉元の女郎屋へ帰って来る。女郎屋では前の様でなく、こっそりやって居ると、需要供給の関係上繁昌する。そこで娼妓はだんだん仲間を呼んで、明治六年には元の通りになった。然し公娼制度は廃止だから、人身賣買の開係でなく、娼妓稼ぎ人と云ひ貸座敷業と称して、立派な独立した営業になった。金銭の貸借と座敷の貸借り関係になり、身代金は単なる前借金と云ふ事に看板を塗り更へて大威張で続けて行った。事実上においては昔と少しも変わらない奴隷制度であり、搾取制度である。 http://d.hatena.ne.jp/keiyousan/20140415/1397524123 況んや、公娼制度が、文明社會に許すべからざる奴隷制度であり、極端なる、搾取制度の下にあるにおいてをやである。國家は、その威信を保つためにも國家自ら此の根抵薄弱なる公娼制度及び人肉市場のパトロンたる地位から断然脱離すべきである。
2014年09月24日 03:44
> 日本と日本の植民地間の「国内」売春を目的とした女性の移動は明らかに可能であったらしい 朝鮮および台湾をに「日本国内」とすれば、日本の法律が適用されるはずです。 強制連行については、P112 - P124に記されています。 > 1人1人の女性が売春する意志があるか確認、趣意書に署名、定期健診、そして定期的に金銭の支払いがおこなわれているか確認しなければならなかったということがわかった。 日本語の読めないオランダ人女性が、日本語の「趣意書」に署名させられたそうです。ジャン・オハーンさんは、金銭の受け取りを拒否したとのことです。 > 「ジャワにあった多くの慰安所は、公の許可は必要であったが個人が(私的に)経営していたっようである。このような公的許可と私的経営のシステムは、基本的には日本の婦女子売買禁止国際条約への参加によって変容した公娼制度と同様であった 現地女性が強制連行された非公式な慰安所では、日本軍部隊による直営でした。 それから、『1938年3月4日付け陸軍省兵務局兵務課起案 (陸支密第745号)の「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」によると、「将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於テ統制シ...其実施ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋ヲ密ニシ...」とそれぞれの軍に慰安所の設置及び管理の責任を示している』とのことですから、慰安婦は業者がかってに集めたのではないことが明白です。 英文の方の報告書にフィリピン、インドネシアにおける強制連行について簡単にまとめてあります。
2014年09月23日 15:20
吉田証言と同等かそれ以上のことがフィリピン、インドネシア、マラヤなどであったと、河野談話のもとになった日本国政府による調査報告書で認めていますいので、吉田証言が虚偽であっても大勢には影響しません。 実際、米国下院およびその他の国の慰安婦問題対日非難決議は、吉田証言に依拠していません。
2014年09月23日 15:13
米国の時期大統領がクリントン女史になると、「慰安婦」といわないで「性奴隷」といえと、再びいうかもしれません。 そうしたらどうしますか? 真珠湾攻撃?
2014年09月23日 15:08
「性奴隷」の定義は次のようになっています。 "a person who is forced into prostitution and held against their will." "Sexual slavery is the slavery of unwilling people for sexual exploitation." "forced prostitution." 本人の意思に反して売春をさせられれば、「性奴隷」です。ですから、「親に売られた」とか「借金の方」として売春をさせられれば、「性奴隷」で、強制連行の場合に限りません。
2014年09月23日 14:50
> 「日本軍は暴力的であからさまな力の行使や襲撃に訴え、娘を誘拐されまいと抵抗する家族を殺害することもあった。」 ヒックスの本には、マラヤの元慰安婦に面会して、「娘を誘拐されまいと抵抗した父親は、頭を蹴飛ばされた」という話を聞いたと記してあります。 この話の信頼性については、保障しません。
2014年09月23日 14:31
> 「慰安婦」を確保するために、日本軍は身体的暴力、誘拐、強制、詐欺的手段を用いた。 これは正しいです。 まず、「身体的暴力」が使われたのは、フィリピンの例が多いです。「誘拐」はインドネシアの現地人少女に対して行われました。「強制」および「詐欺的手段」は朝鮮人慰安婦について多々あります。 一度、次の報告書を読んでください。 http://www.awf.or.jp/pdf/0170.pdf http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf
2014年09月23日 14:21
> 私はホントに驚いていますよ。いわゆる従軍慰安婦の境遇が、内地の売春宿と違う理由を、敵に蹂躙された場合のリスク差として糾弾することに。 新天地シンガポールで看護婦のような良い仕事があるといわれて、あらそって応募したらビルマの山奥のミートキーナな連れて行かれて慰安婦にされた人達がいます。この地域は、インパール作戦で日本軍兵士が退却した「白骨街道」の近くで、英国兵に指揮されたインド兵と中国兵が日本軍の掃討作戦を行ったところです。 退却した日本軍が豪に放り込んだ、爆撃で殺さた慰安婦達の死体の、米軍が撮影した写真があります。 なお、中国戦線では弱かった中国兵も英国軍が供給した自動小銃を持ち、英国軍により訓練されていたので、銃剣つきの単発銃しか持たなかった日本軍兵士はとても歯が立たなかったそうです。
2014年09月23日 13:49
> 自治省指示)は21歳未満の女性を慰安婦とすることを禁じていたことを政府の施策として提示することがマチガイとはこれいかに? 政府の規則に違反してる業者がいただけのこと。 性病検査の報告書には17歳以下の慰安婦の年齢が記されているものがありますが、彼女達は働かせ続けられました。つまり、犯罪を見逃したというか、未成年を相手に性行為を行えばそれ自体が犯罪になるとおもいます。
2014年09月23日 13:35
> 論拠も示さず従軍慰安婦の強制連行はあったあったといいまくるどこかの誰かと同じ脳内構造でもう笑っちゃいます 河野談話に先立つ日本政府による調査結果がアジア女性基金のサイトで公開されています。 次の報告書を読んでください。 http://www.awf.or.jp/pdf/0170.pdf http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 「正式に日本当局から命令され、バリ人の官吏が地元の有力者に依頼し、おこなわれた女性の調達は、慰安所用の女性と日本人将校の愛人用も含まれていた」 「若い女性達に、東京へ留学させると騙し、ケンダリやポマラアの慰安所へ連れていった。」 「モア島の慰安所には5人の少女が、近隣のセルマタ島から連れて来られていた。彼女たちは、父親た ちが憲兵隊に向って反抗行動をおこしたということの罰として連れてこられ慰安婦として働かされた。」 「アンボン島のバトゥ・ガントゥンにあった慰安所について短い記述があった。地元の少女を慰安婦に徴募、ジャワの少女も雇っていた。」 -- 「徴募」とは、兵士を集めるように集めることです。「ジャワの少女たち」は、別の資料によると「東京で教育すると」いってだまして連れて来られたそうです。 www.awf.or.jp/pdf/0205.pdf
2014年09月23日 06:22
> 元慰安婦の「証言」は弁護士に誘導された作り話 > http://blogos.com/article/94255/ 池田先生は、この記事で次のように書いておられます。 「クマラスワミ委員会が採用した元慰安婦の証言は、すべてこういう作り話だ。委員会のガイドをつとめたのは高木健一弁護士なので、この証言の内容も彼らが書いたのだろう。裁判でいえば、原告側の主張だけを反対尋問もなしに採用したもので、証拠能力はない。」 私は、クマラスワミ報告書にあるオクスンさんの証言を一読して、これは北朝鮮の政府関係者の指示に従った証言だとおもいました。ですから、証拠能力はありません。 しかし、池田先生の発言にも問題があります。 彼は、クマラスワミ報告書はヒックスの本と吉田清治の本だけに基づいて書かれているといっていました。ということは、クマラスワミ報告書をまともに読んでおられないということです。 ですから、クマラスワミ氏がが北朝鮮も訪れる予定であったが、飛行機の都合で行けなかったので、代わりの人に北朝鮮で元慰安婦の人達に面接してもらったということを知らないのだとおもいます。 私は、オクスンさんの証言は、北朝鮮に行った人からの報告だとおもいます。まさか、高木健一弁護士か誰かが、このような一読して嘘だとわかる証言を捏造するとはおもえません。
2014年09月23日 04:18
>将校付けの一部の人は違う 沖縄集団自決裁判の原告のひとりであった梅沢裕部隊長には彼専用の慰安婦が送られてきました。座間味島では、多くの住民が集団自決したのですが、彼は慰安婦とともに米軍に投稿しました。 これ慰安婦の待遇はよかったとおもいます。
2014年09月23日 04:04
> 慰安婦の処遇は良好であったという事実の証言も多くある。 慰安所の管理人に食料とその他に多額の料金を払わせられ、慰安婦は生活に困窮したという証言もあります。もちろん、戦闘が始まれば、手当てもなくなり、爆撃で死んだり、現地に取り残されたりしています。日本兵の戦死者の半数は餓死だといいますが。そのような戦地の慰安婦はどうなったのでしょうか? >1945年、占領軍当局は日本政府に対し米軍兵による強姦を防止する目的で衛生的で安全な「慰安所」を設置するよう要請していた。 このような要請をした米軍の将校もいたそうですが、日本国政府の内務省が特殊慰安施設設置の通達を出したのは、米軍の進駐が始まる以前です。