大阪市立総合医療センターで勤務をしておりました臨床看護師たん です。
私は、PNS(パートナーシップナーシングシステム)を含めた業務・教育方針の不調和、業務改善意識の無さなどを理由に2016年1月初旬に同病院を退職する決意を致しました。
病院や看護部の方針が私と合わなかっただけなので、その点については詳細の是非を問うつもりはありません。しかしながら私が未熟なりにも数年間身を捧げた職場から、言われもない扱いを受けたことについては落胆・憤慨しております。
看護師として、労働者としてこのような扱いを受ける方が1人でも減るようにと思い、以下に経過を綴ります。
経過の中で私が作成したPNS反対資料、院長に宛てた手紙については非常に長文になるのでTwitter上(臨床看護師たん @e_c_g_heart)でご参照頂けると幸いです。
年末から年始にかけて
①病棟内でPNSが有効に機能していない現状を受け、病棟師長よりPNS反対資料(別記事参照)の作成を個人的に依頼される。
②資料作成後、「PNSは私も反対だけど私がお願いしたのはこんな資料じゃない。そもそもPNSは看護部のお達しだから辞められない。」
と同師長より説明を受けるが私には主旨が理解できず。
③兼ねてよりPNSを継続するなら退職する意向であることを伝えていたので、年度内に退職予定であることを申し出る。
④その時点で有休休暇が殆ど消化されていない状態であったので、有休を消化した上で退職したい旨を伝える。以下その際のやりとり。
2016年1月15日
師「あなたの身勝手な行動でみんなに迷惑がかかる。人員不足でも看護部が埋めてくれるわけがない。このままだと他の退職者に年休が与えられなくなる。私の口からはあなたが有休を消化して退職するとは言えない。2月からはあなたが体調を崩して病休に入るとみんなに説明する。」
私「看護部の人員配置に問題があるのではないですか。あとそれは私個人に言う台詞ではないですよ。そもそも看護部と病棟間の調整が師長の仕事じゃないですか。」
師「そんなこと私に言わても仕方ない。」
私「なるべく皆の迷惑にならないように有休を消化し退職します。」
師「いつ辞められても迷惑は同じ。」
私「とりあえず2月は有休消化にして下さい。2月末で退職の予定でお願いします。」
師「はい。」
その後有休消化に入るが私の計算違いで2月末退職でも完全消化にならないことに気づく。また師長との折り合いが悪くなったため、今後のやり取りは人事部と看護部と行うように幾度かの話し合いの中で決定した。
1月29日
私「一度2月末とお伝えしましたが有休が残るようなので消化完了になる3月22日に退職でお願いします。」
副「月途中での退職は出来ません。月途中退職すると次の就職で不利益になる。前の職場でトラブルを起こしたんじゃないかって。あと退職日の決定権は労働者でなく雇い主が決めるものです。有休を余らせて2月末退職か、最後の1週間日勤をして3月末退職にするか早急に選んで。」
この経過を大阪市労働基準監督署 天満 に相談し、看護部の主張に正当性がないことを確認した上で、翌日3月末での退職を申し出る。
1週間のみの出勤なら、とその際は考えていたが師長と顔を合わせることや他のスタッフとの軋轢を懸念し徐々に不眠傾向になる。
3月14日
近くの心療内科を受診し「不眠症、自律神経失調症の増悪」と診断を受ける。
3月22日(出勤前日)
診断書を人事部担当者に渡し、病気休暇の手続きを行う。
3月30日
一部退職書類の不備の為、人事部へ赴く。
伝達の折で師長と顔を合わせるも「はい」と預けていた印鑑を渡されたのみ。
3月31日
退職の運びとなる。
4月初旬
大阪市労働組合にこの経緯について相談するも受け入れられず。
4月18日
この経緯について院長宛ての手紙(Twitter参照)を配達証明にて送付。
5月31日
返送が無い為私の両親から病院に連絡を取ってもらうも「手紙の内容は一部事実と相違する為返送は出来ない」と回答を得る。
簡潔に纏めると、
数々の業務改善を提案し、頼まれた資料を作れば頭ごなしに謎の却下をされ、その折に半年前から申し出ていた退職を切り出すと逆ギレされ有休を使わず辞めさせるように持っていかれそうになった。退職の後にこれはどういうことですかと病院に手紙を送っても無視をされているという話である。
ちなみに私と同日退職した後輩は有休をほとんど消化せずに3/31まで勤務させられていた。
また、私のように有休を消化して退職へ至ったスタッフはほぼ0とのこと。
これが1000床を超える大病院の実情です。
さて、
労働者の権利を侵害していると思われる今回の事例に関して、なんらかの回答を期待しての手紙であったが病院側に回答義務は無く実質泣き寝入りの状態である。
私を架空の病気にしようとした師長、退職日の設定に関して精神的圧力をかけた看護部に説明責任が生じないというのはおかしな話。
言った言わないの水掛け論をするつもりはない。この私がボイレコの一つも持ち歩かずにこんなやりとりをしてきた、とタカをくくったままのうのうと生きていればいい。
とにかく、
今回の経緯は人権侵害や労働基準法違反で立件できるほどの案件でないことは認識しているつもりである。
「私のところはもっと酷い」と思われる方も沢山いるであろう。
私もそれなりに長く社会人を経験してきた。
自分の中の何かを殺し、あの職場で続けることも勿論可能であったとは思う。
でも、
あのPNSの資料、院長への手紙はそれこそ私の看護観の集約だった。
私のこれまでの看護師人生は否定されたのだ。
今後、
どれだけのスタッフが気兼ねなく有休を申請できるだろう。
どれだけのスタッフが業務改善を提案しそれを却下される場面を経験するのだろう。
どれだけのスタッフがこの病院で働いてよかったと思い看護師人生を終えるのだろう。
「看護師なんてなるんじゃなかった」
なんて他のスタッフに思わせないでほしい。
「さすが大阪市立総合医療センターだ!」
と思わせてほしかった。
家族の有事を任せられる病院であってほしかった。
私が看護学生に自信を持ってお勧めできる就職先であってほしかった。
そして、
私の夢を叶える場であってほしかった。
職業に貴賎があるとは思っていない。
しかし医療者に課せられる責任は非常に大きく、それだけに報酬だけでなくやりがいを持てる職場づくりが殊に求められていると私は兼ねてよりTwitter上でも綴っている。
「長くここで勤めたい」と思う気持ちを失わせていることが、業界最大のマンパワーの喪失であることを今一度皆に考えてほしいと感じている。
患者さんの為、また自分たち医療者の為適切な労働環境の整備が行われることを祈りこの文を終えたいと思う。
以上、乱文乱筆をご寛容頂ければ幸いである。
またどこかの病院でお会いしましょう。
今迄ありがとうございました。
私は、PNS(パートナーシップナーシングシステム)を含めた業務・教育方針の不調和、業務改善意識の無さなどを理由に2016年1月初旬に同病院を退職する決意を致しました。
病院や看護部の方針が私と合わなかっただけなので、その点については詳細の是非を問うつもりはありません。しかしながら私が未熟なりにも数年間身を捧げた職場から、言われもない扱いを受けたことについては落胆・憤慨しております。
看護師として、労働者としてこのような扱いを受ける方が1人でも減るようにと思い、以下に経過を綴ります。
経過の中で私が作成したPNS反対資料、院長に宛てた手紙については非常に長文になるのでTwitter上(臨床看護師たん @e_c_g_heart)でご参照頂けると幸いです。
年末から年始にかけて
①病棟内でPNSが有効に機能していない現状を受け、病棟師長よりPNS反対資料(別記事参照)の作成を個人的に依頼される。
②資料作成後、「PNSは私も反対だけど私がお願いしたのはこんな資料じゃない。そもそもPNSは看護部のお達しだから辞められない。」
と同師長より説明を受けるが私には主旨が理解できず。
③兼ねてよりPNSを継続するなら退職する意向であることを伝えていたので、年度内に退職予定であることを申し出る。
④その時点で有休休暇が殆ど消化されていない状態であったので、有休を消化した上で退職したい旨を伝える。以下その際のやりとり。
2016年1月15日
師「あなたの身勝手な行動でみんなに迷惑がかかる。人員不足でも看護部が埋めてくれるわけがない。このままだと他の退職者に年休が与えられなくなる。私の口からはあなたが有休を消化して退職するとは言えない。2月からはあなたが体調を崩して病休に入るとみんなに説明する。」
私「看護部の人員配置に問題があるのではないですか。あとそれは私個人に言う台詞ではないですよ。そもそも看護部と病棟間の調整が師長の仕事じゃないですか。」
師「そんなこと私に言わても仕方ない。」
私「なるべく皆の迷惑にならないように有休を消化し退職します。」
師「いつ辞められても迷惑は同じ。」
私「とりあえず2月は有休消化にして下さい。2月末で退職の予定でお願いします。」
師「はい。」
その後有休消化に入るが私の計算違いで2月末退職でも完全消化にならないことに気づく。また師長との折り合いが悪くなったため、今後のやり取りは人事部と看護部と行うように幾度かの話し合いの中で決定した。
1月29日
私「一度2月末とお伝えしましたが有休が残るようなので消化完了になる3月22日に退職でお願いします。」
副「月途中での退職は出来ません。月途中退職すると次の就職で不利益になる。前の職場でトラブルを起こしたんじゃないかって。あと退職日の決定権は労働者でなく雇い主が決めるものです。有休を余らせて2月末退職か、最後の1週間日勤をして3月末退職にするか早急に選んで。」
この経過を大阪市労働基準監督署 天満 に相談し、看護部の主張に正当性がないことを確認した上で、翌日3月末での退職を申し出る。
1週間のみの出勤なら、とその際は考えていたが師長と顔を合わせることや他のスタッフとの軋轢を懸念し徐々に不眠傾向になる。
3月14日
近くの心療内科を受診し「不眠症、自律神経失調症の増悪」と診断を受ける。
3月22日(出勤前日)
診断書を人事部担当者に渡し、病気休暇の手続きを行う。
3月30日
一部退職書類の不備の為、人事部へ赴く。
伝達の折で師長と顔を合わせるも「はい」と預けていた印鑑を渡されたのみ。
3月31日
退職の運びとなる。
4月初旬
大阪市労働組合にこの経緯について相談するも受け入れられず。
4月18日
この経緯について院長宛ての手紙(Twitter参照)を配達証明にて送付。
5月31日
返送が無い為私の両親から病院に連絡を取ってもらうも「手紙の内容は一部事実と相違する為返送は出来ない」と回答を得る。
簡潔に纏めると、
数々の業務改善を提案し、頼まれた資料を作れば頭ごなしに謎の却下をされ、その折に半年前から申し出ていた退職を切り出すと逆ギレされ有休を使わず辞めさせるように持っていかれそうになった。退職の後にこれはどういうことですかと病院に手紙を送っても無視をされているという話である。
ちなみに私と同日退職した後輩は有休をほとんど消化せずに3/31まで勤務させられていた。
また、私のように有休を消化して退職へ至ったスタッフはほぼ0とのこと。
これが1000床を超える大病院の実情です。
さて、
労働者の権利を侵害していると思われる今回の事例に関して、なんらかの回答を期待しての手紙であったが病院側に回答義務は無く実質泣き寝入りの状態である。
私を架空の病気にしようとした師長、退職日の設定に関して精神的圧力をかけた看護部に説明責任が生じないというのはおかしな話。
言った言わないの水掛け論をするつもりはない。この私がボイレコの一つも持ち歩かずにこんなやりとりをしてきた、とタカをくくったままのうのうと生きていればいい。
とにかく、
今回の経緯は人権侵害や労働基準法違反で立件できるほどの案件でないことは認識しているつもりである。
「私のところはもっと酷い」と思われる方も沢山いるであろう。
私もそれなりに長く社会人を経験してきた。
自分の中の何かを殺し、あの職場で続けることも勿論可能であったとは思う。
でも、
あのPNSの資料、院長への手紙はそれこそ私の看護観の集約だった。
私のこれまでの看護師人生は否定されたのだ。
今後、
どれだけのスタッフが気兼ねなく有休を申請できるだろう。
どれだけのスタッフが業務改善を提案しそれを却下される場面を経験するのだろう。
どれだけのスタッフがこの病院で働いてよかったと思い看護師人生を終えるのだろう。
「看護師なんてなるんじゃなかった」
なんて他のスタッフに思わせないでほしい。
「さすが大阪市立総合医療センターだ!」
と思わせてほしかった。
家族の有事を任せられる病院であってほしかった。
私が看護学生に自信を持ってお勧めできる就職先であってほしかった。
そして、
私の夢を叶える場であってほしかった。
職業に貴賎があるとは思っていない。
しかし医療者に課せられる責任は非常に大きく、それだけに報酬だけでなくやりがいを持てる職場づくりが殊に求められていると私は兼ねてよりTwitter上でも綴っている。
「長くここで勤めたい」と思う気持ちを失わせていることが、業界最大のマンパワーの喪失であることを今一度皆に考えてほしいと感じている。
患者さんの為、また自分たち医療者の為適切な労働環境の整備が行われることを祈りこの文を終えたいと思う。
以上、乱文乱筆をご寛容頂ければ幸いである。
またどこかの病院でお会いしましょう。
今迄ありがとうございました。
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