聖女としての地位を妹に譲れと言われた公爵令嬢と、聖女としての地位を譲られて王太子と婚約した双子の妹の話
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「アリシア、次期聖女の地位を妹に譲りなさい」
父である公爵からそう言われた時、私は呆れてしまった。
父は悪人ではないが俗物で、自身が凡庸である故に、ひと目で優れている、長じていると思われるものを好む。
そして私たち姉妹の場合、それは私――アリシアではなく、妹のノエルなのだろう。
妹のノエルは幼い頃から外見や性格に華があった。
道で転べば数本の手がすぐに差し伸べられるような魅力。
そしてその手を取り、更におぶって帰ってくれとねだっても許されるような、如才ない甘えの技術をも自然に身につけていた。
外見的に凡庸で、地味で、あまり本心を見せたがらない私と妹では、両親からの愛され方に差があるのは子供心にわかっていた。
なおかつ、十歳の頃に王家から次期聖女として指名され、今日までそのための教育を受けてきた私にとっては、それでよかった。
だが、聖女の役を譲れと言われたら、流石に私も黙ってはいられない。
それはハイそうですかと望み通りに譲り渡せるものではないからだ。
「失礼ですが父上、聖女とはどういう役職なのか、本当におわかりですか?」
私は直球にそう訊ねた。
父は不快感を隠さずに言った。
「あんなものは名誉職だ。ただ迷信深い民衆のためのお飾りだろう?」
ではなぜ、わざわざ私ではなく、愛らしい妹を差し出すのですか?
私はそう訊ねたかった。
だが、そう訊ねれば父はますます不機嫌になるだろう。
悲しいほどに凡庸な父の本心は、影絵芝居のように見え透いていた。
「父上、私がしたいのは反発ではなく質問です。ノエルは私と違って今までに聖女であるための教育を受けておりませんし、その覚悟もあるとは思えません。それでは民にノエルを差し出すことになります。父上は本当にそれでよいのですか?」
「そんなものは後から身につければよい。聖女はいるだけで民たちの希望になる。渇きに慈雨を、長雨に陽の光を、苦難に歓喜を、絶望に希望を……聖女はそれをもたらすと信じさせておけばいい。くだらん迷信のために何の知識が要る? 雨乞いの作法でも身につけろと?」
「ええ、その通りです」
私は肯定した。
「失礼ですが、父上は雨乞いをどのように行うかご存知ですか?」
知るわけがない。
父の目はそう言っていた。
私はつらつらと諳んじてみせた。
「まず夏至の日に朝日の昇る方向と日の沈む方向に対し、正確に祭壇を組みます。そして特上の美酒と山海の珍味とを用意します。その後、入念に女神に祈りを捧げた聖女が、よく水を吸い上げる蔓を一本ナイフで切り落とし、そこから滴る水を……」
「もうよい。そんな知識は聞いて何になる」
父は明らかに苛立っていたが、苛立たれても困る。
これができなければ聖女としてノエルは全く役に立たないのだ。
それに、本当に私が聞きたいのは、知識の有無ではなく、ノエルの覚悟の有無なのだ。
そう、私は十歳の頃から、聖女となることを運命づけられて生きてきた。
そして、その『聖女』と呼ばれる地位や称号が、父が言う通りの名誉職ではないことも。
私はため息を押し殺して言った。
「父上がそう仰るならそれでいいです。では、ノエルはどう言っています?」
「どう、とは?」
「彼女は本当に聖女になりたいと言っているのですか?」
父は半目で私を見た。
「この話は元々ノエルの希望だ」
「は?」
「双子のうちどちらかが聖女となるならば私でもいいはず、お姉様にその任を負わせるぐらいなら、私が聖女になります……そのように言ってくれている」
呆れた。
そう言い出したノエルにも、それを馬鹿正直に受けた父も母も。
「言ってくれている」ではなく「ノエルがそうねだった」のだ。
幼い頃からノエルは私のものをなんでも欲しがった。
洋服も、宝飾品も、食べ物でも。
長じてからは私の地位や友人も。
何でも自分のものにしたがった。
正直に言えば、それが不快だと思ったこともある。
ノエルにではなく、彼女に言われるがまま、私にそれを譲り渡す事を迫る両親にだ。
私は長姉であるというそれだけの理由で、全てをノエルに譲ることを余儀なくされてきた。
そして今度は、あの愛らしい妹は、私の聖女の地位さえ欲しがったのか。
ルックスや性格は華やかだが、そのどうしようもない凡庸さだけは父に似てしまったらしい。
「父上、失礼ですが申し上げます。聖女の称号はテディベアではございません。ねだられたから、ノエルがそう願ったから、ほしいままに与えるのですか?」
「父親に向かってなんだ、その言葉は」
遂に狭量な父の怒りが溢れてしまったようだ。
私は淡々と言った。
「父上が言ったのでなければ私は国王陛下にだってそう言います。もう一度訊ねます。ノエルが欲しいと言えば、そこまで私から奪ってまで与えるのですか? 私の立場は? 私の努力は? 私の思いは? 私の父は、聖女候補として生きてきた私の八年間を無視されると、そう仰ってるように聞こえますが?」
かなり直截的な言い方であったし、それは私の本心だった。
私はこう訊ねている――私の意志は酌まないのかと。
私の責務とノエルのわがままを天秤にかけるのかと。
「さらにはっきりと言います。ノエルがほしいのは聖女の地位ではなく、王太子妃という地位ではないのですか?」
私が言うと、父の目に僅かだが動揺が走った。
全く、おためごかしで事をごまかそうとする人間が、この程度の揺さぶりで動揺するとは。
「確かに私は聖女候補として、ユリアン第一王子の婚約者です。ですがそれは、やがて国王となるべき人間が聖女を庇護するという古来からの慣習に則ったもの。そこまでが聖女の責務なのです。誰かが乞い願ったからといって譲り渡せるものではありません」
まぁ、言ってもわからないだろうけれど――。
私は内心、理解されるのを諦めつつ言った。
父にも、母にも、そしてノエルにも。
十歳にして人生を決められた私の気持ちなど理解されていないだろう。
なぜなら彼らの頭の中では、王太子妃という称号は光り輝く金剛石の首輪のようなものだろう。
それが
私は父に詰め寄った。
「どうお考えですか、父上」
私は更に言った。
「ノエルを聖女として差し出して、父上は本当によいのですか?」
父は萎むようなため息をついた。
それは苦渋の決断ではなく、駄々っ子に手を焼く親そのものの反応だった。
父は二、三度頬を震わせ、そして無理矢理の笑顔を作った。
「アリシア、聞いていれば随分なことを言うがね、私はお前とノエル、両方を愛しているよ」
ああ、ダメだ――。
舌打ちをこらえるのに大変な努力が必要だった。
父は自分が困れば、必ずこういう言い方をする。
私たちを両方愛していると。
「だが、これはノエルが姉であるお前を思って言い出したことだ。ノエルの意志をどうか無にせんでほしいんだがな」
だが、平等に愛していると言ったことはない――。
私の心に、どうしようもない寂しさ、悔しさが滲んだ。
私とノエルは確かに父や母から愛されているだろう。
食事も日に三度三度食べさせてもらっているし、手を上げられたこともない。
だが、両親の中の天秤が、常に愛らしいノエルの方に傾くだけだ。
「後悔しますわよ」
私はそのくだらない懐柔を無視して言った。
本当にそれでよいのですね? この会話の中で何度そう聞いただろう。
父は最後までこの問いの意味を深く考えなかった。
「後悔などさせんよ。とにかく、お前にはつらい思いをさせてしまうのはわかる。だがわかってほしいんだ、アリシア。お前もノエルの幸せを考えたことはないのか?」
あなたこそ、婚約を破棄される私の幸せは考えてはくれないのですか?
そう訊ねようと思ったが、やめた。
どうせこの男に私の言葉が通じるはずはなかった。
わかりました、と私は頷いた。
ノエルの方が可愛い、お前は可愛くない、父は明確にそう言っていた。
その日以来、私は聖女候補者ではなくなったし、父を父とも思わなくなった。
◆
「見て見て! お姉様、新しいドレス! お姉様のより綺麗でしょ!」
ノエルは天真爛漫な子供そのものの笑顔で言った。
私はどうにかしてノエルに笑顔を向けた。
ノエルは子供の頃から、嫌味なくこういう言い方ができる。
お姉様のよりいいでしょ?
お姉様のより多いでしょ?
お姉様のよりも綺麗でしょ――?
それは多分、本人の中では嫌味ではない。
ただただ、客観的な事実を確認しているだけなのだろう。
だが歳を経るごとに、その中に確実な私への、確実な侮蔑の感情が滲み始めていたことも――。
おそらく、本人は私が気づいていないと思っているのだろう。
「お姉様、ユリアン王子ってどんな方なの? とてもカッコイイ方なのは知ってるけど、私、彼のこと何も知らないから! ねぇ、好きなものとかあるの?」
私は全ての質問を曖昧な言葉で濁した。
その旺盛な恋心に圧倒されたわけではなく、単に知らなかったからだ。
土台、ただ古来の慣習に従っただけの婚姻なんて、個人的な感情など差し挟まる余地がない。
だから、私はユリアン王子の姿かたちは知っていても、彼について何も知らなかったのだ。
ユリアン王子がどんな人間だろうと、ノエルならすぐに打ち解けられるよ。
私はずっとそんな意味のことを繰り返していたと思う。
「聖女様、馬車の用意ができました」
聖女の従者が恭しくそう言い、ノエルは快活に返事をした。
私と両親は彼女の見送りに出た。
お幸せにね、母はノエルの両手を握ってそう言った。
国王陛下には失礼のないように、と父は言った。
ノエルが聖女になることに対してではなく。
ノエルが第一王子の婚約者になることに対して。
両親の本心はもはや隠すこともなく向けられていた。
最後に、私の番になった。
私は、ノエルの手を握り、そしてその目を真っ直ぐに見た。
「今年は春先まで低温が続くでしょう。その後はきっと冷夏になるわ。6月の麦の出穂まで続いたら飢饉になるかもしれない。麦の生育状況から目を離してはダメよ」
ノエルは戸惑ったように私を見た。
私は真剣な表情と声とで言った。
「麦に病気がついたなら、詳しい人に対処法を聞いて。決して放置してはダメよ。いい、ノエル? このことだけはきっと忘れないで。あなたは王太子妃であること以上に聖女なのよ。いいわね?」
両親のうんざりしたような視線が背中に痛かった。
最初から最後まで、ノエルのお小言を聞き流す表情は変わらなかった。
だが、私がノエルに、双子の姉として言う事ができるのはこれだけだ。
「それじゃあみんな、行ってきます!」
ノエルはそう言って馬車に乗り込んでいった。
私と両親は、手を振りながらずっと見送っていた。
多分、ノエルの顔を見るのはこれが最後になる。
そう思うと、私の心はどうしても揺れた。
妹を見殺しにしたような罪悪感が脳裏から離れなかった。
◆
ユリアン王子とノエルの、国を挙げての盛大な結婚式が行われた後。
私は両親に、領地の隅で
もはや聖女ではなくなり、第一王子の婚約者でもなくなった。
どういう形であれ、私は他ならぬ両親経由で王子との婚約を破棄された傷物である。
聖女と第一王子の婚約者、二つの未来を奪われた格好になった私がこの公爵家に居残りするのはどう考えても体裁が悪かろう。
それに、最愛の娘であるノエルのことが片づいたなら、両親の中に私の未来に対する希望はそれほどないだろう。
父と母は遺留することなく私の言うことを飲もうとしたが、そこに少しだけ違う未来が転がってきていた。
ハノーヴァー辺境伯令息との縁談の話がそれであった。
ロラン・ハノーヴァー辺境伯令息。
私も王都の社交界で何度か会話を交わしたことのある、無骨な青年。
北方の国境地帯を固める武闘派貴族であるハノーヴァー家は、王都で何か動乱があれば必ず黒幕を疑われるような、あまり人聞きがいいとは言えない一族であった。
だが、私の両親はそんな悪評を特には気にしなかったらしい。
土台、ノエルが王家に嫁いだ今、両親の関心事は私ではなくノエルの方にあった。
会ってみないか、という父の言葉を、私はさして考えることもなく了承した。
もうここから出ていければ、相手が辺境伯だろうが悪魔だろうがどうでもいいことだった。
私がいますべきことは、一刻も早くこのハーパー家から遠ざかることだった。
だが、予想を裏切って――。
婚約者候補として再会した私たちは、不思議とすぐに打ち解けた。
無骨で口下手だが頭が切れ、言いたいことをずばずばと言いのけるロランの胆力。
貴族社交界では嫌厭されるに違いない彼の性格が、同じく遠慮のない性格の私と殊更に好適したのだった。
それから二月ほどの間に、私のハノーヴァー辺境伯への輿入れは決定した。
もう三月だというのに、風が冷たく、いまだに雪が降っていた。
私は不穏な空を眺めながら、自分の領地から遠く離れたハノーヴァー領へと移っていった。
◆
ノエルの、王太子妃としての生活は、ここハノーヴァー領にも聞こえてきていた。
人に無条件の庇護欲を掻き立てるその能力は、華やかさが必要である王太子妃としては十分以上の能力だったようだ。
だが、聖女として彼女が祈りを捧げただとか、庶民を見舞っただとかいう話は、ただの一度も聞こえてきたことはなかった。
輿入れした次の日から、私は毎日手紙を書いていた。
両親にではなく、ノエル宛にだ。
《『聖女』ノエル・ハーパー様へ》――。
私は手紙に頑なに『王太子妃様』とは書かなかった。
私は毎日毎日、書物と空とを交互ににらめっこをしながら手紙を書いた。
過去の事例に照らし合わせて、今年はやはり低温の年になるだろうこと。
春先の低温はすべての作物に対してマイナスで、低温障害や病害虫が蔓延するだろうこと。
そのときに聖女としてすべきこと、好天と地温上昇を天に乞う儀式の作法について。
聖女として民にもたらすべき知恵や薬、病害虫への対処法について。
私は毎日毎日、そういった内容の手紙を書き続けた。
返事は一度たりとも来なかった。
ノエルが手紙を読んでいるかも怪しかった。
おそらく、婚約者を取られた姉が僻んでいると思われただろう。
だが私は、姉として、元聖女候補として、毎日毎日手紙を出し続けた。
◆
本格的な春が来ても、予想通り低温は続いた。
今年は飢饉になる。そう確信した私は、夫となったロランを通じてハノーヴァー辺境伯に早めの対処を進言した。
最初はぽかんとした表情でそれを聞いていたロランも、私が過去の例を挙げて進言すると、流石に顔色を変えた。
ハノーヴァー辺境伯家は私の進言に従って作物を麦から馬鈴薯に変えるよう農民に指示し、投機に回している麦などの穀物を引き上げ、備蓄に回した。
蔓延するだろう病害虫への有効な手段となる石灰や硫酸銅、木灰の買い付けを増やすよう、商会に命令し、なおかつそれを安価で売るよう指示した。
「しかし驚いた。君にこんな能力があったとはね」
続々と指示を打ち出す私に、ロランはやや戸惑ったように笑った。
「正直、君はおっとりした人だと思っていた。けれどこれほどまでに的確な指示をされると僕も形無しだよ。君を聖女として第一王子に取られなくてよかった。僕は君の夫になれて幸せだよ」
ストレートな褒め言葉に、私は感動するとか照れるとか言う前に、思いっきり泣いてしまった。
思えば、聖女候補として生きてきた八年間、こんな努力は誰にも認められたことがなかった。
私が聖女候補としての勉強をすればするほど、両親は私をつまらない娘だとして遠巻きにし、ますますノエルを可愛がった。
いずれ聖女として生きることになる私はその方が好都合だったが、それでもやはり愛されていない自覚は私をどうしようもなく苛んだ。
自分の心の中に、こんなにも大きな空虚と寂しさが詰まっていたことを、私はそのとき初めて自覚した。
それでも、この北の大地には、私のしてきたことを認め、その能力を評価してくれる人々がいる――。
私の中で、ロランが私に向けてくる信頼の感情は、なによりも心強い愛情となって確かに根付いていった。
◆
春が過ぎて、夏が来た。
案の定、低温のままの夏だった。
予想した通りの、最悪の事態が起こった。
六月に出穂する麦が、強風と低温により受粉できなかったのだ。
これによってその年は麦の作付けがほぼ皆無作になることが確定した。
麦から馬鈴薯に切り替えていたとはいえ、ハノーヴァー領の動揺も少なくなかった。
既に他の領地ではパニックが起きており、二毛作の麦を馬鈴薯や他の救荒作物に切り替える動きが始まっていた。
私は諦めずにノエルに手紙を書いた。
今すぐ王太子妃としての公務の一切をとりやめて聖女として活動すること。
王太子妃の
そして今すぐに聖女として人心の獲得に励み、聖女として祈りを捧げること。
もしそれでダメなら、自ら聖女と王太子妃の地位を捨てることを宣言しろと。
時間がない、今すぐ出来うる限りのことをやれ、と、私はかなり強い言葉で手紙を書いた。
数日後、私の両親から、輿入れしてから初めて手紙が届いた。
これ以上ノエルを追い詰めるのは許さん、という、警告する手紙だった。
王太子と離縁しろだなどとは信じがたい暴言だとも書かれていた。
ノエルにこれ以上の暴言を吐くようなら、私はお前を娘だと思わなくなると思え――。
手紙の最後は、そういう恫喝で締めくくられていた。
私はその手紙の内容が信じられなかった。
この手紙が両親から来たということは、ノエルが両親に告げ口したのだ。
私の両親は、妹は、ただ凡庸なのではなく、れっきとした愚か者だった――。
そう自ら暴露するに等しい内容に思えた。
その後、私はすべてを諦めた。
かなり無理の要る決断だったが、両親やノエルにその気がない以上、仕方のないことだと思うことにした。
手紙を書くのをやめた私は、ハノーヴァー領の経営のことだけを考えることにした。
夏が過ぎて、秋が近づいてきていた。
◆
夏が過ぎると、いよいよ本格的な飢饉が始まった。
王都や他の領地では逃散農民や貧民による打ちこわしや暴動が増え、治安が悪化していた。
どこの領地も似たようなもので、貧民や農民を中心に
一方、素早く備蓄を放出し、馬鈴薯の作付けを増やしていたハノーヴァー領の困窮は、他の領地よりも明確に動揺が少なかった。
ハノーヴァー辺境伯やロランは私のお陰だと太鼓判を押し、私の知識や予測を非常に正確で迅速だったと評価してくれた。
そんな充実した日々の中で、一時はあんなに気がかりだった両親やノエルのことは、私の中で日に日に薄れていった。
◆
「ユリアン王子が聖女を追放するそうだぞ!」
ある日のこと。
王都での公務から戻ったロランが、真っ青な顔で私にそう告げた。
はっ、と息を吸った私は、それから力なく首を振った。
その時の私の心に湧いてきたのは、驚きや悲しみではなく――安堵の気持ちだった。
「そうですか。やっと――ユリアン王子はその気になりましたか。よかった」
私の発言に、ロランは驚いたようだった。
「な、何を言ってるんだアリシア……! 聖女ノエルは君の妹だろう? それなのに……!」
「妹ではありません。彼女は聖女、彼女の家族はこの世界を創り給うた女神だけです」
ぴしゃり、と、私は言った。
「何を言ってるんだ! 聖女を離縁し、王都から追放するとなれば、彼女は殺されるかもしれないんだぞ、それなのに……!」
「ええ、そうでしょうね。当然の帰結ですわ」
私は静かに言った。
「ノエルは聖女としてあまりにも愚かでした。殺す価値もない愚かな女だと、農民たちはそう思っているでしょう。彼女が聖女ではなかった、聖女として相応しい行動を取らなかった、そのことは誰もが知っています。せいぜい修道院に生涯幽閉される、その程度で済む話ですわ――殺さずとも、民たちへの言い訳はそれで済みますよ」
私が静かに言うと、ロランは驚愕が不審に変わったようだった。
「アリシア――まさか君はこれも予想していたのか?」
「ええ、もちろん」
私はあまりに愚かに過ぎた妹の顔を思い浮かべながら言った。
あの愛らしい顔は今や絶望と涙で、二目と見られない顔になっているだろう。
「ロラン様は――聖女として選ばれる人間がどんな人間なのかご存知ですか?」
私が問うと、ロランは少しだけ考えた後、言った。
「それは……貴族の令嬢の中から選ばれる。条件は詳しくは知らないが、聖女として相応しい貞淑さ、巫力、才能があるもの……そうじゃないのかい?」
「違いますわ。その条件はひとつ――双子であることです」
私が言うと、ロランはえっと声を上げた。
「双子……?」
「ええ、そうですわ。歴代の聖女は必ず双子か、それ以上のものから選ばれております。聖女候補となった人間ならば、おそらく誰もが気づいたことです」
聖女候補として選ばれた私は、歴史を紐解くうちにそれを悟っていた。
聖女という人間が、実はどういう存在で、どのように作られていった存在なのか。
「古来、双子は畜生腹として忌み嫌われていた――そこで双子の片方の方は幽閉されるか、殺されるかしかない……それが時代を降るうちに、いつの間にか人々を救う聖女という役割を持たされるようになった、それが聖女信仰の真実です」
「どういうことか――よくわからないな」
私は虚空を仰いだ。
「何故そうなったのか、答えはひとつ。――聖女は結局、民に殺されるためにいる存在だからですわ」
ロランが目を見開いた。
まさか、と呟いて、ロランは私を見た。
「後に英雄と謳われるような人間には出生譚がつきものです。天使と人間の間に生まれた子であった、いや神との間に生まれた子だった、生まれてすぐに立ち上がった、なにかの刻印を持って生まれてきた……信仰を集める対象は、必ず異常な状態で出産されると決まっております。ならば、双子や三つ子はどうでしょうか。これもやはり、通常とは違うとも言える出産ではないでしょうか」
そう、それは私が辿り着いた唯一の答え。
聖女が何故聖女と呼ばれているのか。
そして、聖女と呼ばれる人間は何故、歴代ほぼ全ての人間が短命なのか。
その答えはひとつしかなかった。
「天候不順や飢饉は、結局はどうしようもないことです。いくら人間が女神に乞い願ったところで、そう簡単に事態は好転してはくれない。ですが、その聖女の恩恵や祈りに縋るしかない農民たちの憤りや怒りはどうなります? ただ飢えて死んでゆくしかない民や農民たちの、その莫大な無念や絶望を、誰が受け止めてきたと思いますか?」
そこまで言うと、ロランは忌々しげに言った。
「なるほど。その怒りの矛先は聖女に――民衆たちは力不足の聖女の断罪と処刑を望むわけか」
私は頷いた。
「その通りです。その民衆の怒りは王家ではなく、その手前にいる聖女に向く。結局は王妃などいくらでも挿げ替えが効きますからね。恵みをもたらせない聖女は飢えと渇きとをもたらした厄災の魔女になる。魔女を断罪し、追放ないし処刑することで王家の威信は保たれ、民の溜飲も下がり、畜生腹の忌み子は消えてなくなる――」
それは残酷なまでによく出来たこの世のシステムだった。
そして私がそれを悟ったときから、私は両親にあまり愛されてはいない自分の立場を好都合だと思うようになった。
聖女がいずれは消される存在であったと知ったら両親は悲しむのではないか――そう、愚かにも見当違いをしていたからだ。
けれど――本心で言えば、私だって死にたくはなかった。
如何に両親の目が私に向いていなかったとしても。
如何に妹が私のことを馬鹿にしていたとしても。
だから聖女として最低限の事ができるよう、私は勉学に励んだ。
聖女がもたらすべき恩恵は祈りや慈愛などではなく、知識と近代性だと。
そしてなにより――聖女として民の苦難に耳を傾け、全身全霊をかけてその責任を負うことだと。
子供心に私はそう信じていたのだった。
だが――凡庸で愚かな私の家族は、それに気がつくことはなかった。
目を開いていれば見えたのに。
本当に民の苦しみに向き合う心があればわかったのに。
王太子妃という権ばかりに目がくらんだ、それは当然の結果だった。
ハァ、と私はため息をついた。
「聖女を嫁がせたことで、ハーパー家にも何らかのきついお咎めがあることでしょう。それも仕方ありません。妹は――この一年、ノエルは民の困窮そっちのけで、華やかな社交界にばかりに顔を出していたようですから。ノエルは大飢饉をもたらした魔女として謗られ、恨まれ続ける。つけるべきケジメは付けなければならないでしょう――」
私はやることはやった。
ノエルや両親が、それに気づかなかっただけ――。
「彼女が追放されたとなれば――君の両親は君を聖女の替わりとして送り込もうとしただろうな」
ロランはそうぽつりと呟いた。
私もそれは予測していた。
両親たちは来る断罪を逃れるため、本来の聖女候補である私を王家に差し出そうとしただろう。
だが、私はもうハーパー家の人間ではなく。ハノーヴァー家の人間である。
私が最初、隠棲を望んだのは、この結果が見え透いていたからだった。
だから、何もかもがもう遅い。
ハーパー家の没落は確定したようなものだ。
「聖女など――最初からいないのですよ」
私は力ない声で言った。
「渇きに慈雨を、長雨に陽の光を、苦難に歓喜を、絶望に希望を……本当にそんなことができる人間がいるなら苦労はしませんわ。聖女は名誉職、本当にそうなのかと考える力さえあれば、少なくとも民の心は平穏だったかもしれない。私の両親や妹は――どうしてそれに気がつかなかったのでしょうね……」
私の言葉に、ロランが顔を上げた。
「いや、聖女ならここにいる」
えっ? と、私はロランを見た。
ロランは真っ直ぐな瞳で私を見つめた。
「聖女は君だよ。少なくとも、僕やハノーヴァー領の人間にとっては、君以上の聖女はいない。渇きに慈雨を、長雨に陽の光をもたらすことは出来ないかもしれないが、苦難に歓喜を、絶望に希望を……それは別だ。君は聖女の任を立派にこなしているじゃないか」
ああ、どうしてこの人は――。
どうしてこの人は、こんなに直截的に人を褒めるのだろう。
おかげでどうしても恥ずかしさがこみあげてしまうじゃないか――。
私は我知らず熱くなる頬を両手で挟んだ。
その所作を見て、ロランは低い声で笑った。
もう冬の近づいた空が高かった。
私はそこにたゆたう雲を見上げた。
女神様はそこにおられますか?
おられるなら、そろそろ苦難ではなく、どうか喜びをお与えくださいませ。
元聖女候補からの、たっての希望でございます――。
私は、私を創り出した何者かに、静かにそう祈ることにした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
「空前のクソ妹ブーム」と聞いてやってしまいました。
でもホント難しいです。クソ妹書くの本当に難しいです。
面白かった、と思っていただけましたら、どうぞ下の評価から『★★★★★』とかで評価よろしくお願い致します。
【VS】
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どうかお願いです。こちらも読んでやってください。
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