埃とカビと焼け付いた薬品の臭いで満たされた魔法薬学の教室を、セブルス・スネイプはとても気に入っている。暗い部屋に
「ブレーズ・ザビニ。君はなぜここへ呼ばれたのかを理解しているのかね」
「先生もご覧になっていたのでしょう?」
「質問に答えたまえ」
「眼鏡の件ですか? 呪文の件ですか?」
「どちらについてもだ」
「聞いてどうするおつもりですか?」
「内容次第ではダンブルドア校長に引き渡す」
「それは出来ないと思いますけど?」
ザビニの右眉が吊り上がったのを見て、スネイプは次の言葉を予期した。その予期は現実となる。
「僕の“今の父親”をご存知ありませんか?」
長丁場を察知したスネイプは自分の分のコーヒーを用意した。珍しく角砂糖を5個も入れて。
グリフィンドールのクィディッチチーム、その一員の証である獅子の意匠が施された金バッジをドラコはうやうやしく眺め、沈みかけた太陽にかざした。そして丁寧にローブへつけると、底なしの優越感に浸るのだった。そんなドラコへ呆れ顔のアステリアが吐き捨てる。
《よくもまあ、そんなに喜べるわね》
《クィディッチチームに入るというのは、全てのホグワーツ生にとって最高の名誉だ》
《クィディッチってそんなに面白いのかしら》
ドラコは思わず声を上げそうになったが、首筋の血管を激しく動機させる程度に抑えた。そもそもアステリアは、1000年近くあの部屋にいたというのを思い出す。ならば、詳しく知らずとも無理はないだろう。ドラコはなぜかここにいるロンの方へ視線を飛ばし、適当に言い捨てた。
《そこの赤毛の周りを3日も飛び回っていれば、すぐに詳しくなるだろうね。なにせ、口から出る言葉の半分はクィディッチの話で、もう半分は僕への稚拙な悪口なのだから》
《それは良いけど、手を動かしなさい。女性の前で簡単な魔法薬の調合に失敗するのは恥ずかしい事なのよ。ほら、混ぜ方が雑になってる》
グリフィンドールの談話室、煙が充満しないように開けられた窓のそばでドラコ達5人は魔法薬の調合に勤しんでいた。宿題などではなく、欠伸を抑える薬の調合だ。本来それはハーマイオニーがドラコに頼み、それを渋々了承した事で始まった。しかしなぜかロンとハリーもそこに加わり、ネビルまで現れ、そしてアステリアが満面の笑みを浮かべて調合道具を出したので、不愉快な午後はとても不愉快なものになった。
《だから言ったでしょ、これはチャンスだって》
《なぜ僕がウィーズリー家の奴と仲良くしなければならない? 第一、無理に決まってる》
《ハリーもハーマイオニーも貴方に対しては嫌な思いをしていないから、今は問題ないけど。このまま彼が貴方の悪評を履き続ければ、いずれ貴方の事を嫌うようになるわ。その前に手を打つ》
《ならば何をすればいい? 握手か? なら無理だ。僕は絶対アイツの手首をへし折る》
うるさいくらいの溜め息をついて、アステリアは指を左右に振った。コミュニケーション、発音の良さにドラコは苛立った。しかしドラコ自身にもそれが必要である事は分かっていた。分かっていたが、それを実行する勇気が無かった。
──今更どんな顔して、何を言えばいい。
ドラコは初めて、ロンに対して口汚くない言葉を使って話しかける事にした。
ロンはドラコの事が嫌いだ。
なぜなら、いつもロン達ウィーズリー家の事を馬鹿にしてくるからだ。ロンは家族をけなされるのが何よりも嫌いだった。
初めてロンがドラコに会ったのは、魔法省主催のパーティーでの事。ロンはルシウスに連れられたドラコを一目見て嫌悪感を持った。まるで魔法省大臣かのように自己紹介をした次の二言目には、ロンの服を屋敷しもべ妖精の様だと罵ってみせたからだ。以来、ロンはドラコに対して激しい敵意を持ち続けている。
しかし、ホグワーツに入学したその日からロンは困惑していた。自分でも信じられぬ程にだ。
ドラコの性格が、人柄が、突然変わってしまったからだ。それはドラコが未来から時を遡っていて、非常に自己中心的な理由で周りと仲良くしているからなのだが、当然ロンはそれを知らない。
さらにロンにとって苦痛なのが、あのハリーがドラコと親しくしている事だった。煙に覆われたホームで出会った少年があの、ハリー・ポッターだと知った時ロンの心は天にも昇った。運命の少年と親しくなる事で、平凡で取り柄の無い自分が何よりも特別な存在になる。そう思ったのだ。しかしその特別をドラコに奪われてしまった。
なので、ドラコからハロウィンパーティーについて話を振られても無視を決め込んだのだ。
──コイツの化けの皮を僕が暴いてやる。
ドラコはロン強いの警戒心にうんざりした。
スネイプもうんざりしていた。
角砂糖が浮かぶコーヒーは6杯目に達しながらも、何も成果が出なかったからだ。腹立たしさと疲れで、浮かべる角砂糖がまた1つ増えていく。
「先生、これ以上は無駄だと思いますけど」
「待てザビニ。今は君のお父上が何かをしてくれるだろう。しかし、それが無くなった時にどうなるかを考えるのだな。私にはとても庇いきれぬ」
「ご忠告どうもありがとうございます」
ザビニは反省した様子も無く、部屋を後にした。
嫌な役目を押し付けられたものだ。そう吐き、スネイプはーヒーに角砂糖を入れた。今日は砂糖を入れずしては1杯もコーヒーが飲めない。
──期待していたドラコはグリフィンドールに選ばれ、ルシウス氏からの手紙は余りにも痛烈だ。そして期待せざるを得ないザビニも父親が問題。
「スネイプ教授」
ふと、教室の入口に立つドラコの影に気づき、スネイプは胃を痛めた。ドラコに課した罰則が今日この時間であったのを思い出したのだ。
「入りたまえ」
「失礼します。それで、どのような罰則ですか」
「罰則ではない。それは君を呼ぶための口実だ」
スネイプに促されるままにドラコは座り、戦いの火蓋は切って落とされた。
アステリアがドラコの耳元で囁く、注意深く質問に答えなさいと。ドラコは僅かに頷いた。
「マルフォイ、何か飲みたいものはあるかね」
「結構です」
これでスネイプがドラコに
「では単刀直入に聞こう。君、いや貴様は何者で、賢者の石についてどこまで知っている」
「なにを………仰っているのですか?」
蛇の目は、ドラコが押さえつけた驚愕を見逃す程甘くはなかった。
「やはりある程度は知っている、聞いているのか。何を目的に忍び込んだ。クィレルの仲間かそれとも、別の派閥の差し金か。答えろ」
《アステリア、スネイプの心は読めないのか》
《読めるけど………実にその通りの事よ。どこかで貴方は目をつけられた。クィリナスの仲間か、別の魔法使いの差し金か。いずれにしろ、貴方は誰かに
《なら、どうすればいい》
《どうもしなくて良いわ。時期に援軍が来る》
追い詰められたドラコは半信半疑に、アステリアの指示通り、スネイプの質問を交わしていった。
スネイプは焦りが頂点に達し、とうとう実力行使に打って出た。得意の開心術である。しかし、その判断は遅すぎた。援軍が静かに到着する。
「セブルス、それは性急では無いのかね?」
「な、なぜ貴方がここに。いえ、ご覧ください。この者はマルフォイの体を借りた悪しきスパイです。私がそれを今、白日の元へと………!」
「ふむ………じゃがドラコはスパイなどでは無い」
「何を言うのですか! マルフォイ家の子供が、グリフィンドールに入るなど前代未聞! 過去の記録でも、服従されられた子供が本来意図し得ない寮に選ばれたという事例があります」
「ドラコは己自らの意思でグリフィンドールを選んだのじゃ。それらを否定する権利を我々教師は持ち合わせてはおらん。杖を降ろすがよい」
「マルフォイが………自らの意思で?」
そんな事は無いとドラコは声高に叫ぼうとした。だが、その叫びはアステリアによって塞がれた。
《今はアルバスに任せなさい》
《そう、か………理解した》
懸命に戦うも、スネイプはダンブルドアに舌戦で負けた。この二者には絶対的な力関係がある。スネイプがそれを覆す事は出来ない。スネイプのあがきはそれでも続いた。
「なるほど結構。今は私の思い過ごしであると認めましょう。では、
「その必要も無い、既に修正済みじゃよ」
ドラコは背後でダンブルドアが密かにウィンクをしたのを感じ取った。理解したからこそ、ドラコは冷静でいられた。そして、その筋書き通りに。
「スネイプ教授、罰則の書き取りは以上でよろしいでしょうか? もう遅い時間ですので」
結果、この場で一番の敗者はスネイプになった。
スネイプはうなだれるようにドラコと不気味な笑顔のダンブルドアを追い出した。
石造りの螺旋階段。ダンブルドアが灯す魔法の白光がぼんやりとドラコの視界を照らした。
「さて、ドラコ君。そろそろ君の口から教えてくれると、非常に助かるのじゃがのう」
「私が話す事は何もありませんけど」
「しかし、この老いぼれは君の口から聞きたいと切に願っている。それは
「いずれ、機会が来れば。貴方と話せるのでしょうけど。今は出来ません。これを否定する権利は貴方達教師には無いのですよね?」
「口の上手さは父親譲りじゃな」
ふと、ドラコの心に喪失感が浮かんだ。父親は今の自分をどう思っているのだろうか、なぜ手紙が1枚も届かないのだろうか。心に空いた穴を埋めるのは不安と渇望だけ。自然と視線が落ちる。
「おお、そうじゃ! 君の初出場はもうすぐじゃったな。ああ、期待しておるからの」
「………貴方こそ、僕には何も教えてくれないのですね。これは否定されるのですか?」
「君の言葉を借りるなら、機会が来ればじゃな」
やはりドラコもダンブルドアに舌戦では敵わない。目を合わせないのが精一杯の抵抗だった。
ダンブルドアと別れ、1人で薄暗い廊下を行き寮へ帰る途中。ドラコはアステリアの力で気配を消しながらある場所へとやって来た。4階の右側の廊下、禁じられた廊下だ。薄く扉を開けて中を軽く見ると、また静かに閉じた。唸るようないびきが一瞬、辺りに轟く。
「3頭犬は音楽で眠る、だったな」
「それは正解だけど、まだ機は熟していないわ」
「分かっているさ、ただの下見だ」
「ほう、今日は下見のつもりか」
暗闇に現れた蛇の目、それはスネイプだった。
「怪しい影を見たと思えば。やはり、あの方は老いている。間違っている。そして正しいのは私だ。さあ、今度こそ正体を暴こうではないか」
それに対し、今度こそドラコは冷静だった。
「スネイプ教授、もし覚えていたらで結構なのですが。もう少し、問題の難易度を上げるべきだと僕は思いますよ。忘れてしまうでしょうけどね」
スネイプが何か返答する前に、その細い体は床に倒れた。不意をついて至近距離で行使された記憶修正術は、確実にスネイプを昏倒させて眠りの中で記憶の螺旋が捻じ曲げられる。
《躊躇が無いわね。1度は良くしてもらったのだから、少しぐらい手加減しなさいよ》
《でも今は良くしてもらえない。何を迷うか?》
《セブルスが目を覚ます前に戻りましょう。私からプレゼントを用意したから感謝しなさい》
ドラコが談話室へ忍び戻ると、ベッドには紙包みが置かれていた。それは明らかに箒が包まれた紙包みだった。途端にドラコの心は躍った。夢中で、しかし音は立てずに髪を破いていく。
《やっぱり君って凄く便利だ》
《レディに対してなんて口のきき方なのかしら》
《これがファイアボルトなら褒め称えるさ》
ドラコは高性能箒ニンバス2000を月明かりに照らしながら、傲慢にもそう言ってのけた。なので、アステリアが指を鳴らして箒を消した時。ドラコは激しく狼狽え、泣くようにそれを懇願した。
《まあ、僕が使えば2000も中々に上々だ》
《でも気をつけなさい。何が起こるか分からないし、貴方は城中に敵だらけなのだから》
《敵………か。まずは明日、1人味方にしなければ》
ドラコの策略、スネイプの執念、城に駆け巡るダンブルドアの計略。それら全てを跳ね除ける光が、月下に輝く箒には宿っていた。
この度、ハーメルンDiscordサーバにて開催されます、スチームパンク杯に参加します。
ですので、若干投稿頻度が落ちます。もしよろしければ、そちらもご覧ください。