64:変化は目の前に
「儂は聖女を呼び寄せる様な遣いは出しておらん。ましてやマルリナ聖国が聖女の名を冠した其方を我が国に迎え入れようなどと思うはずもない。其方は儂に偽りの言を伝えた。事の重大さを理解されておるのか? 一国の王を謀ろうなど、どんな罪に問われても文句は言えぬぞ」
陛下は聖女の今までの言動で言葉の裏を読む能力がないことを判断したようで、直接的な言い方で彼女の無礼を伝えた。しかし、マルリナ聖国内のみでの名だけの聖女と称されていることには気づかなかったようだ。ただ、陛下の威圧と「罪に問う」の言葉に反応し手をソワソワ遊ばせながら、必死に言い訳を考えていたようだ。彼女が言葉を紡ぎながら言い訳を思いついたようで、自身の胸を腕で寄せ持ち上げるようにして手を結び、目を潤ませて上目遣いで陛下を見上げた。
「ひっ‼ そ、そんなつもりじゃなかったの。わ、私は聖女だから、だから、み、皆に愛を、そう! 神の愛を届けようと思って、思いが先走ってしまったの。だから、そんなに怒らないでください。ジェイミー、悲しい」
何を言っているのだろう?
あまりな発言に唖然としてしまっても、誰も私を責めないと思うわ。
だって、隣のアートも集まった者達も唖然としているもの……
聖女のあまりな発言に皆唖然としてしまったなか、幾人かは冷静にそして怒りを溜めた目で聖女を見つめていた。王妃は笑顔で聖女を見つめているが、その眼には不快感と怒りの色が混ざっている。
聖女は陛下の言葉に言い訳をし、謝罪もしなかった。それに陛下に対する言葉使いもなっておらず、不躾に陛下に媚びを売るような眼で見つめるなど、陛下ひいては我が国を見下していると取られてもおかしくない言動であった。
唖然としていた者も徐々に彼女の言葉を現実としても言動と受け入れ、不快感と怒りをその目に溜めており、中には顔を赤くしている者までいる。しかし、誰一人発言する者はいなかった。
ここは謁見の間であり、陛下の御前でもある。マナーを確実にものにしている者しかこの場にはいない。そうでなければ謁見に来た者に自国の恥を晒すようなものだからだ。だからこそ、聖女の言動に怒りを覚えても陛下が発言を許していない以上、彼らは自国の恥にならないよう貴族然としていることしかできないのだ。ただ、その眼に纏う空気に怒りを込めることを止めることはできなかったようだが……
「ほぅ、偽りの言を申したつもりはなかったと。なら、速やかに自国へ帰られよ」
「えっ、何で? せっかくここまで来たのよ。なんですぐに帰らなくちゃいけないの? おかしいわ! こんなはずじゃなかったッ! あ、そうよ。ロベルトは? 私は彼の婚約者なのよ! 彼は私が帰ることを望まないわ。マルファイ伯爵だって望まないはずよ!」
陛下は聖女の言葉を受けて目を細めて笑うと、聖女の罪を問うことなく帰国を命じた。その言葉に聖女は目を見開き呆然としたかと思うと、いきなり騒ぎ出した。
その言葉に、外務大臣のロベルトの父が少し前に進み出て、陛下に発言の許可を求めた。
「だそうだ。マードック侯爵、発言を許そう」
「感謝いたします、陛下。お初にお目にかかります。私、マードック・D・ルーベンと申します」
「誰? 私は陛下とお話ししているの!」
「誰とは、なんとも悲しいことでしょうか。我が息子の婚約者だと言ったのは貴方ではないですか」
「えっ、ロベルトのお父様? いやだ、私ったら気づかずに」
「あぁ、別に構いません。私はマードック家当主として陛下に発言を許して頂いただけですので。マードック家当主としてロベルトと貴方の婚約は結ばれていないことをここに宣言させていただきます。貴方の妄言に我が家を巻き込まないでいただきたい」
「は? 何よ、妄言って! 私は本当にロベルトに望まれたんだからッ! 妄言なんかじゃないわッ!」
マードック侯爵の子息の婚約者だと騒いでいたのに当主のマードック侯爵を知らないなど、彼女の言葉が嘘であると自身で証言していることになるのに、それに気づきもせず、頬に手を当てて恥ずかしそうにはにかんで上目遣いでマードック侯爵を見つめる聖女に呆れてしまう。
マードック侯爵は人好きさせる魅力的な微笑みをされる方であるが、今も微笑んでいるが目が一切笑っていない。聖女にロベルトの名とお父様の言葉により一層不快感が目に現れている。
彼女のせいでロベルトの今後は暗雲が立ち込めており、更にはマードック侯爵の名まで彼女の妄言に巻き込まれそうとなったのだ。怒りを覚えるのも無理はない。
聖女はロベルトの父親と聞いて、自身を擁護してくれるとでも勘違いしていたのか、マードック侯爵の発言を聞いてまた騒ぎ始めた。その姿は駄々をこねる子供の様で、彼女の愛らしい可憐な姿と年齢にあまりに不釣り合いで、善も悪も理解できない幼子をそのまま体だけ育てたようなアンバランスさが不快感と共に恐怖を煽る。
「もうよい。マードック侯爵、ご苦労だった」
「はい。発言をお許しいただき、ありがたく存じます」
いまだ騒ぐ聖女を危険人物と判断したのか、体格の良い帯刀している騎士が2名、聖女の後ろに配備された。
陛下はこれ以上聖女の妄言に付き合う気はないようで、マードック侯爵を下げると、厳しい顔で聖女を見下ろした。一国の王としての威厳と威圧に騒いでいた聖女も静かになった。
「もう一度だけ言おう。即刻、帰国されよ。本日中に城を出ないようなら、先ほどからの無礼な振る舞いと儂へ虚言を述べた罪に問うこととする。それと、今回のことはマルリナ聖国へ抗議を出す」
「そ、」
「其方に発言の許しは与えていない。以上だ」
陛下の言葉に謁見は終了した。聖女は「おかしい。なんで?」などと呟いて呆然としていて動こうとしなかったため、後ろに控えていた騎士により半ば引きずられるように謁見の間を出されていた。
私は聖女のあまりな言動にうまく反応できずにいると、アートの手を目の前に出されて、ぎこちなく視線を上げるとアートが心配そうな目を向けてきた。
「シェル、大丈夫か? 別室に移動して少しお茶をしよう」
「……えぇ、ありがとう」
その時、強い視線を感じて、視線の先に目を向けると聖女と目が合った。謁見の間を連れ出されるところだった彼女の目には、憎悪と取れる様な仄暗い色が灯っていた。あまりに強い視線にアートの手に乗せた自身の手が微かに震えたが、そのような視線を向けられる理由が皆無なのに思い至り、自身に向けられた視線ではなかったのかもしれないと思い直し、謁見の間の扉へ視線を向けるも既に聖女は退出した後だった。
「どうかしたか? もし、気分が悪いなら」
「いいえ、大丈夫ですわ。アートは心配性ですわね」
私が乗せた手をキュッと握りながら、私を心配そうに見て声をかけてくるアートに私は笑顔を向けて一緒に王族専用の扉から退室した。
アートに連れられてきたのは以前お茶会をしたガボゼで、既にメイドがティーセットを用意して待機していた。私が好きなサクラの柄が描かれているティーセットと心安らぐカモミールがブレンドされたハーブティーの香りに自然と体の力が抜けて、ホッと息をつけた。知らず間に体に力を入れ過ぎていたようだ。
アートとの穏やかなティータイムは瞬く間に時間が過ぎて、それぞれの公務に戻ることにした。
「シェル、あまり無理はするな。何かあったら、すぐ私に頼るんだよ。いいね?」
「ふふふ、ありがとう。でもあまり私甘やかすのは頂けませんわよ」
「何言っているんだ。シェルを甘やかすのは私の特権だろ?」
「まぁ! では、アートに甘えられるのも私の特権かしら?」
「あぁ、私はシェルのもので、シェルは私のものだ。だから…シェル自身がシェルを害する行動を取ることも許さない。私も同様に、ね」
「ふふふ、幼いころの約束ですわね。懐かしいわ。お約束しましょう。私は私自身を害するような行動はとりません」
「私も私自身を害するような行動はとらない。約束だ」
アートとの婚約が決まった幼いころに小指を絡めて約束した内容をアートが覚えていてくれたことが嬉しくて、自然と顔がほころんでしまった。王太子妃教育の指導者が見たら、眉をしかめて厳しく注意されたかもしれないが、彼女はここにはいない。それにアートと口の堅い信頼できるメイドと護衛騎士しかいないので、少しくらい息抜きが必要と言い訳してそのまま話を続けた。
最後には幼いころのようにお互いの小指を絡め、あの時の約束をより強い結びつきにするように視線を絡ませ笑いながら約束をした。
そうしてこの幸せな時間は……この時を最後に終わりを告げた。
アートと別れ、聖女付きのメイドが此度の聖女の服装により重いお咎めを受けないよう、メイド頭のもとへ赴いた。本来なら王より賜った女官に聖女付きのメイドへの配慮の手配を頼めばいいのだが、メイド頭のメイネットとは幼いころから良くして頂いており、メイドの状況などを把握するため時折話をする間柄なのだ。前回の話し合いより3か月近く経っていたので、いい機会だと私が王家より賜った部屋ではなく、メイド頭の執務室へと向かった。
メイド頭の執務室の扉を先導していたメイドがノックすると中から、メイネットの声で入室の許可が下りた。護衛として連れていた騎士は扉前で待機していただき、メイドが開けてくれた扉をくぐり入室した。メイネットが書類から視線を上げて私だと認識すると、ニッコリ笑って迎え入れてくれた。
「まぁ!シェリー様、どうぞよくいらっしゃいました」
「メイネット、忙しかったかしら? 時間の調節もせずに突然来てごめんなさい」
「そんなことありませんわ。それに私もシェリー様に合わせたい方がいらっしゃるので、後ほどお伺いを立てようと思っておりましたの」
「合わせたい方? メイネットがわざわざ私に合わせようと思うなんて珍しいですね」
はじめは聖女付きのメイドの嘆願をしたら退室しようと思っていたので、ソファに座ろうと思っていなかったのだが、メイネットが珍しく興奮気味で頬を上気させて合わせたい人がいるなどというものだから、促されるままソファに座った。メイネットは既に相思相愛の夫がいるので、好い人ではないのは分かっているのだが、あまりに珍しい反応に妊娠でも分かったのかと考えたが「合わせたい」との言葉に妊娠ではないと予想を立てて、なら年頃になるメイネットの娘絡みかしらとあたりをつけて、メイドが用意してくれたお茶を一口飲み、メイネットと向き合った。
「私の話の前に、シェリー様がこちらにいらっしゃった理由は、聖女様付きのメイド達についてでしょうか?」
「そうなの。謁見の間へ訪れた聖女のドレスに、さぞメイド達の心が痛んでいるだろうと思って……。できれば彼女達に寛大な対応をお願いしたくて」
「分かりました。ただ、彼女たちの聖女様への対応も確認させていただき、事実確認が取れてから判断といたします」
「えぇ、それは当然です。メイネットなら安心してお願いできるわ。よろしくね」
「お任せください。後ほど、メイド達の状況と聖女様付きのメイド達への事実確認・処罰を確定させていただき、ご報告させていただきます。シェリー様、来たようですわ」
メイネットとの会話は事務的な内容になるが、直接顔を合わせて話すことは大切なコミュニケーションになるので時折こうして報告を聞きに行ったりするのだ。頻繁ではメイネットたちの仕事にも支障が出るかもしれないので、負担になり過ぎない程度に抑えてはいる。直接会うことで報告書などでは知ることができない、その方の為人を知り、判断できる貴重な時間となっている。
メイド達への嘆願も終えたときに、メイネットが嬉しそうに扉の方へ視線を送った。私も釣られるようにして視線を扉へ向けると、先ほどの謁見の間で着ていたのと違うドレス姿の聖女がニッコリと笑いながら入室してきたところだった。
「シェリー様、こちらは聖女のジェイミー様です。とても慈悲深く、我が国のためにマルリナ聖国より遠路はるばるやって来てくださったのです。聖女様は王太子妃にならせられるシェリー様にお会いしたと言われましたので、ここにお連れするよう通信しましたの」
城に努めるメイドは仕事内容によって分かれており、その数も多い。そのメイド達をまとめる立場のメイネットはメイドに確実かつ早急に指示が送れるよう通信できる魔道具をつけている。それを使って聖女付きのメイドに指示を出し、聖女をこの部屋へ誘導したのだろう。
メイネットの言動から報告に上がっていた門兵達と同じ症状なのだろう。なら、扉前に待機させていた騎士たちも同じなのだろう。この部屋に聖女が入室したということはそういうことだと理解した。
聖女は少し頭を傾げながらニッコリと愛らしく笑って、グッと顔を近づけてきた。咄嗟に距離を取ろうと下がろうとする私に、逃がさないとばかりに私の肩に手を置いて話しかけてきた。
「こんにちは。ねぇ、私のこと好きでしょ。なら、お前の場所は今後ジェイミーの場所ね。分かった?」
「えっと、何を言っていますの?」
「はぁ? お前馬鹿なの? お前は私の代わりにこの国から出てけって言ってるの。で、ジェイミーがアーサーと結婚するの! そして、王妃になってこの国を導いてあげるのぉ。素敵でしょ?」
「まぁ、それは素敵ですわね」
聖女の言っていることが理解できなかった。あまりに自分勝手で、自身の願いは全て叶うと本気で信じているように話すのだ。キラキラと目を輝かせながら話す聖女の妄言も、それに拍手をしながら同調するメイネットにも怖気がはしる。
「あっ! お前、城を出ていく前に王のところへ案内して」
「陛下はお忙しい方です。おいそれとお会いできる方ではありません」
「……ねぇ、もしかして…効いてない?」
恐怖を感じたが、冷静に対応しようと呼吸を整えていた私に、聖女は国王の御前に案内するよう命令してきた。聖女の命令をさり気なく拒否すると、いきなり両手で頭を掴まれて引き寄せられると、濁った眼で見つめてきて何かを呟いた。最後の方がうまく聞き取れなかったが、彼女は私の頭を掴んでいた手をパッと離すと、親指の爪を噛みながら足早に退出していった。
メイネットは今まで見たことない憤怒の表情で私を睨みつけてきた。
「聖女様の願いをお聞きになられないなど、どうされてしまったのですかッ‼ あぁ、聖女様お可哀そうに。私にできることはあるかしら?」
メイネットは私に怒鳴ると、聖女の後を追うように部屋を出ようとしたので、手に持っていた扇の柄で首元を叩き気絶させ、メイドに指示を送る通信機の腕輪を外して取り上げた。
このままメイネットが聖女を追いかけて行っては、メイド頭としての権限をフルに使い、聖女の無茶ぶりに答えようと動いていただろう。メイド頭の暴走は城内のメイドの混乱に繋がり、最悪、我が国の中枢機能の低下に繋がっただろう。考えただけでも恐ろしい。
扉外に待機させていたはずの騎士はおらず、部屋にいたはずのメイドもおらず、聖女に付いて行ってことが予想された。しょうがないので、王より下賜された非常用通信機を使い、他の騎士を呼ぶことにした。
すぐに駆け付けた騎士たちに、メイド頭のメイネットが門兵達と同様の症状があることを説明し、隔離をしてもらうよう伝えた。騎士2名に担がれてメイネットは同様の症状がある者を隔離している場所へ連れていかれた。
メイネットを見送ったあと、私は騎士の一人に国王への渡りをつけに行ってもらい、他の騎士を連れてアートの執務室へ向かった。
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