韓国企業の国産化を促し日本企業の空洞化をもたらした対韓輸出管理強化
安倍首相が議長として「自由で公正な貿易の重要性」を訴えた20カ国地域首脳会議(大阪
G20サミット)の閉幕を待っていたかのように、経済産業省は、2019年7月1日に「大韓民国向け輸出管理の運用の見直しについて」という通達を突然発表し、「フッ化水素、レジスト、フッ化ポリイミド」の韓国への輸出管理強化を決めた。
当時は「安倍政権の核心素材輸出規制」(韓国側の表現)で韓国半導体/ディスプレイのメーカーの量産に支障をきたすのではないかと懸念された。韓国Samsung Electronicsの事実上のトップである李在鎔(イ・ジェヨン)副会長は、慌てて日本に飛んできて業界関係者と日系海外工場からの迂回購入などについて協議した。
韓国の半導体工場が操業停止に追い込まれれば、韓国市場に強く依存している日本の多数の製造装置・材料メーカーのビジネスに影響がでるだけではなく、半導体が入手できずにスマートフォンのような最終製品の製造が止まるようなことがあれば日本の電子部品メーカーにも影響が及ぶのではないかと心配された。その後、日本政府は韓国を輸出管理の最優遇国からも除外したので、ますます日韓関係が悪化した。
あれからちょうど1年、日韓で何が起き、何が起きなかったのか、まずは対韓輸出管理強化
の対象になった素材3品目の状況から検証してみよう。
素材3品目はどうなったか?
フッ化水素:
管理強化対象は「フッ化水素の含有量が全重量の30%以上含まれる物質」ということで半導体やディスプレイ製造で使われるフッ化水素はほとんど全てこの範疇に入る。韓国の化学薬品メーカーSoulbrainやRAM Technologyなど韓国企業数社は, プラント増設や新規参入などでフッ化水素(液体)の韓国内生産能力を大幅に増やして、SamsungやSK Hynix、LG Displayなどの要求に応えることができた。原液は日本からの輸入が一時不可能になったため、中国や台湾からの購入を増やして対処した。
実は、韓国の元徴用工問題に業を煮やした自民党外交部会が2019年1月に「フッ化水素を
禁輸して韓国半導体産業にダメージを与える」議論をしたことが日本以上に韓国マスコミで報道されていたので、韓国勢は以前から準備をしていたから、あっという間に増産が可能になった。韓国内で製造できなかったガス状のフッ化水素についてもSK Hynixと同じSKグループのSK Materialsが国産化に成功した。
一方、大阪のフッ化水素関連製品専業のステラケミファや森田化学は、新たに要求された複
雑な輸出申請書類を整えるのにも大変な労力を要したため、すぐには申請ができず、書類不備を指摘されたため、輸出許可がなかなか得られなかった。その結果、財務省貿易統計によると、日本からのフッ化水素の韓国向け輸出は規制強化の前後9ヵ月間を比較すると輸出金額は88%も低下し、両社の業績は目に見えて悪化した。
フォトレジスト
通産省省令によると、管理厳格化対象は、「1nm以上 15nm未満の波長の光で使用することができるように設計したレジスト」ということで、広く出回っている193nm以上の波長の光を利用したレジストではなくEUV,レジスト(使用波長13.5nm)に限定されている。EUVレジストは、主に日本のレジストメーカー数社が製造しており、韓国内ではハードルが高く製造できていない。そこで、韓国勢は、ベルギーにある先端半導体研究機関imecとJSRが共同出資したEUVレジストメーカーEUV Resist Manufacturing & Qualification Center から購入することにして日本の管理厳格化をかわした。しかも、韓国政府は今年1月に米国化学素材メーカーであるDuPontのEUVレジスト量産工場を忠清南道天安市へ誘致することに成功した(参考資料1)。
これに対抗して、東京応化の韓国工場(サムスン物産との合弁)ではEUVレジストの生産を開始したと韓国メディアは伝えており、Samsung関係者によると、同社の要請でJSRも韓国内でEUVレジストを製造する見込みだという。日本から大量に輸入しているArF/KrFレジストに関しても、韓国資本の東進セミケムが工場増増設を決め、SK Materialsも新規参入を発表している。
フッ化ポリイミド
管理厳格化対象は、広くスマートフォン用ディスプレイに使われているフッ化ポリイミドではなく、折りたたみスマホ用の「フッ素の含有量が全重量の10%以上のフッ化ポリイミド」である。Samsungは、折りたたみスマホの試作段階で、住友化学製のフッ化ポリイミドを使用していたが、当時、韓国のColon Industryも製造を始めていたし、SKグループのSKCも製造準備中だった。韓国の業界関係者によると、日本企業も、台湾製素材を韓国の子会社で最終製品に仕上げているので納品に支障はないという。
以上述べた3品目はすでに経済産業省から日本からの輸出許可が出ており、韓国製や他国製も出回っているので、韓国の半導体/ディスプレイのメーカーの操業に支障は生じていない。もちろん川下のスマートフォンなどの最終製品にも影響は出ていない。
韓国の国産化促進と外資の韓国進出の戦略は?
韓国政府は「素材・部品・装備(装置や設備)産業の競争⼒強化に向けた特別措置法」を施⾏し(参考資料2)、300品種を上回る核心素材・部品・装置・設備の国産化により、脱⽇本を目指して動き出している。韓国の⼤⼿半導体/ディスプレイのメーカーは、サプライチェーンの国内完結を目指して、素材や装置を韓国で製造するように海外企業に要請している。そして、韓国政府や地⽅⾃治体も外資系企業の誘致を推進した。この結果、上述のDuPontだけではなく、台Global Wafersが韓国に300mmウエーハ第2⼯場を、⽶Lam Researchが韓国内で装置開発を完結できるようにKorea Technology Center(KTC)を建設中である。
フジキン、ローツェ、住友化学、ADEKA、東京応化はじめ日本素材・部品・製造装置・基板搬送システムメーカーの多くも、積極的に韓国に進出し、⼯場を建設し、既存⼯場の拡張・増産を⾏っている。国内最⼤⼿の半導体製造装置メーカーである、東京エレクトロンも2020年、Samsungの平沢事業所の隣接地に新たに巨⼤な「平沢技術⽀援センター」を建てた。現在、韓国政府は素材・部品・装置国産化(日本はじめ外国企業の韓国工場での製造を含む)を推進しているうえに、現在、日韓間の渡航は禁止されており、この点からも、韓国に拠点を持たない日本企業はビジネスャンスを逃している。
韓国が日本をWTOに提訴するのはなぜ?
日本政府は輸出管理厳格化の理由として次の3点を挙げていた。
・3年ほど日韓両政府による政策対話が中断したままである
・通常兵器キャッチオール規制(注)が未整備である
・輸出管理体制が脆弱である
これに対して、韓国政府は、日本側が求める貿易管理の体制強化に必要な対応は全てとったとして、日本政府に対し、措置の見直し関しての立場を020年5月31日までに明らかにするよう求めていたが、日本政府からは前向きの回答がなかったとして、WTO提訴手続きを取ることを決めた(参考資料3)。「この問題が元徴用工問題などの政治問題とは無関係な安全保障上の問題」(日本政府高官)というならば、韓国の改善措置を確認し昨年7月1日以前の状態に戻すべきだろう。政治問題と関係あるからそれはできないとするならば、政治問題に禁じ手の通商政策を持ち出したとして国際貿易ルール違反としてWTOで敗訴する可能性もある。ましてや、韓国政府の通商高官がWTO事務局長に立候補するというから巧みな国際戦略に日本政府は翻弄されそうだ。
読者の中には、韓国勢が素材3品目で困っていなければ、なぜ韓国政府は日本に輸出管理規制撤廃を要求するのか理解できない向きもあるだろう。ましてや、これら3品目は日常生活とは無縁で全く困らない多数の韓国人が日本製品を不買するのかについてはもっと理解できないだろう。これを理解するには、「身を捨てて実を取れば良し」とする日本人の尺度では測れない、儒教の教えに基づき(場合によっては命以上に)メンツを重視する韓国人の国民性をまず理解する必要があるだろう。
韓国における予想外だった日本製品の大規模な不買運動の結果、韓国との付き合いの長い日産自動車やオリンパス(カメラ)はじめファッション業界各社(オンワード、デサント、GUほか)も次々と韓国からの撤退を余儀なくされており日本側の痛手が拡大している。日本の半導体関連産業の空洞化が進むというだけでは済まされなくなってきた。対照的に、日本では安くて便利な韓国製品の不買運動は起きていない。
アジアの安全保障を危うくするほどの最悪の日韓関係をもたらし、さらには多くの企業が
韓国ビジネスを失い、日本のモノ造り産業の空洞化・弱体化を招きかねない事態に対して、ガラパゴス状態の日本政府の今後の対応が注目される。
注)経産省の安全保障貿易管理によると、キャッチオール規制では、リスト規制品以外のものを取り扱う場合でも、輸出しようとしている貨物や提供する技術が、大量破壊兵器の開発、製造、仕様または貯蔵される場合や、通常兵器が開発、製造、使用される恐れのある場合は、経済産業省の許可申請が必要になる。
参考資料
1. 服部毅:「米Dupont、韓国でEUVレジストとCMPパッドを製造へ」、マイナビニュース (2020/01/10)
2. 服部毅:「韓国で「素材・部品・装備産業強化法」が4月1日に施行、脱日本に本腰」、同上 (2020/04/03)
3. 服部毅:「韓国、日本の半導体素材輸出規制に対するWTO提訴手続きを再開」、同上 (2020/06/03)