【49】
ジーベルトもリュークも、自らが「阿呆」であることを知っていた。
知っていて、それに見合った行動を常に心がけていたのだった。
ジーベルトもリュークも、武功以外では特別天才的に優れた人物ではない。彼らは足りない物だらけだった。
だけど足りない物は、素直にそれを持つ他者に協力を請うことで補っていた。そして補ってくれた他者には必ず何かしらの返礼を行うことを徹底していた。
彼らは自らの器の大きさを知っていた為、自分の意が沿わぬ物事を、自尊心故に頭から否定することはなかった。意に沿わぬと感じた相手の言い分にもしっかりと耳を傾け、自身の中で良く吟味したうえで、それでもやはり意に沿わぬようなら、柔軟に受け逃すように努めていた。
その癖、自分の中で譲れない一線だけは明確に持っていて、その部分だけはけして揺らぐことは無いのだ。
彼らは「阿呆」が「阿呆」のまま、譲れない一線を守ったまま、生きていける術を模索し、そして確立していたのだった。
彼らは、彼らのまま、彼ららしく生きていた。
そんな二人の生き方は、特に譲れない物があるわけでもなく、ただ地位だけを求めて邁進したカンエにとって、衝撃だった。
衝撃を受けて…やがてその衝撃故に、二人のどちらかと顔を合わせ顔を合わせる度に、突っかからずにはいられなくなった。
正直に言おう。カンエは、二人を妬んでいたのだった。
自分にはない確かな「芯」を持っていて、その癖器用に立ち回っている二人が、ただただ羨ましくて、憎らしかった。
顔を合わせる度、彼らの無教養さと不作法さを嘲った。
自らの欲求に、理想に、取り繕うことなく従う様を、無様だと批判した。
貼り付けることがとうの昔に当たり前になっている仮面は、彼らの前では簡単に崩れ落ちた。
二人の前では自制も理性も簡単に消え去る自分自身に、カンエは、自分でも知らなかった愚かで卑屈な自分に気づかされずにはいられなかった。
カンエと二人は、王宮では知らない物がいない程の犬猿の仲へとなっていった。カンエがジーベルトと、リュークと…もしくは二人共と…対峙して争う場面を見た者は、誰もが、彼らはけして相容れない存在同士であると、そう確信せずにはいられない程、その関係は険悪だった。
なのに。それなのに。
――気が付いた時には、いつのまにか、カンエは二人と「友」になっていた。
自分が二人を罵り、馬鹿にする分には構わない。
けれどもカンエは、自分以外の人間が、彼らを見下すことをけして良しとはしなかった。
誰かが彼らを陥れようとしている事実を知れば全力で邪魔をした。そのことを直接二人に告げて、策略に気づかぬ愚かさを非難した。
妬みは、羨望だった。
憎悪は、憧憬だった。
カンエは物心ついた頃から、虚飾と猜疑の世界に身を投じていた。
偽りと策略に満ちた環境の中を、自らの知を持って生き抜くことが、カンエの人生だった。
生きる時間が長くなればなるほど、塗り固めた虚構は分厚くなっていき、最早何が真実の自分自身なのかさえ、分からなくなっていた。
カンエが生きている世界とと同じはずの世界を、変わることなくあるがままに生き抜く二人が、そんなカンエには眩しかった。
二人はカンエにとって、まるで光のようだった。
近づきすぎれば、焼け焦げてしまうのではないかと思う程、熱を孕んだその光に、カンエは慣れきってしまった闇の中から、焦がれ、求めていた。
そしてそんな歪んだカンエの想いを、二人は自然と受け入れた。
考えることが苦手な二人だ。カンエの愛憎交じりの感情を、正確に理解していたとはとても思えない。
彼らは、動物的な直感を持ってして、「なんとなく」カンエの感情を理解し、「なんとなく」それを受け入れ、「なんとなく」カンエとの友情を感じたのだ。
三人の中で曖昧なまま、直感的に結ばれた、「友情」という絆。
しかし、そんな曖昧すぎる絆に、カンエは救われた。