【40】
そんなラミアの絶対的自信は、ある日を境に突然崩れ散った。
年に一度、収穫を祝い、神デウスに感謝を捧げる祭典で、突然ドラゴンが襲いかかってきた。
かつてない、絶対絶命の危機。ドラゴンに食い殺され間近で無惨な死へと変じていく、国民達。
そんな惨状を前にしてなお、ラミアは冷静だった。
(こんなに美しい私が、ドラゴンになぞ殺されるはずがない)
(きっと体を張って誰かが守ってくれるはず)
(いや、私の美貌ならば、ドラゴンとてひれ伏すかもしれない)
ラミアは自身の命の危機を前にしてなお、自身の美に対する盲目的なまでの信頼を崩そうとはしなかった。
そして、そんなラミアを、実際にリュークは体を張って守ろうとした。
(あぁ、私はやはり、誰よりも美しい、特別な存在なんだわ)
ラミアは薄ら笑いすら浮かべながら、ドラゴンが自分を身を呈して守ろうとしているリュークに襲いかかる様を見ていた。
そんな時、だった。
「先王陛下…っ!!」
突如響いた澄んだ声。
広場の中央に現れた女が、驚くほどの早さで、ドラゴンを討伐した。
深く被ったフードを、彼女を警戒したジーベルトが無理やり外させた。
そのフードの下から、現れたその顔は。
(紫水晶の、瞳)
それは【生粋の罪人】と呼ばれる、前世で贖うことが出来ぬ程の罪を犯した罪人であることの証。
生まれながらに呪われた、誰よりも賎しく浅ましい存在。
しかし、頭の端で嫌悪感を募らせながらも、ラミアは女から視線を反らせなかった。
ファウステリアと名乗ったその女は、ラミアが驚くほどに美しかった。
自らが潰したと話す片目には、装飾されているとは言え、武骨な眼帯が嵌められていたが、そんなハンディを負っていてもなお、彼女の美しさは損なわれるどころか、完璧でないが故に一層、美しく見えた。
ファウステリアは形よい唇を動かして、何かを語っていたが、ラミアの耳には全く入って来なかった。
ラミアはただただ、露になったファウステリアの顔を見つめていた。
気が付いた時には、ラミアは王宮の自室にいた。あの後どのような顛末になったのかも、自分がどうやって部屋まで戻ってきたかも、ラミアは覚えていなかった。
ラミアは病人のような足取りで、部屋の一番目立つ場所にかけられた鏡を覗きこんだ。
鏡に映るのは、見慣れた自分。
憂いを帯びた悲しげな表情を浮かべているが、そんな表情ですらなお美しい、自分。
(――やっぱり、私は美しいのだわ)
そう、ラミアは美しい。
広大なグレーヒエルの地で、ただ一人、紫水晶の瞳を持つあの女を覗けば、他の誰よりも。
(いや、あの女も、眼帯を外せば、きっと醜いに違いない)
あの眼帯の下に、眼球が無いとあの女は言った。呪われた瞳の色を厭う余り自分で抉りだしたのだと、そういった。
いくら顔立ちがどんなに整っていても、片眼が無い時点でその美貌に対する評価は下がるだろう。
眼帯で隠れているから分からないだけで、全ての装飾品を取り払えば、きっと自分の方が美しいのだ。
ラミアはその場に崩れ落ちて、大声で咆哮した。
理を理解できぬ赤子や獣のように、荒れ狂う心にただ身を委ねて、本能のままただ泣き叫ぶ。
どんなに自分の心を誤魔化そうとしても、無駄だった。
ファウステリアは美しい。
隻眼でいてもなお、ラミア以上に。
許せなかった。
許せるはずがなかった。
自分よりも優れた容姿を持つあの女も。
そんな女に見惚れてしまい、自身の美貌があの女に劣ることを認めてしまった自分自身も。
そう、ラミアは見惚れたのだ。
あの女の輝くばかりの美貌を、美しいと心のうちで賞賛してしまった。
それは、自分こそが世界で一番美しい女であるべきことを信条としているラミアにとっては、自身の信念を裏切ることと同じだった。
その日、自分が世界で一番美しい存在だった、ラミアの世界は崩壊した。