【39】
夫となるリーシェルと対峙した時、ラミアは深く失望した。
(こんな男が私の夫になるなんて)
女性的で整った顔立ちだけは及第点をやれるが、それ以外は王という地位以外総じて凡庸以下で、何の魅力もない男。それがラミアがリーシェルに対して抱いた評価であり、それはまた、民がリーシェルを評する際の一般的な評価でもあった。
人望も、能力もない王。到底磨き上げた自分の美貌に釣り合う相手ではない。
実際ラミアがリーシェルの妃に選ばれた背景には、ソーゲル家がセイオ家とのつながりを強固にしたかったのが一番の理由だったが、ラミア自身は頑なに自身の美貌が見込まれたが故だと信じていた。ラミアは自身の美貌に関しては、絶対的な自信を持っていたからだ。男は当然自身の美貌を求めるべきであり、それを得る為にはそれ相応のものを差し出すべきだと、そう信じて疑わなかった。
(どうせ妃になるなら、先王陛下の妃になった方がどんなにかましだったでしょうに)
リュークは出自こそ大したことがないものの、武勇で敵う者はいない英雄だ。老齢とは言え、その名声は未だ高く、人望にも厚い。リーシェル何ぞよりはずっと、自身の美貌につり合いが取れている。
ラミアは、リュークに対して血筋という部分では蔑みながらも、それ以外の部分に対しては憧憬にも似た感情を抱いていた。
そしてラミアがリュークを評価していたように、リュークもまたラミアを評価し、息子の妃になることを心から歓待していた。ラミアがその後リーシェルと夫婦となり、険悪な関係を築いても尚、嫁舅仲は良好なほど、二人の相性は良かったのだ。
ラミアとリュークは、本質的な部分では、良く似ていた。
二人が共通するのは、自身の絶対的な価値観に対する、盲目的な信望と、追及心。
ラミアが「美」を追及する姿勢は、方向性こそ違うものの、リュークが「英雄であること」に固執する姿勢と良く似ていた。違うのは、リュークが他者の益に方向性が向いていたのに対して、ラミアはあくまで自分の益を追求していたということだけだ。しかし、リュークが追及する他者…すなわちグレーヒエルの民の益も、最終的には英雄たる自身の名声を上げるというナルシシズムを満たすための材料に過ぎない為、結局のところ、自分の益を追求しているのである。ラミアとリューク、気が合うのは道理であると言える。
(…まぁ、いいわ。これが私の夫でも。正妃という地位を得れるのならば)
ラミアはリーシェルに対する自身の不満に目を瞑り、婚姻を了承した。
例え夫がどんなに無能な人物であっても、正妃という地位はやはり魅力的だった。正妃になれば、大貴族の娘に過ぎない今以上に、自身の美貌を磨くことに専念できるだろう。正妃でなければ得れないような、特別な美容の情報も得られるかもしれない。
グレーヒエルの地は、英雄信仰によって纏められた地だ。万が一、リュークが不慮の事態で亡くなってしまった場合、国中が混乱する事態に陥るのは間違いない。しかし、そんな事態が起こったとしても、きっと自分が正妃であって、この美貌を今以上に美しく磨いていれば、混乱は収まるであろう。「英雄」に対する信仰を、「正妃の美貌」に対する信仰へと移行させればいいのだ。簡単ではないか。
ラミアは幼い少女が思い描くかのような、そんな荒唐無稽な妄想を、信じて疑っていなかった。突出した美貌。それだけで、リュークの長年培っていた功績に見合う力を持っているのだと、心底そう思っていた。
彼女にとっては自身の美こそが全てであり、正義であり、真実だったのだ。
しかしそんなラミアの価値観とは裏腹に、彼女が出会った瞬間から嫌い蔑んでいたリーシェルもまた、ラミアを嫌い抜いた。
ラミアがどんなに美しい容姿を持っていたとしても、自己愛が強いリーシェルは、自分のことを嫌っていることを隠そうともしない相手を好きになるはずが無かった。
薄っぺらな教養しかなく、性格がきつい点も、リーシェルには忌々しかった。
ラミアの美しさなど、自身の整った顔立ちを見慣れているリーシェルには、実のところほとんど価値がなかった。リーシェルが求めていたのは、劣等感が強い自分に安らぎを与えてくれる女性だ。そしてラミアは、リーシェルの理想の正反対の場所にいる。そんな彼女を愛せるはずがない。
幾度か義務的に会った夫婦関係は、すぐ様なくなり、瞬く間に夫婦仲は冷め切ったものになった。義務的な会話以外、まともに交わすこともない。そしてそんな冷え切った関係は、民にすら自明の事実だと噂されるほどだった。
しかしそんな状況でもなお、ラミアは、自分が嫌っている故に強がって表向きではそう振る舞っているだけで、実際のリーシェルの胸の内ではラミアの美を信望しているのだと、そう思い込んでいた。