【36】
当然のことながら、ファウステリアの孕んだ子は、流れた。
自分の腹から排出された、まだ人間の形にもなっていない血の塊のごとき胎児を、ファウステリアが無感情に捉えていた一方、その事実を知ったリーシェルの嘆きは深かった。
「あぁ、そんな…!!なぜ、なぜ貴女と私の子が…こんなっ!?」
「申し訳ありません…リーシェル様」
ファウステリアは人形のような虚ろな表情で、一筋涙を零れさせた。
「…私が呪われた存在であるばかりに…やはり私が、愛する方との子を産んで幸せになるなんて許されないことだったのですね…」
「っ違う!!ファウステリアっ!!貴女の責任ではないっ」
今にも消えてしまわんばかりの儚げなファウステリアの様に、リーシェルは慌ててその手を握り締める。
「貴女のせいで、子が流れたわけではない…貴女が食べた食事の中に、堕胎薬が混入されていたのだ」
「…しかし、堕胎薬が混入されたこと事態、私が呪われた身でなければ…」
「違う!!貴女の紫水晶の瞳は関係ないっ!!あの女は、貴女が他の誰であろうと、自分より先に私の子を成した女ならば同じことをしたはずだ!!権力欲に満ちた、浅ましくプライドだけが高いあの女ならっ!!」
激高するリーシェルの様子に、ファウステリアは驚いたかのように目を開いて、瞼を数度瞬かせた。
「堕胎薬を混入された方を、リーシェル様はご存じなのですか?…あの女とは、一体どなたのことですか?」
「私は、貴女が倒れた際に食事を運んだ侍女を調べたのだ。あの時の侍女は、本来ならばけして貴女の給仕などするはずがない侍女だった」
ぎりと歯を噛みしめたリーシェルの瞳には、どす黒い憎悪の炎が燃え上がっていた。
「――正妃付きの特別な侍女だ。ラミアが実家から伴って連れて来た古参のな。どうやらあの女は、自身の行動を隠匿する気もないようだ」
(…本当に、愚かな女だな)
ファウステリアはラミアの雑すぎる陰謀に、内心嘆息した。混入が発覚しやすいワルプールを使用した時点でその愚かさの片鱗は見えていたが、ここまで愚かだとと救えない。
ラミアの実家は、確かに国の中枢を担う、大貴族だ。国に与える影響は大きく、宮中でも非常に高い発言権を持つ。ラミアは国内において、最も高貴な人々の中の一人であるといえる。
しかし、だからと言って「王」という地位に絶対的に対抗できる身分というわけではない。「王」が非常に高い権力を持つ絶対王政下では、いくら大貴族とはいえ、無礼が過ぎれば罰せられる。
いくらリーシェルが傀儡王だったからと言って、それは同じだ。
そんな状況下で、ラミアは頻繁に噂されるくらい、あからさまにリーシェルを蔑視し続けた。そのうえで、ついにはこのような凶行を為し、まだ胎児だとはいえ、王位継承権を持つはずだった子を殺した。罪に問うには充分すぎる状況だ。
にも関わらず、ラミアが自身の罪を隠匿しようとすらしないのは、それだけラミアがリーシェルを舐めきっている証拠である。
先王と異なり、病弱で繊細な国王。そんなリーシェルならば、いくらでも御せると思っているのだろう。
実に愚かなことである。
ファウステリアは怒りに震えるリーシェルを横目で見ながら、改めて思う。
リーシェルの女性的で柔和な顔は、悪鬼のごとく歪んでいた。
自分が絶対的優位に立つ存在であることに慣れているからこそ、ラミアはリーシェルを軽んじるのだろう。
こういう一見脆弱な男ほど、内に秘めた凶暴性が花開いたときは恐ろしいというのに。