【35】
「ファウステリア様。お食事をお持ちしました」
いつものように侍女が運んできた食事。リュークによって城内の一室を宛がわれて以来、食事はいつもこうして自室で摂っている。
妊娠の事実は隠され、表向きは単なる体調不良を称している為、運ばれてきた夕飯は病人向けの消化に良いものが中心だ。
ファウステリア匙で粥を一筋掬って、嗅ぎ覚えがある鉄臭い香りに眉を顰めた。
(…ワルプールが入っているな)
元々は娼婦まがいの行為もしていたファウステリアだ。
深い交流が無かったとはいえ、同業の女たちがしばしば使っていた薬が一体どんなものだったかくらいは知っている。それでもやはりぼんやりとしたものだった知識は、メティに脳を弄られたことで補完されている。
粥の中に混入している薬の名はワルプール。
それは娼婦が懐妊した際に、最も一般的に使われている堕胎薬だ。
鉄のような臭気が特徴で、一匙の量で、摂取した妊婦の大部分は堕胎してしまうと言われている。
その性質が強力な一方で、母体である母親の器官にも深い後遺症を残すため、使用するのはかつてのファウステリアのような貧民階級の民だ。
幸いというべきか、皮肉にもというべきか。ファウステリアは買い手が少なかったが故に、今までワルプールを使用した経験は無かった。だが、ワルプールによって【壊れた】娼婦は何人も見てきた。
ある娼婦はワルプールに脳まで侵され、笑いながら自身の首元を掻き切った。
ある娼婦は、ワルプールのせいで半身麻痺を起して客が取れなくなり、そのまま餓死した。
あるものは、堕胎中の出血量が尋常ではなく、血の不足から事切れた。
そんな掘ればいくらでも曰くつきのエピソードが出てくるワルプールだが、それでも堕胎の為に求める人は後を絶たない。
ワルプールは安価で、手に入れやすい。そして母体に強力に作用して全身の…痛覚に至るまで…神経を麻痺させるが故に、堕胎中の苦痛がなくなるのだ。
出産や堕胎の経験がある娼婦程、ワルプールを欲しがる。
その代償を知っていてもなお、「それでも私は大丈夫」と自らを過信した故に。実際、摂取量次第では後遺症が残らなかった…少なくとも、表面上では…ケースも多いのだ。使用者の体質にも左右されやすい。
そんなワルプールが今、ファウステリアの食事の中に混入されている。
王宮内で使用されるには、いくら堕胎薬とはいえワルプールを使用するのは不釣り合いのように感じる。王侯貴族の間なら、もっと性能が良い、混入が分かりづらい高価な堕胎薬も出回っているだろうに。ワルプールの香りは、知っている人が嗅げばすぐにそれと気づく。
所詮は庶民出身の呪われた存在と、ファウステリアを侮っているのか。はたまた、気付かれることが前提の警告のつもりか。
(犯人はラミアだろうな。全く、どこで妊娠の話を聞きつけたのだか。)
料理を運んできた侍女は、ファウステリアと面識がある侍女ではなかった。
恐らくは正妃付きの、専属の侍女であろう。
ラミアがどこからかファウステリアの懐妊を聞きつけて、自身の地位を揺るがしかねない存在を排除する為に、このような行動を取ったのだろう。情報の出どころは、ファウステリアの診断をした医者か。
ファウステリアを疎ましく思っている宰相が犯人である可能性も否定できないが、ファウステリアは直感的に犯人はラミアだと確信していた。別に証拠はいらない。証拠を集めて、真実を明らかにすることに労力を割くことはしない。そんなことをせずとも、万が一ファウステリアの疑いがラミアにとって冤罪だとしても、ラミアを犯人に仕立て上げる方法などいくらでもあるのだから。
(愚かな女だ)
策略が自分自身の首を絞めていることに気づかないのだから、救いようがない。
愚かで、短慮な女。
自滅するまで放っておいても構わないが、色々と鬱陶しい存在ではある。この先、さらに面倒な存在になっていくことは間違いない。
良い機会だ。せっかくだから、あの女の策略に乗ってやろう。
自分の行為がどれほど愚かなことか、身を持って知ればいい。
ファウステリアは匙の中の粥を、微笑を浮かべながら飲み込んだ。