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悪女ファウステリアの最期 作者:黒井雛
32/64

【32】

 叩いてしまってから、リーシェルはようやく我に返った。

 いくら頭に血がのぼったとはいえ、傷つき嘆く女性にする行動ではない。

 叩いた掌は、熱をもって痺れている。非力なリーシェルの力とはいえ、うち据えられたファウステリはさぞ痛かったけとだろう。

 ファウステリアは嘆くのをやめ、唖然とした表情でリーシェルを見つめていた。赤く腫れた頬が痛々しく、リーシェルの罪悪感を刺激する一方で、征服欲にも似た満足感が沸き上がるのを止められなかった。

 先ほどまでは、亡き父親に向けられていたその視線が、意識が、今はリーシェルに向けられている。その事実がリーシェルを高揚させる。


「……すまない。痛かっただろう」


 そっと腫れた頬に手を当てると、ファウステリアの体がぴくりと跳ねた。

 脅えるようなその仕草に、理不尽な憤りを感じるが、同時に不思議な愛おしさも感じていた。


「だけど、叩いた私の手も、痛い……そして、心はもっと痛いのだ」


 リーシェルはファウステリアを真っ直ぐに見つめながら、空いた手でファウステリアの手を自らの心臓の位置に導く。

 ファウステリアはリーシェルの鼓動を、掌から感じているだろう。

 例え胸を切り開いたところで、リーシェルの中にあるファウステリアに対する熱い想いは目に見える形で示すことはできない。

 ならば、せめて、この鼓動と共に、リーシェルの確かな想いもまた、伝わればいい。


「貴女を、愛している」


 あの時、別れ際に言えなかった言葉は、今になってようやく音になった。


 ファウステリアはリーシェルの言葉に、息を飲んだ。


「世界中の誰よりも、貴女を愛している。その気持ちを、告げたかった。告げると、約束した。そして今、約束は果たされたのだ」


「…リーシェル、様…」


「貴女は父上との約束は破ったかも知れない。だけど、私との約束は果たしたのだ。私はそれが、とても嬉しい。貴女が生きていてくれたことが、とても嬉しくて仕方ない…だから、父上と共に死ねば良かったなぞ、言わないでくれ」


 愛の言葉を囁きながら、今度は壊れ物を抱くような優しい手つきで、ファウステリアを抱きしめる。

 ファウステリアは動揺したかのように、腕の中で身動ぐ。


「…リーシェル様にそんな風に思って頂けるなんて、見に余る光栄です…でも私は生まれながらに呪われた【生粋の罪人】で…リューク様を助けられなかった大罪人で…それに、リーシェル様には、奥様が…」


 つれない言葉を紡ぐ愛しい人の唇を、リーシェルは自らの唇でもってしてふさいだ。

 初めて味わう愛しい人の唇は、驚くほど甘美だった。



「――関係ない。私はそんなことよりも、貴女が私をどう思っているか、知りたい」


「リーシェル様…」


 泣き濡れたファウステリアの瞳から、恐らく悲しみからではない、涙が零れ落ちた。


「私は弱い…偉大な父上とは比べものにならないほど、脆弱な王だ…だからこそ、貴女に私の隣にいて欲しい。隣で私を支えて欲しい」


「…私は、私は……」


「どうかお願いだ。ファウステリア。私の愛を受け入れると、そう言ってくれ」


 リーシェルの懇願に、ファウステリアは目を伏せて、暫く黙りこむ。

 そしてややあって、投げ出されていたファウステリアの手が、おずおずとリーシェルの背中に回された。


「……リーシェル様、この世の誰よりも罪深い私は、生きていても、良いの、ですか?」


「……っ!?」


「生きて、貴方様を愛し、愛される……そんな、幸福を味わっても、良いのですか?」


「当たり前だ…っ!!」


 リーシェルは、ファウステリアを強く強く抱きしめた。

 一度止まった涙が、再びリーシェルの目から零れ落ちた。


 あぁ、なんて悲しい人だろう。


 なんて悲しくて愛おしい人だろう。


(いつか必ず、彼女が自分を卑下しないでも生きていける国にしてみせる。彼女が心から幸せだと笑える、そんな国に)


 リーシェルは胸の奥で、愛しい人を王という立場から幸せにすることを、固く決意をする。



 ファウステリアはそんなリーシェルの腕の中で、身を震わせながら、必死に込み上げる笑いを堪えていた。




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