【31】
リーシェルの瞳から、ほろほろと涙が零れ落ちる。
次から次へと溢れるそれを、リーシェルは拭うこともせずに、固く目を瞑ったまま、ただ一心不乱に祈り続ける。
流れるリーシェルの涙を、不意に拭う手があった。
「…また、泣いてらっしゃたのですか?リーシェル様」
頬にあたる手の感触に驚いて目を見開くと、どこか眠たげな紫水晶の瞳がリーシェルに向けられていた。
リーシェルが握り締めている手とは反対の手が、そっと優しい手つきでリーシェルの涙を拭う。
「…泣かないで下さい、リーシェル様…貴方様が泣くと、私はどうしてか、酷く胸が苦しくなるのです。何故だか私まで、一緒に泣いてしまいそうになるのです」
「…ファウステリアっ!!」
感極まったように横たわっていたその体を起こしてかき抱くリーシェルと裏腹に、ファウステリアは覚醒したばかりで状況が分かっていないのか、どこか不思議そうな表情を浮かべていた。
リーシェルは、失いかけた愛しい人を二度と離さないとばかりに、ファウステリアの体を強く抱きしめる。
「良かった…貴女が目を醒まして、本当に良かった…貴女が生きていてくれて、私は本当に嬉しい…」
「…私が、生きていて?…」
困惑しながら小さく首を傾げたファウステリアは、パチパチと長い睫毛を数度瞬かせると、状況を整理するかのように自身の記憶を反芻した。
「私は…私は、バジリスクの討伐に、リューク様と出向いて…バジリスクと対峙して…そして…」
言葉を発していくうちに、ファウステリアの顔色が見る見る蒼白へと変わっていく。
「…バジリスクの牙が…私とリューク様の体を…貫いて、そして…」
全てを思い出したファウステリアは、カッと目を見開いて唇を戦慄かせると、リーシェルの肩を勢いよく掴んで揺さぶった。
「…リューク様!!リューク様の、お命は!?リーシェル様、リューク様は無事なのですか!?」
(…目覚めてすぐに、父上の安否を心配するのか)
リーシェルはファウステリアの様子に、胸にちくりと突き刺さるものを感じながらも、静かに首を横に振った。
「リーシェル様…?」
「…先王リューク・ソーゲルは、自分の命を賭けて、勇敢に未知の怪物と戦った。私は、そんな父上を、誇りに思う。」
「…あ……」
「例えその討伐を引き換えに命を落としたとしても、父上ほどの英雄は二人といないだろう」
「…あ…あ…ああああああああああ」
遠回しに告げたリュークの死。
その真意をすぐさま察したファウステリアは、その場に崩れ落ちて慟哭した。
「あああああ…リューク様っ…リューク様っ…あああああ」
美しい金色の髪を掻き毟り、苦痛に喘ぐかのように身を捩りながら、ファウステリアはリュークの名前を呼ぶ。
「リューク様っ…私は…私は貴方様を、救えなかったっ!!…」
ファウステリアの紫水晶からは滂沱のごとく涙が流れ落ち、ベッドを濡らす。
その様は、見ているリーシェルが苦しくなるほど余りにも痛々しい姿だった。
「約束、したのに…私がリューク様を守ると、そう約束したのに…っ!!守れぬ時は、死の淵までお供すると、そう約束したのに!!…何故!!何故、私だけがおめおめと生き残っているっ!!リューク様を守りきれなかった私が、何故!?」
聞いたものが同情の念を抱くことを禁じ得ない、身を切るかのような悲痛な叫び。
だが、リーシェルはその言葉に目の前が真っ赤に染まるのを感じた。
(貴女は、父上とそんな約束をしていたのか)
(それは私とした約束よりも、貴女にとって重要なものだったのか)
(貴女は父上が死んだ時、私とした約束よりも、父上とした約束を優先するつもりだったのか)
(貴女は私の言葉を聞かないまま、父上と共に逝くつもりだったのか!!)
「――黙れ、ファウステリア」
次の瞬間、気が付くとリーシェルは、ファウステリアの頬を、手加減なく打ち据えていた。