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悪女ファウステリアの最期 作者:黒井雛
30/64

【30】

 

「…ファウステリア…」


 リーシェルは傍らのベッドで眠る愛しい人の名前を、その手を握り締めながら悲痛な表情で呼びかける。

 彼女はもう三日も、昏睡状態の目を覚まさない。


 父親である先王リュークと、ファウステリアが、バジリスクの毒牙に侵された状態で、城下町で倒れている姿が見つかったと報告を受けたのが三日前。

 発見された時点で、ファウステリアに守る様に抱きしめられていたリュークは、既に息絶えていた。

 牙が刺さった位置が良かったのか、はたまた生命力の違いか。

 ファウステリアはまだ最悪の状態には至っておらず、彼女はすぐさま城内に運ばれ、血清の投与をはじめとした、出来うる限り全ての治療が施された。その甲斐があってか、一時間以内に命を落とす可能性が8割と言われているバジリスクの毒は、彼女の命を奪うに至らなかった。突然変異体のバジリスクは、恐らくは通常のバジリスク以上の毒性を持っていたであろうことを考えると奇跡だ。

 しかし、命を取り留めた筈のファウステリアは、それでも目を醒まさない。


「…ファウステリア。昨日、父上の葬儀は終わった。立派な葬儀だった」


 英雄の葬儀は、かつてないほど盛大に行われた。

 そしてそれは、王として、息子としてリーシェルが全て取り仕切った。

 英雄の逝去。

 その事実が国民に与えた衝撃は、計り知れなかった。

 討伐の場へと向かわせた兵士は、焼け焦げた巨大バジリスクの遺体を確認したと報告している。

 バジリスクはリュークとファウステリアを毒牙で傷つけながらも、最終的には二人の手で無事に討伐されたのだ。今回のバジリスク討伐によるリュークの死は、けして彼の名誉を、英雄であるという肩書を傷つける結果ではない。


 リュークは英雄のまま、逝った。


 その事実を、息子として誇りに思う。

 しかしだからといって、英雄を失ったグレーヒエルの民の動揺がなくなるわけではない。次代の英雄と評されているファウステリアが、生死の境を彷徨っていることもまた、民の動揺を増幅させた。

 だからこそ、リーシェルは微塵も同様を表に出さず、王として毅然とした態度で葬儀を取り仕切らなければならなかった。悲しみを微塵も外に出してはいけなかった。

 そして、リーシェルは王として、見事にその役割を果たした。


「――だけど、本当は私が一番不安でしかたないんだ」


 自分が英雄である父親に較べて、いかに卑小な存在であるか、リーシェルは知っている。

 王という立場を得ていても、それがお飾りの地位に過ぎず、先王であるリュークが実質的権力者のままであったことも。

 本来なら引退した立場であるリュークが、王のままであるかのように振る舞うことにリーシェルは内心歯噛みしていた。その一方で、自分に王としての重圧が降りかからずに済むことに安堵している自分もいた。

 リュークに押し付けていたそのつけが、リュークが死んだ今、リーシェルの肩に一気に伸し掛かってきた。

 不安で仕方ない。

 自分が果たして、英雄不在の穴を埋められるのだろうか。埋められるはずがない。

 正直、心が折れてしまいそうだ。


「…それでもきっと、貴女が一緒ならば、私は王として立てる」


 リーシェルは、ファウステリアの手を、縋るように強く握り締める。



 次代の英雄に相応しい、力がある女性。


 献身的で、優しく、美しい、人。


 リーシェルが、生れて初めて恋した相手。



 ファウステリアが傍にいて、自分を支えてくれるならば、自分はきっと、誰よりも素晴らしい王の役割を全うして見せよう。

 民の為ではなく、全ては彼女の為だけに。


「だから、どうか、目を醒ましてくれ…ファウステリア…っ!!」


 眠り続ける愛しい人の手を、リーシェルは自らの額に当てながら、祈る。祈ることしか、今のリーシェルには出来ない。


(父上よ。どうか、この人を共に連れて逝かないでくれ)


 約束したのだ。

 帰ってきたら、告げたい言葉があると、必ず伝えると、そうリーシェルはファウステリアに約束したのだ。


 リーシェルはまだ、ファウステリアに愛の言葉を告げて、いないのだ。


 彼女はちゃんと帰ってきたのだ。

 ならば約束は、果たされなければいけない。

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