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悪女ファウステリアの最期 作者:黒井雛
29/64

【29】

 崩れ落ちる自身より二回りは大きいリュークの体を、ファウステリアは重力魔法の補助を借りて、抱きとめる。

 バジリスクの毒は、神経毒だ。

 瞬く間に、全身の機能を麻痺させ、やがて心の臓と呼吸を止める。


「――民には、バジリスクと相討ちになり、勇敢に散ったと伝えてやろう」


 笑みを浮かべながら、ファウステリアは低い声で囁く。


「英雄として死ねるんだ。本望だろう?」


 手に持った牙を投げ捨てて、ファウステリアに抱かれたまま、ちょうどその胸の当たりに顔がくるくらいまで引きずり落ちたリュークの頬に手を這わす。

 蒼白なリュークの顔は、驚愕と絶望に染まっていた。

 すでに呼吸器が機能を停止しているのか、リュークはまるで空気を求める観用魚のように、唇をはくはくと動かしながらただ二文字、「なぜ」という言葉を必死に紡ごうとする。


(この顔が、見たかった)


 ファウステリアはそんなリュークの死に顔に、恍惚の表情を浮かべる。乾ききった心が、水を与えられたかのように満たされていくのを感じた。

 そう、自分は、この顔が見たかったのだ。

 自分を救うことを選ばなかった英雄が、惨めに嘆き苦しみながら死んでいく様が。


 なぜかという問いに答えるつもりはない。

 答えて同情や悔恨の表情を浮かべられたらと思うと、それだけで不快だ。

 何も知らず、何も理解できないまま、疑問を胸に抱えたまま逝けばいい。

 ファウステリアは、リュークに自分を理解してもらうことなぞけして望まないのだから。


「不思議だな…リューク・ソーゲル」


 悶え苦しむリュークに顔を寄せて、ファウステリアは場違いなまでに優しい声で囁きかける。まるで睦言のような甘さを孕みながら。


「ずっと殺したい程憎んでいたけれど、死に行く惨めなお前は、何故か愛おしいよ」


 ファウステリアは痙攣するリュークの唇に、その赤い唇を重ねた。

 貪るように深く口づけると、やがてリュークの痙攣は止まり、ファウステリアの腕の中で動かなくなった。

 ファウステリアは英雄の死体をそのまま地に投げ捨てると、高らかに哄笑した。





「…で、どうするんだい。ファウステリア?」


 ファウステリアが満足するまで笑い終わると、気配を感じさせないままいつの間にかすぐ傍に立っていたメティが愉しげに訪ねてきた。


「元王の英雄が死んで、守りきれなかった君は、そのまますごすご国へ戻るのかい?そうなれば君に対する批判はすさまじいだろうね。なにせ彼は救国の英雄だし」


「…ちゃんと考えてあるさ」


 メティの揶揄交じりの言葉を冷たく切り捨てると、ファウステリアは先程投げ捨てたバジリスクの牙を手に取った。


「――メティ、ひとつ確認してておきたいんだが」


「なんだい?」


 ファウステリアは手の中の牙を弄びながら、メティに尋ねる。


「私は契約が遂行するまで、死なないんだよな?」


「ああ。もちろん」


「契約遂行の条件は、私が全てを手に入れたと満足すること…なぁ、メティ」


 ファウステリアは紫水晶の瞳を挑戦的に光らせて、メティをねめつけた。


「何らかの後遺症などが残った体で、私が自分の人生に心から満足する日が来ると思うか?」


 メティは一瞬虚を突かれたように目を開いたが、すぐにファウステリアの言いたいことを察して、その口端を吊り上げた。


「まったく思わないな。そもそも君は常に万全な状態じゃなければつまらないしな」


「…ならいいんだ」


 ファウステリアは再び重力魔法を行使してリュークを腕に抱え上げた。


 左手をリュークの背に回したまま、反対の手でバジリスクの牙を構える。


 そしてその牙を、自身の二の腕のあたりに躊躇いなく突き刺した。


「…っ」


 途端全身に回る毒に体全体が麻痺していくのが分かる。

 ファウステリアは牙を投げ捨てるなり、瞬時に火焔魔法を展開してバジリスクの死体一帯を燃やし尽くすと、麻痺して動かない舌を最後の気力を振り絞って動かして、転移魔法を唱えた。

 次の瞬間、ファウステリアの体は、リュークの遺体と共に王都へと移動する。

 ファウステリアは見慣れたその風景を視界に映すなり、その場に倒れ込み、気を失った。


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