【26】
ファウステリアは子供のようなあどけない表情できょとんと眼を開いた後、その口元を綻ばせた。
「――酷い方ですね。リーシェル様。それじゃあ私は、リーシェル様の言葉が気になる余り、躊躇いなくリューク様に身を投げ出すことが出来なくなるではありませんか」
「…それで、いいのだ。貴女が自身の命を犠牲にしてまで、父上を守る必要はない」
拗ねたように視線を逸らすリーシェルに、ファウステリアはそっと体を預ける。
「…でも、ありがとうございます。私の命をそこまで惜しんでくださるのは、きっとリーシェル様だけでしょう」
自身の心臓が位置する当たりに顔を埋めるファウステリアに、唯でさえ早鐘を打っていた鼓動が、一層早くなるのが分かった。
「必ず、帰ってくると、約束します。リューク様を守り通して、必ず、リーシェル様の元へ」
「ファウステリア…」
リーシェルの眼から、涙が零れ落ちた。
明日、腕の中の愛しい人は、英雄である父親に伴って、未知の怪物の元へと行ってしまう。
無事に帰れる可能性が、限りなく低い、化け物の元へ。
リーシェルの双眸からは、止めることが出来ない涙が、次々から流れ落ちる。
その事実が分かっていても、自分は何も出来ない。
彼女を止めることも。
自らが彼女を守る為に、共に討伐へついて行くことを。
なんて自分は、無力なのだろう。
(このまま時が止まってしまえばいい)
そうすれば、愛しい人はどこにもいかない。
永遠に自分の腕の中にいる。
それはきっと、とても幸せなことだ。
「帰って、きてくれ、ファウステリア…絶対に、死なないでくれ…」
だけど時は無情に流れて、止まってはくれない。
どんなに明日が来ないことを切望しても、明日は必ずやってくる。
リーシェルに出来ることはただ、懇願することだけ。
彼女の無事を祈ることだけ。
リーシェルは時が許す限り、愛しい人を抱きしめ続けた。
部屋に戻ったファウステリアは、即座に防音魔法を部屋に施すなり、ベッドに身を投げ出して笑いながら転げまわった。
「…なんて単純なんだ!!間抜けどもめ!!どいつもこいつも、こうもやすやす引っかかるとはっ!!」
余りにも滑稽で無様な姿を見せつけてくれた男たちの姿は、反芻するだけで腹が引きつる。
どいつもこいつも、「愛」などという幻想に溺れて、酔って。
ああ、なんて愉快な茶番劇!!
「――リューク。リーシェル。私は誠実な女だから、ちゃんと約束は果たしてやるよ」
ひとしきり笑って満足したファウステリアは、涙をぬぐいながら、口端を釣り上げた。
ファウステリアは、リュークに死の淵まで供をすると誓った。
リーシェルに、帰還を約束した。
それらの約束を、破る気など毛頭ない。
「死の淵まで付き添ってやるよ。リューク・ソーゲル…ただし死の淵から飛び込むのは、お前だけだ」
言葉を口にしてから、自分の言葉に再び笑いの発作に襲われたファウステリアは、声を上げて声が掠れるほど笑う。
そんなファウステリアの姿を、ただメティだけが遠くから愉しげに眺めていた。