【25】
「…そんなことを言ってはいけません」
ファウステリアは悲しげに微笑みながら、リーシェルの唇にたてた指をそっと添える。
「リーシェル様はとても優しい方。だからこそ、このような【生粋の咎人】にも、情を感じて、その死を嘆いてくださるのでしょう。しかし貴方は、国王なのです。こんな呪われた女の安否など国民のことを第一に考えるべきです。だから、いくら私を一時慰める為とはいえ、そんな言葉を口にしてはいけません」
「っ違う!!ファウステリア!!私は貴女に同情して、こんな言葉を口にしたのではないっ!!私はっ、私はただ、貴女のことを…」
「――それにリーシェル様。私は今、とても幸せなのです」
首を激しく横に振りながら思いのたけを語ろうとするリーシェルの言葉に、ファウステリアは耳を傾けることもなく、ただ幸福そうに微笑んだ。
「バジリスクの討伐に行く、リューク様のお供が出来るのです。ただ一人、私だけが。これほどの幸せは、生れて初めてです。私だけが、リューク様を守れる。リューク様の為に、この罪に染まった命を捧げられる。これほどの幸福、他にはありません。」
白い頬を薔薇色に染め、陶酔したように語るファウステリアの様子に、リーシェルは目を見開いて言葉を飲んだ。
そして次の瞬間、整ったその顔が、苦々しげに歪む。
「ファウステリア…貴女は父上のことを…」
「…心から、敬愛しています。…私のようなものがこのようなことを口にするのは、あまりにおこがましいかもしれませんが」
そう言ってファウステリアは、切なげにどこか遠くを眺めた。
ファウステリアの視線の先には何もない。
だが、リーシェルには、ファウステリアが何もないその空間にリュークの姿を見出していることが、ありありと伝わってきた。
何も映していない筈の、ファウステリアの紫水晶には、網膜に焼けつけられた父親の姿が映っているのだ。
そう考えた途端、リーシェルの胸の奥から、燃え盛る業火のように熱を持ったどす黒い嫉妬心が湧き上がってくる。
(今、ここにいるのは、私だ。私を、見ろ。私のことだけを考えてくれ)
(父上なぞ、いくら英雄とはいえ、60過ぎの老人ではないか。顔だとて美しいわけでもない。そんな男のどこがいいんだ)
(私の方が、父上なんかよりも、ずっと、ずっと貴女のことを、愛しているのに!!)
「へ、陛下!?」
気が付けばファウステリアを引き寄せ、その腕の中に抱き締めていた。
華奢だと揶揄されることが多い、男にしては随分線が細く、筋肉もつかない自身の体。
だが、そんな自身の体でもすっぽりと全身を覆えてしまうくらい、ファウステリアの体は細く、小さい。
初めて抱いた愛しい人の体の感触に、伝わって来るその熱に、体の奥底が震えた。
正妃ラミアをはじめ、リーシェルは幾人もの女性を抱いた経験がある。
それは勿論、文字通り抱きしめるだけではなく、その延長線上には性行為も当然のごとくセットであった。
しかし、そんな快楽を伴う閨での行為よりもずっと、ただ抱きしめているだけの今の方が激しく心を揺さぶられていることにリーシェルは気付く。
こんな想いを、誰かに対して抱くのは、初めてだ。
切ないのに、苦しいのに、胸の奥がどこか、小さなあかりが灯ったかのごとく温かい。
愛の言葉を囁くのなぞ、簡単だ。
典型通りの言葉を、状況に相応しいと思う言葉を選んで口にすれば、それだけでいい。
そしてそれは、今までのリーシェルにとって、ただ性行為を行うための合図に過ぎなかった。
なのに今、ファウステリアに対して、言い慣れた筈のその言葉を口にすることは出来なかった。
動かない口を必死に動かして何とか言葉を紡ごうとしても、声が掠れ、愛の言葉は喉奥に詰まったまま、うまく出てこない。
心臓がうるさいくらいに鳴って、ときおり苦しいほどに胸の奥が締め付けられる。
この気持ちを、どんな言葉を使えば正確に彼女に伝えられるのだろうか。
「――貴女が帰ってきたら、言いたい言葉があるんだ」
ようやく出てきた言葉は、そんな先延ばしの台詞だった。
「貴女が討伐から帰ってきたら、必ず、伝える。しかし、今は、言えない…」
そう言って、リーシェルはファウステリアの髪に鼻先を埋めた。
立ち上ってくれる甘い香りに、リーシェルは酩酊感を覚えながら叫ぶ。
「貴女が帰ってきたら伝えるから、必ず無事に帰ってきてくれ…っ」