富士川の中下流域 凝集剤、生態系破壊か 山梨で業者が不法投棄
(2020/12/28 08:31)-
山梨県早川町の雨畑川や静岡県の富士川河口で粘着性の泥が見つかった問題で、泥が富士川の中下流一帯に広がり生態系を破壊している実態が、流域住民の証言で明らかになりつつある。河川環境の指標のアユはほぼいない。行政への取材で石油由来のアクリルアミドポリマー(AAP)を含む可能性が高く、静岡新聞社取材班と連携するサクラエビ再生のための専門家による研究会は成分分析に乗り出した。(「サクラエビ異変」取材班)
“謎”だった泥の正体が分かり始めた。流域住民が「出どころ」と指摘するのは、少なくとも2011年9月から約8年間、当時山梨県の元治水課長が社長の採石業者ニッケイ工業(日本軽金属が一部出資)による凝集剤入り汚泥の雨畑川への不法投棄だ。
関係者によると、数万トン以上の汚泥が捨てられたが、撤去を行政指導した山梨県は野積み状態の約4400立方メートル(国の目安で換算すると約4840トン)が搬出された19年6月中旬に「撤去完了」を宣言。警察への告発も見送った。
取材班は当時から現場下流で油っぽい汚泥が残留しているのを確認、ニッケイ工業幹部から「ダンプで運びやすくするため3種類の凝集剤を混ぜていた」との証言を得ていた。山梨県に情報公開請求し、07年2月時点でAAPを多く含有する凝集剤などを1日20キロ以上も使う計画だったことが判明した。
サクラエビの不漁と富士川水系の濁りの関係を漁師らが指摘しているため、研究会は分析を進める。排水処理の研究を通じて凝集剤の取り扱い経験が豊富な久保建二大阪府立大工業高等専門学校名誉教授(79)から「(粘度の高さや経緯から凝集剤成分が)入っているのは間違いない」との指摘が出ている。
久保名誉教授は「こうした泥が河床を覆えば好気性の微生物がすめず、河川は水質自浄作用を失う。何もしなければ凝集剤成分は今後100年は残るだろう」と警鐘を鳴らす。
■富士川水系「死の川に」 凝集剤や汚泥、住民懸念
上流域の雨畑川(山梨県早川町)で採石業者による凝集剤入り汚泥の不法投棄が少なくとも約8年続いてきた富士川水系の流域住民からは「川虫や魚がいなくなった」「川にぶよぶよした泥がたまっている」「死の川になった」「『公害』そのものだ」など、凝集剤や汚泥の影響を危ぶむ指摘が出ている。サクラエビの主産卵場の駿河湾奥には、富士川から灰色の水が流れ込んでいる。
「今年は正月明けからずっと濁りが強く、透視度100センチ(ほぼ透明)となったのは数日程度だった」。2017年から週1回富士川中流で透視度調査をしている佐野オトリ店の佐野保代表(76)=山梨県南部町=によると、本流は今年も濁りが強くアユ釣りになるような状態ではなかった。今季の釣果はたった1匹だった。
流域住民の望月朋完さん(66)=南部町=は「ここ何年も本流でアユを釣っている人を見ない。本流で何か捕るとしたら、シカの駆除ぐらいだ」と説明する。1990年代などに全国の釣り師がこぞって参加した「富士川鮎釣り大会」を第10回まで主催した経験のある富士川と鮎を愛する会の望月正彦顧問(86)=富士市=は「本流には生き物が全然いない。泥が川底の石いっぱいにかぶって、コケを食べるアユにとっては最悪の状態。川が死んだ」と明かす。
今年の初めごろに凝集剤入り汚泥の不法投棄現場下流の雨畑川を調査した地域自然財産研究所の篠田授樹所長(55)=山梨県都留市=は「雨畑川にはほとんど川虫がいない。1994年の前回調査に比べ格段に悪化した」と指摘する。雨畑川が合流する早川でも至る所で汚泥が確認でき、ラフティングツアーを行う「本流堂」の大窪毅代表(44)=同県早川町=は「毎日煙のような白っぽい濁りを目にしている。具体的に何か対策がなされているのだろうか」と憂える。
富士川で長年釣りを続けてきた山梨県内の40代会社員男性は「公害事件そのもの。なぜ行政が反応しないのか不思議で仕方ない」とこぼした。
■AAPの生態系影響、調査を サクラエビ再生のための専門家による研究会座長 鈴木款・静岡大特任教授
アクリルアミドポリマー(AAP)は分子量1千万を超える物質で、大きな分子量を利用し、濁り成分をからめ捕るように吸着させ大きな塊を作る。そうして微細な濁り成分を水と分離させる。
これまでの取材で富士川本流にもAAPが大量に残留している可能性が報告されている。AAPを含む粘着性の泥は流出すると河床の石と石の隙間に入り込み、底生生物(水生昆虫類)のすみかを奪う。魚類などの餌がなくなり、さらには鳥類など陸域の生態系にも影響を及ぼすことが考えられる。石の表面にこうした泥が付けば、コケが生えない可能性もある。かつて尺アユ釣りが盛んだった富士川は、餌のコケがなくなりアユ自体がいないに等しい状況が観察されている。
富士川水系では近年強い濁りが続き、駿河湾のサクラエビやシラス漁師らからもこの濁りに対して強い懸念が出ている。もし富士川河口に流出した泥にこのAAPが混在しているとすると、その影響が懸念される。
粘着質の泥があると重金属などの有害物質がたまりやすくなる。また、AAPが紫外線などで低分子化される可能性がある。AAPのモノマー(単量体)は猛毒として知られており、環境や生態系への影響について行政機関などは早急に調査する必要がある。
■不法投棄の泥かは分からない 山梨県一問一答
粘着質の泥を巡り、山梨県は27日までの取材に対し、「不法投棄の泥かは分からない」と答えた。
主なやりとりは次の通り。
―凝集剤入り汚泥が残留しているのでは。
環境整備課「不法投棄された汚泥か分からない。同一だとどうやって証明するのか」
―ある程度見たり触ったりすれば容易に分かるのでは。
環境整備課「報道を受け今夏に雨畑川に見に行ったが自然の泥か凝集剤入りの汚泥か確証は得られなかった」
―環境指標のアユがほとんどいない。
環境整備課「静岡新聞の報道で知っただけ。水質調査では環境基準をクリアしている」
―泥に凝集剤が残っているか検出試験などをしたのか。生態系への影響の危惧は。
峡南林務環境事務所「検出試験はしていない。影響については何も言えない」
―なぜもっと調査しないのか。
環境整備課「(富士川流域は)エリアが広く現実問題として難しい」
■流域住民らの河川環境への指摘
◆由比の50代サクラエビ漁船乗組員=静岡県東部= 秋漁中の資源量調査で富士川沖には0歳エビを含め全く反応がなかった。かつて富士川の濁りは茶色で、夏は緑色だった。今はずっと灰色の水が駿河湾に出ている。
◆佐野オトリ店の佐野保代表(76)=山梨県南部町= 6月解禁のアユ釣りでは、あきらめきれない約20人が富士川本流で竿を出した。しかし釣果は富士宮市の人が25センチを釣った1匹だけ。
◆岩田智也山梨大教授(46)=甲府市= 雨畑川では浮遊砂が多く流下し、ダム下流の川岸はダンプカーが頻繁に往来している。川や河畔域(川と森が接する場所)の生物多様性が影響を受けている可能性がある。
◆流域住民の望月朋完さん(66)=南部町= 富士川本流でうっかり泥を踏むと腰ぐらいまで沈む。ドロドロ、ヌルヌルした泥が至る所にある。10年ほど前から海から上るズガニもアユも全くいない。
◆地域自然財産研究所の篠田授樹所長(55)=都留市= ことしの調査では雨畑川にはほとんど川虫がいない。1994年の前回調査に比べ格段に悪化している。早川も一部同様な場所があり、上流の河川工事も濁りの原因だ。
◆林業家でラフティング会社経営の佐野文洋さん(48)=富士宮市= 自宅近くの富士川本流では、川の水が引いた場所からかつてはなかったぶよぶよした泥が出てくる。乾くと細かい粒子がほこりのようになり、風で舞い上がる。
◆山梨県南部町の佐野和広町長(68) 報道されているような泥を直接確認したわけではないが、富士川の河川環境自体は非常に問題視している。泥が残っていれば撤去が必要。国には積極的な対応を望む。
◆静岡・山梨両県民による市民団体「富士川ネット」の青木茂代表幹事(65)=山梨県富士川町= 川底に泥がたまって川が窒息しているように思われる。山梨県は採石業者が山積みしてあった汚泥を撤去しただけ。過去に流した汚泥を全て撤去しないと意味が無い。
◆早川でラフティングツアーを行う「本流堂」の大窪毅代表(44)=早川町= 早川にはぶよぶよとした泥が依然残り白っぽい濁りを毎日目にしている。新聞報道もあったのに、これっぽっちも改善していない。対策をしたのか。
◆富士川と鮎を愛する会の望月正彦顧問(86)=富士市= 昔、富士川にはアユがうじゃうじゃいたのに今では生き物の気配を感じない「死の川」。これは人災。私の目が黒いうちに解決の糸口を見つけたい。
<メモ>アクリルアミドポリマー(AAP) 産業排水の固液分離や汚泥の脱水処理などに広く用いられている化学物質。分子量1千万を超え粘度が高く、紙力増強や流出した油の回収、農業や土木工事での土壌流出防止のための凝固剤などにも使われる。一般に毒性は低いとされるが、分子量が70程度まで分解したアクリルアミドモノマー(単量体、AAM)は強い毒性を持ち、毒劇物取締法で劇物に指定されている。
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