38話 「魔法」 4/5
いつも見ている階段が斜めになっていて、僕の方に、まるで壁みたいにせり上がってきているっていう光景。
いつも見ているはずだけど、いつもとはまるでちがう光景。
僕が、落ちかけているから。
階段から落ちるっていう、……特に理由もなく、いや、理由といえばあるにはあるんだけど、でも、はてしなく悲しい理由で落ちているから。
………………………………ずーっと気をつけていた、身の丈に合わないサイズの階段を、 1段1段、気をつけて降りるっていう……めんどくさいけどもう慣れきっていたはずの作業を、怠ったから。
………………………………忘れていたから。
アルコールと、尿意と、眠気と。
時間が止まったような中で、僕は、ぼーっとして。
少しずつ近づいてくる階段を、その先の床を、ぼーっと、なすすべもなく眺める。
時間が細切れになっているような、そんな感覚。
スローモーション。
あるいは、一時停止。
または、………………………………。
けど。
………………………………痛そうだよなぁ………………………………。
そこそこの勢いもついているし、この階段も、僕にとってはとても長いもので。
つまりは、最低でも顔と頭は守らないと危なさそうで。
………………………………たぶん、そのくらいなら間に合うだろう、けど。
でも、痛そうだしなぁ。
いやだなぁ。
………………………………。
死。
ふと思い浮かんだ、このことば、概念、現象。
打ちどころが悪ければ、そうなる、かもしれない。
だって、不運な事故って、世の中には………………………………少ないけど、少ないからこそ、存在するんだし。
そういうのが頭をよぎるくらいには、僕は、それを、……この状態を、死、かもしれないって認識している。
幼女っていうことで、体が20キロもないちっこい体で、だからこそケガをするにしたってきっと軽傷で、運がよければ打ち身程度で済むんだって思っていて、その可能性の方がずっと高いんだって、わかっていても。
どうしても、最悪の状況っていうものを、……いつものクセで、思ってしまう。
死。
………………………………ある意味で救いで、僕の、唯一の肉親のいるそこへ、行ける、それ。
肉体から、わけのわからないこの肉体から解放される、現状で唯一の方法。
死。
………………………………そして、あの世。
空は水平線でぐるりと海と一緒になってくっついていて、おんなじような青い色で、でも、空の方は薄い水色が高いところまで果てしなく続いていて、海はもう少し濃い色とエメラルドグリーンとが混じっていて、ひとことで言えば、とってもきれいで、美しくて。
潮の香りも、波の音も、海から吹いてくる風も、みんなみんな、とってもすがすがしくて、熱くもなく、寒くもなく、まさにちょうどいい感じで。
島だって、どんな人だって夢見ているような、自然豊かで、でもきちんと人の手が入っている程度の、こんもりとはしていない感じの自然な楽園で。
きれいなビーチが広がっていて、砂の粒はさらさらしていて、ゴミはひとつも落ちていなくて、海はしょっぱくって。
あぁ、砂浜だけは気をつけないといけなかったんだったな。
けど、すぐに靴だって履いていることになっていたから、あれはほんの一瞬だけのことで、だからなにひとつ心配する必要はなくって。
ヤシの木みたいなのがいっぱい生えていて、落ちてきたら痛そうで、ぽつぽつと、木とわらとでできた、木陰で休んだりするためだろう建物があって、風情があって。
そこからはいくつかの丘や山、けどそんなにきつくないもの、そこに道がきちんと敷いてあって、そこからの見晴らしも、きれいで。
山のてっぺんからは、ビーチと町との両方が同時に見られて、とてもいいところで。
町だって、ちらっとしか見ていないし、なによりも誰もいなかったんだけど、でも独特の……木がメインだけど不思議な感じの金属が混じっていたり、斜めにくっつけられていたりして、興味深くて。
そして、あの倉庫みたいなところだって、探検してみたら、なかなかに楽しそうで。
五感があったぶん、まるでほんとうに理想の世界で。
………………………………そして、厳密には誰もいない、わけじゃなくって。
黒あめさん、髪の毛が真っ黒で、けど、日焼けして少し茶色がかっていた感じもする、話し好きで、お姉ちゃん、って言ってほしがるアメリ。
元気な子、燃えるような、けど、透明な感じの赤髪のタチア。
おどおどしていて、とても安心できる、輝く金色の髪の毛のノーラ。
そういう子たちが………………………………僕の色違いっていう、想像力がないからか、みんな顔も体つきも同じ感じで、けど、僕とそっくりなのに少しだけ大きい子たちがいて。
ひとりじゃなくて、僕が、僕であることに。
………………………………嘘をついたりして、けど、それを誰にも言えなくて、こうして悩んだりしてきても、いい。
そんな、夢みたいな世界。
探せばきっと、………………………………ひょっとしたらまだ、そのへんをうろうろして、意外とあの世を満喫しているかもしれない、父さんと母さんだって。
…………………………………………………………僕を、待っているのかもしれない。
つまりは冬眠っていうのは、僕が、そこへ行くための。
死っていうのは、そのための。
………………………………。
もし。
もし、死後の世界っていうものが、あの世っていうのが、あんな感じだったとしたら。
こうしてぐだぐだとひとりで悩み続けて、この先何十年も、ひとりぼっちで、ただただ生きていくよりも、いっそのこと、死ぬのも………………………………。
悪くは、ない、かも。
………………………………。
………………………………………………………………………………………………。
◆◆ ◆◆ ◆
いや。
ちがう。
僕には、心残りが。
………………………………まだあの子たちに、ほんとうの意味でのおわかれを、告げていない。
結局あのままにお開きになって、それでもまだ会ったりはできるよね、で終わっちゃった、あの子たちに。
友人として意識して、まだ、いちども。
たったのついさっきに会ったときに意識した、ばかりだけれども。
それに、まだ大丈夫だったら、っていう条件付きではあるけど。
…………………………………………年越しで会うことを、「約束」、しているんだ。
新しい、………………………………「未来の約束」、「予定」、………………………………しなきゃいけないこと、したいこと、が、あるんだ。
いちど……いや、ただでさえ、秋に予定していた、たくさんの約束を破っちゃったんだ。
これでまた破ったり、あるいは、ほんとうに死を迎えて、ほんとうの意味で約束を反故にすることになるなんていうのは。
とても、
◆
◆◆
◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆ちりちりちりちりうるさいけど、今はそれどころじゃない。
それに。
この子たちに、このまま、もう。
2度と会えなくなるなんて。
せっかく僕のことを、………………………………10年ぶりに、ずいぶんと年下の女の子たちではあるけど、でも、友人としてみてくれたあの子たちに、きちんとしたおわかれもせず、「約束」も果たさないまま、このままおわるなんて。
◆ ◆
◆◆ ◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆………………うるさい、僕は今、考えているんだ。
こういうときくらいは、静かにしてくれ。
………………………………。
………………………………。
……おわかれも、約束も果たさず、ただ、このままなんて。
ただひとり、孤独に、公共料金の支払い……は引き落としで、税金は親戚の叔父さん頼み。
思いつきでふらっと、何年も前から……ひと月ふた月は平気でいなくなるし、しかも、冬眠のせいで、最近に3ヶ月もいなかったことになっていたんだ、しばらく姿を見せなかったとしても、お隣さんも、きっと、不審に思いやしない。
だから、叔父さんが、………………連絡を取ろうとして、それでもぜんぜん繋がらないっていうのに気がついて、家を尋ねてきたときに初めて、……前の僕でもなくって、今の僕っていう正体不明の誰かが、廊下の下でホネになっているのを発見する。
いや、ひょっとしたら、死んだら魔法さんも離れて行って、前の僕の亡骸だけが残って、だから、「僕」が死んだっていうのがわかるのかもしれない。
けど、それはどうでもいい。
それよりも、誰にも、僕が、……この世からいなくなっていることにすら、気がつかれないままで。
このまま終わる。
終わってしまう。
……………………………………僕は、そんなのは、いやだ。
だって、なにもかも、中途半端過ぎるじゃないか。
なにより、僕は、あの子たち……友だちに。
まだ、嘘のことを話していない。
怒られてさえいない。
謝ってもいない。
……許されるかどうかはわからないけど、でも、事実を伝え切れていない。
僕が、中身は男だって。
それも、君たちの倍くらいの年なんだって。
でも、友だちとして見てくれて、とても、嬉しかったんだって。
だから。
……10年ぶりくらいにできた友だちに、友だちになったからこそ、とてもつらいんだけど、でも、ほんとうのことを言いたくなったんだって。
だから僕は。
………………………………………………………………………………………………。
なにも見えない。
体の感覚もなくなっている。
きっと、思い切り打ち付けた痛みを遮断しようとした僕の脳みそが、今だけはぜんぶをシャットアウトしているんだろう。
そういうのを、事故に遭った瞬間の回想の話とかで、耳にしたことがある。
だから、きっと。
今の僕は、あちこち痛いはずで、そして、あとは、うまく頭と顔を守れるかどうか、なんだ。
なるべく頭を抱えるようにして、体を丸めて、少しでも守らないと。
………………………………感覚はないけど、きっと、本能的に、死、に対する本能で、そうしているだろうけど。
でも、…………………………………………………………………………………………あ。
目の前がざあっと切り替わって、アメリが僕をぶんぶん振っていて、その遠くでタチアとノーラが走ってきていて、さらにそのあとから、具合の悪そうな顔つきをしながら。
………………………………その、僕を何歳か成長させたような顔つきと体つきをしていて、けどまだまだ中学生を出ない範囲の幼さで、体も少しだけ女の子っぽいのが脚つきからわかるけど、でも、だぼっとした硬めの生地の服装のせいで、それがわからなくて。
けど、顔は、はっきりとわかって。
……髪の毛は光に照らされて、きらきらと銀色に輝いていて、透き通っていて。
重そうなまぶたを限界まで見開いて、その奥の薄い瞳が僕と、ぴたっと合って。
つまりは、その子は、僕を、ただ何年か、過ぎ、させたような。
「――――――――――――――――――――」
聞こえるようで聞こえない、けど、声は僕よりもいくらか大人びている感じで。
その子/ソニア/「響」/僕/「僕」から、なにか、銀色の光が、僕の方へ向かってきて。
◆◆◆
◆◆
◆
僕は、銀色の◆/星に、包まれた。
止まっている時と、迫り来る死と、そして、光。命の危機ですが、それによって、響ちゃんのなにかは変わりました。あとは、待つだけです。