部屋とYシャツと私…じゃないですよ笑
うっかりミスか怠慢か…


イメージ画像ばかりなので
飼い猫がどこかへ行ってしまった
実家と、母のことを書きました。
自分の親なのに、
なんて酷い言い草
なんて意地悪な娘なんだ
…と思われるかもしれませんね。
ただ、学校でも仕事でも住む世界でも
居るのに相応しい場所や
実力に見合った場所…というのがあるように
ん~、相応しくないから出てけ
…ってなるとそれは酷いけど笑、
『合う水』
『住むのに適した世界』
それは、お魚みたいなもんですかね、
観賞用の熱帯魚はドブ川には住めないし、
清流に住む鮎を貯水地に入れたって
すぐ死んじゃうし、
濁りの中で息を潜めているフナは
流れの早い渓流では落ち着いていられないし、
力強く泳ぐ鰹を金魚鉢では飼えないし、
生活排水が流れ込む川で気ままに泳ぐ鯉は
水温水質管理をした水槽では
きっと居心地は悪い
そんな感じかな…って。
私の父と、母は、
中学の同級生でした。
父の家は、代々事業をしていて
終戦後の貧しい世の中であったにも関わらず
“女中さん”とやらがたくさんいたおうちで
私が小さい頃は父の実家に同居していて
まだ残っていた少ない女中さんが
離れに構えていた広い台所の方におり、
私は「ここから向こうには行ってはダメ」と
お祖母ちゃんに言われた記憶が朧気にあります
今はもう70代80代になった
伯父や伯母が皆、
東京の有名私立大学に
行かせてもらったことからも、
お祖父ちゃんは
確かに事業に成功していただろうし
裕福だったことは感じてはいました。
大学を出て皆また事業家となった父の兄弟が
贅沢な暮らしができているのを、
まだ子供だった私は
特別なことだと思っていなかったから、
どの伯父伯母の家に遊びに行っても
驚くこともなかったけれど、
自分が大人になった今思い出してみれば、
すごかったな…と思いますし、
もうすっかり年をとった伯父や伯母のことは
今でも尊敬しています。
ある伯父は、
子供の頃の私が
「犬神家に出てきそうなおうちで気味が悪い」
と怖がったほど
大層立派な日本建築の屋敷に住んでいて
お庭には池があり
錦鯉がたくさんいました。
見えない底はどれくらい深いのか
どんな生き物が潜んでいるのかと
子供の私は怖がって近づきませんでしたが
伯父が自慢げに話す鯉の品種
『大正三色』『昭和三色』『紅白』等は
今でもよく覚えています
勉強家の伯父は博学で多才で
私の中では親族きってのインテリ伯父さん。
内科医になった息子ももう還暦が近い
立派なオジサンになってしまったけど笑、
SARSの時は関西で大活躍をしました。
会社はもう一人の息子が継いでいます。
ある伯父は、
市街中心部から随分離れたところに
広い広い土地を買い、
おうちにはプールがありました。
ヴィラのようなカッコいいおうちとプールの、
伯父の家には
夏休みの度に妹と遊びに行きました
プール付きの豪邸を都会で持つのは大変
広い土地を安く確保できる田舎では
大したことはないのかもしれませんけど
田舎で、それも何十年も前
プール付きの邸宅なんてそうそうなかったので、
私や妹は、いとこがとても羨ましかったです
伯父は都会的で、何をするにも
田舎者の父や他の兄弟とは違っていて
かっこよくて。
うちの父は激しくハゲてるんですけどね笑、
そっくりな顔をしたその伯父は
ロマンスグレーの素敵な紳士で、
外国によく行き、世界中のお土産を
私にくれました。
いとこの女の子も内科医になりました。
産まれた息子くんに障害があって
大変な思いをしていますが、
私と同じ年で、強く凛々しく頑張ってます。
この伯父の会社も、最後にやっとできた息子が
継いでいます。
ある伯母は、
素敵な高層マンションに住んでいて、
伯父が亡くなった後
悠々自適なシングルライフを送っています。
マンション暮らしの親戚もたくさんいますが
皆、最上階角部屋だというのも
なんだかなぁ…と思いつつ笑
皆えらいなと思っています。
なんですかそれは
浅野ゆう子と浅野温子が住んでるとこですか
夜はワイン飲みますか
一日のエンディングにオメガトライブが流れますか
…みたいなマンション
イメージ画像ですが、
実際に伯母の部屋から見える風景は
都会ではなく山と田園の田舎笑
伯母は呉服のお店を経営しているので、
私や姉妹の持つたくさんの着物は
全部伯母のお見立て。
お店は、娘が継ぎましたが、
今はなかなか経営が大変な呉服店も
着付学校を併設したり
着物生地で作らせた和雑貨を卸したり
新しいアイデアで継いだお店を軌道に乗せた、
ガッツ溢れる立派な跡継ぎ。
うちの息子達と同じ年の二人の孫も、
京大と阪大に入ったので
「もう思い残すことはない」と
伯母さんは最近
「そろそろ、
死んだお父さんのところへ逝きたいわ」と
そればかり言うのが私はちょっと悲しいかな。
元オリンピック選手でもあった伯母が、
今は小さく細く、歩くのもやっとで
うちの父はしょっちゅう様子を見に行きます。
私の実家は、
大きな幹線道路を通すため
区画整理の対象になり、
一旦取り壊して建て直すことになり
数年前に新しくなりました。
実家によく似た外観を探しました
レンガ造りの洋館のような家で、
素敵な屋根裏部分があったり
弧を描く窓やサンルームがあったり
ん~なんて言うんだろ?
ヨーロピアン?プロヴァンス風?
よくわかんねぇぇぇぇぇ
完全に、母の趣味です。
今でもかなり広い家ですが、
区画整理の前の古い家は
ものすご~~~い広いお庭の
もっともっと大きなうちで
土地の何割かを減らしましたが、
主要幹線道路が通ったことで
土地の価格が跳ね上がり、
兄弟全員が大きな家を持てるほどの遺産を
全員に遺してくれたお祖父ちゃまのお陰で
父は20代で立派な家を持てた上に、
さらに区画整理で多額が舞い込んだこと
とても運が良かった…と言っています。
この土地は、
山の上にあるお祖父ちゃまの墓地から
見える場所にあったから
遺産で購入したそうで、
全部親父のおかげだ、親父の導きだ、と
父は亡くなった祖父に大感謝をしてます笑
私も、そう思ってます。
こんな家で育った親戚の子供達、
そしてその次の代の孫達、
…は、ほとんどが田舎には留まらず
家の跡目を継ぐ者以外は
日本各地に、世界に、出て
祖先のおかげで
十分な学びの機会や環境を与えられ、
選んだ職種は様々ですが
とりあえず、何か困った時は
身内の中で何とかなりそうな笑、
医師、弁護士、
上級国民と揶揄される国家公務員、
一流企業役員、議員、大学教授、
プロスポーツ選手まで笑
父方の家は、子孫は、繁栄していると
言えるのではないかと思います。
私くらいのもんです、放蕩者は爆
一方、母の実家は地方公務員。
明治生まれだった母方の祖父は、
とある特殊な場所で教鞭をとっていて
祖母はもちろん専業主婦。
母は、高校を出た後
地方銀行に就職をしました。
東京の大学からUターンした父が
「おめー、まだ嫁ってないのか」と
もらってあげた…と言っていましたが
母は、中学きっての美人だったので
当時はね、今では見る影もないけどね、
性別さえも不詳になってきたよね、最近
たぶん、父は中学の頃からずっと
母のことを好きだったのだと思います。
母の実家は、
公務員ばかりでしたから
食べるのもやっと
…というわけではなかったのでしょうけど、
薪でお風呂を沸かすような、
土間のある、
古~い古~い家を
昭和40~50年代に建て替えたものの
母方の実家の跡を継いだ伯父は
技術職で細々と食べていた人なので
画像に似た感じの、
庶民的なおうちは
今もそのまま
手を加えられることもなく
少しばかりの貯蓄とこの家しか
財産を遺さなかった母方の実家は
贅沢をすることもなく
かといって誰もが奮起することもなくて
お祖父ちゃんも、
跡を継いだ伯父さんも、
夕方17時半からビールを飲む生活リズムで
母も、伯父さんも、
そこに住んでいた子供達も
子供らしいと言えば子供らしい
勉強を熱心にすることもなかったし
大人も何も言わない家庭で
塾や大学に行きたい…と言う子は
いなかったけど、
習い事をしてみたい
◯◯ちゃんみたいにアタシも
ピアノを習ってみたい
…と言おうもんなら
ほんのり顔を赤くした親に
「なに言ってんだ、カネなんかねえぞ!」
と言われる、
そんなおうちでした。
父の家に嫁いできた母は、
『エエとこのお嬢さん』の兄嫁や
義姉と親交を深める度に
若い頃はとくに
自分との感覚や育ちの違いを
見せつけられたような気が
していたのだと思います。
「お義姉さんの着てたコートが素敵だった」
「お義姉さんがよく行くお店に
アタシも行きたい」
と言っているのを聞いて、
「お母さんは、伯母さん達のことが
羨ましくてしかたないんだな」
「いつも、お義姉さんがお義姉さんが、
…って言ってるけど
他のことに興味ないのかな」
と、
そして、それを、
夫である父や
まだ小さい私達娘に
グチグチと言うことが
子供心にも嫌でした。
祖父の会社の専務や常務を経て
祖父の跡を継いだ父により
若い頃は多少の苦労もしたであろう母は、
事業拡大したり
業績を伸ばしていく
父と経営会社のおかげで
なんの不自由もない暮らしを
手に入れたのだけれど
なんていうかな、そぐわないというか、
知らないんでね、
例えばね、
バッグが欲しい
予算10万円としましょうか。
腕時計が欲しい
予算100万円でもいいです。
美味しいランチを食べたい
予算5千円でもかまわないです。
私は、10万円目一杯使って
10万円のバッグを1つだけ買う人です。
100万円の時計を1つだけ買う人です。
5千円のランチに1回行きます。
ないものを無理に捻出する無茶はしないけど、
予算これだけ…と確保したなら
その中で最高の物を買います。
その程度の持ち物を身につけての
これから私が生きていく世界でなら、
どこに出てもどんな場面でも
恥ずかしくない
堂々としていられる
最高の1つを持ち、
大事に大事にします。
そうすると、次が欲しくならないので。
おそらく、
5万円のバッグや50万円の時計を買っても
しばらくしたら
「やっぱり10万円のは素敵だなぁ」
「100万円のが欲しかったなぁ」
と思ってしまうんじゃないか…と思うし、
持つ人を羨む自分になるのも嫌だから。
次女は、最も堅実で万能で賢い人でしてね笑
7万円のバッグと3万円のバッグの2つを
買いそうなタイプ笑
これはあくまでも例えです
TPOに合わせて使い分けをするような。
妹も、他人の持ち物を気にしたりはしません。
自分にとっての
その時のベストを選択した後は、
振り返らないタイプ。
母方の実家のお祖母ちゃんだったら
どうしたかしら。
1万円のバッグを買って、
9万円を残しておきそう。
そして、
「あたしゃあね!
1万円で我慢してきたんだよ!!
」
と一生言い続けそう笑
そんなお祖母ちゃんに似た感覚で、
父の元に嫁いできて小金を得た母は、というと
1万円のバッグを10個も買う
毎日毎日
うふふ、うふふ、と言いながら
10日間は悦に入って過ごした後、
ふと、10万円のバッグが羨ましくなり
そのバッグを持つ者を
「贅沢だ」と責め立てながら
10万円のバッグに未練たらたらで
生きていく
1万円のバッグ10個は、
とっかえひっかえ持った10日間を過ぎたら
ポイとそのあたりに放り投げておく
そんなタイプ。
例え、ひどすぎ笑
贅沢な暮らしが可能な金銭も
父から入れてもらい、
立派な邸宅を持った母は
5千円の、いや、それ以上であっても
ちょっと贅沢なランチを頻繁に食べる
金銭的余裕も時間的余裕もあるのに
ソファにトドのように横たわり
1,000円のご飯を5回食べながら
「5千円の、食べたい」と文句言ってる人。
綺麗だった、立派で豪華な
レンガ造りの実家
散々欲しがった薔薇のアーチとお庭は
手入れもされず
雑草だらけでみすぼらしくなり
最高のフローリング材
最高の壁紙
テレビや雑誌に出てくるようだったリビングは
何かを溢したり散らした汚れが
こびりついた汚い壁や床となり
あ、可愛い~
あ、安ッ
…と飛びついた衣類は
黄ばんでもなお捨てず
クローゼットをパンパンにして
わけわかんない
センスゼロな置物や雑貨は埃をかぶり
だらしない自分はあいかわらずで
兄嫁の持ち物や立派な邸宅を羨みながら
あんた達があーだからこーだから
私は…と文句ばかりを言ってる
それが、ものすごく、嫌でした。
父は不自由させていないのだから、
十分なお金は稼いでくれているのだから、
そんなに動きたくないのなら
「高い」とか言わないで
お掃除業者に来てもらえばいい。
ボロボロの網戸も、壊れた金具も、
マメな
手入れやメンテナンスがめんどくさいなら
電話1本かけりゃいいと思うの。
食材も冷蔵庫に入れることすらできないのなら
最初から買わないで
デリバリーかお惣菜にすればいい。
めんどくさいなら買えばいいよ、
作らなくていいよ、
…と父も娘達も言うのだから。
中途半端な物を際限なく欲しがって
整理整頓ができないのなら、
はなから最高級を買えばいい。
よくよく後で考えてみたら
大して素敵じゃなかったわ…と
倒れようが欠けようが
直しも片付けもしない調度品や置物で
部屋を乱雑にしていくくらいなら、
リヤドロやバカラを1つ買って
それだけ磨けばよかったじゃないの。
やたらとおしゃれな照明を並べて
埃だらけにしたまま活用もしないなら
ガレを一つだけ置けばいいじゃないの。
似たようなもんです
いや、もっと乱雑かも
レンガ造りの素敵な大邸宅の中は、こんな風です
片付いていない、というイメージ画像
私は、恥ずかしくて
子供の頃から
実家にお友達を呼ぶことをしませんでした。
自分の部屋だけは、
とても綺麗にしていたのだけど、
お庭も玄関も階段も…と
部屋にたどり着くまでのすべてを
子供の私がピカピカにお掃除することは
できなかったので、
お友達を家に上げることを
頑なにしませんでした。
ドラえもん的な、
門くぐったら私の部屋~みたいな道具を
どれだけ欲しいと思ったか。
ぐちゃぐちゃの家や怠惰な母が
恥ずかしかった、
ただ、それだけの理由です。
だから、
一人暮らしをした独身の時も、
結婚しておうちを持った時も、
離婚してリスタートした時も、
私がすべてを管理できる
私がすべてを好きにできる
家がある…ということが
本当に嬉しくて
私は、病的なほど
お掃除をしてました。
モデルハウスのような部屋でした。
イメージ画像ですが
もはや、これを通り越して
このイメージ画像は、
私が長く住んでいたマンションのリビングに
すごく似ています。
しかし、こんな片付いたリビングで夜中
長男の部屋から抜け出した蛇が時々這っていて
私はセコムがかけつけるほどの悲鳴をあげたことがある
・・・というのは余談
母方の祖母が遊びに来た時に
居心地が
悪そうにしていたことを書きましたが、
それは私の友人も同じで、
何かを溢したりゴミを出したりすると、
「怒られそう笑」と焦っていました。
ダイニングやキッチンも、
実家のような、
母方のお祖母ちゃんちのような、
こんな感じにしていました。
ピカピカに片付けて一日を終えないと、
落ち着いて眠れない…というほどに
掃除をしていました。
載せてみますが、
実際に、私が今日
在宅ワークをしていたお部屋は
こちらです笑
まるで歯医者の待合室です笑
何もありません笑
生活感のある物はすべて見えないところに
収納するのが好きですし、
何かが壊れた、何かで汚れた、
…ということがあれば
すぐに掃除をします。
溢したら拭く、
壊れたら修理する、
不要になったら捨てる、
私にとっては当たり前のことでしたが、
そうでない人がいたとしても
価値観の違い…と触らぬようにしていました。
それでも、
子供の頃から
片付けのできない
だらしがない母が
本当に嫌でした。
結婚から50年が過ぎた現在
父は時々爆発しますが、
もう諦めています。
だから、
飼っていた猫が
母の怠惰や散漫により
いなくなってしまったことも、
可哀想だとは思っているけど
母に腹を立ててはいません。
75年もそうしてきた人に
「きちんとしろ」と言っても
無理だから。
しかたないこと、
そう思いたいので、
長々と書きました。
恨んでもしょうがないことを納得したいので、
こんなことをツラツラと書きました。
それにしても、
片付いていない乱雑な部屋画像を検索すると
「貧乏人の家は汚い」
「物が捨てられない」
と必ず書いてあるのが、
可笑しかったです(´・ω・`)
在宅ワークを終えてから、
預かっている甥っ子のお世話が
大変だろうと思って
実家に行ったのですが
どしゃ降りの雨の中、
父が猫を探して
周辺を歩き回っていました。
「お父さん、今日はもう帰ろうよ」と
私が声をかけると
「ほんの数日前まで、おまえやユウの
膝の上に乗ってたのにな・・・」と言い
私が返事をできないでいると、
空気を変えようとしたのか
「毎日万歩計が1万になるまで
この辺りを探してんだ、ハハッ
スマホ、便利だな!」
と笑っていました。
父は、優しい人です。
父と私と次男が、
実家に上がると
父がずぶ濡れで猫を探し回っている間も、
母は
ソファに寝転がって
お菓子を食べながら
韓国ドラマを見ていました。
韓国ドラマの『検事プリンセス』は
財閥のお嬢様が検事となり、
未解決事件を勇気と行動力で解決していく
韓国ドラマにありがちな笑、
現実味はないドラマですが、
その中に出てくる
財閥の会長であるパパは、
放蕩の一人娘を法学部に入れ
検事にするために必死になります。
会長の妻である、検事プリンセスのママは
夫や一人娘がいない間
大邸宅で食べてばかり寝てばかり笑、
丸々と太り、怠惰な暮らしをしながら
文句ばっかり言っている
世俗的で品のない妻に
会長パパは怒ってばかりなの。
・・・これも余談です笑
韓国ドラマって、
財閥や一流企業経営家族というセレブ(相手役)
貧しい暮らしをする庶民中の庶民(ヒロイン)
それぞれの家族の対比が極端で
可笑しいんだよね~!
・・・見てるぶんにはね
私は、ソファに横になって
ドラマを見ながら
クスクス笑っている母を見て
全部、
しかたのないことだ
済んだことだ
…と思いました。
猫、どこかで雨宿りできてるといいなぁ。
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