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悪女ファウステリアの最期 作者:黒井雛
21/64

【21】

 ここぞという時に外れたことがない勘は、不吉な未来を必死に警告している。

 だが勘は、所詮は勘。

 いかに精度が高かろうが、信頼されるものではない。


 実際ファウステリアが兵として登用されてから、幾度もリュークに彼女の除隊を進言しているが、苦々しい笑みとともに却下される。

 尊敬するリュークはきっと、自分のことを根拠もない迷信を盲信する差別主義者だと思っているに違いない。そう思うと、胸が痛む。

 だが、例え敬愛する存在から侮蔑されることになっても、ジーベルトはファウステリアを除外しようとする態度をやめようとは考えなかった。

 もし自分が口を噤めば、全てはきっと、あの不吉な女の意のままになる。

 心から忠誠を誓っているリュークが統治するこの国を、あんな女の意のままにはさせまい。

 ジーベルトは例え誰一人として賛同者がいなくても、自分だけはファウステリアの邪悪性を訴えようと心に誓った。

 それが例え自らの部下にすら届いてないとしても、ジーベルトは彼女を批判し続ける。

 それが愛すべき祖国の破滅に対する、妨げになることを信じて。


「あの女は…。…っ!?今すぐに武器を構えろ!!魔物が襲ってくるぞ!」


 そんな自分の胸の内を語ろうと口を開いたジーベルトは、ふいに鮮明に感じた気配に、カッと目を見開いて叫ぶ。

 感じるのは、毒々しいまでの殺気を孕んだ魔物の気配。

 ジーベルトは、いつでも手にとれるように脇に置いていた自身の剣を抜剣する。


「…北だ!!北の方から魔物が…」


「うわああああああ」


 ジーベルトが気配の方向を察した瞬間、北側から悲鳴が鳴り響く。

 先程小用を足すために、部下の一人が北へと向かっていた。

 聞こえてきた悲鳴は、彼が魔物に襲われたことを意味していた。

 今さら駆け付けたところで、恐らくは間に合うまい。


 ジーベルトは冷静な判断で、彼を見捨てる選択をし、部下に戦闘態勢をとらせる。

 一人でも多く部下の命を救う為には、切り捨てることも必要だ。

 

 周辺の部下が投げおいていた武器を携帯した瞬間、木々を切り倒すようにして現れた、その魔物は。



「…バジリスク!?」


 そこには、見たことが無い程巨大なバジリスクが、牙を剥いていた。

 バジリスクは通常は、大人の大きさ程の体調しかない。

 ドラゴンに匹敵する程の大きさのバジリスクが存在するなど、聞いたこともない。


「鏡の盾を、すぐさま使え!!絶対に直接瞳を見るな!!」


 バジリスクはその体躯の大きさに似つかわしくない素早さで、ジーベルト達に襲い掛かってきた。


 ある部下は、その巨体に投げ飛ばされ。


 ある部下は、その毒牙にかけられ。


 ある部下は、その死の瞳を直接見たことで、死に魅入られ。



 瞬く間に死体が量産されていく中、ジーベルトは最善と思われる策を叫ぶ。

 毒牙も巨大な体躯も危険だが、その瞳を見さえしなければ、何とかなる。

 バジリスクより遥かに高レベルなドラゴンとも対峙してきた部下達だ。瞳を見さえしなければ、牙や巨大な体躯による攻撃は避けることが出来る実力は持っている。

 いくら素早かろうが、巨大だろうが、瞳さえ直接見なければ、倒すことは出来る。


 しかし、鏡の盾を通じて、巨大なバジリスクの鋭い目と視線が合った瞬間、ジーベルトは硬直した。






(…なんで、自分はこんな恐怖を抱えながら、生きているんだろう)



 鏡ごしで視線が合っただけの筈なのに、ジーベルトの頭の中で、突如自分そっくりの声が響く。



(死に怯え、死を恐れる日々。怖い。怖くて仕方ない。それなのに、そんなに辛い思いをして必死で戦っているのに、誰も俺の訴えを信じてはくれない。悲しい。寂しい。堪らなく孤独だ。誰も、俺の考えに本心から寄り添ってはくれない。あぁ、俺は何のために生きているのだろう)


「…やめろ」


(死ぬのは怖い。ずっと、そう思って生きてきた。だけどよくよく考えてみろ。生きる方がずっと怖くはないか?死ねば、恐怖は何も考えなくて済む。死にさえすれば永久に俺は何も考えなくて済むんだ。それこそが、真の安らぎなのではないか?死を恐れながら、苦痛を抱えて生きるより、ずっと良いのではないか)


「やめてくれっ!!」


 耳を塞ぎながら必死に叫ぶジーベルトを嘲笑するように、響く声は段々と大きさを増していく。

 何十、何百ものジーベルトが、ジーベルトに、生きることの辛さと死の甘さを囁く。

 脳内を揺さぶるように響く声に、ジーベルトは徐々に浸食されていく。





「…あ」


 気が付けば、ジーベルトは、手に持った剣を自身の首筋に当てていた。


(そうだ、苦痛は一瞬。その後は、永久の安らぎが俺を待っている)


「違う…死は、安らぎでは、ない」


 乾いた唇で、ジーベルトは脳内で囁く誘惑に抗うように、必死で言葉を紡ぐ。


(何が違うんだ?)


「人間は…生きる為に、生れてくるんだ…死は、終わり…それに救いを見出すことは、間違っている…」


(ならばお前は、恐怖に満ちた生を諦観することこそが、正しいというのか?それを受け入れることが正しいと、そういうのか?)


「それは…」




 死ぬのは、こわい。


 だけど、生きていくことの方がずっと、こわい。


 自分はもう、十分、生きた。


 ならば、もうそろそろ終わらせていいのではないだろうか。


 恐怖から解放されても良いのではないだろうか。



「…あ、あ、あ」


 ジーベルトの手は意志と関係なく勝手に動き、手に持った刃を深く食い込ませる。



 ジーベルトは自身の手と、自身が持つ剣の刃に、何度も交互に視線をやって





 ――やがて、にっこりと満足そうに微笑んだ。


「…これで俺は、ようやく恐怖から解放される」



 躊躇いなく手に力を込めた瞬間、鮮血が、ジーベルトの首筋から噴き出る。

 ジーベルトは流れる自分の血を、しばし焦点が合わない目で見つめながら、静かに目を閉じた。



 絶命する瞬間、どこか遠くで、女の甲高い笑い声が聞こえた気がした。


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