ソフトバンク新社長、東大卒だらけの中から選ばれたのは、「偏差値35の花園大卒、しかも文系」
「5兆円企業」のトップに抜擢されたのは、「無名大学出身」の男だった。だが、いま社会を大きく動かす経営者はそんな叩き上げばかり。「良い大学を出れば良い人生が送れる」時代は、もうどこにもない。
ダークホースだった
「僕は『4流大学』出身ですからね。孫(正義)さんからはよく冗談交じりに『お前はいまの新入社員だったら、ウチの会社には絶対入れないぞ』と言われました」
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はにかんだような表情でそう語るのは、『ソフトバンク』の副社長兼CTO(最高技術責任者)の宮川潤一氏(55歳)だ。
1月26日、ソフトバンクは4月1日より、宮川氏が社長兼CEO(最高経営責任者)に就任することを発表した。前任の宮内謙氏(71歳)は会長に、会長だった孫正義氏(63歳)は「創業者取締役」という役職に就くという。
「ソフトバンクには営業畑の副社長兼COO(最高執行責任者)が2名いて、彼らのどちらかが次期社長だろうと目されていました。それが、CTOであるとはいえ、ダークホースだった宮川氏が抜擢されたため、驚きが広がりました」(全国紙経済部記者)
関係者が驚いたのは、それだけではない。ソフトバンク内には東大、京大や海外の有名大出身者などがひしめく中、宮川氏は「花園大学文学部仏教学科」出身。この異色の経歴が話題を呼んだ。
'49年に創立された花園大学は臨済宗妙心寺派の仏教系大学で、在籍していた著名人といえばチュートリアル・徳井義実や清水寺貫主の森清範氏など。全国的には決して知名度は高くない。大手予備校の調査では、仏教学科の偏差値は「35」となっている。
「宮川さんは愛知県犬山市の出身。ご実家が禅寺だったため、花園大学の仏教学科に進まれたようです。禅寺の息子だからかはわかりませんが、肝は据わっていますが腰が低いという、好人物です」(元ソフトバンク社長室長の嶋聡氏)
宮川氏は'88年にこの花園大学を卒業後、会計事務所勤務を経て26歳で焼却炉メーカーを立ち上げた。その後、勃興し始めていたインターネットに目をつけ、'91年にインターネット関連企業を起こす。宮川氏が語る。
「自分で会社を経営していた頃から、大変な努力をして大学に入った人たちに早く追いつかなければいけないという思いで働いていました。
大きなハンディキャップを抱えていると思っていたので、それこそ最初の10年間は365日会社に行き、毎日15時間働きました。『絶対に這い上がってみせる』という気持ちでしたね」
'02年にブロードバンドサービスを手がける『東京めたりっく通信』などの社長に就任、'03年にソフトバンクグループに入った。東京めたりっく通信で会長を務めていた、東條巌氏が語る。
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「宮川君は、一言でいえばエキセントリック。常識がないという意味ではなく、とにかく発想や感性がユニークなのです。
ソフトバンクグループに入ってからも何度か会いましたが、そのときには『ソフトバンクとKDDIを合併させて、NTTに負けないぐらいにしたいんです』と言っていた。常に人とは違う発想をする人物です」
ソフトバンクグループではソフトバンクBBやソフトバンクモバイルで中核事業に携わってきた。'14年には孫正義氏によって巨大赤字に苦しむ米携帯大手『スプリント』に送り込まれ、技術担当役員として経営再建を担った。
CTOに就任してからは、通信インフラとテクノロジー全般を統括するなど、孫氏の懐刀として活躍してきた。
「非有名大」卒社長は続々
ソフトバンクの元社長室長で、現在は英語コーチング『TORAIZ』を運営する三木雄信氏が語る。
「宮川さんが社長に選ばれた理由は、ひとつは創業社長の経験があること。経営ビジョンを社員や多くの人に提示することができる。そして、CTOを務めていたことからもわかるように、テクノロジーに通じています。さらに、スプリントの再建という海外経験もある。そういった点が評価されたのではないでしょうか」
ソフトバンクの新社長になる宮川潤一氏 photo/gettyimages
学歴というモノサシではなく、経験と能力という点が率直に評価され、抜擢につながったというわけだ。
しかし、この傾向はソフトバンクだけに留まらない。多くの企業でも、非有名大卒、高卒といった経歴の経営者たちが続々と活躍している。
「僕はよく冗談で『東大出身です』と言います。そのあと、『あ、ごめん、海が抜けていた』と加えるようにしているんです」
笑いながらそう話すのは、槙野光昭氏(47歳)。東海大学政治経済学部を卒業後、『価格.com』や『食べログ』を運営する『カカクコム』を創業した人物だ。現在は、美容室の運営を行う『オニカム』の社長を務めている。
槙野氏は大学卒業後、パソコン周辺機器メーカーに就職するも、すぐに退社。'97年に『価格.com』の前身となるサイトをオープン。すると、パソコンなどの商品の最安価格が一目でわかるという斬新さがうけ、瞬く間に人気を呼んだ。
ハンデはあるのか
時の人となった槙野氏だが、宮川氏と同様に、経歴による「ハンデ」を感じていたという。
「カカクコムを創業したとき、周りの経営者仲間たちの学歴の高さに驚いたことを覚えています。
彼らの学生時代の友人もまた一流企業などに就職しているので、ネットワークの広さが僕とはぜんぜん違いましたね。彼らは、それこそ一流企業にいる友人に一声かけただけで、事業計画が進むこともある。そこはかなりハンデを感じていました。
僕が他の経営者と比べて勝っていたのは、仮説のセンスじゃないかと思います。
ビジネスって、『いまこんなサービスが欲しいとみんな思ってるんじゃないか』など、仮説を立て、それを実践していくことの繰り返しだと思うんです。その仮説の立て方については、センスがあったのではないかと思います」(槙野氏)
カカクコムは躍進を続けたが、学生時代から「5億円稼いだら引退する」と宣言していた槙野氏は、'01年にカカクコムを売却。同社は現在、時価総額6000億円を超えている。
一時は悠々自適の生活を送っていたが、'14年に美容室『ALBUM』を創業。現在は計7店舗を展開、EC事業もスタートさせるなど、新しい世界で活躍している。
「着実に結果は出ていますが、ゆくゆくは資産1000億円を目指すという目標でやっています。その資産で何か日本全体にとってプラスになることをしたいと思っているんです。それまでは、カカクコムのときと同じように、朝から晩まで働きます。
僕は学歴というのは、車でいえばエンジンだと思うんです。エンジンの排気量が大きければ、確かにレースをするときに有利ですが、同時にタイヤの性能や、シャーシ(枠組み)、そしてそれらのバランスも同じぐらい大切なんじゃないかと思います」(槙野氏)
いまや非有名大卒の経営者の活躍は、枚挙に暇がない。
『丸亀製麺』などを展開する『トリドール』の粟田貴也社長は神戸市外国語大学中退。多数の人気ユーチューバーを抱える『UUUM株式会社』の鎌田和樹社長は都立竹早高校卒、『株式会社ZOZO』前社長の前澤友作氏も最終学歴は早稲田実業高校卒だ。
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ウェブマーケティングなどを行っている『オリナス株式会社』の社長、大関綾氏(28歳)も学歴にとらわれない経営者だ。皮革製品などの企画販売を行う『ノーブル・エイペックス』を創業したのは、なんと高校2年の時だった。大関氏が語る。
「私は8歳からパソコンに触れるようになり、フォトショップを扱ったり、自分でホームページを作ったりしていました。叔父が会社を経営していて、ウェブ関連の知識があったことから、ちょっとした手伝いを頼まれるようになった。
そこから漠然と経営者という夢を持つようになりました。14歳のときに神奈川県主催のビジネスオーディションで最年少で賞を獲得し、17歳で起業したんです」
百貨店の社長に直接面会依頼の手紙を書くなど、体当たりの営業も行い、女性向けタイなどのヒット商品も出た。'18年からは社名をオリナスに変え、ウェブ広告やマーケティングなど、業務範囲を拡大している。
「私も一応大学に入学はしたんですが、すぐに経営との両立は難しいと考えて、1週間で中退しました。ただ、私の経験でいえば、学歴がなかったことでデメリットを感じたことはありません。
確かに受験というシステムは一定の記憶力や継続性を測定する指標になると思います。ですが、特に経営に関しては、ポイントはそこではないと思います。経営者に必要とされるのは、決断力や調整力、コミュニケーション能力、ストレス耐性など、学力以外の能力が必要とされると身をもって感じました」(大関氏)
東大でも生き残れない
かつては東大を頂点とした有名大学を卒業していれば、人生における一定の成功が保証されていた。東大生の人気就職先といえば、かつては中央官庁、'80~'90年代なら都市銀行であり、その中で学歴に応じたそれなりの将来が約束されていた。
『東大を出ると社長になれない』の著者で、東大院卒の水指丈夫氏が語る。
「東大生は、親が有名企業勤務など、良くも悪くも『ちゃんとした家庭』で育ったタイプが多い。そうした家庭で育った子供は、自分もそれを引き継ごうと考え、親世代に輪をかけて安定志向になるんです」
しかし、近年は自分でベンチャーを起業する東大生も増えている。もはや学歴はあてにならず、成功するためには、東大生であってもリスクを取らなくてはならない時代になったのだ。
ソフトバンク「新社長」の宮川氏はこう語る。
「いまの若い社員たちは、すごく優秀なんですよね。インターネットのことも熟知していますし、こちらが教えることがないぐらい(笑)。そういった意味では、学歴というのも大切だとは思います。
ただ、同時に所詮大学なんて4年間ですし、そこから社会人になって30年、40年とやっていかなければいけない。社会人になってから、どう努力するかというほうが重要だと思います」
かつて輝いていた東大卒という肩書は意味を成さず、試されるのは実力のみ。この社会の変化が、日本経済復活の原動力となるだろうか。
『週刊現代』2021年2月20日号より