photo by istock

写真拡大

マスコミには「お前が言うな」としか思えない

菅首相の長男が勤務する衛星放送関連の企業が、総務省の幹部らを接待したことが問題になっている。

総務省は24日、関係者の処分を公表したが、それによれば、接待を受けて処分された官僚は11人で、延べ36回だった。このほかにも、内閣広報官も、総務省を退職したので処分を受けないものの、7万円の接待を受けていたことが明らかになっている。

この報道ぶりをみると、マスコミの本質的な問題点が浮き彫りになるので、今日のコラムはこれを取り上げよう。はっきりいえば、「お前が言うな」だ。この典型は、消費税軽減税率を受けていながら、財政再建・増税を主張する新聞だ。

今回の発端は、『週刊文春』2月11日号の「菅首相長男 高級官僚を違法接待」(『週刊文春』2月11日号)だ。

「週刊誌はマスコミではない」と豪語する新聞記者もいるが、新聞やテレビと比べると、週刊誌のほうがまともにやっているように見える。

週刊誌で菅首相長男を見出しにするのは、まあ仕方ないだろう。しかし、これを追随する新聞、テレビが情けない。2月8日付け本コラムで書いたが、先進国では新聞がテレビを支配下にするのは一般的に認められていないが、日本ではテレビはほぼ新聞の系列会社になっている。

テレビは、放送免許により総務省の監督下にある。なので、テレビと総務省の独特な関係がネックになって、テレビや新聞ではまともに報道できないのだ。独特な関係を表すのが、「波取り記者」だ。

photo by istock

筆者は官僚時代の2006年当時、竹中平蔵総務大臣補佐官を務めたことがある。総務省での筆者の仕事部屋は大臣室の隣にある秘書官室だった。筆者とは面識のない多数の方が秘書官室に訪れ、名刺を配っていく。

汚職の萌芽はそこかしこにある

筆者も秘書官室の一員であるので、名刺を頂いた。それを見ると、メディア関係の方々だ。その中には「波取り記者」と呼ばれる人も含まれていた。

「波取り記者」の「波」とは電波のことだ。「波取り記者」とは、記事を書かずに電波・放送利権確保のために電波・放送行政のロビイングをする人たちだ。つまり、総務省への接待窓口を行う人たちだ。

筆者は大蔵省に入省したので、行政のロビイングをする人たちを知っていた。かつての金融機関の「MOF担」だ。MOFとは大蔵省の英訳Ministry of Financeの意味で、まさに大蔵省担当で、当時の出世頭の金融機関の人だ。

彼らは大蔵省へ直接出社し、日頃は大蔵省内をぶらぶらしている。忙しくない大蔵官僚を見つけると、世間話をしながら、夜の接待や週末のゴルフのアポイントメントをとり、接待やゴルフでは、その金融機関の幹部と一緒に、大蔵官僚を接待していた。

もっとも、1998年には大蔵省接待汚職事件があり、収賄で逮捕者も出た。また、逮捕までいかなかったが、大蔵省内で112人が処分を受けた。それ以降、金融機関にはMOF担はいなくなったが、2006年の総務省には、同じような役割の波取り記者がいたので、多少面食らった記憶がある。

この大蔵省接待汚職事件を契機として、1999年に国家公務員倫理法が公布、2000年に施行された。

ざっくり当時の公務員の感覚をいえば、それ以前の接待は収賄の対象で、その相場はおおむね100万円。100万円を超えると、収賄で逮捕されるが、それ以下ならまあ許されるという感覚だった。

実際、大蔵省スキャンダルでは公務員も何人か逮捕されているが、彼らは実際には300万円以上の接待を受けていた。

もっとも、100万円という当時の相場は、官僚側が勝手に思っていた数字であり、何も根拠もない。実際には、社会通念で変わりうるので、今なら50万円とかもっと低いかもしれない。

「全職員調査」を提言すべき

ただし、100万円未満はいいとなると、社会通念とずれるので、国家公務員倫理法が作られ、5000円以上の利益供与があれば届け出ること、特に飲食では1万円以上を届け出るとされた。

ということは、100万円未満の接待でも、1万円以上は事実上禁止だ。どうしても飲食したいなら、自腹で割り勘なら接待にならないのでいいとなった。

今回の総務省接待問題については、菅総理の長男が勤める放送事業会社が総務省官僚を接待していた。まるで、かつての接待事件を見ているかのようだ。ただし、金額を見ると、贈収賄というより国家公務員倫理法・倫理規定違反だろう。

しかし、新聞やテレビは、菅首相の長男ばかりに焦点をあて、倫理法上の利害関係者かどうかを問題にしていた。利害関係者は外形基準なので簡単に該当するとわかるが、それでも長男に焦点をあてていた。

長男を「波取り記者」と置き換えたら、問題の本質がでてくる。倫理法上、「取材活動をしている記者は一般には利害関係者に該当しない」とされている。しかし、「波取り記者」は、記事を書いていないのだから、彼らが取材活動をしているとは言えないので、厳密には倫理法上利害関係者に該当するだろう。

要するに、波取り記者はかつての金融機関のMOF担と同じく接待窓口・要員であるといってもいいだろう。

波取り記者には言及せずに、菅首相長男ばかりをいうのが、マスコミである。大蔵省接待汚職事件の時には、すべての金融機関との接待を全職員に対して調査した。

今回も、すべての放送事業者都の接待を総務省全職員に対して調査してもいいはずなので、マスコミはそうした提言でもすればいいものを、筆者は聞いたことがない。

筆者の官僚の時の感覚からいえば、局長級が接待を受けていることをその下の者はわかる。ちょっと気の利いた下級官僚であれば、局長級の夜の予定について、秘書からそれとなく情報を入手しているものだ。そのほうが、会議の終わり時間がわかるので、自分の案件をスムーズに進められるからだ。

「菅おろし」しか出てこないのはなぜ?

ということは、局長級のやっている接待をその部下はある程度つかんでおり、その範囲までは許されると思うものだ。つまり、今回の局長級の接待は、総務省から見れば氷山の一角であろう。

この際、膿を出すためにも、総務省全体での接待調査をぜひ行ったらいい。そうなると、波取り記者の役割はどうなのかもはっきりわかるだろう。

今回の事件そのものについて、筆者の見解はシンプルだ。首相の長男が接待窓口であったかどうかより、国家公務員倫理法上の問題だ。つまり、自腹で割り勘をしなかった官僚側の問題だ。

総務省調査によれば、A氏は7回接待受け、6回は自腹で一部支払っているが、それでも4万6000円の利益供与(接待額-自腹分)を受けたとされる。A氏はもう少し自腹で払っていればよかったのに残念、無念だろう。言い方を換えれば、その4万6000円で生涯数千万円の逸失利益となったわけだ。

マスコミ報道では、自腹割り勘は難しいとの官僚側の意見がしばしば出される。筆者からみれば、そうした意見はこれまで自腹割り勘をやってこなかった官僚の言い訳にすぎないことが多い。

自腹割り勘をしようとすると、たしかに相手から困ると言われるが、そこで自腹割り勘でないとこっちがクビになるといえば、受け入れてくれる。接待している人がクビなら接待の意味がなくなるからだ。

実は、そこまでいくと官僚側に有利にあることが多い。というのは、接待側は接待費用全額を交際費処理するので、自腹割り勘分は、接待側の懐に入ることが多い。

となると、官僚側にとっては相手の弱みを握ることになるからだ。このくらい接待はビジネス上の真剣勝負と見た方がお互いのためだ。

マスコミ報道で不満なのは、首相の長男というアジェンダ設定であるが、その結果、菅政権おろししか出てこない。本来は、総務省の利権構造が問題なのだが、今後の建設的な意見が出てこない。

総務省の権限のままでいいのか

放送行政の透明化となると、すぐ思いつくのが電波オークションだ。本コラムでも、2016年10月8日「新聞テレビが絶対に報道しない「自分たちのスーパー既得権」など何回も取り上げている。

電波が入札(オークション)ではなく、割当なのは先進国で日本だけだ。割当するのが総務省だから、利権になるわけで、入札にすれば、放送行政の透明性は格段に向上する。

というわけで、今回問題となった衛星電波でも入札すればいいという意見は自然だろう。もちろん、電波オークションと聞くだけで、系列テレビ局の一大事と思考停止になるマスコミばかりだから、この発想は出てこない。

ただし、衛星システムに用いる電波は、オークション後に外国の無線局との周波数調整が必要になるので、オークションにはなじまない。実際、海外でも衛星システムでの周波数オークションはほとんど行われていない。

ここまで考え得るマスコミはほとんどいないだろうが、いわゆる電波オークションは完全な解決策とはなりにくい。

しかし、衛星放送の割当については、総務省がやる必要もない。たしかに、衛星電波でオークションはしにくいが、その先のソフト事業者へのスロット(トランスポンダ)の割当は総務省が行わずに、衛星運用会社が公正なルールでやればいい。

こうした議論は、これまでも総務省内でも真剣に議論されたこともあり、規制改革会議で取り上げられたことがある。

今回の接待では、一部音声データが出ており、その中の一部は、こうした議論の内幕でもある。ところが、マスコミは、議論の中身もわからず、さらに掘り下げて報道できていない。これも、今のマスコミで情けないところだ。

このスロットの割当を総務省の権限のままにしておくと、総務省も接待を受けてスロットを割り当てたといわれてしまうだろう。今後の問題再発防止策として、スロットの割当は総務省以外で公正ルールにより行われるべきだ。