【19 】
バジリスクが目覚めた場所から、そう遠くない南方の山の麓。
夜営を張り、火を囲みながら酒を酌み交わして談笑する一団があった。
「いやぁ、さすがジーベルト将軍です!!襲いかかる複数のバジリスクを軽やかにあしらって、瞳に剣を突き刺した瞬間とか、俺、感動しました!!」
「……たかがバジリスク程度、大したことはない」
興奮したかのように拳を握って、尊敬を露にする若い部下を一瞥すると、ジーベルトは自嘲の笑みを浮かべながら、杯に注がれた強いだけの安酒を煽った。
「あの化け物なら、もっと手早くより多くのバジリスクを討伐しただろうよ」
「化け物…?」
ジーベルトは苦々しい表情で、酒精を帯びた息を吐き出した。
「あの紫水晶の化け物のことだ」
ジーベルトの言葉に、別の部下が、あぁと頷いた。
「『贖罪の英雄』殿のことでしたか」
「あぁ?英雄だと?」
近頃流行りだした通り名を口にした瞬間、鬼の形相で詰め寄ってきた上司に、発言した兵士は顔を蒼白にして必死に首を横に振る。
「俺じゃない、俺が言ったわけではないです!!ただ、なんか平民たちの間で、あの女がそう呼ばれているのを、聞いて…」
「あの化け物の、何が英雄か!!」
ジーベルトの手の中の素焼きの杯が、手の圧に耐えきれず粉々に砕けちる。
ジーベルトの手と足元は溢れた酒で濡れるが、興奮するジーベルトは気付いてもいない。
「魂まで呪われた女!!今世は勿論、来世でも救済を赦されることがない罪人!!あれを、英雄と称するなんて、気が狂っている!!英雄と言う名は、リューク様にこそ相応しい!!あれを英雄と呼ぶことは、リューク様の名を汚すことだ…っ!!」
ジーベルトの怒鳴り声に、比較的年長の兵士は心底同意するかのように頷くが、若い部下は感情を押し隠しながらも、どこか嫌そうな表情を浮かべる。
先王リュークの全盛期を知る年長者と違い、彼らはリュークの英雄伝説を物語の中でしか知らない。
そんな彼らが、老いた英雄よりも目の前で次々と伝説を作っていく人物に惹かれるのは、致し方ないことであろう。
しかも「贖罪の英雄」ことファウステリアは、紫水晶の瞳を持っている不吉な存在てあるとはいえ、見たことがないほど若く美しい女性だ。
性格も控えめで謙虚。
紫水晶の瞳さえなければ、求婚者が列をなして彼女に群がることが容易に予想できる程、彼女はとても魅力的だ。
そして忌まわしいと嫌われるあの瞳さえ、若者の情熱の前では、さして障害にならない。
一般的に宗教心は、都会よりは地方、若輩者よりは年配者に深く根付く感情だ。都出身が大多数を占める兵士たちの間では、紫水晶の眼に対する嫌悪は薄かった。
紫水晶の瞳を持つ人物が、本当にこの世にいたことを、彼女を見て初めて知った者も多い。
そんな若い兵士達は、「紫水晶の瞳だから」ただそれだけで、ファウステリアを非難することはできない。
ファウステリアは基本的に一人で魔物討伐を行うが、時たま先王の命令で兵士達と合同で討伐に向かう時もある。
絶世の美貌と、他者を圧倒する強大な異能。
それをまじまじと近くで見せつけられて、彼女に魅かれないのは難しい。
「――あのう、どうしてジーベルト将軍は、彼女を嫌うのです?」
一人の若い兵士が思い切って口火を切った。
「自分には彼女が、強大な力を持ちながらも、全ては自身の罪を償う為にと人民や先王陛下の為に尽している姿にとても好感を持っています。だからこそ瞳の色だけで断言するジーベルト将軍は間違っていると思います。何故、ジーベルト将軍は、そうも嫌うのか理解できません」
「――そうか、理解できないか」
一層激昂するかと思われたジーベルトは、意外にも落ち着いた声色で言葉を紡ぎ、そっと目を伏せた。
「嫌いなぞではない。そういう次元ではない」
ジーベルトの声は微かに震えていた。
「理屈ではない。俺はあの女が、紫水晶の瞳と逸話と関係なく、禍々しいものにみえて仕方ない。」
ジーベルトは手についた割れた杯の欠片を払うと、ひどく真面目な表情で部下達を見据えた。
「そう、きっと、俺はあの女が怖いのだ」