【17】
「ファウステリア…」
リーシェルの目から流れる涙が量を増した。
「貴女は、どうして、そんなに強いのだ…」
深い憧憬と自嘲を秘めたその目を、リーシェルはすがるようにファウステリアに向ける。
父親とよく似て、分かりやすい男だ。
「私は、貴女の強さが羨ましい…私にそのような強い心があれば…」
リーシェルが切々と語ったのは、大方予想通り内容だった。
英雄である父親、リュークと比較されるばかりの自分。
お飾りでしかない王としての地位。
名門貴族と王家との絆を深める為に嫁いできた妃ラミアは、少しも自分を愛しておらず、ことある毎に侮蔑の言葉を投げかけてくるということ。
あまり人付き合いがないファウステリアですら幾度も耳に挟んだ、王宮内の噂話のままだ。
つまりそれだけ、リーシェルが自らの悲痛を周囲に垂れ流しているということだろう。
(――くだらない)
ファウステリアは内心で唾を吐き捨てる。
お飾りの王だろうが何だろうが、それしきの苦痛で、贅沢な食事が出来て、良い服を着て、豪奢な屋敷で暮らせるならば安い代償ではないか。
無能な役立たずが家から追い出されて、そのまま野垂れ死ぬことなんて、下層階級では珍しくはないことだ。
ただ存在しているだけで、生活が保障されている癖に、なぜその幸運を自覚しない。
なぜ、泥をすするように、誰よりも惨めに生きてきたファウステリアを羨ましいなどと言えるのだ。
たかだかパン一切れを得るためだけに、体を売ったことも、人間扱いなどされない理不尽な暴力に耐える必要もなかった男が。
自らが恵まれた存在であることを自覚せずに、取りまく悲劇に酔う人物こそ、腹立たしいものもいない。
「――リーシェル様と、リューク様は別の人間です。リューク様にはリューク様の、リーシェル様にはリーシェル様の良さがあります」
だがファウステリアの唇は、内心の毒とは裏腹に、優しく甘い耳障りの良い言葉を紡ぐ。
慈愛に満ちた、優しい表情を変わらずリーシェルに向ける。
「……私に父上に敵うところなど…」
掠れた声でそう言いながら、目を伏せたリーシェルに、ファウステリアは笑みを浮かべて首を横に振る。
「リーシェル様は、お優しい」
(気が弱い男ほど、自分の弱さを、「優しさ」などという甘い評価にすり替えたがる)
ファウステリアは未だ握ったままだったリーシェルの手を、自らの頬に押し当てた。
「私のごとき呪われた存在が、無礼にも、このように手を触れておりますが、リーシェル様は振り払うことはしません。これは、リーシェル様がとてもお優しい心をお持ちだということの証明です」
「ファウステリア…」
「どんなに優れた能力の持ち主でも、優しく高潔な人物でなければ、優れた王様にはけしてなれません。そしてその心はけして、お金では買えないかけがえのないものです」
「…かけがえの、ない」
「リーシェル様は、リーシェル様です。貴方は貴方のままでいい」
紡ぎだすは、甘い誘惑の言葉。
堕落へ誘う、悪魔の囁き。
そのままでいいはずがない。
リーシェルは顔立ち以外にこれと言って優れた長所などなく、率直に言ってしまえば無能な王だ。
必死に努力をしたところで、ほぼ間違いなく英雄であるリュークと並び立てる器ではない。
だが、努力をやめれば、今以上に状況が悪化することは目に見えている。
現状維持は後退だ。
成長無きまま足踏みをするのは自由だが、時は、周囲は待ってくれない。
このままでいれば、時間が経てば経つほど、リーシェルの評価は下がっていく一方であろう。
万が一リュークに何かあってリーシェルが国の頂点に君臨すれば、国は傾くのは避けられない。
それでもファウステリアは、そんな誰が見ても明らかな事実をひた隠しにして、リーシェルが心の底で一番望んでいるであろう言葉を口にする。
「貴方は、貴方のままで、素晴らしい国王です。無理に先王陛下のようにならなくてもよいのです」
(その方が、私にとって都合がいいから)
このままでいい。
このままがいい。
自らが創り出した悲劇の殻に篭ったまま、現実を知らない、甘いお坊ちゃんのままでいてくれた方が、自由に操作しやすい。
こくりと、リーシェルの喉が鳴った。
自分を見つめるその眼に、更なる熱が篭ったのが分かる。
それは救いを見出した、拠り所を見つけた、崇拝者の眼。
ファウステリアは、使い勝手の良い便利な駒が、自分の手のひらの上に落ちてきたことを確信した。