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高校、大学、社会人、プロ全てで「日本一」を経験した選手はいるのか

久保田龍雄dot.
ダイエー時代の若井基安(OP写真通信社)

ダイエー時代の若井基安(OP写真通信社)

 高校時代に春、夏の甲子園で全国制覇を経験した選手が、プロでも日本一になった例は少なくない。

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 昨季の日本一チーム・ソフトバンクなら、沖縄尚学高時代の2008年にセンバツ優勝投手になった東浜巨の名が挙がる。

 だが、高校、大学、社会人、プロのすべてで日本一になった選手となると、さすがに条件が厳しくなる。そんな完全制覇の達成者として知られるのが、ダイエーの内外野手として活躍し、96年に4番も打った若井基安だ。

 PL学園時代の81年春に1番ライトで甲子園に出場した若井は、準決勝の倉吉北高戦で0対0の6回に貴重な先制タイムリーを放つなど、同校のセンバツ初Vに貢献。法大時代も全日本大学野球選手権で計3度(82、84、85年)優勝。主将を務めた85年は、3番セカンドとしてチームを引っ張り、2年連続で日米大学野球の全日本メンバーに選ばれている。

 さらに日本石油入社1年目の86年にも、2番セカンドで都市対抗野球に出場すると、準決勝の阿部企業戦で4回に満塁の走者一掃の三塁打を放ち、決勝のNTT信越戦でも、6対5の6回に二盗を決めた直後、幸運なテキサス安打で8点目のホームを踏むなど、19年ぶりVに貢献。同期のチームメート・鈴木慶裕(元日本ハム‐ダイエー)とともに若獅子賞を受賞した。

 この活躍が認められ、88年、若井はドラフト2位で南海に入団するが、当時の南海は11年連続Bクラスとどん底状態。ダイエー移行後も初年度から9年連続Bクラスと長い冬の時代が続き、プロで日本一になるのは、文字どおり、最難関だった。

 ところが、若井はとてつもない強運の持ち主だった。現役生活最後の99年、ダイエーは南海時代の73年以来26年ぶりにリーグ優勝を達成し、日本シリーズでも中日を下して35年ぶりの日本一を実現する。

 残念ながら、若井はこの年1軍出場ゼロに終わり、本当の意味でのV戦士にはなれなかったが、野球人生の最後の最後で、高校、大学、社会人に次いで日本一の栄誉を手にすることができた。


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