"Don't Call It Frisco" とは "San Francisco" を "Frisco" と呼ぶなということです。
San Francisco の裁判所で、San Francisco を "Frisco" と呼んで外敵として留置されそうになった人がいます。
http://www.sfgenealogy.com/sf/history/hgoe82.htm
COURT OBJECTS TO WORD 'FRISCO.
Judge Mogan Rebukes Angeleno for Using Slang in His Petition for Divorce. Because he referred to this city as "Frisco" on four occasions before Judge Mogan in his petition for a divorce, Hal R. Hobbs, Los Angeles automobile dealer, was threatened with internment.
"What do you mean by 'Frisco'?" asked Judge Mogan. "Why, San Francisco, of course," said Hobbs in surprise. "No one refers to San Francisco by that title except people from Los Angeles," said the court. "I warn you that you stand in danger of being interned as an alien enemy. Don't do it again."
次の日米開戦直後の米国の新聞記事の題目をみてください。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:JapaneseRelocationNewspapers1942.gif
"OUSTER OF ALL JAPS IN CALIFORNIA NEAR!" とあります。この場合は、"JAPS" は、日系人を指します。"JAP Derogatory" で画像検索すれば、もっとすごいのがでてきます。
2013年11月16日 18:15
第二次大戦中は英語は敵性語として、その使用は禁止させられました。そこで、野球では、次のような日本語がつかわれました。 プレーヤー:戦士、ホームチーム:迎撃組、ビジターチーム:往戦組、グローブ・ミット:手袋、セーフ:安全、アウト:無為(ぶい)、ストライク:正球・よし、ボール:悪球・駄目、三振:それまで、フォアボール:よっつ、ヒット:正打、ファール:圏外、バント:軽打 、スチール:奪塁、ダブルスチール:複略 、スクイズ:走軽打・求点走打 一方、米国は選ばれた軍人に促成の日本語教育を行いました。これらの軍人は、傍受された日本軍の文書の翻訳や捕虜の尋問をおこないました。これに従事した軍人には日系人が多かったので、日本兵と誤って殺されるのを防ぐために、白人の護衛がついたそうです。
2013年11月16日 17:54
乳首は "nipple" ですが、 "nip" といえば「ちょん切る」ことをおもいうかべます。
2013年11月16日 17:47
"Don't Call It Frisco" とは "San Francisco" を "Frisco" と呼ぶなということです。 San Francisco の裁判所で、San Francisco を "Frisco" と呼んで外敵として留置されそうになった人がいます。 http://www.sfgenealogy.com/sf/history/hgoe82.htm COURT OBJECTS TO WORD 'FRISCO. Judge Mogan Rebukes Angeleno for Using Slang in His Petition for Divorce. Because he referred to this city as "Frisco" on four occasions before Judge Mogan in his petition for a divorce, Hal R. Hobbs, Los Angeles automobile dealer, was threatened with internment. "What do you mean by 'Frisco'?" asked Judge Mogan. "Why, San Francisco, of course," said Hobbs in surprise. "No one refers to San Francisco by that title except people from Los Angeles," said the court. "I warn you that you stand in danger of being interned as an alien enemy. Don't do it again."
2013年11月16日 17:29
> Korean呼ばわりすると差別と言われるらしいですが。 日本ではそうかもしれませんが、米国ではそういうことはありません。
2013年11月16日 17:27
次の日米開戦直後の米国の新聞記事の題目をみてください。 http://en.wikipedia.org/wiki/File:JapaneseRelocationNewspapers1942.gif "OUSTER OF ALL JAPS IN CALIFORNIA NEAR!" とあります。この場合は、"JAPS" は、日系人を指します。"JAP Derogatory" で画像検索すれば、もっとすごいのがでてきます。
2013年11月16日 16:58
> ja.wikipedia.org/wiki/韓国系アメリカ人 > 米国における韓国系の人種差別意識に関してはKorean(朝鮮民族)という語がラテン系・アフリカ系差別者としての意味合いを持つようになり、アパートやビルの賃貸・売却広告または名称に使ってはいけないとのアメリカ連邦法院による仮処分命令[4]が2003年に下されるまでに至っている。 Wikipediaの解説のこの部分を書いた人は英語力が不足しているか、もしくは「4」の記事を意図的に曲解したのでしょう。 引用されている新聞記事によると、アパートの持ち主は、Donald Sterling というプロバスケットボールのチームを持つほどの金持ちの白人でした。彼は、韓国系の人達が住む地域にある自分が所有するアパートに、韓国系の人達だけを入居させるように管理人に指示し、ラテン系やアフリカ系の人達を除外するために、”Korean”という言葉をアパート名や広告に使ったのが人種差別になるとしています。この仮処分によれば、日系人を入居させるためにに"Japanese" という言葉を使うこともできません。 ですから、「米国における韓国系の人種差別意識に関してはKorean(朝鮮民族)という語がラテン系・アフリカ系差別者としての意味合いを持つようになり」ということは誤りです。
2013年11月16日 04:28
> CO2が原因と言う結論が腑に落ちないからです。比熱でみると海水の熱吸収の方が大きいです CO2と海水の比熱の差は関係ないです。温暖化ガスの作用については、次の説明を参照してください。 http://www.data.kishou.go.jp/obs-env/portal/chishiki_ondanka/p03.html > 海水温が上昇するとCO2が大気に放出されるので、CO2の増加は温暖化の原因なのか結果なのかが良く分からないからです。 結果であり原因となり、温暖化を加速します。つまり、正帰還がおきます。 > 地表から放射される熱がCO2によって遮られるとは思えません CO2により赤外線が吸収され、吸収されたエネルギーの一部は地表に再放射されます。 > 熱(力)学的にはむしろ寒暖差が小さくなっていくのが自然な気もします。 冬はより暖かくなるはずです。寒冷地ほど影響は大きいでしょう。 > 黒点活動の方が影響が大きいという説も有りますし 黒点数が減る影響のほうが大きければ、寒冷化します。 http://www.jo7nli.jp/subens1.html > 統計を恣意的に解釈しているようにも思えます。少なくとも懐疑論を封じ込めようとする 私は、マクロ的な理論の方を信じます。全ての主要な要因を組み込んで実際に起きた現象とほぼ一致するシミュレーションなどが行われることを期待しています。
2013年11月16日 03:52
> 人間が出すエネルギーより 温暖化の原因は人間が出すエネルギーではなく、地球にとどいた太陽からのエネルギーが宇宙に放射されるのを、温暖化ガスが妨げるからです。 http://www.data.kishou.go.jp/obs-env/portal/chishiki_ondanka/p03.html
2013年11月15日 08:30
> 時に自傷も覚悟、という相手はまっとうにぶつかるは危険。 1945年(昭和20年)1月1日の読売報知は第1面に、小磯国昭首相の年頭談話を掲載した。 「陸海軍の特攻隊に続き、1億国民も全員、特攻隊として闘魂を鉄火と滾らし(たぎらし)、戦局を挽回しょう」と訴えている。嗚呼! **** 焼け残った校舎の、暗い一室で、私たちは巻き紙を拡げていました。真っ白の紙に、名前を書いていくのです。竹槍隊の名前です。真剣でした。沖縄の女子学生と同じように九州の私たちも死んでゆく覚悟でした。舌をかんで死のう。その前に、敵兵の一人をたおせ。せめて傷つけてから、舌をかめ! 心の中で、何度くり返した教えでした。 「玉音放送」 放送が終わったあと皆泣いていました。「死にたい。先生、殺して下さい!」何人かが、そういいました。死ぬために、それだけを目指して、私たちは生きてきたのですから。 ーー 永畑 道子
2013年11月15日 04:35
日本生まれの女性による、ドイツから、ポーランド、リトアニア、ソ連、敦賀、神戸、上海を経て米国に難民として米国に渡った人に会って書かれ記事を見つけました。 http://www.scarsdalemura-kara.com/lanchart.htm そして、次のようなことが分かりました。 船は敦賀の港に到着する。外務省の命令に逆らって発行したビザを日本が受けつけてくれるかどうかはヨーロッパに残った杉原領事の気がかりの一つであったが、税関の通過はまったく問題がなかったという。明らかに贋物と分かるオランダ領事館発行のスタンプや杉原領事の許可証で日本に到着した多くのユダヤ人も何の咎めも受けず入国を許可されていたという。14日と定められた滞在期間を何回か延長することもこの時期それほど問題ではなかったようだ。このあたりの事情をはトケイヤー師は「Fugu plan」の中で、「松岡外務大臣は、杉原領事が外務省の命令に背いてユダヤ人にビザを発行したことを知っていた。しかし、彼はユダヤ人の入国やビザ延長の許可が表向き敦賀という地方の税関の権限でなされたことにし、中央はそれについて連絡をうけていなかったことにするよう指示した」と説明している。 「日本人は優しくて親切だった。近くの八百屋さんでは毎日自分たちのために卵を用意していてくれたし、気候は温暖で町は清潔、ユダヤ人であることで日本人の偏見を感じたことは一度もなかった、日本は本当にすばらしい国だった」 一時滞在を条件に入国した神戸で身動きできない状態におかれてしまったのだった。日本政府とっては千人以上のこうした行き場のない難民を無期限に神戸にとどめることは国家保安上にも問題があり、ここにおいて政府はユダヤ人コミュニティの要請もあって難民を上海におくり出すことを決定する。
2013年11月14日 08:17
そもそも、日本に安定した地層はあるのでしょうか?
2013年11月14日 08:08
> 百田尚樹の主張 新憲法第一条 おんどれ、なめんなよ!
2013年11月14日 06:08
1992年3月11日の国会衆議院予算委員会においての外務大臣、総理大臣の答弁: 渡辺美智男(外務大臣) これは昔の古い話なので記録以外には調べようがないんですが、杉原さんが訓令違反で処分されたという記録はどこにもない。それからそういうような査証を発行したのは15年ですが、その後でプラハの総領事館あるいはケーニヒスベルクの領事館、ルーマニア公使館などを7年間勤務してきた。だから7年間外務省にずっとおるわけですから、処分されたわけではないし、22年には約3分の1、外務省の人間の3分の1が解雇されたそうです。終戦直後の話ですから、その3分の1の中に入ったということは事実でございますが、特に不名誉な話ということは私は全く聞いておりません。 宮沢喜一(内閣総理大臣) 私も報告を受けておるところによりますと、杉原副領事の行った判断と行為は、当時のナチスによるユダヤ人の迫害といういわば極限的な局面において人道的かつ勇気あるものであったというふうに考えております。この機会に改めてその判断と功績をたたえたいと思います。 夫人による「六千人の命のビザ」における記述: 「外務次官の岡崎さんの部屋に呼ばれて、〈君のポストはもうないのです、退職して戴きたい〉と言われた」。夫はポツリと言うと、黙り込んでしまいました。私は言葉を継ぐこともできません。ただ夫の顔を見つめているだけでした。かなり後になって、岡崎次官に「例の件によって責任を問われている。省としてもかばい切れないのです」と言われたことを聞きました。
2013年11月14日 05:46
> 杉原は「すぐに解雇されるか、または日本に送還され刑務所送りになっただろう(ドイツやソ連だったら、殺されていたに違いない)」。 杉原氏がすぐに解雇されなかったのは、彼が、英語、ドイツ語、ロシア語、フランス語に堪能で優れた諜報活動ができたからという説明があります。 http://nakaikemi.com/chohonotensai.pdf 夫人の本にも、同様なことが書いてありました。
2013年11月14日 05:11
> 禅宗でお馴染みの不立文字という言い回しが私は好きで、基本的に文字化された「道徳」ないし「教義」は文学として勝手に楽しむ分にはさておき、現実の行動規範・価値観としての原理、道徳としては向かないと私は考えている。 親鸞の言葉を集めた「歎異抄」に「念仏には無義をもって義とす」という言葉があります。これは、法然の「念仏」の教え、というより、釈迦から七高僧を経て伝えられた大乗仏教の教えは、言葉では言い表せないということです。 例えば、キリスト教でいう「(無償の)愛」などは、これを行う心底からの動機などは、言葉で持って説くことはできません。これを言葉で持って感じさせるものが優れた文学であり、心理学的には、無意識に働きかけるものです。
2013年11月14日 04:41
教育勅語には教育の根本を次のように述べています。 「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」 「私(天皇)の配下の者は忠と孝を尽くし、すべての配下の者が心を一つにして、世々にわたり立派な行いをしてきたことは、わが国のすぐれたところであり、教育の根源もまたここにある。」 つまり、最大の徳目は天皇に対する「忠」でありました。「忠」は命令系統に沿って委譲されましたから、「上官の命令は天皇の命令である」といわれ、上官にたいする絶対服従が要求されました。 しかし、「孝」については、私はジジいになりましたので大賛成です。みなさん、「団塊の世代」の人たちの言うことはよく聞いて、決してこの世代の人達をけなしてはいけません。
2013年11月13日 18:45
> 人としてあるべき姿を、先人たちは道徳規範を作り教えてきた。道徳とは、国家、民族が歴史の中で培ってきた文化であり生き方なのである。 人としてあるべき姿を示す倫理・道徳として長い歴史を持ち広く受け入れられてきたものは、仏教やキリスト教の教えです。これらは、国家や民族を超えています。
2013年11月13日 18:37
教育勅語の目的は、「以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」となっています。
2013年11月13日 18:07
杉原千畝氏の夫人によって書かれた「六千人の命のビザ」という本には、ビザ発行の許可をもとめる電報を複数回外務省に送ったけれど、許可は得られなかったと書いてあります。 また、杉原千畝氏は、戦後解職されたのは本省の訓令に逆らいビザを発行したためだと思っておられたとも書いてあります。
2013年11月13日 06:04
> 私は90年代後半に中西部に居たが、あの地域の田舎っぷりは良くも悪くも大して変わっていない。 私は70年代後半にシリコンバレーに居ました。まず、米国に行く前は、華のサンフランシスコ、洗練された都会的な地だろうと勝手に創造して、身構えました。ところが、サンフランシスコ空港に着くと、滑走路のわきにぺんぺん草が生えており、各務ヶ原空港のようだと思うと気が楽になりました、さらに、サンホゼについて2・3週間もすると、これは岐阜の田舎と同じだと思えてきました。 まだ四月でしたので丘は緑で覆われ、空は青々と澄み渡り、空気はきれいで、さらにリンゴ園は白い花を咲かせ、町は花で埋もれ、小型の車がゆっくり走っていました。東京に比べれは、これは天国だとおもいました。さらに、人々は気さくで解放的で、金を追いかけるという雰囲気はありませんでした。 ところが、80年代に訪ねてみると、高級車も増え、道路は混雑し、スモッグも見られ、果樹園は消えていました。さらに、シリコンバレーにずっと住んでいた人によると、ずいぶんせちがらくなったということした。 現在、シリコンバレーが、どうなっているかは知りません。 米大陸の西海でも北に移動すれば、今でもほとんど田舎です。
2013年11月13日 04:08
> 小中高かかわらず、チョムスキー系列の文法理論 コンピュータ・サイエンスの分野の人達、とりわけコンパイラを作る人達、には必要ですが、小学生に教えられますか? 米国では、中高では簡単なシンタックス図は教えているようです。
2013年11月13日 03:54
私の小学生のときには道徳教育は、ありませんでした。しかし、国語の教科書には、今でも心に残っている話が載っていました。 「明善は板木をたたいた」。これは、私財を使って天竜川の治水工事に奮闘した金原明善の話です。明善は、冬の日でも朝早く起きて仕事を始めるように、板木をたたいて村人を起こしたわけです。 「外に失ったものを内に取り返せ」。これは、プロシアとの戦争に敗れ、肥沃な土地をうしなったデンマークの復興に尽くした二人のデンマーク人についての「デンマークの2本の柱」という話のなかにあった言葉です。 「最後の一葉」。オー・ヘンリーの短編小説です。 それから、教科書にはありませんでしたけれど、有島武郎の「一房のぶどう」です。 中学生になったときに、道徳教育が導入されましたが、よく覚えているのは、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のガリ版刷りをもらったことです。 私は、30才を過ぎてからは、これらの話に沿った生き方をしたいと思っていました。
2013年11月12日 13:45
> 華僑として東南アジア各国 インドネシア、マレー、タイ、フィリピン
2013年11月12日 13:17
Lieutenant_H さん 私は、中村先生の主張を鵜呑みにしていたようです。 次の記事が参考になりました。 http://s-park.wao.ne.jp/archives/279 http://techon.nikkeibp.co.jp/NEWS/nakamura/mono200406_2.html 窒化ガリウム青色発光ダイオードは、一番目の記事を書かれた天野浩先生によってなされていたということを知りませんでした。この先生は、なかなかの人徳者のようです。 2番目の記事は、中村先生に対して批判的すぎるような気もします。 私は、部外者ですので、中村先生の実際の貢献度は分かりません。「技術的な貢献度はすくなくとも50%」は取り消します。
2013年11月12日 03:44
> トリチウム以外の放射性物質を除去した汚染水 一年遅れで今年の9月には稼動するはずであったALPSもトラブルの続発で、いまだ使えません。ですから、今のところ、トリチウム以外の放射性物質ではセシウムしか汚染水から除去できません。 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131007/dst13100710130004-n1.htm
2013年11月11日 16:33
> この新聞社には中国マネーがジャブジャブ入っているという噂もありますね。 中国の温家宝首相夫人を含む親族が海外に27億ドル相当の資産を持つことを、最初に報道したのもニューヨーク・タイムズです。
2013年11月11日 08:07
NYタイムズが極秘文書であるペンタゴンペーパーズを入手し、米国政府の不正を暴露したために、ニクソン政権をベトナム戦争を続けることができず、米国はベトナムから撤兵することになりました。 歴史的にみれば、あの戦争をあれ以上続けななくてよかったことは明らかです。
2013年11月11日 07:55
ペンタゴン・ペーパーズ 事件でも分かるように、ニューヨーク・タイムズは自国の政府に対しても容赦しません。 ペンタゴン・ペーパーズ はベトナム戦争に関する政府の極秘報告書で、米国政府が正確な情報を国民から隠し、政府高官がお互いの思惑から、泥沼に引きずり込まれるようにベトナム戦争に介入していった過程が明らかにされていました。ニューヨーク・タイムズは、執筆者の1人であったダニエル・エルズバーグ博士からこの報告書を入手し、連載記事として報道しました。 ニューヨーク・タイムズは、国家機密文書の漏洩を理由に起訴されましたが、連邦最高裁判所は「政府は証明責任を果たしていない」という理由でこの訴えを却下しました。エルズバーグ博士も窃盗、情報漏洩などの罪で起訴されましたが、「政府の不正」があったとして訴えは却下されました。
2013年11月11日 07:17
>一番の間違いは菅直人のグダグダよりも東電を破綻処理しなかったという一点に尽きると思います。 汚染水問題は技術的問題で、東電の破綻処理や分社化とは無関係です。 > 圧力隔壁は最低限の機能を保持してメルトスルーしただろうと推測される燃料も建屋内に残されています。 「圧力隔壁」といわれるものはありません。圧力容器の底および圧力容器を囲う格納容器の下部も損傷を受けました。
2013年11月11日 07:10
> 菅直人の行動したことを言えという事ですか? 多すぎて書ききれません。 汚染水の発生に関連する行為を3・4件指摘してください。 > 1年早く初めていれば 汚水タンクの数も少なくなっていたはず 一年遅れで今年の9月には稼動するはずであったALPSもトラブルの続発で、いまだ使えません。汚染水の処理ができないので、汚染水の総量はほぼ変わりません。 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131007/dst13100710130004-n1.htm > 収束宣言したのになぜこんなに問題が多くあるのでしょう。 収束宣言はもちろん間違いでしたが、収束宣言のあるなしと汚染水の発生と処理は無関係です。