> それにしても、ダニエル・シュナイダーは汚い男だな。韓国からいくら貰っているやら。
ダニエル・シュナイダー氏は、スタンフォード大学のアジヤ・太平洋研究所の副所長で、新聞にも定期的に国際関係の記事を書いておられ、Washington Post, New York Times, Slate, Foreign Policy, New Republic, National Review, Far Eastern Economic Review, Oriental Economist, Newsweek, Time, International Herald Tribune, Financial Times, Yale Global にも記事が掲載されたことがあるということです。また、米国議会が設置したシンクタンクであるウッドロウ・ウィルソン研究所のフェローでもあるということですから、お金に不自由はしていないとおもいます。
アジヤ・太平洋研究所での講演でオーストラリアの研究者は、三菱は徴用で働かされた韓国の労働者に補償すべきであり、原爆の製造で利益を得た米国の企業は日本の被爆者に補償すべきであると述べたとのことです。ダニエル・シュナイダー氏の見解も、これに近いのではないかとおもいます。
ですから、原爆の被害者と遺族は、マンハッタン計画で利益を得た企業を、そして、東京空襲の被害者と遺族は、焼夷弾を作った企業とB-29を製造したボーイング社を、サンフランシスコ条約の取り決めにも拘らず、告訴すべきです。
2013年11月08日 07:02
> 食べ方のきれいな(あるいは、少なくとも極端に汚くない)人間は、まっとうな家庭環境でまっとうな教育としつけを受けてきたと考えることができる。 私は、この逆の環境で育ちました。 ただ、母から教えられたことは、食前に「頂きます」、食後に「ごちそうさま」ということ、それから、なんでも文句もいわないで食べるということです。 あるとき、おばの家で「ひややっこ」を出されました。その家は古い藁葺きで、天井からは、煙突のないかまどの煙ですすけた蜘蛛の巣がいくとも垂れ下がっていました。そこで、蜘蛛の巣が茶碗のなかに落ちてくるのでないかと、いやな気がしました。 しかし、後になって、おばがせっかく出してくれた食事に対してそう思ったのは、悪いことだったとおもいました。それ以後は、例え不潔のおもわれれるものでも、病気にならないと思われものはなんでも食べることにしました。こうした態度は、発展途上国で普通の人と普通の食事をするときには、大変役立ちました。
2013年11月08日 06:40
> 遺伝的に考えても 後天的に学んだことは遺伝しません。 ただし、文化は継承されます。
2013年11月08日 06:26
> コーヒーをずずっとソバみたいに飲む。 小学校か中学校のときの国語の教科書で有島武朗の「生まれいずる悩み」の一部を読みました。 **** 小包が私の手もとに届いた。私は干し魚が送られたと思ったほど部屋の中が生臭くなった。包みの油紙は雨水と泥どろとでひどくよごれていて、油紙を一皮めくるとその中にまた麻糸で堅く結わえた油紙の包みがあった。ちょっと腹の立つほど念の入った包み方で、百合ゆりの根をはがすように一枚一枚むいて行くと、ようやく幾枚もの新聞紙の中から、手あかでよごれ切った手製のスケッチ帳が三冊、きりきりと棒のように巻き上げられたのが出て来た。 思ったままを書きなぐった手紙がどれほど私を動かしたか。君にはちょっと想像がつくまい。自分が文学者であるだけに、私は他人の書いた文字の中にも真実と虚偽とを直感するかなり鋭い能力が発達している。私は君の手紙を読んでいるうちに涙ぐんでしまった。魚臭い油紙と、立派な芸術品であるスケッチ帳と、君の文字との間には一分ぶのすきもなかった。「感力」という君の造語は立派な内容を持つ言葉として私の胸に響いた。山が地上から空にもれあがる‥‥それはすばらしい自然への肉迫を表現した言葉だ。言葉の中にしみ渡ったこの力は、軽く対象を見て過ごす微温な心の、まねにも生み出し得ない調子を持った言葉だ。 夜食の膳ぜんが運ばれた。「もう我慢がなんねえ」と言って、君は今まで堅くしていたひざをくずしてあぐらをかいた。「きちょうめんにすわることなんぞははあねえもんだから。」君の大食は愉快に私を驚かした。 食後の茶を飯茶わんに三杯続けさまに飲む人を私は始めて見た。 踏まれても踏まれても、自然が与えた美妙な優しい心を失わない、失い得ない君の事を思った。仁王におうのようなたくましい君の肉体に、少女のように敏感な魂を見いだすのは、この上なく美しい事に私には思えた。
2013年11月06日 23:27
直訴状は、幸徳秋水が書き、田中正造が加筆・訂正をしたということです。幸徳秋水以外の人は、後難を恐れて田中正造の依頼を断ったそうです。 なお、幸徳秋水は、大逆事件には加わっていませんでしたが、死刑になりました。
2013年11月06日 16:17
"coerced" と "servitude"は、 "forced" と"slavery"より幅の広い概念であり、多少おだやかな感じになるとおもいます。 > 「sex slave」とは書けないです。マスコミですら書けなくなりましたから。 "sex slave" "comfort women"を使って、7月以降の記事を検索してみてください。主要報道機関の記事もたくさんでてきます。
2013年11月06日 15:33
> 「流石に」と言う言葉使い過ぎました。どちらか無視して頂いてください。 このような文章は、『「流石に」と言う言葉を流石に使い過ぎました。これは流石にまずいですから、どちらか無視して頂いてください。』といったように書かれるといいです。 英文では、このような例をときどきみます。
2013年11月06日 15:28
> アイロニーも理解できないか…… 「アイロニー」とは、日本語でいえば「反語法」です。つまり、反対の内容を述べることによって、強く認識させる表現法です。 もし、「日本:ヒストリー、中国:プロパガンダ、韓国:ファンタジー」が反語であれば、本当の意味はこの逆ということになります。 そういえば、私が小学校4年生のときに、しばしば、授業中にこのような茶々をいれましたので、そのたびによく殴られました。そのときに受けた脳味噌の損傷のため、おかしな事しか書けなくなりました。
2013年11月06日 15:10
私は、一般論として、法治国家では司法が政府見解をひっくり返すこともあると述べただけです。韓国の最高裁の判決が妥当であるとはいっていません。 それから、「司法が中立性を保てなくなっているのが問題だ」も、一般論としては、誤りです。司法は、法に従って公正な判断をすべきであって、判決は、通常、原告と被告のどちらかに有利なものです。
2013年11月06日 09:12
> 著名な研究所の副所長ほどの男がそんな事実すら知らないなんてことは、とてもありえない話なんだがな。 日韓条約の内容は、もちろんご存知です。 シュナイダー氏の大略の見解は、次の記事からわかります。 http://www.japantimes.co.jp/opinion/2013/11/05/commentary/tokyo-and-seouls-dangerous-stalemate/?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+japantimes+(The+Japan+Times%3A+All+Stories)#.UnmGyjsjLRc
2013年11月06日 08:57
> Minouraさんは対韓国擁護穏健派、他人事派、欧米目線派であると同時に自虐派でもあったんですか。 さらに、冗談好き派も加えてください。
2013年11月05日 16:42
> いやはや、そうとは知りませんでした 米国の電気製品売り場では、かってはソニーやパラソニック製品が主でしたけれど、今はサムソンとLGの製品がずらりと並んでいて、ソニー製品も隅の方に少数があるだけといった光景がよくあります。
2013年11月05日 16:31
英語に、"Pick on someone your own size"という表現があります。 これは、「いじめるなら自分と同じ大きさの子にしろ」ということですが、実際は、弱いものいじめはするなという意味でつかいます。
2013年11月05日 16:06
日本:ヒストリー => 日本:ヒステリー
2013年11月05日 16:04
> 法治国家とは呼びがたい国ではこんなものかね。「信義誠実の原則に反して」で政府見解をひっくり返す国 「三権分立」ということを理解しましょう。司法が、政府の行為を常に是とする国は危険です。
2013年11月05日 15:58
> それにしても、ダニエル・シュナイダーは汚い男だな。韓国からいくら貰っているやら。 ダニエル・シュナイダー氏は、スタンフォード大学のアジヤ・太平洋研究所の副所長で、新聞にも定期的に国際関係の記事を書いておられ、Washington Post, New York Times, Slate, Foreign Policy, New Republic, National Review, Far Eastern Economic Review, Oriental Economist, Newsweek, Time, International Herald Tribune, Financial Times, Yale Global にも記事が掲載されたことがあるということです。また、米国議会が設置したシンクタンクであるウッドロウ・ウィルソン研究所のフェローでもあるということですから、お金に不自由はしていないとおもいます。 アジヤ・太平洋研究所での講演でオーストラリアの研究者は、三菱は徴用で働かされた韓国の労働者に補償すべきであり、原爆の製造で利益を得た米国の企業は日本の被爆者に補償すべきであると述べたとのことです。ダニエル・シュナイダー氏の見解も、これに近いのではないかとおもいます。 ですから、原爆の被害者と遺族は、マンハッタン計画で利益を得た企業を、そして、東京空襲の被害者と遺族は、焼夷弾を作った企業とB-29を製造したボーイング社を、サンフランシスコ条約の取り決めにも拘らず、告訴すべきです。
2013年11月05日 14:57
> アメリカの、まがりなりにも専門家を名乗る人物が、日本がまるで賠償してないかのように思っているのは一体どういうわけだ? 米国人にとっては、政府が個人の権利を一方的に奪うということは、とんでもないことです。ですから、政府は、例え自国民であっても、個人の権利をその個人の合意なしに放棄はできません。 次のような見解もありました。 1991年8月27日、柳井俊二条約局長として参議院予算委員会で、『(日韓基本条約は)いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることができないという意味だ』と答弁。 国際法律家委員会は、日本政府が言及する諸条約は、非人道的処遇に対して個人が行う請求権を含む意図はまったくなかったと述べている。「請求権」という言葉は、不法行為による請求権を含まず、また合意議事録または付属議定書でも定義されていない、と国際法律家委員会は論じる。また、戦争犯罪及び人道に対する犯罪から生じる個人の権利の侵害に関して,なんら交渉はなされなかったとも主張する。国際法律家委員会はまた、大韓民国の場合、日本との1965年協定は、政府に対して支払われる賠償に関連するもので、被った損害に基づく個人による請求権は含んでいないと断言している
2013年11月05日 09:59
ひとつ、時間があれば、次のNHK教育テレビの「こころの時代」で放送されたという川村とし子さんの経験されたお話を読んでみてください。 http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-91.htm 信仰というものが論理ではなく、易しいものではないことも分かります。
2013年11月04日 17:23
> 「日本人は無宗教です」 多くの日本人は、そうかもしれませんが、宗教を心のよりどころとして生きている人たちも、けっこういるはずです。 私の祖母は、晩年には、5人の娘と在所を泊まり歩いて、近くの寺で法話を聞くことを生きがいにしていました、私の母も、農繁期以外は毎日「おつとめ」をしていましたし、近くの寺で法話があれば、大抵行きました。また、毎月一回、住職の方に「お常飯」に来ていただいていました。 > 仏教にしろ、いかなる明示的な入信も求めない 浄土真宗には、「 帰敬式」というものがあります。これは、キリスト教の洗礼にあたります。「 帰敬式」を済ますと「法名」が与えられます(浄土真宗では、「戒名」でなく「法名」といいます)。 それから、宗教において、一番大切なことは、その教え(むつかしくいえば教義)を理解し、それを日々の生活に生かしていくことです。私の母も、同じような人が尋ねてくると、浄土真宗の教えについて、よくあれこれ話していました。それで、わからなくなると、「お常飯」に来てもらった住職の方に訊いていました。
2013年11月04日 16:24
訂正: 200メートル競走で一位と2位となった => 200メートル競走で1位と3位となった
2013年11月04日 16:19
> 国旗、国歌は国を象徴するものと考えられ、それらに対する国民の気持ちが大事にされなければなりません。 1968年のメキシコ・オリンピックの200メートル競走で一位と2位となった、二人の黒人の米国選手は、表彰台に登ると、国旗から目を背け、米国国歌が演奏される間、黒い手袋をはめた片手を突き上げていました。この差別に対する抗議行動に対して、オリンピック委員会は彼らのメダルを剥奪し、彼らは米国内では厳しく非難されました。 しかし、時がたち世論も変わり、彼らの行為を勇気ある行動であったと称える彼らの像が、カリフォルニア州立大学のサンノゼ校に建てられるほどになりました。 http://www.history.com/this-day-in-history/olympic-protestors-stripped-of-their-medals http://speedendurance.com/2009/11/25/san-jos-state-university-the-tommie-smith-john-carlos-statue/
2013年11月04日 11:18
> 米国の代理で動いているのは宇宙人 昭和天皇は、朝鮮戦争などの状況から、日本が共産化すれば天皇制度が守れなくなるということで、米国軍が日本で自由に行動できることを定めた安保条約を、吉田首相の反対にもかかわらず、推し進めたそうです。このために、昭和天皇は、米国の反共主義者で名高かったダレス国務長官への独自のチャンネルを有していたとのことです。
2013年11月04日 11:06
> 顔も真っ赤なら字も真っ赤 多分、「天皇の赤子」だからだとおもいます。
2013年11月04日 11:04
> 被災者を慰撫してくれたり、外交上のおもてなしをしてくれる かって「天皇の赤子」という言葉がよく使われました。「天皇の神格化」より、「天皇の赤子」である一国民よりの嘆願に近いのかもしれません そういえば、「拝啓天皇陛下様」という映画があったことを思い出して、ビデオをみましたら、「天皇の赤子」という言葉が使われていました。 http://www.youtube.com/watch?v=byordEGD_wk
2013年11月03日 18:26
私は、山本議員の主張も行動も支持しませんが、これを一大不祥事かのように大騒ぎすることに、一抹の不安を覚えます。 次の記事に昭和天皇の戦後における保守系政治家と利害が一致した政治的関与がいろいろ述べてあります。 http://www.jpri.org/publications/occasionalpapers/op17.html この記事のもとになっている本に対する批判もあります。 http://www.japanecho.com/sum/2002/2906_bix_reprint.pdf
2013年11月03日 18:15
次の記事に昭和天皇の戦後における政治的関与がいろいろ述べてあります。 http://www.jpri.org/publications/occasionalpapers/op17.html この記事のもとになっている本に対する批判もあります。 http://www.japanecho.com/sum/2002/2906_bix_reprint.pdf
2013年11月03日 18:07
> 民主主義とは「手続きの尊重」である。 私はカナダのことはよく知りませんが、多分、「手続きの尊重」でなくて「民主主義の精神の尊重」だとおもいます。現在は、「民主主義の精神」には、「非暴力」もふくまれます。 ですから、動機は手段を正当化しません。 私は、山本議員の主張も行動も支持しませんが、これを一大事かのように大騒ぎするほうが問題だと思っています。
2013年11月03日 17:56
次の記事に昭和天皇の戦後における政治的関与がいろいろ述べてあります。 http://www.jpri.org/publications/occasionalpapers/op17.html この記事のもとになっている本に対する批判もあります。 http://www.japanecho.com/sum/2002/2906_bix_reprint.pdf
2013年11月03日 16:23
> イギリスを例に取って見ます。伝統ある王室があり そういえば、英国の王位継承権2位のウイリアム皇子が、ホームレスの人達のつらさを訴えるために、氷点下4度のロンドンの歩道でダンボールで覆われた寝袋にくるまって、一晩過ごされたそうです。 http://www.cnn.com/2009/WORLD/europe/12/23/prince.william.homeless.uk/
2013年11月03日 03:38
天皇の「中空構造」ということで、「臣茂」と称した吉田首相の天皇に対する気持ちがどのようなものであったのかと調べていましたら。次のような記述がたくさんありました。 ダレスは、講和・安保両条約の案文づくりにに関連して天皇との間に秘密のチャンネルを確保していた。朝鮮戦争がもしアメリカの敗北に終われば天皇制の危機と捉えていた昭和天皇は、吉田とは全く別のルートで早くからダレスにアプローチしていた。 米軍の駐留に基地の提供を求めるアメリカ側に対して、吉田首相は基地不要論を唱えた。しかし、昭和天皇は、共産主義から天皇制を守るという立場から、日米間の行き違いに不安を抱いた。ダレスは天皇と会見の機会をもつが、このとき天皇はダレスに向かって、アメリカの条件に沿う形での基地貸与に「衷心からの同意」を表明した。これは《天皇の超憲法的行動》であった。 吉田は、不本意ながら日米安全保障条約に一人で署名した。条約調印の責任を一身に背負うためだった。 関連記事は、「吉田 ダレス」で多数検索されますが、真偽のほどは知りません。
2013年11月03日 02:50
聖徳太子の前後の時代は、皇位の継承をめぐって豪族が血で血を洗う争いをしました。 「磐代の 浜松ヶ枝をひき結び 真幸くあらば また顧みん」― 有間皇子 「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」― 大津皇子