親戚の小学生の算数の文章題がおかしい
一人暮らしの我が家に、久しぶりに近所に住んでいる親戚の小学生が遊びに来た。
「久しぶりやで!」
と、何に影響されたかわからないが、少年は似非関西弁で挨拶をした。
お菓子でも出そうと台所でごそごそしている間に、感心なことに少年は机の上に宿題を広げていた。
なんて真面目な子だろうか。
俺の子供の頃とは大違いだ。
「ん? 算数のテストか?」
「うん。間違えたところをもう一度やり直してださないと行けないんだ。でも、この問題わからないから教えて」
「え、マジか」
いくら昔勉強が不得意だったとしても、小学生の算数問題くらいは解けないこともない。
しかし、教えるとなるとこれがまた難しい。
四苦八苦しながら、なんとか聞かれた問題を解かせる。
「ふぅ、終わった……」
「見なおしたぜ!」
偉そうに親指を立てる小学生。
生意気な。
「意外と教えるのが面倒な問題だったな……」
他の問題はどういうレベルなのだろうか。
と、何気なく一番上の文章題に目を向けてみた。
「『たかし君が時速3,000kmで走っています。ゆうき君は400km後方から分速70kmで飛行していま……』 いや、ちょっと待て」
「どうしたの?」
少年が不思議そうな顔をする。
「どうしたもこうしたもあるか。なんだこの問題。さっきの問題は普通だったが、この問題はおかしいぞ」
「別におかしくないで」
少年はキョトンとした顔をする。
ああ、これがゆとり教育の弊害か、こんな数字に疑問を感じないなんて。
たしかに、昔自分も文章題の数字や文字を書き換えて友人とふざけたことがある。 しかし、これはどうみてもちゃんと印刷された文字だ。
「あぁ……なるほど、先生が書き間違えたんだな」
「なにが?」
「いや、時速3,000kmっておかしすぎるだろ」
「たかし君とゆうき君は音より速く走れるし、空も飛べるから、おかしくないよ」
「そんな馬鹿な」
とりあえず二問目の問題を見てみる。
「『夏服を着たたかし君が高速で飛行しながら徐々に上昇しています。』 ……ちょっとまて、飛行? 俺の目の間違いじゃなければ、たかし君が空飛んでるんだけど」
「だから飛べるっていってるじゃん」
彼はほっぺたをふくらませながら反論してきた。
「まてまて、おかしいだろ! それに、夏服という情報は一切必要ないし。で、続きは、えーと、『飛行し始めた時には一分間に500mの速度で上昇していましたが、12分経過したところで速度を上げて一分間に800mの速度で上昇し始めました。地上から11kmにある成層圏に到達するのは、飛行を始めてから何分何秒後のことでしょうか』……なんだこれ!? なにからなにまでおかしい!!」
「おかしくないの! 修行して空を飛べるようになったんや!」
少年は顔を真っ赤にして声をはりあげた。
一体この算数の問題はどうなっているのか。
どんどん目を通していくと、時速3,000kmで走るばかりではなく、トラックを引っ張って移動したり、ビルを持ち上げたり、一秒間に3個の速度でりんごを潰したりして、とにかく人間離れした記述続いていく。
最初自分に聞いてきた問題以外、全部こんな調子だ。
そして、すべての問題の主語は「たかし君」だ。
「なんだ……なんなんだこの算数の問題達は。まともだったのはさっきの一問だけか!? そして、このたかし君は一体何者なんだ!?」
「修業の成果や!」
彼はそういうとランドセルの中から分厚いファイルを取り出した。
「なんだそれ?」
「算数のテストを取ってあるんだ。この先生のテスト問題メチャクチャおもしろいんやで!」
手渡されたファイルをペラペラとめくってみる。
そこで、俺は驚愕の事実に衝撃を受けた。
それは、ファイルの一番下にあった、おそらく一番最初の算数のテストだ。
『たかし君は一時間に3km進む速度で歩いています。』
「な……んだと? 馬鹿な!? あのたかし君が常識的な速度で歩いている!?」
『たかし君が走ると一時間に5km進むことができます。』
「馬鹿な、走ってもその程度だと!? い、いや、よく考えてみよう。これが普通で、さっきのテスト用紙がおかしいんだ!」
すると、小学生の彼はなにげに自慢げな表情を浮かべて、
「そこからだんだんと修行して速くなっていくんやで! 熱いやろ!」
と力説した。
とりあえず、二枚目のテスト用紙を見る。
まだ、時速3kmで歩いている。
三枚目のテスト用紙を見る。
まだ、全く普通だ。
四枚目のテスト用紙を見る。
な、なんだこれは!?
『たかし君と友達5人が遊んでいると、たかし君のお母さんがみかんを24個持ってきてくれました。一人あたりいくつ食べられるでしょうか』
これは普通の問題だが、次の問題がおかしい。
『たかし君と友達3人が遊んでいると、たかし君のお母さんがいちごを一人に6つずつ持ってきてくれました。しかし、たかし君が分身の術で3人になってしまったため、分けなおさなければなりません。ひとりいくつずつ食べられるでしょうか』
「おい!? なんでいきなり分身するんだよ!」
「それが受けて、クラスのみんな笑ったんやで。そしたら、次から先生がおもしろい問題つくるようになったんやで」
少年が語尾に「やで」をつけまくって説明をした。
「なるほど、ちょっとふざけてみたところで受けたから、先生が調子に乗ったんだな……」
次のテスト用紙をめくってみる。
『たかし君は激しい修行の末、時速8kmで走れるようになりました』
小学生としては速いのかもしれないが、時速3,000kmの衝撃を受けたあとではむしろ遅く感じられる。
次のテスト用紙をめくってみる。
『たかし君は高速移動の達人の元での修行に励んだ結果、時速20kmで走れるようになりました』
たしかに速いに違いないが、時速3,000kmの衝撃を受けたあとではむしろ遅く感じられる。
次のテスト用紙をめくってみる。
『たかし君は高速移動の修行を完了し、ついに奥義を習得しました。その結果、時速40kmで走れるようになりました』
陸上男子の世界記録保持者のウサインボルト氏の走る速度が約時速40kmだという。
たかし君は世界王者に並んでしまった。
しかも、そのスピードで2時間ぐらい走り続けているので、あきらかに人間ではない領域に達している。
さらに次のテスト用紙をめくってみる。
『たかし君は独自のトレーニング法により、時速100kmで走れるようになりました』
あっという間に高速道路並みの速度に達している。
もはや完全に妖怪の領域だ。
というより、一体どんなトレーニング法だ。むしろ、それを知りたい。
そして修行の過程でありとあらゆる「ありえない」出来事が起きている。
・お小遣いを稼ぐためにカーレースに出場し、生身で走って優勝してしまう
・忘れ物をしたお父さんが新幹線に乗ってしまったので、生身で新幹線に追いついて忘れ物を渡す
・生身で戦闘機とドッグ・ファイトして勝つ
・生身でミサイルを振り切る
・倒れてきたビルを生身で支える
・時々文中に「衝撃波は発生しないものとする」という注意書きがある
その後も色々な師匠に師事し、修行し、時には挫折を味わいながらも速度を上げていく。
最初は呆れていたが、だんだんとその超人っぷりに胸がすくような思いがしてくる。
そんな中、展開に変化が訪れる。
これまでは普通の算数の問題の中に、二問か三問のたかし君の修行話がはいっているだけだった。
しかし、そのテストからは明確な『敵』が登場し、テストのほぼ全問にたかし君が登場するという恐ろしい展開だ。
これはもうテストではない。
ちなみにこの時点ですでにたかし君のトップスピードは時速800kmに達し、舞空術もマスターしている。
『ついに宿敵の四天王の一人である「炎の男」と戦うことになりました。話し合いの結果、早さ比べで勝負することになりました。競争区間は3,000mで、炎の男が11秒でゴールし、そのときたかし君は300m先を走っていました。たかし君の走る速度は時速何キロメートルだったでしょうか』
という問題に対し、少年の字で「時速1080km」という答えが書いてあり、赤ペンで○がついている。
「ついに、時速1000kmを超えた……。ってか、四天王ってなんだよ!?」
「そこは後でわかるからいいんやで」
小学生がドヤ顔をする。
『「炎の男」は「く、俺の負けだ。お前のように速い奴は初めて見たぜ。完敗だ」と言うと、たかし君とあつい握手をかわしました。このとき突然強い風が吹き、近くを歩いていた女の子の傘が時速60kmで吹き飛ばされてしまいました。吹き飛ばされてから3秒経過したところで、たかし君が時速90kmで傘を追いかけました。たかし君が傘に追いつくのは走り始めてから何秒後のことでしょうか』
「算数の問題文に会話文が入っているなんて……こんなのありか。というか、なんでそんな危険なところに女の子が傘をさして歩いているんだよ! っていうか、突風で飛ばされた傘に走って追いつくのが前提かよ! だめだ、突っ込みきれない!」
『たかし君が傘に追いついたところで、風に飛ばされたガラスの破片が500m先から時速100kmで飛んできました。「危ない!」と叫んだ炎の男が、たかし君に走り寄って突き飛ばした瞬間、ガラスの破片が二人の間を通り過ぎました。たかし君が「なぜ僕をかばったんだ」と聞くと、炎の男は「ライバルが怪我をするのを見ていられなかったのさ」といって笑いました。さて、炎の男は時速何キロメートルで走ってきたでしょうか。ただし、炎の男はガラスの破片が飛んでくるまで握手をかわした場所から移動していないものとします』
「これは前の問題を踏まえた応用問題か。し、しかしなんなんだ、このちょっといい話的な問題は……」
その後のテスト用紙はたかし君で埋め尽くされ、四天王を倒したり人助けたりしてストーリーが進んでいく。
ついに、宿敵トテモアークを倒し、世界が平和になった。
さんざん突っ込んで楽しみまくったところで、ひと通り見終わった。
「いやぁ……なんかすごいなこのテスト」
「去年来た先生やで。テスト終わった後はみんなでもりあがるんやで」
と、少年が楽しそうに語る。
話を聞いていくと新任の教師らしい。
ここまでやり切ることに尊敬するとともに、ちょっとした懸念が湧いてきた。
「最近、前よりおもしろくないんやで」
と、少年自身が語るように、自分から見てもマンネリが来ているように見える。
序盤から中盤は、修行で速度を上げたり、舞空術を覚えたり、パン食い競争をしたり、四天王と戦いを繰り広げたり、とにかく様々な展開があった。
しかし、宿敵トテモアークを倒したところでネタが無くなってしまったらしい。
後は問題の焼き直しとパワーインフレしか残っていなかった。
前のテストで見たような展開で、歩く速度や走る速度をあげることでごまかしているような印象だ。
「そういえば、その先生ってなんて名前だ?」
「武井先生や」
「武井……? もしかして、右の目の下にでっかいほくろがある太った人?」
「うん。なんで?」
「こいつ、俺の昔のクラスメートだ!!」
そう、小学生のころ俺と一緒にテストの問題を書き換えた友人だ。
◇
一週間後、俺は親戚の小学生の担任であり俺の昔のクラスメートでもある武井の家に憤怒の形相で突入していた。
「ほんと、久しぶりだなぁ。小学生の時、俺とお前で問題を書き換えて遊んだよな。あの時の澤井先生はやさしかったから、俺が書き換えたところにでっかい花丸つけてくれたんだ。俺は感動したね。こんな先生になってやろうと……」
出会ってそうそう武井が熱く語り始めたが無視して、
「馬鹿野郎! このインフレゲームはなんだ!?」
と、テスト用紙を机の上にビタンと叩きつけて怒鳴りつけた。
「お、おい、少しは昔話しさせろよ。会ったの何年ぶりだと思ってるんだ……」
「そんなことはどうでもいい! 俺は怒ってるんだぞ!? なんだこの展開は!?」
机の上のテスト用紙を指さして武井の顔を睨みつける。
「これは……俺の算数のテストじゃないか」
「そうだ! だが、俺はこんなマンネリ展開を見るために、残業明けの真夜中に大迷惑だと自覚しながら親戚の小学生の家に突撃したわけじゃない! パジャマ姿のおじさんとおばさんにどれだけ白い目で見られたと思ってるんだ!?」
そう、このテスト用紙は数日前に親戚の小学生から極めて穏やかに奪取してきた最新の算数テストだ。
「そ、そんなことしたのか。出直せばよかっただろうが……」
「どうしても続きが見たかったんだ!! それに、こういうものは発売当日に見るのが一番楽しいんだ。しかし、はっきりいって俺は呆れ返った。なんだこのインフレゲームは!? こういうのがダメだというのはよくわかっているだろう!?」」
「いや、発売って……雑誌じゃないからな。それにマンネリだと言われても、もう新しい展開は思いつかないんだよ……俺にはもう無理だ」
意気消沈する武井に対し、俺の必死の説得が始まった。
そこから熱い議論と応酬が一晩続いた。
夜が明けた後、俺も武井もへとへとであったが、武井の目は輝いていた。
「次回は、期待してくれ」
「ああ、期待しているぜ」
俺は武井と熱い握手をかわした。
◇
翌週のこと、俺のアパートに親戚の小学生がやってきた。
入ってくるなり、
「今週のはおもしろかったで!」
と、満面の笑みを浮かべてテスト用紙を俺に渡した。
テスト用紙を見た俺は、問題を見て頷いた。
「そうか、ついに行ったか」
たかし君は世界を救うため、宇宙へと飛び立っていた。
もちろん、生身で。
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