御遺言の全文「殺す勿れ」 昭和60年5月26日
谷口雅春先生の最終講話(総本山顕斎殿にて)
私がお話し申したいようなことは、みんな僕の著書に書いてあるのであります。ですからそれを読んでいただければ、僕の口から聞かないでもそれで済むわけなんであります。
しかしながらこうして皆さんにお目にかかることができること、そのことが有難いのであります。(拍手)
今ここ日本の各所で生まれた人が集まっておられるが、吾々はある時にはギリシャの王子として生まれたり、あるいはお姫様として生まれます。
そしてそこで互いに会いおうて、そして恋愛をして、その王子になり王子の奥さんになったような方々もここにいらっしゃるわけなんであります。
それがいわゆる、「袖振り合うも他生の縁」、他生、他の世界で生まれるという字ですね、他生。
他の世界で生まれた時のそのご縁の続きで、そして今日本の国に生まれて、そして北海道のような北の遠いところやら、あるいは台湾のような南の方の端のところで生れた人も中にはありますけれども、
それは他生の縁、他の、何回も生れ変っている他の国で、他の民族で生れ変っている時からすでに互いに知り合いであった。その時にすでにある人同士は恋愛をして結婚をしとった人も、ここにこう集まってきている。
そういう人はお互いに他方をちらりと目を合わすとですね、なんとなしにずいぶん昔から知り合いの人である、という感じがわかってきて、そして親しくなりたい、という思いがわいてくるのであります。
それが「袖振り合うも他生の縁」というわけでありますし、先ほどの「多い少ない」という字じゃない、他の生まれる世界においてあった縁がですね、縁あったところに繰り返して、そいで生まれてきておって、
ちらりっと相手の顔を見て、前からずっと知り合いであった、昔から恋人であったというようなね、感じがすぐに起こってくる。
それが袖振り合うも他生の縁というわけでありますが、そうして、吾々はこうして一堂に会していると、それも決していま今生、いままで、これが今生のこの世界において、
そして日本国に生まれているので偶然に集まってきているんだと思うと、そうじゃないのであって、そりゃみんなね、他生の縁、他の民族として
あるいは他の国民として、生まれた時から互いに知り合って恋人であったり、あるいは兄弟であったり夫婦であったりしたような人はね、こうして集まってきて、だからみんなね、これは懐かしいわけでありますが、
こうしてみんなはね、みな互いに吾々は親類縁者同士、中にはこうして集まっている、
そういう集まる深い因縁、袖合うどころじゃない、袖振り合うも他生の縁というのは振り合う、
袖を振り合うだけじゃなく、こうして先生の講演を一緒に聞いて、そしてお互いに真理を一層深く知りあうというような因縁になって生まれてきている方々がこうして出て来ておられるんですねえ。だからね、
ま、この他生の縁、多い少ないの多少じゃないんです。
他の生涯に生まれとった、その時からの縁で深い深い因縁によってこうして集まってこられて。
これが他生の縁である。袖振り合うだけじゃない、同じ真理の話を聴いて尚一層悟りを深める、こういうね、有難い因縁を一緒にこう持つということは、これは滅多に得られないところの深い深い因縁であるわけでありますね。(拍手)
だからね、みなさんねえ、せっかくここに集まってこられたんだから、みんなと仲良く、といっても一人が全部と仲良く友達になるわけにはいかんけれども、
その近くに座っておられる人、互いに仲良く話しあって、そしてこれから後も親しい親類同様の、深い仲間にありながら、ならしていただくとまことにありがたいことであると思うのであります。(拍手)
私ももう九十歳を超えて九十二三歳に。九十の歳と書いて卒寿と読むんですね。だから九十とは卒業の卆じゃ。人間わずか五十年と言うた時代があったですね。
そして七十歳は古来稀なりといって、古希の祝いをした。ところが私はいま九十二歳か三歳になる。
まあ十分であります。まことにありがたいことである。みなさんもね、長生きしていただいて、そして今この話を聞いて、聞いたことを思いだし、
そいでまあ一緒に隣り合って座り合っているような人と、深い因縁があって、袖振り合うも他生の縁である。袖振り合うだけじゃない、こうして真理の話を一緒に座って、その因縁というものは非常に深い因縁であると、わたしは思うんです(拍手)
すべてがだから皆さんは自分一人がここに集まった人の親友に全部一人でなるってわけにはいかんけれども、たまたま隣に腰かけて座っておられるような人はねえ、
これを機会に深い因縁ある親類以上の因縁がある懐かしい人なんだと自覚をして、仲良くしてこれからも交際していただきたいと存じます、と思うのであります。ねえ。(拍手)
「鶴は千年 亀は万年」と言いました。人間は万年どころじゃない。無量寿如来である。(拍手)
正信偈という仏教のお経には、帰命無量寿如来など難しいという書き出しで始まっておりますね。
そしたら皆さんはみんな無量寿如来の命をいただいて、でここに生まれ変わって来ておられるのである
皆さんはここへ生まれてから、真宗の信者になったとか阿弥陀さんの信者になったとかいうのは、そんな浅い因縁ではない、命のもとへ帰っていくから無量寿如来、言い換えると阿弥陀如来であります。
その深い因縁を思い出すとき、皆さんは一人や、この全部の人と仲良しになって交際するということも難しいけれども、そんなんでなくておそばに座っておられる、
そういう数人の方くらいなら、いつでも手をつないで、仲良くして、そしてあなたの命も無量寿如来の命が宿っている、私の命も無量寿如来の命が宿っている。
互いに兄弟である。ということを自覚して、そして仲良く交際していくようにしていただきたいと、私は思うのであります。(拍手)
帰命無量寿如来、など不可思議というのはね、正信偈の始めのところで‥。
僕は神戸で生まれて大阪で育って、僕の養父は広島の人で、広島は安芸の国で、安芸門徒と言って、非常にその本徒、本徒と言うと真宗の信者ですね。
安芸門徒と言うて、東の門徒はなかなか固い信仰を持っておったんです。まあその安芸広島の士族の生まれで、そしてこの世に出てからもよくお寺へも、真宗のお寺へお詣りもしておった。
まだ少年の時代、お寺の名前は忘れたけれど毎朝そのお寺へ行って、裃を着ましてね、子供のくせにね。
そして正信偈の帰命‥ちゅうて、大珠如来と言って母親と一緒に、そのお経を読んでおったことを覚えているのであります。
ある意味わからずに読んでおったけれども、しかし潜在意識は無量寿如来ということは、どういうことであるかということは、それは幼い時でも潜在意識は知っているんです。
そして深い深い無量寿如来に対する、無量寿如来については無限の命の如来、阿弥陀さまのことです。阿弥陀さんの信仰に少年の時から深く阿弥陀さんに結ばれて、つながれてそして育ってきた。それでこうして宗教家として人を浄化する、そういう仕事を自然にするようになったわけなんであります。(拍手)
幼い時のもんが、修行もなんにも役に立たんように思うか知らんけど、そうじゃないんです。
潜在意識は幼い子供も老人の人間の潜在意識も、みんなその奥には仏陀が、阿弥陀如来が在しますんだ。それを思い出してその命はどこから出てきたか、寿命無量寿如来。
自分の命が無量寿如来すなわち阿弥陀さんの命から生まれてきた命である。
それを思い出して、そして阿弥陀さんの命に帰る、帰命。命はいのち。皆さんもそれを思い出して、阿弥陀さんの命に帰る。
人間は唯の動物ではないのである。動物のね、雄と雌とが結婚して、そして子供が生まれたような、そんな弱い劣る存在ではない。無量寿如来のその命から生まれてきた、そのもとの命は無量寿如来である。
この体は五尺なん寸。小さい体であるけれども、命は無量寿如来。皆さんは無量寿如来でありますよ。(拍手)
それがほんとにわかったら病気なんてすることない。無限の命の如来さまだ。それは病気をしたり、いろいろ過ちを犯したり、罪を犯したりするようなそんなことはないことです。
そんなことが起こるのは自分の命がどこから生まれてきたかということをね、思い出さんからじゃ。
皆さんはそれを思い出して、そして自分の命は阿弥陀如来の命がここに宿っているのである、ということをね、思い出すんです。(拍手)
一切衆生ことごとく仏性あり、という仏教の言葉があるですね。一切衆生、衆生とは多くの生きているもの。一切の多くの生きているものあり。一切衆生、仏性あり。仏性は仏。意味はブツで、性は本性。
人間の命の仏性は、仏の命が宿っているのであるということを、皆さんは毎日思い出すがいい、ウン、ウン。決して人間は子宮から生まれたのではないのである。
今無量寿如来の命が宿っている。如来さまですよ、人間は。自覚した程度にその人の生活が高まっていく、浄まっていくものであります。人間は無量寿如来の命がここに宿って生かされているので、(拍手)
これがわかることが、これがすべて道徳の根本である。
女の子宮から生まれて、性欲の塊が、なんて考えたら値打ちはない。だから生命の實相の本の中には、人間はいまだかつて女の子宮から生まれたことはないのであると書いてある。僕が書いたんだけど、ハハ。(笑)けれどもね、それは実際そうなんです。女の子宮から生まれたんじゃない、ウン。
‥無用。天界に在しましたところの天然の命が天下ってきて、麻耶夫人の右の脇腹に妊娠して生まれたのが、これが釈迦牟尼如来であるという伝説になっているが、釈迦牟尼如来だけじゃない。みんな天界に在しますところの、無量寿如来の命の別れが天下ってきて、そしてお母さんのお腹に宿って、そこから生まれてきたんだ。
その命の本物が、本元が無量寿如来、すなわち阿弥陀如来ですが、これが如来の命がいまここにきているんだー、ということを、まいにち朝くり返す。神想観をして思い出す。また、寝しなにも神想観をして(節をつけた招神歌)、というこの招神歌をみなさんも毎朝唱えておられていると思います。
そして無量寿如来の命がここに在しますということが分かったら、自分のここにあるだけじゃなくて、すべての人間の命の中に無量寿如来が在わします。みんなが無量寿如来。如来と如来の拝み合いの世界がこの世界だと。
これを悟らしていただく。そしたら今のような、ああ学校にも暴力沙汰があったり、いたるところに暴力沙汰があったりするような、そんな暴れまわる世界ではなく、みんな拝み合う世界が開けてくる。(拍手)
だから皆さん自覚して、みんな無量寿如来の命の兄弟だ。そしたらばもう、暴力事件なんてものは起こりようがないのであります。教育が悪いというのは、教育と言うのは外から教える、と。押し込むことじゃないのである。
教育はエデュケーション、エデュケートと言うたら、引き出すということである。みんなに無量寿如来の命が宿っているものを、それを引き出すのは、これが教育である。(拍手)
宿っているけれども引き出さずに暴れん坊だ、お前の命はろくでもない暴れん坊だ、乱暴な暴れん坊だと先生が生徒をバカにして、そして「教えてやるぞ」と。
教えるとは押し込むことだくらいに思っている。教育しているなら学校の暴力沙汰もそれも終わらないということになる。すべての人間が、いま如来の命が宿っているというその實相を拝ましていただく、それを引き出すのがこれが教育です。
エデュケート、エデュケーションというのは教育ですね。教育とは引き出すことなんだ、みんな無量寿如来の、如来さまの命が宿っているから、拝まずにはおれない。
みんな拝まれる。そういう資格のある、実際至上仏性、仏性、仏の本性がみんなに宿っている。それをね、自覚させるのがこれがほんとの教育だ。(拍手)
どうぞみなさん、この教育の現状をとらえて、みなさん知らせてあげて、そして陰では生長の家の機関雑誌を見本にして、そして差し上げて、そして読んでいただくというようになさいましたら、きっと日本中だけじゃない、世界中の人間がみんな無量寿如来の命が宿っている、如来さまであるんだあ。
自覚するようになるから、拝み拝まれる世界がここに現れてきて、もう戦争も何もない、争いもない、乱暴沙汰なんてものもない。ほんとうにね、合掌にね、拝み合いの生活ができてくるのであります。(拍手)
「合掌すれば天国へは現る。父を拝まん、母を拝まん、と言う僕の歌があります。合掌すれば天国ここに現れる。
父を拝まん、母を拝まん。父と母だけじゃない。すべての人間は無量寿如来のおんなじ命の兄弟であるから、父を拝まん、母を拝まん。それだけじゃないすべての衆生、すべての人類を拝ましていただきます。
これらがすべての善のもとは何かと言うと「不殺生」。不は争い。不殺生、殺生をしないということのね、すべての道徳の根本にあるんだ。
殺して、誰かを殺さなければ何かの利益が、あるいは権益が得られないというのは、それはもう戦争の発端。戦争して相手を殺さないで、というような得になる、得るようなことはありえないことである。
戦争は人を殺し、すべての十全、あらゆる善のその一番最初の項目は何かと言うと不殺生、殺生せずということがすべての道義、道徳の根本である。不殺生、すべての人間は、根は如来の命が宿っている、その人間を殺して自分が権益を奪う、利益を奪う、そんなことがねえ、いいことか悪いことか。
もう考えてみないでもすぐ答えは出てくる。だから殺す勿れ。モーゼの十戒も、あるいは仏教の十全の徳も、みんな最初の項目は殺す勿れである。殺すのはいかん、というのは人間の命は如来の命である。
如来を殺して、大変な仏罰があたる。そいで戦争をして、そいで得になったか。日本人でも真珠湾を爆撃してる。そいで一時、敵の軍艦をみんな全滅させたなんて考えておったけれども、しまいには最後の神様からの回答が天下ってきた。そして原子爆弾が日本の長崎に、
あるいは広島に落とされるというようなことが起こってきたんです。これは自分の心の中に、自分が得になるとふんだら相手を殺してもいいというような、そんなずるい考えをもっているからそういうような目に合うんです。殺される目に合う。
世界平和の根本的真理は「殺す勿れ」。一人も殺さないで戦争するわけにいかんでしょう。
そのくらいのことは誰でも知っていることなんだが、それが政治という厄介なものをつかんでいる。
政治家も目の前が分からないで、それで国家の権益であるとか、日本の国の権利の拡張であるとかなんとか考えて、それで殺すことが日本の権益を守ることであるなんていうような迷いに陥ることによって戦争が始まる。
有難うございます。静聴を感謝致します。(拍手)
昭和60年(最終講話の翌月)6月17日は谷口雅春師が【帰幽】された日であります。
その後、眠りに入り、6月17日、眠ったまま帰幽されました。
捧げて捧げて、捧げつくした人生でした。
平成の時代に、後に続く者たちを見て、谷口雅春先生は、何と思われているでしょうか。