11 | 03 |
2012 |
逸刀流とは何だったのか。
無限の住人が終わりに近づいている今、物語の最大の要素の一つであった逸刀流について総括してみることは無駄ではないと思います。
なにぶん連載19年、単行本30巻あまりに達する超長編ですので、1巻から13巻までを「前編」、14巻から20巻(いわゆる不死力解明編)までを「中編」、最終章たる21巻から最終話までを「後編」と呼びたいと思います。
逸刀流とは、wiki的に言えば
特定の流儀・格式を持たず、あらゆる武器・剣技を用いることを認められ、「一対一で戦うこと」を唯一の身上とする剣客集団
です。
基本的には流派を名乗る武道集団という設定ですが、作中でキャラのセリフによって表現される逸刀流評価や説明はさまざまなものがあります。
今回、天津の最期のセリフによれば逸刀流は
「太平の世に武の隆盛と剣の再生を掲げて暴れた者達」
ということになっています。
ここ数年、最終章においては逸刀流の位置づけははっきりとそういうものでした。
では初期の描写はどうだったかというと、3巻終盤で天津が凛に、太平の世の剣士の堕落ぶりを嘆いて見せ、「それを思うと胸中にある不安がよぎる」と呟くシーンがあります。これはおそらく、この時点ですでに天津(=作者)の中に「逸刀流の本望は武の再生と軍事の活性化にある」という発想ができていたことを示すと思います。
しかし、実際の逸刀流はどういうものだったでしょうか。
第一話や4巻の回想シーンを見ただけでわかるように、ただ暴れて殺人強姦をしたいだけのならず者集団と言われても仕方がないと思います。
それはごく初期のことだけでなく、火瓦3人組や瞳阿にいたるまで、逸刀流の大半を占める者達の人間性は、必ず勝てると思える相手にはどこまでも強く残酷に出るが、強い相手からは逃げるというものです。
唯一の規則である「一対一」も多くのシーンで簡単に破られています。それは下っ端の暴走といえるのでしょうか。6巻では、無骸流に対しあきらかに一対一以上の人間を逸刀流は繰り出しています。恐らくこれは統主公認であり、作中に出るシーンだけでこれなら、陰ではさらに多くのルール破りが横行してそれも逸刀流の悪評を高める理由だったのではないでしょうか。
政治的な過激派の域にすら達していないただのヤクザ、それが世間の逸刀流を見る目だったでしょう。
さらに、強さだけを重要視すると喧伝するわりには、それすらも大したものではありません。天津・黒衣・閑馬の逸刀流トップ3は作品世界全体でもトップクラスの強さだったでしょう。しかしその3人を除いた逸刀流剣士は、天津のセリフ「強力な剣士を欠いた逸刀流は巨大なガラスの虎」を見る限り、彼のメガネにかなうものではなかったようです。
もちろん、これを言っているのはまだ3巻の時点なので、作者が馬絽や怖畔のキャラを考え付いていなかったともいえます。しかし重要なのは、3巻前半という初期の時点では、逸刀流というのは層の薄い烏合の衆という位置づけだったということです。
おそらく、天津が政治思想を持っているという設定もこの時点ではできていたと思います。
一方で天津の独白や回想での黒衣との会話を見ると、
逸刀流のような流派に集まる人間はならず者ばかり→
ならず者でも知性と並はずれた剣力があればいいが、たいていの場合精神性と知性剣力は比例する→
今逸刀流にいるのは、強くもなければ知性も男気もない頭の軽いチンピラばかり
ということにも天津は気づいていたと思います。天津が自分と平剣士との温度差に気づいていて悲嘆する、そのすれ違いが面白味の一つだと私は思っていました。
その逸刀流の空虚さがあらわになり始めるのが5巻以降で、強さを誇っていた逸刀流が、無骸流にどんどん倒されていきます。
太平の世のお座敷剣法とは違う!と宣言しながら、結局逸刀流が今まで勝ってこれたのは、相手が太平の世のお座敷剣法の使い手だったからなのではないでしょうか。公儀の犬と呼ばれようと、命がかかっている人間の気迫と逸刀流と同じ実戦戦法を駆使し、かつ少数精鋭の無骸流(後の六鬼団もそうですが)の敵ではなかったのではないでしょうか。
尸良が喝破したように、逸刀流というのは中身は何もないハリボテ同然で、天津一人でもっているというのがその実態だったと思います。
そして逸刀流が幕府の敵とされた中編ですが、千人いた逸刀流が一気に十人にまで減ってしまいます。ガラスやハリボテというより、ほとんど紙風船です。
この時点では、統主と残った部下の剣士たちは政治思想という目的を共有しているという設定になっています。その代表として中編では瞳阿のキャラがクローズアップされましたが、結局天津相手に高説をぶっていたのは自分でも何を言っているか分からない状態だったということが彼女自身の口から語られ、さらには14巻で批判した相手と全く同じように、天津を見捨てて逃走します。
容姿や設定が特異ですが、結局彼女も「強くもなければ知性も男気もない頭の軽いチンピラ」だと思います。
そして最終章たる後編ですが、ここでようやく、天津が自らの政治信条を外に向かって行動を伴い発信します。
5巻の時点で吐が天津に対して武士の柔弱ぶりを嘆き、「貴公が逸刀流を率いているのもそれを危惧してのことと聞いていますが」と言っているので、かなり早い段階から天津は、自分は武士の弛緩を憂いているということを隠さずに発信していたようです。
しかしそれは幕府に信用されることなく、あるいは無法者が国政に容喙するなど僭越であるという考えからか、逸刀流は幕府に弾圧されます。
この後編では、逸刀流の中堅幹部が地方を回って道場をこまめに併合していたという設定も出てきます。
亜門の語りによれば、酒宴の九人の一人亡安法師は「士道の再生」を掲げていたそうです。亜門もそれに共感して逸刀流に入った者です。
逸刀流が始動して三年にもなるならこういう生真面目な人間たちがもっと多くいてもいいはずで、逸刀流の中に統主の理念を理解する者は誰もいない・逸刀流に理念はないかのような今までの描写と食い違います。
個人的にいえば、天津の思想を素直に受け止めてそれに殉じた逸刀流剣士というのは、この新人達が初めてだったのではないでしょうか。
阿葉山や凶も武士である黒衣や閑馬も、国家論にも武の再生にも興味がなく、自分の趣味や事情で頭がいっぱいでただ天津の人物に一目置き個人として応援していただけだと思います。
馬絽は、これはまったく私の決めつけですが、彼は天津の思想を思想として理解していたものの、自分の中に渦巻くエネルギーをぶつけるのに逸刀流の事業というものが好適に見えたのではないかと思います。
把山や圭反は、登場早々に死んだのでよくは分かりませんが、マタギという出自やいかにもアウトロー的な風貌からすれば、国家論や士道の再生という抽象的な論理に興味を示すとは思えず、あくまで義侠心から逸刀流に居残っていたのではないかと思います。
亡安法師ら酒宴の9人は……こういっては何ですが、ギャグキャラなので士道の再生を唱えていたと言ってもあまりまともには受け取れません。
新人たちは、強さはそれほどではないにしろ天津の思想に共鳴した貴重な人材であり、「太平の世に武の隆盛と剣の再生を掲げて暴れた者達」の名にふさわしいといえます。
ところが、この新人を代表して品田が阿葉山に
「我々は結局、逸刀流を担うに足る存在にはなれなかった。逸刀流とはあなた達のことだ」
と言います。
天津の思想を理解し、天津の逸刀流観に合うはずの品田がこういうことを言うというのは重要です。こののち、品田は荒篠との立会いで「逸刀流とは何ぞや」と自問自答しますが、先にあげた台詞の方がシンプルにそれを表していると思います。
品田の言葉を言い換えれば、逸刀流とは、努力だけでは追いつかないずば抜けた異能じみた強さを持つ剣士のことであり、いくら統主の思想を理解し共鳴でき、武の修練を怠らなくても、強くなければ逸刀流とは言えないということだと思います。
改めて逸刀流のメンバーを分類してみると、次のようになるでしょう。
1・大多数の逸刀流剣士。ただのチンピラで、武の再生も士道の再生も全く頭になく、ただ暴れられたり大集団の中に入れればそれでいいという者達。
2・武の隆盛と剣の再生を真面目に考えた少数の者達。これもそれほど強くはない平凡な剣士。
3・逸刀流らしさを体現した強い剣士。1と同じく武の再生や国の未来など考えていなかった。
玉石混合でとにかく多くの人材を集めたことで、3にあたる玉もそれなりに獲得できましたが1にあたる石も多く抱え込むことになりました。そして彼らを居続けさせるためは、ある程度の不法を許容する必要もあったでしょう。
しかし天津の真意は、ただ強い者を集めることにはなく、武の再生と政治参加にありました。
一方で天津は、逸刀流が世間のはぐれ者の居場所になっているということも理解していました。元々彼には、世間から外れた者達への同情心が強いように見えます(「逸」という字には「逸材」のように優れているという意味がありますが、「逸脱」のように、正統から外れるという意味もあります。ここまで踏まえて「逸刀流」の名をつけたのなら沙村先生は凄いです)。
無法なならず者・異形の強者たちの居場所としての役割を果たすことと、政治に参加するという道は相いれないものだったのに、両者を両立させようとした。さらにそのどちらも中途半端で、しかも向いてない国政参加の方に比重を置いたということに逸刀流の破綻の原因があり、天津の悲劇があったのではないでしょうか。
結局、冒頭にあげた天津のセリフ「太平の世に武の隆盛と剣の再生を掲げて暴れた者達」という逸刀流観は、「こういうものであってほしかった」という天津の願望に過ぎなかったと思います。
さらに天津は逸刀流が世間からどう見られるかを最後まで気にしていますが、逸刀流の本質とは強い剣士そのもののことであると思い決め、この太平の世に強い剣士を何人も掬い上げることができたということで満足して、世間や公儀の評価、後世の評価はもう気にするべきではなかったと思います。それは天津の本懐とは反するものだったでしょうけど。
「逸刀流とは何だったのか」を改めて総括すると、負の側面をあえて無視して言えばそれは、
・一般社会に居場所がなかった者達の拠り所となったもの
・太平の世に馴染めないでいた硬骨の剣士を掬い上げ、たとえ死ぬにしても生きがいを与えたもの
と言えるのではないでしょうか。
無限の住人が終わりに近づいている今、物語の最大の要素の一つであった逸刀流について総括してみることは無駄ではないと思います。
なにぶん連載19年、単行本30巻あまりに達する超長編ですので、1巻から13巻までを「前編」、14巻から20巻(いわゆる不死力解明編)までを「中編」、最終章たる21巻から最終話までを「後編」と呼びたいと思います。
逸刀流とは、wiki的に言えば
特定の流儀・格式を持たず、あらゆる武器・剣技を用いることを認められ、「一対一で戦うこと」を唯一の身上とする剣客集団
です。
基本的には流派を名乗る武道集団という設定ですが、作中でキャラのセリフによって表現される逸刀流評価や説明はさまざまなものがあります。
今回、天津の最期のセリフによれば逸刀流は
「太平の世に武の隆盛と剣の再生を掲げて暴れた者達」
ということになっています。
ここ数年、最終章においては逸刀流の位置づけははっきりとそういうものでした。
では初期の描写はどうだったかというと、3巻終盤で天津が凛に、太平の世の剣士の堕落ぶりを嘆いて見せ、「それを思うと胸中にある不安がよぎる」と呟くシーンがあります。これはおそらく、この時点ですでに天津(=作者)の中に「逸刀流の本望は武の再生と軍事の活性化にある」という発想ができていたことを示すと思います。
しかし、実際の逸刀流はどういうものだったでしょうか。
第一話や4巻の回想シーンを見ただけでわかるように、ただ暴れて殺人強姦をしたいだけのならず者集団と言われても仕方がないと思います。
それはごく初期のことだけでなく、火瓦3人組や瞳阿にいたるまで、逸刀流の大半を占める者達の人間性は、必ず勝てると思える相手にはどこまでも強く残酷に出るが、強い相手からは逃げるというものです。
唯一の規則である「一対一」も多くのシーンで簡単に破られています。それは下っ端の暴走といえるのでしょうか。6巻では、無骸流に対しあきらかに一対一以上の人間を逸刀流は繰り出しています。恐らくこれは統主公認であり、作中に出るシーンだけでこれなら、陰ではさらに多くのルール破りが横行してそれも逸刀流の悪評を高める理由だったのではないでしょうか。
政治的な過激派の域にすら達していないただのヤクザ、それが世間の逸刀流を見る目だったでしょう。
さらに、強さだけを重要視すると喧伝するわりには、それすらも大したものではありません。天津・黒衣・閑馬の逸刀流トップ3は作品世界全体でもトップクラスの強さだったでしょう。しかしその3人を除いた逸刀流剣士は、天津のセリフ「強力な剣士を欠いた逸刀流は巨大なガラスの虎」を見る限り、彼のメガネにかなうものではなかったようです。
もちろん、これを言っているのはまだ3巻の時点なので、作者が馬絽や怖畔のキャラを考え付いていなかったともいえます。しかし重要なのは、3巻前半という初期の時点では、逸刀流というのは層の薄い烏合の衆という位置づけだったということです。
おそらく、天津が政治思想を持っているという設定もこの時点ではできていたと思います。
一方で天津の独白や回想での黒衣との会話を見ると、
逸刀流のような流派に集まる人間はならず者ばかり→
ならず者でも知性と並はずれた剣力があればいいが、たいていの場合精神性と知性剣力は比例する→
今逸刀流にいるのは、強くもなければ知性も男気もない頭の軽いチンピラばかり
ということにも天津は気づいていたと思います。天津が自分と平剣士との温度差に気づいていて悲嘆する、そのすれ違いが面白味の一つだと私は思っていました。
その逸刀流の空虚さがあらわになり始めるのが5巻以降で、強さを誇っていた逸刀流が、無骸流にどんどん倒されていきます。
太平の世のお座敷剣法とは違う!と宣言しながら、結局逸刀流が今まで勝ってこれたのは、相手が太平の世のお座敷剣法の使い手だったからなのではないでしょうか。公儀の犬と呼ばれようと、命がかかっている人間の気迫と逸刀流と同じ実戦戦法を駆使し、かつ少数精鋭の無骸流(後の六鬼団もそうですが)の敵ではなかったのではないでしょうか。
尸良が喝破したように、逸刀流というのは中身は何もないハリボテ同然で、天津一人でもっているというのがその実態だったと思います。
そして逸刀流が幕府の敵とされた中編ですが、千人いた逸刀流が一気に十人にまで減ってしまいます。ガラスやハリボテというより、ほとんど紙風船です。
この時点では、統主と残った部下の剣士たちは政治思想という目的を共有しているという設定になっています。その代表として中編では瞳阿のキャラがクローズアップされましたが、結局天津相手に高説をぶっていたのは自分でも何を言っているか分からない状態だったということが彼女自身の口から語られ、さらには14巻で批判した相手と全く同じように、天津を見捨てて逃走します。
容姿や設定が特異ですが、結局彼女も「強くもなければ知性も男気もない頭の軽いチンピラ」だと思います。
そして最終章たる後編ですが、ここでようやく、天津が自らの政治信条を外に向かって行動を伴い発信します。
5巻の時点で吐が天津に対して武士の柔弱ぶりを嘆き、「貴公が逸刀流を率いているのもそれを危惧してのことと聞いていますが」と言っているので、かなり早い段階から天津は、自分は武士の弛緩を憂いているということを隠さずに発信していたようです。
しかしそれは幕府に信用されることなく、あるいは無法者が国政に容喙するなど僭越であるという考えからか、逸刀流は幕府に弾圧されます。
この後編では、逸刀流の中堅幹部が地方を回って道場をこまめに併合していたという設定も出てきます。
亜門の語りによれば、酒宴の九人の一人亡安法師は「士道の再生」を掲げていたそうです。亜門もそれに共感して逸刀流に入った者です。
逸刀流が始動して三年にもなるならこういう生真面目な人間たちがもっと多くいてもいいはずで、逸刀流の中に統主の理念を理解する者は誰もいない・逸刀流に理念はないかのような今までの描写と食い違います。
個人的にいえば、天津の思想を素直に受け止めてそれに殉じた逸刀流剣士というのは、この新人達が初めてだったのではないでしょうか。
阿葉山や凶も武士である黒衣や閑馬も、国家論にも武の再生にも興味がなく、自分の趣味や事情で頭がいっぱいでただ天津の人物に一目置き個人として応援していただけだと思います。
馬絽は、これはまったく私の決めつけですが、彼は天津の思想を思想として理解していたものの、自分の中に渦巻くエネルギーをぶつけるのに逸刀流の事業というものが好適に見えたのではないかと思います。
把山や圭反は、登場早々に死んだのでよくは分かりませんが、マタギという出自やいかにもアウトロー的な風貌からすれば、国家論や士道の再生という抽象的な論理に興味を示すとは思えず、あくまで義侠心から逸刀流に居残っていたのではないかと思います。
亡安法師ら酒宴の9人は……こういっては何ですが、ギャグキャラなので士道の再生を唱えていたと言ってもあまりまともには受け取れません。
新人たちは、強さはそれほどではないにしろ天津の思想に共鳴した貴重な人材であり、「太平の世に武の隆盛と剣の再生を掲げて暴れた者達」の名にふさわしいといえます。
ところが、この新人を代表して品田が阿葉山に
「我々は結局、逸刀流を担うに足る存在にはなれなかった。逸刀流とはあなた達のことだ」
と言います。
天津の思想を理解し、天津の逸刀流観に合うはずの品田がこういうことを言うというのは重要です。こののち、品田は荒篠との立会いで「逸刀流とは何ぞや」と自問自答しますが、先にあげた台詞の方がシンプルにそれを表していると思います。
品田の言葉を言い換えれば、逸刀流とは、努力だけでは追いつかないずば抜けた異能じみた強さを持つ剣士のことであり、いくら統主の思想を理解し共鳴でき、武の修練を怠らなくても、強くなければ逸刀流とは言えないということだと思います。
改めて逸刀流のメンバーを分類してみると、次のようになるでしょう。
1・大多数の逸刀流剣士。ただのチンピラで、武の再生も士道の再生も全く頭になく、ただ暴れられたり大集団の中に入れればそれでいいという者達。
2・武の隆盛と剣の再生を真面目に考えた少数の者達。これもそれほど強くはない平凡な剣士。
3・逸刀流らしさを体現した強い剣士。1と同じく武の再生や国の未来など考えていなかった。
玉石混合でとにかく多くの人材を集めたことで、3にあたる玉もそれなりに獲得できましたが1にあたる石も多く抱え込むことになりました。そして彼らを居続けさせるためは、ある程度の不法を許容する必要もあったでしょう。
しかし天津の真意は、ただ強い者を集めることにはなく、武の再生と政治参加にありました。
一方で天津は、逸刀流が世間のはぐれ者の居場所になっているということも理解していました。元々彼には、世間から外れた者達への同情心が強いように見えます(「逸」という字には「逸材」のように優れているという意味がありますが、「逸脱」のように、正統から外れるという意味もあります。ここまで踏まえて「逸刀流」の名をつけたのなら沙村先生は凄いです)。
無法なならず者・異形の強者たちの居場所としての役割を果たすことと、政治に参加するという道は相いれないものだったのに、両者を両立させようとした。さらにそのどちらも中途半端で、しかも向いてない国政参加の方に比重を置いたということに逸刀流の破綻の原因があり、天津の悲劇があったのではないでしょうか。
結局、冒頭にあげた天津のセリフ「太平の世に武の隆盛と剣の再生を掲げて暴れた者達」という逸刀流観は、「こういうものであってほしかった」という天津の願望に過ぎなかったと思います。
さらに天津は逸刀流が世間からどう見られるかを最後まで気にしていますが、逸刀流の本質とは強い剣士そのもののことであると思い決め、この太平の世に強い剣士を何人も掬い上げることができたということで満足して、世間や公儀の評価、後世の評価はもう気にするべきではなかったと思います。それは天津の本懐とは反するものだったでしょうけど。
「逸刀流とは何だったのか」を改めて総括すると、負の側面をあえて無視して言えばそれは、
・一般社会に居場所がなかった者達の拠り所となったもの
・太平の世に馴染めないでいた硬骨の剣士を掬い上げ、たとえ死ぬにしても生きがいを与えたもの
と言えるのではないでしょうか。
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