2020年09月03日

石川優実 反ルッキズム()と遠藤まめた

● 変えられない実存に、認知の設定を変える
● YRAとの親和性
● 遠藤まめた × 石川優美
● 「Fの可愛さ要求圧」への反応
● 「放棄」が遠藤、「執着」が石川
● 遠藤は「フェミヅラオス気取り」なのでは
● 「我思う、ゆえに他人も従え」

● 変えられない実存に、認知の設定を変える

2020.03.24
どんなからだをしていようとも、|石川優実 連載Vol.2
https://noisie-s.net/looks/735/
シワが増える。
たるんで行く。
太っていく。
顔がくすんで行く。
体が弛んで行く。
二重アゴ。
三段バラ。
セルライト。
膝の上の脂肪。
目の下のくま。

これを「悪いこと」「悪いもの」としたのは一体誰?
平安時代もこれって悪いことだった?
いつから悪いことになった?
もしも時代によって変わるのならば、今でもこれらを
「みっともないこと」から「美しいこと」に変えることもできるのではないだろうか。

言葉の扱いが雑。
石川が、「悪いこと/もの」=美醜の「醜」 としている。

石川が列挙しているのはすべて「健康状態の悪化」。
一言で言うと代謝機能の不全、ほとんどの原因が老化による機能低下。

生物の機能低下の表れを「美」と感じる必要があるのか???

石川は自分の身体を嫌いつつ、嫌う身体を変えられないから、
認知を変えようとしているだけだよ。*

「どんなからだをしていようとも」に続くのが「美しい」にしたいんでしょ。

無茶を言うなや。

第一、その「美への執着」が、

「われわれの部族は太っている女が美しい」
「少女を小屋に閉じ込めて運動させず大量に食べさせる」←やることが養豚そっくり!

と一体なんじゃんよ。

*「トランスジェンダーイデオロギー」と瓜二つ。

● YRAとの親和性

思いがけずバイパスを発見。

石川がYRAアライなのは、
遠藤まめたに声をかけられたところからの、
トランスジェンダーイデオロギーに染まったものと思っていたけど、

石川の、ちょっとやそっとでは変えられそうにない、
根深い自己否定が

「現実(実存)」への否定→「認知(の設定)」を変えさせる

になるあたり、実に実に、YRAの回路そのものなのである。

● 遠藤まめた × 石川優美

遠藤まめた 画像 https://www.bing.com/images/search?q=%E9%81%A0%E8%97%A4%E3%81%BE%E3%82%81%E3%81%9F&qs=n&form=QBIR&sp=-1&pq=%E9%81%A0%E8%97%A4%E3%81%BE%E3%82%81%E3%81%9F&sc=8-5&cvid=3B405203317E45A6A37D5D8A50F31D7E&first=1&scenario=ImageBasicHover

ハートをつなごう学校/遠藤まめた-YouTube.mov
2012/10/22 ※1987年生まれ 当時25歳
https://www.youtube.com/watch?v=0YL5uf_-Sio

ハフポスト日本版編集部, The Huffington Post
2016年10月28日 16時47分 JST | 更新 2016年11月07日 JST
28歳のトランスジェンダー、1万人に1人の難病になる。
遠藤まめたさん、ダブル・マイノリティの生きかたを語る
https://www.huffingtonpost.jp/2016/10/28/transgender-mameta-endo_n_12683266.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000002
女の体で生まれたが、物心ついたときから自分のことは男だと感じていた。FtM(女性として生まれ性自認は男性)のトランスジェンダーである経験をいかして、18歳の頃からLGBTの子ども・若者支援に関わってきた遠藤まめたさん。だが2015年、28歳のときに突然「全身性エリテマトーデス(SLE)」という難病にかかったことで、遠藤さんははからずもダブルのマイノリティ属性を持つことになる。


短髪メガネパンツの遠藤と、長髪スカートの石川、
ジェンダー表現が異なるだけで、

客観的には「同年代の、小柄な女二人」である。

二人とも1987年生まれの、同い年。
身長は石川が公表152cm、遠藤も大差ない。

● 「Fの可愛さ要求圧」への反応

「Fの可愛さ要求圧」を受けないFはいない。

「人形規格」に近いほど「人形として」消費される。
「人形規格外」にされれば「人形以下」にされる。

どのみち「人間扱いされる女はいない」。

Fが「トランス」を自己主張するのは
「人形規格の合否」を自分から捨てて、
「自分はオス=人間、体が間違っている」に合理化しているだけだと思う。

「可愛さへの固執」は「可愛さ=存在価値」だから
http://lttlleo.seesaa.net/article/475577116.html
可愛いい
→可愛がられる
 →愛される(愛玩されるの間違い)
  →存在価値

※愛の背後には「愛スバラシイLove最高イェーイ教」があり、まばゆい光を放っている。

しかしですね。
思い出してくださいよ、アルマンゾ9歳の言葉を。

「ぼく、自分がかわいいかどうか、なんて気にしたこともないよ」


● 「放棄」が遠藤、「執着」が石川

遠藤は「Fという人形規格」を早々に放棄して「自分はオス=人間」。

石川は「Fという人形規格」に合格しようと執着した果てに「可愛いだろ」。

● 遠藤は「フェミヅラオス気取り」なのでは

遠藤が、放棄したそれそのものを嫌っているなら、
石川のような「オス媚び」を嫌うはずである。

しかし遠藤は「オレはオス」の椅子に座っているから、
「人形であろうとする人形」を
「人形を評価するオス」の目で眺めているのだろう。

遠藤が #KuToo の手綱を取ったのは、
石川を「フェミニスト」として自分の駒にする算段があったかもしれないが、

好意的に?解釈すれば、
「苦しむ女を、オスのオレが助けてやろう」的な感覚があったかも。

● 「我思う、ゆえに他人も従え」

遠藤の「オレがオスと言えばオス」は石川には渡りに舟、
石川「自分が可愛いと言っているのだから可愛いだろ、他人は黙っとけ」。

石川優実 プロにあるまじき腹で「可愛いだろ/他人は黙っとけ」
http://lttlleo.seesaa.net/article/477138705.html


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