はい。こちらのつづきね☆
↓ ↓
いっぱい本を読んだ。
いっぱい人に会いに行った。
いっぱいセミナーにも行ったし、
魔法グッズも買った。笑
「達成」したり「完了」したり、「やり遂げる」がいつも私を上から見下ろしていて、「頑張らなきゃいけない」と思ってた。
頑張ることでなにかが見えてくると思って。
元気にはなった。
行動する体力も気力も戻ってきた。
でも、自分を責めることはひどかったし、自分を鼓舞してハイになることも少なくなかった。
躁鬱だったかもしれないよね。
今だからわかるけど、安定とか、落ち着くって、すごい怖いんだよ。怖いことだった。
何もない自分。
何もしてない自分。
動かないことが恐怖で。
そんな自分を許せなくて。
病気だ病気!完全にね
幸せ恐怖症。
それくらい、幸せになるって怖いことだよね。
幸せって、
なにか、苦労して苦労して到達することができる、遠くの遠くの空の向こうにあるって思ってたんだ。ときどきかすかにその姿を見せてくれるような存在みたいに。
、、、
なーに言ってんだかね
そんなことあるかーい!!

幸せって、
ずーっと今今今、目の前にあって、自分で選ぶことができるんだよ
よくわかんないかもしんないけど、それでも大丈夫。
今すぐ選ぶ元気がなかったら、それでもいいの。
怖い怖いっていいながら行動しても、疲れるだけだから。
怖いってことがわかればいいんだ。
それだけで、ホッとするでしょ
そしたらなんとなく、ボーッとしていいって、自分に許可が出せるよね。
そうやって、ちょっとずつ、
それに手を伸ばしてみればいいよ。
そしたら必ず、全然怖いものじゃなかったってわかる日が来る。だってほら、私は来たから

幸せになるってそんなに難しくないみたいだよ♪
それを私はこのブログで綴ってて、伝えてるよ。
自分が幸せになる過程を。
生きてるって感動的だよ
生きてるって、思ってるよりけっこー自由だよ。なんか、そんなに考えすぎなくても平気だよ。
そこまで思い詰めなくても、
意外と大丈夫なようになってるみたい。
そんなに怯えなくても、実はみんなあなたのことそんなに嫌いじゃないよ
あなたからは、注意を払わないと自分だけ蹴落とされそうな気がしちゃうかも知れないけどさっ!
それでも、何を選びたいかは自分で決めれる。
それが、本当の自由なんだ。
あの日、ぶっ倒れた日、私のHPが0になった。
一回死んだの、わたし。
そこからの復活劇って、どったんばったんだったけど、今、もっとこれから楽しくなるよって期待感で溢れてる。
一回だけ、心療内科を勧められたことがある。
その時は、オメーらのほうがおかしいだろが
って内心思ったんだけど…
びっくりだけど
、
わたしはあのマンガみたいに、高校生くらいから鬱が始まってたんだなーって客観的に振り返れた。
私が描いてあるみたいだった。このマンガ。
父親は私に暴力をするわけじゃなかったけど、母親に対して蹴る場面を見たり、言葉で追い詰めたり、それを見てた私は気が気じゃなかった。
2人が寝てる姿を確認してからじゃないと、安心して寝れなかった。
もうこの時点でヤバい。笑
私、それが普通だと思ってたけどだいぶ虐待だった〜
祖父と祖母がいてくれたから、
私は安全基地を持ててたようなもんで。
祖母が連れて行ってくれてた青年活動の場が、唯一の憩いの場だった。
弁論大会で自分の気持ちを発表したり、みんなと踊って出し物したり、大会の司会をしたり、そういう表現の場があったこと、自分の気持ちを不器用ながらも話せる場所があったことが、ほんとに救いだったよ。
母親はいつも不満そうだった。
愚痴は私が聞く。お姉ちゃんだし。
私のストレスは弟にいく。そして、お姉ちゃんだからって理由で、怒られる。
成績が良ければ褒められた。
できるからちやほやしてくれた。
どこに行っても可愛がられた。
そのうちに、
「本当の気持ち」を聞くことをしなくなっていったんだよ。
きっかけは身近な人間との関係かもしれないね。
でも、
「本当の気持ち」に耳を傾けることを諦めたのはまぎれもなく私なんだわ。
だから、
鬱って、
聞いて欲しいことがあるだけ。
頑張り屋さんも、
聞いて欲しい気持ちがあるだけ。
特定のこれ!って気持ちってよりは、
「振り向いてほしいことがあるよ」ってかんじ。
「ねぇねぇ、ここにいるよぉー」って。
それだけなん
遠回りも、したくてしてる。
「自分ごと」になったときに人生変わる。
これほんと☆
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