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俺にトラウマを与えた女子達がチラチラ見てくるけど、残念ですが手遅れです 作者:御堂ユラギ

第五章 「恋」か「罪」か

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第58話 3人だけの家族

「ほら、悠璃見て。とても素敵ね」

「内風呂も露天風呂なんだ」


 うーん、絶景かな絶景かな。畳の匂いが香しい。


 案内された部屋に到着すると、さっそく荷物を置き、広々とした部屋の中を見て回る。最大6人での利用を可能とする和室は、10畳+6畳、更に露天風呂付きという至れり尽くせりだった。


「良い部屋が取れたわ。お値段もそんなに高くなかったし」

「そうなの? なにか理由があるのかしら」


 姉さんが説明ヨロシクと視線を送ってくる。

 承りました。何事も下調べをキッチリするのがこの俺、九重雪兎である。


 どうやらこの『海原旅館』は、訪日外国人の増加に伴うインバウンド需要を見込んで、海外からの観光客をメインとする経営に舵を切っていたらしい。働いているスタッフも外国語を話せる人が多数だという。実際に部屋に着くまで間、館内には英語など外国語の表記がそこかしこに並んでいた。温泉の入浴マナーも英語で記載されている。


 古き良き温泉という佇まいでありながら、館内は随分とグローバルだ。その奇妙なアンバランスさが魅力ではあるが、とはいえ日本人のお客さんからすれば、そうした外国語だらけの温泉は、随分と情緒に欠けるように映るかもしれない。


 しかしながら、海外からの往来が途絶えた今、国内客をメインにしなければやってはいけない。だが、長らく海外向けに展開していたことで、ここに来ての急な路線変更は困難で四苦八苦しているらしい。つらつらと説明を終える。


「ということです」

「へー。でもまぁ、部屋は素敵だし温泉に罪はないわよね」

「確かにちょっとだけ雰囲気を損ねているようにも思うけど、気にしないで楽しみましょう」


 座布団に座り一息付く。お茶をズズッーと啜る。


「大浴場も良いけど、内風呂も大きくて一緒に入れそう。ね?」


 何故か母さんがウインクしてくるが、意図を計りかねた俺はとりあえず無難に返事だけしておいた。


「そだね」


 きっとお風呂が楽しみなのだろう。女子とはお風呂が好きな生き物だ。おもむろに効能を見ると疲労回復や冷え性は勿論のこと、不眠症などにも効果があるらしい。温泉ってすごい。


「まだ早いし、温泉街の方まで行ってみよっか?」




♨♨♨




「いい湯だな~」


 大浴場にお客さんはそう多くない。石に囲まれた露天風呂、絶景を眺められる檜風呂。泉質の違う温泉に順番に浸かりながら、俺はのんびりと極楽気分を味わっていた。


 温泉街は思いがけずグルメだった。

 あちこちで間食してしまったので、このままでは夕食に支障が出るかもしれないと、こうして温泉に入ってお腹を空かせようという魂胆だ。


 爽やかイケメンにはお土産に温泉饅頭でも買っていってやろう。お母様の千沙さんも喜んでくれるはずだ。


 広々とした浴室で身体を伸ばしほぐしていく。

 弛緩する筋肉に合わせるように、過去に怪我をした箇所を重点的にマッサージしていく。快癒しているとは言っても、損傷個所は癖になることも多い。再び怪我するようなことがあれば、また家族に迷惑を掛けてしまう。それだけは避けたい。再発防止も兼ねた日課だった。


 入院中、時間が有り余っていたこともあり、怪我防止の為、俺はヨガやピラティス、整体、人体のツボなどありとあらゆることを勉強した。その甲斐あって、セルフケアといった身体のメンテナンスは非常に得意だ。


 熱心にストレッチを行っていると、結構な時間が経っていたが、えてして女性はお風呂が長い。まだまだ温泉を堪能していることだろう。


「それにしても楽しそうだったなぁ」


 今回は俺が家族旅行に付いて来てしまったことで母さん達が楽しめるのか心配だったが、杞憂に終わりそうだ。折角の旅行。嫌な気分にはなって欲しくはない。懸念も解消され、ホッと一安心。


 このままいつまでも浸かっているわけにはいかないと、名残惜しい気分で温泉を後にするのだった。



 だが、それが地獄の始まりだとは、このときの俺はまだ気づいていなかった。




♨♨♨




「じゃーん! これなにか分かる」


 温泉から戻ってきて、傍目にもご機嫌な母さんが鞄から取り出した小瓶を見せてくれる。


「えっと……マッサージオイル?」

「そう! あのね。いつもマッサージしてくれるでしょう。折角、旅行に来ているのに、お願いするのは申し訳ないんだけど、今日はこれを使ってマッサージして欲しいなって思って」

「それはいいけど……え、なんて?」

「いいの? ありがとう! お願いして良かった」


 浴衣姿の母さんがうっとりしている。

 アレ、俺今何か間違えなかった?


 理解が及ばず思わず先に返事をしてしまった。

 小瓶にはアーモンドオイルと記載されていた。肌に潤いを与える美容やアンチエイジング効果のあるオイルだ。


 確かに俺は日頃、母さんや姉さんに良くマッサージを施している。もともとは母さんが肩こりが辛いと言っていたのを聞き、折角入院中に色々と勉強したので、そうした症状の改善の為に定期的に実施していたわけだ。それくらいしか家族の役に立てることがない俺としては断る選択などありはしない。ありはしないのだが……。


 オイル? それってどうやって使うの?


「浴衣の上からだと無理なんじゃ……」

「そんなの当たり前じゃない」


 姉さんが至極当たり前に同意してくれる。

 うん、そうだよね。無理だよね! ハハ、そんなの常識じゃないか。


「これで大丈夫かな。じゃあお願いするね」


 母さんが布団が濡れないよう二重にバスタオルを敷いていく。


「って、待てぇぇぇぇぇぇええ!」

「どうしたの?」

「なぜ浴衣を脱ごうとされているのでしょうか?」

「ふふっ。どうしたの? 服の上からだと塗れないでしょう」

「さも真っ当な事のように答えられても!?」


 助けを求めて姉の方に向き直るが、そこにはとうに浴衣を脱ぎ捨てた姉さんの姿があった。


「ほら、早くやってよ」

「下着! なぜ下着を脱ごうとされているのでしょうか!?」

「なぜって、下着がベトベトなっちゃうでしょ。アンタ馬鹿なの?」

「あぁ、馬鹿だよ! さも真っ当な事のように答えるんじゃない!」


 そしてとうとう一糸纏わぬ姿になると、そのまま布団の上に寝そべる。


「じゃあお願いね」

「無理無理無理無理無理無理無理!」

「どうしてよ?」

「どーしたもこーしたもない!」

「アンタ今日はテンション高いわね」

「高くもなるぜチクショウ!」


 マッサージをしているとは言っても、普段はあくまでも服の上からだ。肩を揉んだり、肩甲骨をほぐしたりと、パジャマの上から指圧したりするにすぎないが、それとこれとはわけが違う。むしろどーしたのこの人達!? ご乱心!? ご乱心なの!?


「なんでそんなに平気そうなんでしょうか?」

「家族なんだから気にしなくて良いのよ」

「俺が気にするんで無理です」

「恥ずかしくないわけないでしょ。アンタ馬鹿なの?」

「あぁ、馬鹿だよ! クソ怒鳴りつけてやりたいのに直視出来ない!」


 え、本当にやるのこれ?

 マッサージで身体の老廃物、垢を落とすという観点から考えれば、これも垢BANと言えなくもないが、それより運営に垢BANされそうなんだけど!?


 仕方ない。ここはもう正直に答えるしかない。

 俺にとっては致命傷だが、背に腹は代えられない。


 恐らくこれを言えば、俺は気持ち悪いと嫌悪され、これから一切口をきいてくれなくなるかもしれない。どうあっても非難を浴びることは確実だ。それでもこの窮地を脱却するにはこの手しか思い付かない。


 どれだけ嫌われようが今更な話だ。

 もとより俺の好感度など地を這っている。


 そんな俺がどう思っているのか聞かされれば、流石に母さん達も正気に戻ってくれるはず。伝えるかしかない。俺の本心を。素直に真っ直ぐ偽りなく。


「忸怩たる思いなのですが……」

「どうしたの?」


 言え。さぁ、言ってしまえ!

 嫌われるくらいで済めば良いが、最悪家から追い出されるかもしれない。


 だが、それでも俺は言わなければならない。幾ら何でもこんなことはおかしい。こんな理不尽には耐えられない。イオン結合のように強い俺のメンタルにも限界がある!


 なるべく姿態を視界に納めないよう細心の注意を払い、俺は意を決して口を開いた。




「あの……性的な目で見てしまうのでこういうのはちょっと……」




 シーン。

 凍り付く空気。部屋の中を沈黙が支配した。


 終わった。グッバイ俺。

 ついに言ってしまった。こんな終わりなど迎えたくなかった。折角の家族旅行。俺にとっては初めての経験だ。楽しい気分で終えたかった。こんなバッドエンドなど誰も望んでいなかったはずなのに。どうしてこうなってしまったのか……。


 恐る恐る視線を向ける。驚いたような表情でこちらを見ている2人。どのような思いが去来しているのか分からないが、罵倒や罵声を浴びせられるかもしれない。少なくとも今すぐにでも俺はこの場から立ち去った方が良いだろう。


 沈黙に耐え切れなくなったように、2人が口を開いた。



「雪兎アンタ……」

「そんな風に見てくれているなんて……嬉しい」

「うわぁぁぁぁぁぁあん! なんか変なこと言ってるぅぅぅぅう!」



 駄目だこりゃ。

 俺は泣いた。まぁ、涙は出てないんだけどさ。




‡‡‡




「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」


 地獄のマッサージタイムを経て夕食の時間になる。

 俺はひたすら九字を切り邪念を払い続けた。払い過ぎた結果、無の境地に達しかけたが、その度に手に伝わる柔らかい感触が現実に引き戻してくれた。俺もまだまだ修業が足りないようだ。


 どうしたことか温泉に入る前より疲労している。えげつないほどメンタルを削られ疲労困憊だが、虫の息の俺に対して、母さんや姉さんはお肌ツヤツヤだ。オイルマッサージの効果は覿面だった。


「とても気持ち良かったわ。ありがとう。またお願いするね」

「次は目を逸らさないようにしなさい」

「アンタら、慈悲はないのか?」


 旅館だけあって新鮮な海産物を中心とした夕食は豪華だった。旬な山菜やご当地牛。天ぷらやお刺身など、凝った料理がテーブルの上に所狭しと並んでいる。


 料理に舌鼓を打ちながら穏やかな時間が流れていく。

 俺と姉さんは未成年なのでお酒は飲めないが、母さんはほろ酔い気分でますます上機嫌だ。申し訳程度に着直した浴衣が今にもずり落ちそうになっていた。見え……なんでもない。


「……美味しい」

「来て良かったね悠璃」

「うん」


 母さんも姉さんもご満悦のようだ。良かった良かった。

 俺? 俺は2人が楽しいならそれで十分だ。俺もメンタルの大部分を犠牲にしたしね。


「私ね、家族皆でこうしてオフに旅行するの夢だったんだ」


 母さんが感慨深そうに言葉を続ける。

 そんなことさえも、今まで実現することがなかった。どこか歪で壊れた家族関係。 


「今までは出来なかったから……」

「そうね。アンタはいつも一緒に来なかったし」

「それはその……ごめん」


 嫌な気分にさせたくなかったと、この場で言うことは憚られた。答えは今でも分からない。けれどきっとそれが、もしかしたら間違っていたのかもしれないと、何処か少しだけそう感じてしまうのは、悲し気な表情と嬉し気な表情。そのどちらも内包するかのような複雑な顔を母さんがしていたからかもしれない。


「アンタは中学の修学旅行だって行かなかったしね」

「いや、アレは――」

「悠璃。過去はもう良いの。今が楽しいから。きっとこれからもっと楽しくなると思うから」

「そう……かな。うん、そうだよね」

「私達家族はたった3人だけ。貴方達のことを大切に思ってる。いつだって一緒にいたいって。信じて欲しいの。私がそんなことを言う資格なんてないのかもしれないけど、けど――」


 ふいに姉さんと一緒に抱きしめられた。


「今こうして3人でいられて幸せだよ」


 微かなアルコールの匂い。

 思えば随分と回り道をしていたような気もする。


 どう返事をするのが正解なのか、言葉が見つからなかった。いつからこんな風にすれ違ってしまっていたのかも思い出せない。気が付けば、そうなっていた。どうしようもないほどに。


 それでもただ、今この瞬間を大切なモノだと思ってくれていることだけは俺にも分かった。だから今は、今だけは。クラクラする頭の中、何も考えずにただ受け止める。


「ごめんね食事中に。なんだか我慢できなくて」


 母さんが、しんみりした流れを変えるように話題を振る。


「そうだ! まだ他にオフにしてみたいことがあったの」

「オフに? 休みの間しか出来ないこと?」


 姉さんが不思議そうに聞き返す。

 満面の笑みを浮かべて母さんが答えた。


「あのね。私、オフパコしたい!」

「なんか寒気がしてきた。夏なのに」


 おっかしーな。俺ってば妖気でも感じてるのかな?


「折角一緒のオフなんだし、駄目?」


 首を傾げる母さんは可愛い。

 いや、そんな場合ちゃうし!


「オフパコはオフだからってするものじゃない!」

「そうなの? 柊がね、最近の若い子はオフパコが好きだって言ってたから。雪兎もしたいのかなって思って」

「したいかしたくないかで言ったらハッキリしてみたいとしか答えられない」


 正直者な俺はつい正直に答えてしまうのであった。まこと憐れなり。


「そうなんだ! じゃあしましょうよ」

「オフ違い! 怒涛のオフ違い! ちょっとその部下、ぶん殴ってきて良いかな?」

「私だって若い子に負けていられないんだから!」

「なにと競ってるの!?」


 柊さんと言えば、以前一度だけ会ったことがある母さんの部下だ。会社でなんつー会話をしてるんだ。それも完全な誤用だし。


「ちょっと母さん!」


 助け船を出してくれたのは姉さんだった。

 そりゃそうだよ。オフパコはまずい。まずいなんてもんじゃない。禁忌のタブーに触れている。正直さっきの時点で既に限度を超えていた。理性が危機一髪ゲーム状態だ。発禁処分されかねない上に、これ以上は俺が持たない。色んな意味で。


 やはり姉さんは大天使だった。

 後光が迸っている。ミカエルの優しき御心があまねく大地を照らしていく。もうこれは月額課金だ。毎月一定額を課金することで姉の優しさという恩恵を受けるサブスクリプションサービス。この窮地から救ってくれるなら、お布施でもなんでも幾らでもしようじゃないか!


「私も混ぜてよね」

「馬鹿な……堕天しただと……?」


 大天使ミカエルは堕天使ミカエルになっていた。


「私はすっかり堕ちているのよ」

「そんな……!」


 この世界に希望はなかった。

 姉さんが堕天していたなんて信じられない。


 あ、そうだ!


「さっきマンドラゴラが自生しているのを見掛けたから駆除してくるね」

「待ちなさい。逃がすと思ってるの?」

「ぃみゎかんなぃ……。もぅマヂ無理」


 迷宮に侵入した冒険者を追い詰めるFOEのように逃げ道を塞がれる。


「アンタも諦めてオフパコしましょ」

「ひぃぃぃぃぃぃ!」

「ふぅ。酔っちゃったわ」

「一滴も酒なんて飲んでないだろ」

「は?」

「こればっかりは素直に従ってたまるものか! いつまでも従順だと思うなよ!」


 脅しになど屈してなるものか。姫騎士の如く高潔な精神で断って見せる!


「私とオフパコしたいよね?」

「はい」

「じゃあお布団まで行きましょうか」

「はいじゃないが。ごめん嘘! 咄嗟に返事してしまっただけで違うんです!」

「言い訳無用。ゴム必要よ」

「ちっとも上手くないな!」

「その……恥ずかしくて」

「ここにきてコミュ障を発揮しなくても!?」


 ズルズルと引きずられていく。その細腕のどこにそんな力が!?


「でもオフは分かるんだけど、パコってどういう意味なのかしら?」


 母さんがのほほんと、あまりにも今更すぎることを呟いていたのだった。




‡‡‡




「ぜぇぜぇ……」


 危うく大人の階段を登るところだった。洒落にならない。


 地獄絵図の部屋から抜け出しラウンジまで逃亡してきた俺は、息を整えようと、ひとまずソファーに腰を下ろした。自動販売機で買ったコーラで喉を潤す。疲れた……。もう一回温泉に入ってこようかな。俺の疲労は全く癒えていないどころか膨れ上がっている。


 母さんも姉さんもどうしたことか妙なテンションだ。それともこれが家族旅行の普通なのだろうか。これまで一度も参加してこなかっただけに分からないが、だとすれば家族旅行というのは随分と過酷なものなのかもしれない。家族旅行って怖い。


「どうされました?」


 グデーンとソファーに身体を投げ出していると声を掛けられる。男性の声だった。トラブルに繋がりかねない女性の声ではないことに内心安堵しつつ身体を起こす。


「随分とお疲れのようですが、大丈夫ですか?」

「いえちょっと、マンドラゴラが……」

「マンドラ……?」

「なんでもありません。気にしないでください」 


 従業員の人だろうか。壮年の男性。

 心配そうにこちらを伺っているが、その表情がゆっくりと驚きに変わっていく。


「君は……街の電気屋さん?」

「はい?」

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  • 最終掲載日:2021/02/22 22:08