プロローグ
静かな雨。
周囲の音も、色も、光も、全て覆い隠すように、ただ、しとしと降りしきる。
雨に包まれ、響くのは俺の靴音とBGMのような雨音のみ。
二十四節気の一つ『入梅』を過ぎ雨の日が続く今日この頃、珍しく隣に誰もいない帰り道。
紫陽花の花でも咲いているのなら風情もあるのだけれど、コンクリートのブロック塀が並び立つ住宅街の中、暗がりと雨音の演出は寂しさしか醸し出さずトボトボと家への道を一人歩く俺は気を滅入らせていた。
ヂャッヂャッヂャッ
水溜りを避けずに歩いていたため、既に水を含み重くなった靴が、不快な感触と音を鳴らす。
ヂャッヂャッヂャッヂャッズズズズズズヂャッヂャッ
「はぁぁ」
思わず嘆息する。
早く家に帰って、不快なこの靴を脱いで、暖かい風呂に入ろう。
ヂャッヂャッヂャッ
風呂上がりにはアイスでも食べるか。
ヂャッヂャッズルズル
ついでに蒸し暑いから除湿でもかけながらテレビでも見て――
ズルズルヂャッヂャッ
「……?」
不意に気付く、俺の湿った靴音に混じる何かを引き摺るような音に。
ズルズルズルズル
背後から
ズルズルズルズル
何かが近づいてくる?
ズルズルズルズル
こんな雨の中を、何か引き摺りながら?
ズルズルズルズル
俺はその音をよく聞こうと、立ち止まり耳を澄ます。
ズルズルズルズル
最初は小さかった音が
ズルズルズルズル
徐々に
ズルズルズルズル
徐々にゆっくりと
ズルズルズルズル
ゆっくりと近づいてくる。
不安からか恐怖からか、俺は思わず背後を振り向こうとした――
その時!
「少年、振り向いたらダメだよ」
「――ッ!!」
意識の外、不意に横から掛けられた声に、情けなくも俺は、声もなく悲鳴を上げて飛び上がってしまった。
「はっはっはっはっ、驚かせたかい、ごめんね」
声の方に顔を向けると、そこには、こんな雨の中で、何故か占い師の姿が。
いや、占い師なのか?
暗くてよく見えないが、服装は無地のシャツで、特徴のない顔つきに髪型。
辛うじて占い師と判断したのは、おそらく椅子に座っているのだろう彼の前に設置された、手相っぽい紙が貼られた机。
屋根もなく野ざらしの彼は。
……びしょ濡れやん。
「あ、あの、濡れてますけど……」
「はっはっはっはっ、気にしないでくれたまえ。
それより少年、変なものに憑かれてるみたいだけど、決して振り向いたらダメだよ」
「え?」
ズルズルズルズル
占い師(?)の言葉に例の引き摺るような音を思い出す。
そして気付く、音はもうすぐ背後まで迫っていた。
何か根源的な恐怖に襲われ、俺は思わず直立不動で硬直してしまう。
「はっはっはっはっ、そんなに怯えなくても、君が振り向かない限りソイツは決して君に追いつけないから」
ズル!ズル!ズル!ズル!
いや、そんなこと言っても、もうほぼ耳元まで来てるんですけど。
「大丈夫、そのまま何事も無いように振り向かず家にお帰り。
しっかり扉を閉めて明日の朝まで外を見ないようにしておくんだよ。
明日になったら神社なりでお祓いをしてもらうといい」
なにか突然降って沸いたよく分からない事態に、俺はその見ず知らずの占い師の言葉を鵜呑みにする。
彼の言葉に了承の意を示すため、上下に首を振り、急いでその場を後にした。
決して後ろを振り返らずに。
雨の中、夢中で走る。
走る
走る
走るのに邪魔な傘は捨て、濡れるのも構わず
走る
心を占めていたのは『恐怖』
背後から迫られた
得体の知れないモノ
ただそれだけ。
それだけで恐怖に駆られ俺は走った。
やがて転がり込むように家に飛び込むと、慌てて玄関の扉の鍵を閉める。
「はぁはぁはぁはぁっ」
息を荒げながら、ドアノブを握り締め、俺は震えた。
「あ、おかえりお兄ちゃん――
って、どうしたの、お兄ちゃんびしょ濡れじゃない!」
家の奥からトタトタとエプロン姿の(自称)百合香が玄関にやってくる。
そして、濡れ鼠でドアノブを握り締めながら息を荒げ震えるる俺を見て驚きの声を上げた。
帰ってきた――
そう思うと同時に、俺は体から力が抜けるのを感じた。
手からドアノブはすり抜け、支えを失った俺の体は、玄関の床にストンと座り込んでしまう。
「だ、大丈夫!?」
「あ、あぁ……。
それより(自称)百合香、ちょっと風呂沸かしてきて」
腰を抜かした俺の要求に(自称)百合香は力強く頷くと、慌ただしい音を立てながら風呂場へ消えていく。
そんな(自称)百合香の姿を見て人心地ついた俺は、さっきの出来事を思い出す。
音しか聞いていない。
しかし、確実に近づいてきていた気配はあった。
圧倒的な気配。
それに、なにかよくわからない恐怖心。
一体あれは何だったんだ……
しかし、その後、ひと晩考えても結論はでなかった。
勿論窓の外を覗くことはしない。
翌朝、雨もあがり天気は快晴。
路面にも水たまりは数える程しかなかったが、何故か我が家の玄関先には、雨とは違うヌメヌメした液体が水たまりを形成していた。
……お祓い行こ。
忠告に従って。
そう決意する俺だった。
今回はホラーチック。
……に、なってますかね?
ご意見頂けますと助かります。