千太郎と千景
「ち、千景さん。どうしてここに?」
「ん? 言わなかったか? 妙な気配がした、と」
まるで何を言っているんだと言わんばかりの表情で聞き返してくる千景さん。
そういう事じゃないと、百キロ以上彼方にある千景さんの家の事を引き合いに出すが、大人にはいろいろあるんだよ。と曖昧な言葉ではぐらかされてしまった。
「そういえば、千太郎。
お前は相変わらず妙なものに好かれるんだな」
話題を変えるつもりなのか、俺の顔を見てそんなことを切り出してくる千景さん。
何だよ、妙なものって――
まさか千景さんに今の俺の現状が分かるわけないのに……
そう思った俺の脳裏に、ふと一つの話が蘇る。
ある晩、父さんがため息交じりに話していた妹――――つまり、千景さんの仕事の話。
千景さんは関西のとある地域で便利屋紛いの怪しげな商売をしていて、除霊の真似事とかもしているとか何とか。
――――もしかして、本当にちゃんと分ってる? それに、親父の話が本当なら……
俺は少しの希望を込めて、豪快でざっくりした性格の美人の叔母を見つめる。
「人徳――ではないが、余人を以て代え難い特性だ。
誇っても良いもんだぞ――――っと、どうした? じっと私を見つめて」
何かよく分らない俺の「特性」とやらについて語っていた千景さんは、俺の視線に気がつくと、何故かにまぁっと厭らしく嗤う。
いじめっ子が獲物を見つけたような表情に、背筋を悪寒が走る。
「くっくっくっ、ダメだぞ千太郎。
私がいくら美人でも、思春期のお前が期待するようなコトはしてやれん」
な! 何をいきなり言い出すんだ、この人は!
俺の視線をそんな風に受け取ったのか、千景さんは、頬に手を当て、わざとらしく科を作り、他人に聞かれたらシャレにならんセリフを吐き出す。
「お前も知ってのとおり、私は夫と二人の子供が居る身だ。
それに何よりお前は私の甥だ、兄貴――――つまりお前の親父に怒られる。
残念ながら期待には応えられんのだ」
「違うって! 別に叔母――――げふっ!」
再び突き刺さる拳の洗礼。
慌てて反論しようとした俺の、ボディーというよりはレバーにめり込んだその拳に、体をくの字に曲げて呻く。
「減点二だ。
次言ったら死刑な」
俺を見下しながら冷徹に言い放つ千景さんは、「冗談はさて置き」と前置きをし――
冗談にはして酷いって!
「今お前について来てるヤツは少々タチが悪いヤツだから、千太郎、お前に少し細工をしといたぞ」
「え……?」
「これで付き纏われる事もなくなる筈だ」
い、いつの間に?
いきなり出てきた意外な言葉に、思わず彼女を見上げて固まってしまう。
おそらく顔に出ていたのだろう、俺の表情を見た千景さんが
「あぁ、最初に腹を殴った時に術式を組み込んどいたぞ」
と、言葉を足した。
しかし――
「術式ってなんですか、そのファンタジー」
「私からすれば、お前のほうがよっぽどファンタジー生物なんだがな」
口をついて出た疑問に帰ってきた言葉に、思わず俺は「はぁ?」っと返してしまう。
そんな俺に「まぁ、気にするな」と、千景さんはいうものの、気にするなって方が無理だ。
だいたい、なんだよファンタジー生物って。
咲ちゃんや(自称)百合香のような『特別』な人間と一緒にしないでもらいたい。
こちとら健全な一般市民だ。
「まあともかく、お祓いをしてやった件は感謝しろよ。
という事で、代わりに今晩家に泊めて貰えるように、兄貴と義姉さんに交渉するの手伝ってくれないか?」
拳で殴りつけるのもお祓いに入るのか?
そんな疑問を持ちつつも、俺は宿無し千景姉さんを家に連れて帰った。
千景さんが家に来てから一週間経つ。
その間、雨の夜道を一人で帰ることもあったが、千景姉さんの言ったとおり『例の音』は聞こえなくなっていた。
雨の夜道も快適とは言えないものの、普通に家路に付くことができる。
ただ、それだけで、なんというかテンションが上がる。
やっぱり普通が一番だ。
ちなみに、千景さんは、父さんに怒られながらも毎日家でぐうたらしている。
父さんが「ちゃんと自分の家に帰れよ!」と言っていたが、何やらこっちでやる事があるとか言っていた。
何ことやら。
まぁ、それはともかく、俺は今日も機嫌よく一人で雨の夜道、家路に着いていた。
「フーンフフフーフーン♪」
好きな曲の鼻歌を歌いながら、回りに響くのは雨音のみ。
うん、もうすっかり大丈夫だよな。
そう思いながらしばらく歩いていたら、目の前に人影が一つ。
って最近こんなシチュエーションばっかりな気が。
街灯に照らされていたため、その人物の顔や服装はよくわかる。
よくありそうなポロシャツにスラックスを履いている平凡な顔の男性。
どこかで見たことあるかもしれないけれど、顔が平凡すぎてよく思い出せない。
しかし、目の前のその人物は、こっちを見ると「おっ!」という表情をすると声をかけてきた。
「おや、九重千太郎君じゃないかい?」
誰だ、思い出せない……。
フルネームで読んでくるあたり、この人はちゃんと俺の事知ってるんだよな。
……知ったかぶりしてもしかたないか。
失礼かもしれないけど、ちゃんと聞いてみるか。
「すいませんけど、どなたでしょうか?」
「僕だよ僕、
洋館ミステリーツアーで一緒だったよね?」
「轟……?」
そんな人いたっけ?
「ほら、初日の晩に死亡フラグ立てまくって死んだ」
いたいた、確かにいた。
そう、確かにこんな平凡な特徴のない顔だった。
「って、それならなんで生きてるんですか!」
思わずツッコミを入れる俺に、轟さんはいけしゃあしゃあと
「いやー、あれはツアーを盛り上げるための演出だったんだけど、ホントに事件が起きちゃって出るに出られなくなったんだよ」
等と言う。
演出をしたってぐらいだからツアー関係者だったろうに、事件放置してエスケープとはいい度胸してるよ、この人。
そんな事を思ってる俺の視線に気付いたのだろうか、彼は慌てて話題を逸らす。
「それより随分機嫌が良さそうだけど、何かあったのかい?」
「え、ああ、ちょっと抱えていた厄介事が解決しまして」
怪奇現象なんて言っても信じてもらえないだろうし、適当な言葉でお茶を濁す。
「へぇ、それは良かったね。
困難を乗り越えることで人は成長するものだから、何があったか知らないけど、良い経験になったんじゃないのかな?」
「困難を乗り越えたというか、知り合いの人に助けてもらったんですけどね」
「良い知り合いがいるんだね」
「たまたま近くに来ていた叔母なんですけど、ホントに助かりました」
「そうなんだ、良かったね」
そう言って轟さんは俺の肩にポンっと手を置くと、にっこり俺に微笑みかけ
「それじゃ、千太郎クン。
またどこかで」
と言って、俺の横を通り過ぎて暗闇の中へ消えていった。
いったい何だったんだか?