百合香と怪異
「ただいまー」
「ん? ああ、千太郎か。おかえり」
家に帰ると、リビングで千景さんがソファーに埋もれながらくつろいでいた。
まるで我が家のように振舞っているが、この人、自分の家の事はいいんだろうか?
ここからかなり遠い――関西に、旦那さんと小学生の子供が二人いたはず。
尤も、その事を聞いてみても、当の本人から帰ってくる台詞は
「構わん構わん」
いや、旦那さんと子供が不憫でしょうに。
そんな千景さん。
ふと何かに気が付いたようにこちらを振り返り、俺の顔をまじまじと見つめてくる。
なまじ千景さんが美人なだけになんか少し照れるが、一体なんだ?
「千太郎。
お前、今日なんか変わったことはなかったか?」
は?
なに、唐突に。
質問の意図が読めないんだけど……
「え……? いえ、何も――」
思わず反射的に否定しようとした俺は、ふと、一人の人物を思い出し……
「あ、そう言えば、春先に(自称)百合香と行ったミステリーツアーで一緒だった人と会いましたよ」
「変わったこと――か?」
「それが実は、その人ミステリーツアーで殺されてるんですよ」
そう、再会だけなら珍しくない。
でも、轟さんは確かにあの時死んでたと思うんだよな。
だからこそ、千景さんの『何か変わったこと』って言葉で轟さんのことが思い浮かんだし、実際何か妙にひっかかる。
そんな俺の気持ちに気付いてか、怪訝な顔で「詳しく話せ」と言う千景さんに、ミステリーツアーのあらましを説明してみる。
「ほう。
普通に考えればお前が騙されていただけ、という線が濃厚だが、百合香に加えて山村咲も居たのだろう?
ならば確かに妙な感じもするな」
「そうでしょ?」
相槌を打ったものの、俺に信用がないのか、二人に信用があるのか。なんとなくガックリする気分だ。って言うか、なんで千景さん、咲きちゃんのこと知ってるんだろ?
「で、その轟ってのはどんなやつなんだ?」
まぁいっか。
で、轟さんの特徴。
轟さんの特徴?
轟さんの特徴って――
あれ?
「よく、わかりません」
「なんだそりゃ?」
「轟さん、特徴がなさ過ぎて……」
「特徴がないのが特徴ってやつか?
お前の周りには変な奴ばっかりだな」
「千景さんだってそのうちの一人――――げふぅ!」
言い終わる前に腹に拳がめり込んでいた。
千景さんの忌々しげな舌打ちと共に。
「千太郎、言葉は十分注意して放つんだぞ、相手を傷付けかねん」
(いや、むしろ俺が今物理的に傷つけられてるんですけど)
「何か言いたそうだが、まあいい。
それより私はこれから出かけるが、帰ってこんでも別に心配はいらないからな」
「心配なんてしないですよ。
千景さんを襲える勇気のある――――ぐはぁ!」
再び、言い終わる前にボディブローを俺に見舞い、やっぱり舌打ちする千景さん。
いや、確かに口が滑ったけど……
「まったく口の減らんガキだな。
その口に気をつけんと、今に痛い目にあうぞ」
(もうすでに十分あってますから)
「とにかく、行って来る
……千太郎、十分気をつけるんだぞ」
「え? あ、はい、いってらっしゃい」
気を付けるって何の事だろう?
そんなことを思いながら、何故か苛立たしげにでかける千景さんを見送る。
そして、その日以降、千景さんは言葉通り、我が家に戻っては来なかった。
まったく。一体何しに来てたんだか。
翌日、天気は再び雨。
梅雨の最後の一絞りと言ったところか。
そして、夜道で相も変わらず怪異に遭遇する。
「何でまた出てくるんだよ!」
脱兎の如く逃げ出す俺。
いつも通りに湧き上がる恐怖。
怖い
怖い
怖い?
よくよく考えれば、見てもいないのに何が怖いんだ?
ふと気付く恐怖心への疑惑。
その疑惑に思わず立ち止まったその時――
「はーっはっはっはっはっは!」
闇夜を切り裂くように、無駄に元気な笑い声が響き渡った。
「な、なんだ!?」
思わず周囲を見渡すが人影は無い。
否!
声は上からだ。
雨に目を細めながらも上を見上げると、街頭も届かない電柱の上に人影が一つ。
「この世に悪がある限り、お兄ちゃんの叫びが聞こえる限り――――」
「あぁ(仮称)百合香か」
「もう、何よその気の無い言葉は。
お兄ちゃんのピンチに現れたんだから、もっと感動してくれてもいいのに!」
聞き慣れた声で切られる見得に、思わず素っ気ない声その名を呼ぶ俺。
それがどうにも不満らしく、顔は見えないものの、明らかに口を尖らせてる声で不平を漏らす(自称)百合香。
まぁ、
「はいはい、感動してるよ。ありがとなっと」
「もー!
ってアイツ逃げ出してる」
「あ、いつの間にか」
気が付けば、気配と恐怖心は消えていた。
「助かった」と思う俺とは逆に、電柱の上からフワリと俺の横に降りてきた(自称)百合香の顔は不満でその頬が膨らみ、視線は俺の背後へ注がれる。
(自称)百合香は、視線を外さず
「お兄ちゃん、気を付けて帰ってね」
と俺に告げると
「まてこらー!
私が、妹だああぁぁぁぁぁぁ!」
雨の夜にドップラー効果を残して消えていった。
翌日以降、すっかり天気は回復に向かい、梅雨も明け、俺をあれ程怖がらせた怪異も現れなくなった。
変な意地張らずに、最初から(自称)百合香に頼めばよかったかな。
そう思わずにいられなかった。
一ヶ月ぶりの更新。
お待たせいたしました。