百合香と障害物競走
「お兄ちゃん、行ってくるね」
私は体操服の裾をズボンに入れ直し、側に座っていたお兄ちゃんに声をかける。
大好きなお兄ちゃん。そのクールな眼差しがカッコイイ!
そのお兄ちゃんのキスが、この障害物競争に勝つだけで手に入る。
たとえ『チカラ』を使わなくたって、たかだか障害物競争くらい余裕で勝ってみせるよ。
「おう、頑張れよ」
お兄ちゃんはクールに激励してくれる。
うん、それだけでもう勝ったも同然だ!
よぉーし、頑張るぞぉ!
そんな燃える私の目の前を一人のヘロヘロの女性が通り過ぎる。
ムラサキさんだ。
一応さっきの100m走は勝ったみたいだけど、彼女はまだ3種目も競技に出るらしいし、こんなヘロヘロ状態じゃあ全部勝つなんて夢のまた夢だよね。
ふふふふふ、お兄ちゃんのキスは私がいただくよ。
ムラサキさんはヘロヘロのままお兄ちゃんの横の椅子にペタンと座ると、嬉しそうに
「はぁはぁはぁ、やったよ、千太郎君」
「うん、サスガ山村さん。まずは1種目だね」
むぅ、お兄ちゃんがムラサキさんを褒めてる。
私だって負けないぞぉ!
「む、貴様は九重百合香!」
「アナタだぁれ?」
一年生の障害物競争の選手が集まる入場門前で、いきなり知らない人に声をかけられた。
テレビによく映されるようになってからは、知らない人に声をかけられるのは慣れたけど、こういう感じで敵意を剥き出しに声をかけてくる人は珍しい。
どうでもいいんだけど、一体なんだろ?
声をかけてきたのは坊主頭の私より身長の低い男の子。
体操服の胸には「鈴木」とおっきく書いてある。
……知らない。
「ふっ。私はこの競技の昨年の覇者。
1年C組、鈴木隆行だ!」
「1年なのに昨年の覇者?」
思ったことをそのまま口にしたら、なんか鈴木くん顔を真っ赤にしだした。
「う、うるさい!
私はこの競技を今年も1年として制覇するためにこの学年に留まっているのだ!」
「留年?」
次は唸りだした。
「ぬぬぬぬ! 九重百合香、貴様の挑戦状受け取ったぞ!」
「ん?」
怒ってる?
「この決着は、障害物競争にて必ずつける! 昨年の覇者の名において!」
なんかよく分からないけど、鈴木くんと対決? 私の邪魔だけはしないでよね。
どういう訳か、10組以上の組み合わせの中から鈴木くんは私との対戦を引き当てる。
まぁ、別にいいんだけど。でも、昨年の覇者っていうくらいだから強いのかな?
私は勝たないといけないから、それはちょっと困るなー。邪魔だなー。
そんなことを考えているうちに、私たちの番になる。
パァンッ!
乾いた銃声と共に周りが走り出す。勿論私も負けじとスタートする。
「ハァーッハッハッハッ、どうだ、このスタートダッシュ」
「よっ、ほっ」
うん、普段は走るのにも『チカラ』を使ってるから、筋力と体力だけで走るのはホントに久しぶり。
意外と大変だ。ちゃんと頑張らないとお兄ちゃんのキスがもらえない。
私は網を潜りながらズンズン進む。
「なかなかやるな、九重百合香」
「よっ、ほっ」
平均台を進み
「何っ、まだ着いてくるか」
「よっ、ほっ」
無駄に大きな坂を登って下った頃、目の前に見えたのはテーブルと200m先のゴールだった。
テーブルの上には、コップの乗せられたトレイが人数分。私は躊躇なく一つのトレイを掴むと、大してスピードを落とさず駆ける。
「ば、馬鹿な! この私が躱されただとっ!」
何かが聞こえるけどどうでもいい。
あのゴールの先はお兄ちゃんのキスが待ってるんだから。
「ぐぬぬぬぬぬ。
この障害物競争の覇者は、この学校一は私なんだ。
だから、だから貴様はここで私の手によって零されなければならない!
水を零して失格になるべきなんだーー!」
なんか鈴木くん。佐藤くんだったっけ?
が、奇声をあげながら飛んで来たけど、それを私はヒラリと躱す。
「バカヤローー!」
後ろから負け犬の遠吠えが聞こえるけど、どうでもいい。ホントどうでもいい。
「よーし、一着」
意気揚々とゴールテープを切った私を待っていたのは、お兄ちゃんのキスではなく残酷な現実だった。
「九重さん。
カップの中の水が無くなってるから失格ですよ」
「そ、そんなーー!」
「あんなに走ったら水が零れるの当たり前じゃないですか」
その言葉に、私はガックリと肩を落とし項垂れた。私の体育祭は早くも終わりを告げたのだった。
なんか、遅くなったのに、ヤマもオチもなくて申し訳ない。
しかも設定間違えてます。
百合香2年生ですね(汗