拝啓父上。今日もボクは背景です。
一通目の手紙。
拝啓父上。
……次の一文には時節のご挨拶を書き連ねるのが通例だと聞きましたが、凡例をよく知らないので省略します。
「我々は終生地元で暮らすべきで、都会などに行くものではない」と、反対する父上のご意向を押し切り山奥の長閑な実家から出て、電車や新幹線に揺られ運ばれ早数時間。ボクは早速、こちらで暮らすべく下調べしていたアパートに辿り着けず、迷子になって途方に暮れております。
……都会の駅は、どうしてこんなに地下迷宮のごとき威容を生み出してしまったのでしょう? 地下から脱出するのにも一苦労です。
道を聞こうと、一生懸命通りすがりの人に話し掛けてみたのですが、誰も立ち止まってくれません。駅員さんは誰も彼もが利用客の対応に追われて忙しそうで、とても道を尋ねられそうに無いのです。
ボクのような声の小さな恥ずかしがり屋性分には、地元の慣れた路線の無人駅が一番合っていたようです。早くも郷愁が込み上げてきましたが、ボクの上京はまだ初日。これから頑張って参りますので、遠くの空の下からどうぞボクをお見守り下さい。
敬具。
二通目の手紙。
拝啓父上。お元気ですか?
お尋ねがあった桜ですが、こちらの開花時期は来週だそうで、まだ蕾です。ボクも、桜並木を歩いての入学式を期待していたのですが。
今日はちゃんと時節の文というものを調べてきましたので、お読み下さい。
『謹んで新春のお祝いを申し上げます。
父上様には、定年後も益々ご活躍のご様子で何よりです。
今年も変わらぬご交誼を賜りますようお願いいたします。
皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。』
どうでしょうか、父上? 上京し、ちゃんと人としての礼儀がボクにも身に付いてきたと思いませんか?
こちらは無事にアパートに落ち着いてきたところで、明日から始まる学校が楽しみです。
それにしても、このアパートに暮らしている人達は皆さんお忙しいのか、ボクがいつ引っ越しの挨拶に行っても、誰も出てきてくれません。賞味期限の問題もありますし、仕方がないので無断で玄関先にご挨拶の粗品を置いてきました。
いえ、他に住人が誰も居ない事は無いんですよ? たまに物音や話し声、階段を上がっていく音がして、人が出入りしていますし。そうしたら今朝は、住民の皆さんが大家さんによってたかって群がり、ボクの置いていった粗品について大騒ぎしていましたが。……もしかして、引っ越し蕎麦が用意出来なくて、地元から持ってきたヨモギ餅なのがいけなかったのでしょうか?
なかなかご挨拶の機会が巡ってこなくて、これからご近所付き合いが上手く出来るかどうか、少し心配です。
それではまた。
三通目の手紙。
拝啓父上。
先日のお手紙の返信ありがとうございます。
あれは手紙に書く時候の挨拶では無いし、父上は定年を迎えた訳ではない、と?
……おかしいですね。お手紙例文集の本を本屋さんで広げて、年配の方へ出すご挨拶文を一言一句違わず、丸写しをしたのですが。ああ、もしかして、『○○様』と書いてあった部分を父上様と書き換えたのがまずかったのでしょうか?
それにしても、都会の本屋さんはお店の規模も大きくて品揃えも豊富だし、長時間立ち読みしていても咎められないのは有り難いですね。
そうそう、学校での様子ですが。
ボクは毎日、うっかりと遅刻寸前で教室に飛び込んでいるので、朝のホームルーム前にクラスメートとお喋りする時間がなかなか取れません。ええ、父上様と同じく、ボクも基本、夜型ですから。
なので、授業の合間の休憩時間に話し掛けようと頑張っているのですが、ボクの知らない間に気が付けばクラス内グループのようなものが形成されておりました……
しかし、ボクは挫けません。一番大人数のグループの端っこに、ここに居るのがさも当然のような顔でちょこなんと座っております。特に咎められていないところを見ると、グループのメンバーも人数が多いだけにクラス内の所属者を厳密かつ厳格に区分けして、グループだけで固まっている訳ではない模様です。
このままなし崩し的に、仲間内に入ってしまおうと画策しております。
それでは。
七通目の手紙。
拝啓父上。
どうやらボクと父上様の間には、いちいち季節を意識した挨拶文を記す必要性が感じられない、とお互いに痛感したようですので、これからはすっぱりと省略する所存です。
さて、これまでのお手紙でもお知らせしてきましたが、ボクは未だに同じアパートの人ときちんとご挨拶が出来ていません。誰も彼もが、ボクの傍らを素通りして部屋を出入りしていきます。
そんな都会の乾燥しきった人間関係ですが、一階の若夫婦のところの一歳ぐらいの男の子と、大家さんの飼い猫はボクを見掛けると笑いかけてくれるんです! 赤ちゃんと猫ですからお喋りは出来ませんが、顔を合わせた日は何だか心がほっこりします。
それではこれで。
追伸。父上様ももうお年なのですから、燦々照りの昼日中に何の備えも無く勇んで躍り出るような危険な真似は、お控え下さいね?
十通目の手紙。
拝啓父上。
すっかりお手紙をサボっていましたが、こちらはテストがあったのです。お勉強に励んでいました。いやあ、我ながら学生っぽいですね!
しかし、ボクには相変わらず尽きない悩みがあります。
クラスメートと、未だにマトモな会話が成立していません……!
どうしてなのだろう? と、自答自問してみますが、ボクはよほど影が薄い上に、非常にタイミングも悪いようなのです。
ボクが授業終わりに、クラス内でも一番大きなグループ、仮称Aグループの日向君に話し掛けたとしましょう。そうすると、まるで狙い澄ましたかのように、先生が教卓から顔を上げて教材の片付けをお願いするのです。日向君の意識は当然、先生に向かいます。
もちろん、ボクはそれしきではへこたれません。
「げーっ。めんどくせぇ!」
と、愚痴りながら渋々片付けようとする日向君に、すかさず片付けの手伝いを申し出ようと席から立ち上がると、
「あたしが半分持ってあげるから、早く行こ?」
日向君に片思い中のAグループ所属の波田さんが、神業の如き早業で教材を手に笑いかけるのです。
「サンキュー波田さん。でも重いだろ? 良いよ、俺の方にもっと乗っけて」
「ありがとう。なんだかんだ言っても、日向君って優しいよね」
……きっとボクがお手伝いを申し出るよりも、波田さんと一緒に教材の片付けをする方が、間違いなく日向君は嬉しいのでしょう。日向君も、満更ではなさそうです。オメデトウオシアワセニ。
ボクの日常は、こんな感じです。そちらは如何ですか?
十五通目の手紙。
拝啓父上。
こちらは最近すっかり暑くなってきました。
そして父上、今日は嬉しいお知らせがあります!
なんと、こちらでなかなか親しい友達が出来ず悩んでいたボクに、友達が出来たのです!
同じクラスの北山君は、よくお昼の休み時間に一人で空き教室に行くんですが、彼がそこでお昼ご飯を食べている事に気が付かず、ボクが偶然押し掛けてしまったのに、ボクの方を見つめたまま何も文句を言わないどころか、無言のまま顎をしゃくって対面の席に座るよう促してきたんです。
ボクはびっくりと嬉しいのとで、ギクシャクしながら腰を下ろしたんですが、残念ながら一緒に食べるお弁当はありません。
北山君はそれでも気にした様子もなく、黙々とお弁当を食べています。
ボクがどんなに話し掛けても殆ど無言のままで、時折「ああ」とか「あ、これ美味い」とか、ポツポツ呟くばかりでしたけど、彼のその微かな表情の変化は見ていて飽きません。無口な北山君の事が、ボクはすっかり気に入ってしまいました。
ようやくボクは、クラスメートの中で影が薄いまま延々埋没するだけじゃなくて、ボクをまっすぐ見てくれる人を見つけ出したんです。
それではまた、お手紙書きますね!
二十通目の手紙。
拝啓父上。
ボクは相変わらず、北山君の隣で喋りかけて、北山君が時折頷いたり、そっぽを向いたり、「そうか……」なんて相槌を打たれている毎日を過ごしているんですが。
……最近、日向君がやけに教室の片隅を陣取っているボクらの方に近付いてきて、やたらと北山君に構っていくんです。しかも北山君は、ボクのお喋りには反応が薄いクセに、日向君には比較的口数が多い! (ボク調べ)
「なあなあ北村」
「……オレ、北山」
「あ、悪い悪い北山。
今日さ、帰りに皆でカラオケ行かね? 女子多いし、きっと楽しいって」
「オレ、どっちかっつーと歌うの下手だし……遠慮しとく」
「上手い下手なんて、気にしねえんだけどなー。
じゃ、気が変わったら声掛けてよ。あ、メルアド交換しね?」
「ああ、構わない」
簡単にスッとスマホを取り出す北山君に、ヨッシャ! なんてガッツポーズを決める日向君……
ええ、ボクは今時、スマホどころかガラケーさえ所持していなくて、北山君とは学校に居る間だけお喋りする関係だけどー! 日向君の高いコミュ力は、どうやって培われたものなんだろう?
そしてやっぱり、北山君の隣に居ても空気なボク。流石にいい加減、この状況にも慣れてきたよ。
二十五通目の手紙。
拝啓父上。
最近の手紙には、毎回毎回北山君の名前が溢れていてウンザリしているだろうけど、多分今回以降は頻度が落ちると思うよ。
今日も、空き教室でご飯を食べる北山君の前にボクが座っていたら、北山君がポツリと呟いたんだ。
「……思い切って、こっちから話し掛けるべきか……」
そう言いながら、傍らに置いたままのスマホにチラチラと目をやる北山君。画面には、日向君からのメールが映し出されていて、週末に皆でボーリングに行かない? というお誘いだった。北山君がカラオケには乗り気にならないので、別の遊びにしたらしい。
「オレ、口下手だし……上手く話せる自信も無いけど。せっかくの機会だし」
そう言って、北山君は日向君が所属するAグループのメンバーの輪の中に入って、交流しようと決めたみたいだった。うん、ボクも一応Aグループの隅っこに、たまに居るんだけどね。中心人物は日向君と波田さんかな。
いつも休み時間目一杯を空き教室で過ごすのに、いつもより早い時間にお弁当箱を片付けた北山君は、教室に向けて早足で駆け戻っていくので、ボクも慌てて後を付いて行く。
「こらっ!
廊下を走っちゃいかん!」
急に後ろから叱責を浴びせられて、ボクと北山君は揃ってビクッと肩を震わせていた。だけど、その声は先生の低い濁声じゃなくて。
「……波田。と、日向」
「え? 俺、波田さんのオマケ?」
クルリと振り向いた廊下の向こうから、くすくすと忍び笑いを浮かべる波田さんと、彼女の肩に馴れ馴れしく手を回している日向君の姿。多分彼らも二人で、どこかの教室でお弁当でも食べてたんじゃないかな。
でも日向君、流石にその波田さんに触ってる手は、弁護しようもなくどっからどー見ても風紀委員に怒られそうだから、今すぐ離した方が良い。
「何か急いでたみたいだけど、どうかしたの?」
「ああ、その……週末のボーリングの集まり、オレも参加しようと、思って」
そう言いながら、北山君は波田さんと日向君の方に数歩足を進める。……彼らとの間に佇んでいた、ボクの身体を素通りして。
「何だ。それならメール返信してくれたら、それで良かったのに」
「週末が楽しみね!」
「……実はオレ、ボーリングした事無いから、教えてくれるか? ……波田」
「ええ、もちろん。任せて北山君!」
「ちょっ、待て! 今のやり取り色々待って!?
北山誘ったのは俺なのに、頼るのは波田さんなの? て言うか、波田さんも何でそんなに嬉しそうなの!?」
「日向君、廊下で騒いじゃいかんぞ」
「波田さん答えて!?」
賑やかにわいわい言い合いながら、ボクを素通りして教室に戻っていく彼ら。そんな光景に、ボクは溜め息。
薄々そうなんじゃないかとは思っていましたが、ええ、父上様。やっぱり北山君にも、ボクの姿が見え声が聞こえていて、相手をしてくれていた訳じゃなかったのです。
ボクらが気をつけるべきは、陰陽師などよりもベストタイミングで独り言を漏らす人かもしれませんね、父上様。
クラスに戻っても、北山君を囲んで賑やかにお喋りするAグループの片隅にちょこなんと座っても、誰からも一瞥すら貰えません。きっと、本当に誰からも見えていないのでしょう。
今日もボクは背景です。
○×通目の手紙、書き損じ。
それにしても、大家さんの飼い猫がボクの姿を見えているのはともかくとして、一階の赤ちゃんも絶対にボクの事が見えています。手を伸ばしたらボクの指を握ろうとしてきますし、べろべろば~をしたら、キャッキャッと喜びます。
彼が成長してもまだボクの姿が見えるようなら、今度こそ友達になろうと思います。
父上様へ、不肖の座敷童の息子より。