伊藤詩織氏 乙94号証でチェックメイトか

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 ジャーナリストの伊藤詩織氏がTBSの元ワシントン支局長に性的暴力を受けたとして損害賠償を求めた訴訟の控訴審(東京高裁)で、注目すべき証拠が提出されている。伊藤詩織さんが事件直後に受信した医療機関による、カルテの記載内容の正確性を担保するメールである。この書証は控訴審の行方を決定しかねない威力を有していると思われる。

■性行為は午前2時~3時と書かれたカルテ

伊藤詩織さんの著書「Black Box」

 注目の書証は控訴人(山口敬之氏)が提出した乙94号証。医療法人社団プラタナス イークから、控訴人の代理人(弁護士)に送付されたメールである。このメールの一部を紹介する。

「当院としては、カルテに記載がある内容が、医療行為の全てでありその範囲を越えることについては、お話出来ることはございません。(患者様本人の希望がある場合を除く)

カルテへの記載内容のみで、ご判断頂ければ幸いです。

 この書証が何を意味するか、裁判ウオッチャーにはすぐに分かるであろう。伊藤氏と山口氏が性的関係を結んだとされる2015年4月4日、伊藤氏はイーク表参道を訪れ、アフターピルの処方を受けた(甲4号証)。その時の診療録(カルテ)には以下のように記載されていることが、一審の原告への反対尋問で示されている。

「coitus 4/4 AM2-3時頃 コンドーム破れた」(乙7号証、閲覧制限)

 coitusとは性交のこと。このカルテの記載について、診察した病院が「記載事項は正確である」と言っているのが、この乙94号証である。このカルテに書いてあることが真実であれば、それは伊藤氏が当日の午前2時から3時に性交をして、避妊具が破れたために妊娠の可能性があると医師に申告したことを意味する。

■乙94号証が担保するカルテの真実性

 乙94号証から乙7号証の真実性が担保されると、伊藤氏が性交から半日も経たないうちにそのようなことを申告していたこととなる。それがなぜ、問題になるのか。

 伊藤氏と山口氏は4月4日午前に性行為が行われたことは認めている。問題はその時刻で、伊藤氏は午前5時とし、山口氏は午前2時から3時としている。ところが、伊藤氏が当日、半日も経たない時に医師に「性交があったのが午前2時から3時」と申告していたとなると、彼女の著書ブラックボックスや、法廷でも供述している午前5時に性交があったという事実は虚偽となる。

 伊藤氏は午前5時頃に下腹部の痛みで目が覚め、抵抗したが力ではかなわず、トイレに行きたいと言って何とかトイレに逃げ込む。その後、トイレを出たら、山口氏にベッドに引きずり倒され、押さえつけられ「殺される」と思うほどの性的暴行を受けたとする。その後、山口氏からTシャツを借り、午前5時50分頃にホテルの前からタクシーに乗ったとしている(以上、ブラックボックスより)。

 実際に午前2時から3時に性交があったとしたら、伊藤氏の上記の証言は整合性が取れなくなってしまう。タクシーに乗った時刻はホテルの防犯カメラからも明らかな客観的事実。午前2時から3時の間に伊藤氏が主張するような性行為があったとしたら、「殺される」と思った相手に性行為を強要された後、少なくとも3時間近くは同室にいたことになる。Tシャツを借りた後、すぐに部屋を出れば少なくとも午前4時前にはタクシーに乗っていたであろう。早ければ午前3時前である。なぜ、彼女は部屋を出なかったのか。その間、殺されると思った相手と仲良く談笑でもしていたのか。どうにも説明のつかない空白の2〜3時間が生じてしまう。

 さらに防犯カメラからの映像で、ホテルを出る伊藤氏はきれいに髪を束ねており、山口氏は控訴審の陳述書で「バスルームの中で、時間をかけて髪を整え、帰り支度をしていたのだと思います」としており、証拠からは午前5時に性行為を強要された可能性はほぼ消滅してしまう。

 そう考えると、午前2時か3時に性行為が行われたとしたら、それは伊藤氏の主張する準強姦(準強制性交)ではなく、合意の上の性行為であったと推認される。実際に山口氏の控訴審での陳述書には「私と伊藤氏は、午前2時から3時頃の合意の上での性行為後、2~3時間程度眠ったことになります」としている。また、山口氏は警察署からの取り調べ(ブラックボックス出版前)では午前2時から3時での準強姦についてのみ聞かれ、午前5時の強姦致傷については全く聞かれていないとしている(控訴審陳述書)。

■刑事訴訟では証拠になる診療録(カルテ)

 ところが、一審東京地裁は、このカルテの記載事項の信用性を否定したのである。伊藤氏は反対尋問で「女性のお医者さんが私の顔を見ずにいつ失敗されちゃったのと聞き、それに対して明け方ですと答えただけで、どう失敗したのか、何があったのか、何時だったのかという会話はそこに一切ありませんでした。」としている。診察した医師が「coitus 4/4 AM2-3時頃 コンドーム破れた」と記載した点について、東京地裁は「カルテには、避妊具が破れたなどと客観的事実に反する記載がある点で、記載内容の正確性に疑義がある。もとより、アフターピルの処方のみを目的とする診療で、患者から詳細な聴取がされていないとしても不自然とはいえないこと…原告の曖昧な申告に基づき、カルテに不正確な記載がなされたとの疑念も払拭することができない。」(一審判決文から)としたのである。

 患者が「(性交があったのが)明け方です」としか答えていないのに、医師が勝手に「午前2時から3時に性交して、コンドームが破けてしまった」と書いた可能性があると判断したのであり、乙94号証は「書いてあることは患者が言ったことを正確に書いています」と一審の判断を誤りだと指摘しているのである。

 そもそもカルテは信頼度が高い。刑事訴訟では供述に代えて書面を証拠とすることはできないと定めているが(刑事訴訟法320条1項)、例外的に書面が証拠とされる例として「商業帳簿、航海日誌その他業務の通常の過程において作成された書面」(同323条2号)が挙げられている。その2号の解釈として「医師の記載する診療録(カルテ)も、一般に本号に当たるとされている」(後藤昭・白取祐司編 新・コンメンタール刑事訴訟法第2版 p883)とするのが通常の解釈。

 そう考えると、このカルテの存在は山口氏が不起訴になる要因の1つとなったのは間違いない。

■言ってないことを書き加える医師がいるのか

 そもそもカルテは書面として証拠とすることができるのが刑事裁判での原則であり、それは書面としての信用性が高いことに他ならない。

 このような性質のカルテの信用性を一審が認めなかったのは、民事訴訟法には刑事訴訟法のような伝聞例外の規定がないことに加え、仮にそれを認めた場合、伊藤氏の供述の信頼性が全て覆されてしまうからと思われる。一審の判断枠組みは、密室内での相反する原告・被告の言い分の信頼性を比較し、原告(伊藤氏)の言い分により信頼性がある、というもの。

 ところがこのカルテを正当に評価したら、伊藤氏の言い分はまさに瓦解してしまう。そのため、「伊藤氏の言い分は信用できる」→「信用できる人の言ってないことが書かれているカルテは信用できない」という判断をしたと言っていい。とても控訴審で耐えられる判断ではないと考える人は少なくないと思う。

 仮に、伊藤氏が患者として詳細に述べたのに、それを医師が極めて簡略に書いたというのであれば、まだ分かる。しかし、患者が一言「(性交をしたのは)明け方です」としか言っていないのに未明と呼べる時間を書き込み、しかも避妊具が破けたなどと申告されていない内容を書き込むことなど考えられない。前者は簡略化、後者は捏造である。一審の判断は結論ありきで客観的な証拠を無視した結果と言われても仕方がない。

■乙94号証でチェックメイトか

 山口氏サイドがカルテの記載が真実であることの証拠を出してきた以上、伊藤氏サイドはこのカルテの信用性を崩すのは容易ではない。一審ではカルテに書かれたことは知らぬ存ぜぬで通し、それが認められた形になったが、控訴審ではここをどうクリアするかが大きなポイントとなる。

 乙94号証で、チェックメイトの可能性もあるかもしれない。

※裁判資料はLa Pensee Sauvage-lisanha’s siteなどから

One thought on “伊藤詩織氏 乙94号証でチェックメイトか

  1. アバター 名無しの子 より:

    医師のカルテの信頼性について、教えていただき、ありがとうございました。とてもよく理解できました。
    では私は違う側面から。山口氏が警察から事情聴取された時、山口氏とこちらの産婦人科医師には、面識が全くなかったわけですよね。伊藤氏とのメールのやり取りを見ても、どこの病院に行ったのかは書かれてないし、伊藤氏も、医師に山口氏の名前は一切出していません。
    つまり、面識が全くなく口裏合わせができない二人が、「性交時間は2〜3時」という同じ時間を供述したわけです。このことが、この供述の信頼性を高める、一つの大きな要因になったと考えています。
    また伊藤氏は、事件後の防犯ビデオ映像に、可愛らしく結い上げた「お団子ヘア」で颯爽と歩く姿が映っています。
    ゲロが付いて一晩たったら、髪にこびりつき固まっているはず。それをこんな風に結うには、一度洗うか、もしくはブラシで丹念に時間をかけて梳かすかしないと無理ですよね。また結う前に、被り物の服を全て着てしまってからでないと、この髪型は乱れてしまいます。
    つまり、洗髪してから山口氏から借りたTシャツをきて結い上げる、もしくは、山口氏のTシャツを着てから時間をかけて髪を梳かし結い上げるかの、どちらかだったと思います。
    私としては、山口氏のTシャツも考えられませんが、お団子ヘアは、それ以上に考えられません!殺されそうになっても、悠長に、時間をかけてお団子ヘアにするなんて余裕がありますね。伊藤さんは、いついかなる時でも、本当にオシャレな方なんだと感心しました。

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