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救世主の幼馴染み2

作者:明日、世界は救われる







レイラの家の玄関が叩かれたのは、かれこれ10日後のことだ。

キートの街は王都との間に山をひとつ隔てているとはいえ、馬でかければ3日。馬車でゆっくり来たとしても7日ほどでたどりつくため随分遅い到着といえるだろう。


その日レイラはまだ自分のベッドですやすやと寝息を立てていた。

そこへギルバートがレイラを起こしにやってきたのである。


「レイラ、起きて」

「ぅん、ギル……?」


寝起きの悪いレイラはギルバートの声に2、3度いやいやと首を横に振ったが、いい加減起きなければと自覚があったので無理矢理体を起こした。


「起こしてごめん、レイラ」

「ううん、大丈夫。おはようギル。どうかしたの?」

「それが王都からの使者が」


ギルがそこまで言うと階段からバタバタという足音がしたかと思うとレイラの部屋の扉がノックもなしに開かれた。

赤い騎士服を纏った男性が入ってくるのと、被っていた布団でレイラの全身を隠すようにギルバートがレイラを抱きしめたのはほぼ同時だ。


「どういうつもり?」


ギルバートは多くを言葉にしなかったが、そこには人の家に勝手にあがったどころか女性の部屋に不躾に踏み込んだ男への明らかな威嚇が含まれていた。


「僭越ながら聖者様。あまり遅いのでそこの女が逃げたかと思いまして」


だが男はギルバートの鋭い視線をものともせず飄々とそう答える。

彼にも一理あるとはいえあまりにも悪びれない言い方だ。


するとまた階段の方からバタバタと駆け上がる音が聞こえた。

今度は誰だと布団の隙間から顔を伸ばすと、慌てた様子の青年が現れる。

金髪に深い緑の瞳。あの日会った青年ではないか。名前は、確か。


「アルフレッド」

「ギルバート、すまない。おい、誰が勝手な行動をしていいと言った。早く出て行け」

「ですが、この女が逃げたら」

「同じことを言わせるな」


食い下がる騎士の言葉を遮ってアルフレッドが一喝すると、男は渋々といった様子でレイラの部屋を後にした。

その顔はいかにも不満げだ。

男が出て行くとアルフレッドはベッドに座るレイラを見た。


「大変失礼しました。あの男には後で言って聞かせます」

「いえ。こちらこそこんな姿ですみません」


わずかに頭を下げるアルフレッドにレイラも同じく頭を下げた。

アルフレッドが正式な魔術師の衣装なのに対し、レイラは寝巻きなうえに布団でぐるぐる巻き状態だ。

普通の会話をするにもいささか滑稽すぎる。


「着替えたら向かいます。少しお待ちいただけますか」

「もちろんです」

「ギルも、ちょっと待ってて」

「レイラ」

「安心して。逃げたりしないよ」

「意地悪。本当は逃げて欲しいって思ってること、知ってるくせに」


拗ねたようにそう言うギルバートにレイラは困ったように微笑んだ。





「それじゃあ、いってきます」

「あぁ、いってらっしゃい」

「体に気をつけるのよ」

「ありがとう」


レイラは両親と抱き合うとレイラたちを迎えにくるため王城から送られてきた豪華な馬車へと乗り込んだ。

窓から少し身を乗り出すと隣の家からギルバートの両親も手を振ってくれる。

その姿が見えなくなるまで眺めると、前回の旅で乗った馬車とはまるで違うふかふかの椅子に腰を降ろした。

太陽は中天に差しかかったところでこのままいけば今日中にだいぶ先まで行くことが出来るだろう。

馬車は通常よりも早く王都に向かおうとしているのか時折タイヤがガラガラと音を立てたが、さすがは高級品というべきか揺れは少なく快適な旅と言えた。



「レイラ、眠くない? さっき無理やり起こしちゃったから、眠かったらまだ寝てていいよ」


しばらく揺られていると隣に座ったギルバートがそう言って顔を覗きこんだ。それに対しレイラは首を横に振る。


「大丈夫。本当はもうすぐ起きようと思ってたの」

「ならいいんだけど」


窓の外からチチチという鳥の囀りが聞こえて、チラリと外に視線を向けると青々とした山が目に飛び込んでくる。

キートと王都を隔てるあの山はヤド山という。かつてあの山を隔ててこちら側は別の国だったと言われているが、大魔女ベルローズが滅しオフィーリア王が統一したことによって今の国になったとか。

子供の頃だれもが授業で習った歴史だ。


ヤド山は中腹までは緑豊かで花々も美しいが、欠点をあげるとするなら越えるには少し険しい。

馬車では軽く2日を要し、そのため今日は山中に点在する小さな村に泊まると言うことだった。だが、


「飛んだら1日で行けるんだけどなぁ」

「レイラ」


思わず本音をポロリと溢すと、ギルバートに厳しい目を向けられた。

そんな目で見なくてももう誰にもこの力を隠す必要はないのに。


「それでも、それでも」

「うん、分かってる。ごめんね」


レイラの言葉になにか返そうとして出てこなかったギルバートに、レイラは苦笑した。


そこでふと、自分たちの前に座って難しい顔をしている人物に目を向ける。


「意外ですか?」

「えっ?」


アルフレッドは自分に話かけられると思っていなかったのか微かに驚いた声を出した。


「ギルは基本、無表情で無口ですけど、何も思っていない訳じゃないんです。ただそれを表現できる人が少ないだけで」

「いや、それは分かっているけど」


そうか。ならきっと彼は正しくギルバートの友人なのだろう。

だからこそずっと思っていたのだ。


「私、いつかアルフレッドさんにお会いしてみたいと思っていました。ギルがいつも手紙に書くんです。アルフは大切な友人だ、って」


アルフレッドは今度こそはっきりと驚いた顔をした。

チラリとギルバートに視線を向けると恥ずかしいのかレイラの肩に顔を埋めてしまう。

人見知りな彼だ。口に出して伝えたことはなかったのかもしれない。


すると何を思ったのかアルフレッドの眉間にグッと力が入った。

かと思うと、急にがばっと、この窮屈な馬車の床に膝をつく。

レイラはぎょっと目を見開いた。


「ごめんギルバート!! まさかあんな部屋に閉じ込められて辛い思いをしてるって知らなかったんだ。確かに君がどういう状況か分からなくて少し不安だったけど、帰って来ないからきっと妹と仲良くやってるのだろうと、てっきり」


それなのに、あんな……。

アルフレッドはまるで罪を打ち明けるかのように項垂れた。

その姿は鬼気迫るものがある。

ずっと神妙な面持ちで座っているからレイラを警戒しているものだと思っていたら、どうやらギルバートへの懺悔でいっぱいだったらしい。


「本当に、本当にごめん」

「別に怒ってない」


それまでずっと顔を隠していたギルバートがちらりとアルフレッドに視線を向けた。


「アルフのせいじゃないでしょ。だから別にアルフに怒ってないよ」

「ギルバート」

「心配してくれてありがとう」


そういってかすかに微笑んだギルバートをアルフレッドは感極まった目で見つめた。

そのあと彼もふっと力の抜けたような顔で笑う。


会えなかったうちにギルバートは彼なりにたくさんの経験をしてかけがえのない友人を得られたようだ。

ふたりの様子を見て、レイラは心が温かくなるのを感じた。


「君への償いといったら大袈裟かもしれないけれど、城でのふたりの身は僕が預かることになった。レイラさんの研究も恐らく僕の担当になると思う」


椅子に座り直したアルフレッドは神妙な面持ちでそう口にする。

城に着いたら詳しい説明があるということだったが、一体どんなことをするのだろう。

何にしてもこの力が存分にふるえるなら、これほど本望なことはない。


そこまでギルバートを見て話していたアルフレッドだったが徐にレイラに目を向けた。


「もちろん、レイラさんに無体な真似はさせないと約束する」


そう力強い目で見つめられてレイラは思わずぱちくりと目を瞬かせる。

その反応がいがいだったのかアルフレッドも不思議そうに目を瞬かせた。


「あれ?なにかおかしな事言ったかな?」

「あ、いえ。なんだか随分重苦しい言い方だったので。そんなに肩に力を入れなくても大丈夫ですよ」

「……そちらは反対に随分気楽な言い方だね。あ、責めているわけではなく」


慌てて訂正したアルフレッドにレイラはこともなげに言う。


「アルフレッドさんはなんの魔法が使えますか?」

「? 僕は火が得意かな。あと風の魔法を少し」

「私は初歩的な火魔法しか使えません。あと空間魔法を少し」

「空間魔法を少しというのは」

「いいえ。少し、なんですよ。私からしたら。みんな使える魔法が違うように。わたしも使える魔法が違うだけ。私はみんなより少しだけ空間魔法が使えるんです」


それはなにも特別なことじゃないでしょ。


「だから私は気楽なんです」

「そう、か。だからなんだな。どこかに隠れているのかと思ったら実家で普通に過ごしていたのも。なにも聞かずに僕たちに着いてきたのも」


思わず苦笑がこぼれた。

なんだか文面でみると自分の行動が馬鹿に見えるのは気のせいだろうか。気のせいだな。


その時、石を踏んづけたのか馬車が大きくガタンと揺れた。

外の景色はいつの間にか緑に変わっている。

どうやら旅程は順調のようだ。

そこでふと、さっき気になって聞けなかったこがあったのを思い出した。


「そういえばアルフレッドさんって妹がいるんですか?」


そう尋ねるとふたりに何を言っているんだ?という目を向けられる。


「アルフの妹はエリーナ様だね」

「うん? あれ、エリーナ様って確か末姫様の名前じゃ」

「愚妹が申し訳ない」

「え? エリーナ姫が妹? えっと、それはつまり」

「アルフはこの国の第三王子だよ」

「……。え!?」


えーーーー!?

ギルバートの交友関係が広まって良かったと思っていたけど、広がりすぎ……!

レイラはアルフレッドの思わぬ正体を知り目を白黒させるのだった。






長い廊下が続いている。

かなり飛ばしたのか王城へは街を出てから4日と半でついた。いまは夕方だ。

西日が広い廊下を橙色に染め上げている。

レイラはアルフの先導のもと王城の中を歩いていた。

ここまでレイラを送り届けてくれた騎士たちは門を入ったところでお別れしている。


時折、ここで働く侍従や侍女と思わしき人物とすれ違った。

彼らはレイラたちを捉えると一様に頭を下げ廊下の端によける。

その姿を見るとなんだか落ち着かない気分になる。


「もうすぐ目的の部屋に到着する。堅苦しいものじゃないから緊張しなくて大丈夫」

「はい」


そうは言っても気が張るのはどうしようもないだろう。

レイラは軽く息を吐き出した。


これからレイラは3人の人物と会うらしい。

この国の、宰相。騎士団長。魔術師団長だ。

ギルバートは魔術師団長とはもちろん面識があるが残りの2人は姿を見たことがある程度だという。



着いたぞ、とアルフが示したのはレイラの3倍の背丈はありそうな大きな扉だった。

表面には国花であるメノリの花が彫られている。

扉の両脇には騎士が立っておりレイラたちの姿をみとめると取手に手をかけた。

重そうな扉はぎーっという音を立てて両側に開く。


勝手知ったる様子で中へ進むアルフに続いてレイラとギルバートも足を踏み入れた。

広い部屋だった。高い天井からは豪奢なシャンデリアがぶら下がっており、窓から差し込む光でキラキラと輝いている。

床は大理石で出来ているのか歩くたびにカツカツと足元で音を立てた。

背後で再び軋む音を立てて扉が閉まるのを聞きながらレイラは室内を見回す。

こんな場面でなかったらおのぼりと笑われていたかもしれない。


前を歩いていたアルフが足を止めたのでレイラはようやく我に返って視線を前へと向けた。


「ギルバートとレイラ様をお連れしました」


そう言ってアルフがレイラたちの前から退く。

1番最初に目に飛び込んできたのは燃えるような赤い髪だった。

その両隣には艶のある黒髪の男性がふたり。

1人は切りそろえられた短髪でもう1人は長い髪を顔の横で結っている。

みな30か40代ぐらい壮年な男性だった。


そして3人だけだと思っていたが、奥にもう1人。

白髪に長い髭をはやしたいかにも好々爺といった見た目はよく覚えている。

ライオネルと名乗った老人だ。

ライオネルはレイラと目が合うとやぁお嬢さんとでも言うように手を挙げた。レイラもぺこりと目礼を返す。



「よく参られました。ギルバート殿。レイラ殿」


そう言って口を開いたのはレイラから見て1番右に立つ男だった。

黒い髪を綺麗に切りそろえている彼は、紫がかった瞳に眼鏡をかけている。


「私がこの国の宰相を務めているトレバーです」

「あ、レイラと申します」


ライオネルに気を取られていたレイラは急に話しかけられて慌てて頭を下げた。下げてから挨拶の仕方はこれで合ってるのか疑問になった。

だが形式的なものではないと言っていたので気にしなくていいのかもしれない。

なんてことを考えながら顔をあげると、首を傾げる赤髪の男と目があう。


「随分と小せえお嬢さんだな。こんなんが本当に空間魔法の使い手なのか?」


眉間に皺を寄せてこちらを伺う男は、いかにも「信じられない」という顔つきだ。

疑う、というよりは不思議に思っている、という方が近いのかもしれない。

彼がそう思うのも理解できるのでレイラはあはは、と乾いた笑みをこぼした。


レイラはこの国の女性の中でもかなり小柄と言えるだろう。

特に、今では180センチを超えるギルバートと並ぶとその差は顕著だ。

残念ながらレイラの身長はとうの昔に伸びることをやめてしまい、ギルバートに会わなかった5年間も1ミリたりとも動くことはなかった。


さらに言うとレイラは顔が非常に幼く見える。確かこういう人のことを童顔、というのだろうか。

そのため、姿はどこからどう見ても10歳程の少女。年齢を間違われるのは1度や2度では済まない。

とはいえ、今ではそれも少しは減ったものだ。

なぜなら、この国は成人した人間は右手の小指に指輪をつける習慣があるため、去年成人したレイラも指輪をするようになったからだ。


今日もちゃんとつけているが、あちらからすればどんな人間がやってくるのかと思いきや、こんな子供が現れたのだから驚くのも無理はないだろう。


「これといって特徴あるわけでもないし、普通のお嬢さんに見えるけどな。いや、目の色だけ少し珍しいか?」

「ライリー、余計な口を挟むのはやめなさい」

「おっと、すまん」


ライリーと呼ばれた男はトレバーに釘を刺されがしかじと頭をかいた。

確かに目の色さえあまり見かけないかもしれないが、髪はこの国に1番多い黒髪だし、特に美人でもグラマラスという訳でもない。

どこにでもいる普通の少女だ。

ライリーの言う通りなので、特に否定はしないでおく。


「大変失礼しました」


気を取り直すようにトレバーが咳払いをした。

ライリーはなおも不思議そうにこちらを窺っているが今度は余計な口を挟まなかった。


「いらぬ横槍が入ってしまいましたので、直球に申し上げます。ご自分が何故ここに呼ばれたか、ご存知ですね」

「はい。先日は城を爆破してしまいすみませんでした」

「そちらではありません」


レイラが殊勝な態度で謝罪を述べるとトレバーにすぐさま一蹴された。


「あの件はこちらにも非がありますので、王も罪は問わないと申しております。幸い死傷者もおりません」


そうです、そちらのお話が先でしたね。

と言ってトレバーはギルバートへ視線を向ける。


「貴方には大変ご迷惑をおかけしました。どうやら先の件はエリーナ王女の独断で行われていたらしく、王も詳細をご存知ありませんでした。とはいえ貴方への仕打ちは事実。かわりに謝罪させて頂きます」


申し訳ございません、と言うトレバーをギルバートは感情の読めない目で見つめるだけだった。

城に足を踏み入れてからギルバートはすっかり人見知りの皮をかぶってしったのかこの調子だ。

それどころか心ここにあらずといった様子で少し心配になる。

ここに戻ってきたことで嫌な記憶でも思い出してしまったのだろうか。

なら、それは悲しいことだ。


「ギル」


レイラがそっと声をかけるとギルバートの瞳に微かに光が戻った。

ちらりとレイラに向けた目をトレバーに戻す。


「許さないと言ったら黙って俺たちを帰してくれますか」

「無理ですね」

「なら宰相様からの謝罪はいりません」

「……分かりました。ではこの話はこれで終わりにしましょう」


トレバーは眼鏡をかけ直すとこの話を打ち切った。


「では本題へ入りましょう。レイラ殿」


名前を呼ばれて、レイラは「はい」と返事をする。


「貴方は空間魔法が使える。それに間違いありませんね」

「はい、間違いありません」

「それはいつからですか」


そう問われてレイラは思案した。そして首を横に振る。


「いつからか、は分かりません。気づいた時には使えていました」

「報告によると物を浮かせる力がると聞いていますが、他には?」

「使えるのはそれだけです。建国王のように空気の質量を変えたり、大魔女のように瞬間移動したり、は出来ません」

「かの2人が物を浮かせる力があったという記録はありません。そうなると貴方の力は新しいものになりますね」


トレバーは難しい顔をした。

そもそも、空間魔法を操ることが出来たと言われる人物はたったのふたり。

それも歴史は何百年と遡る。

その間にレイラの他に空間魔法を操れる人物がいたとして、それは残念ながら記録には残されていない。

その記録に残されているふたりさえ使えた力は違うというのに、レイラの力はそのどちらでもないときた。

それは難しい顔もしたくはなるものだ。


「分かりました。ちなみにそれ以外の魔法は?」

「初歩的な火魔法だけです。それ以外は全く使えません」


かつて大魔女ベルローズは火・水・風の3魔法を使いこなしていただけではなく、火の上位魔法である雷、水の上位魔法である氷も自在に操れたと言われている。

オフィーリア王はベルローズほどではないが高い水と光の魔法の能力を有していたらしい。

それと比べるとレイラの使える魔法のなんとちっぽけなことか。


するとそれまで黙って座っていた長髪の男が徐に前へ進み出た。

彼は服装で誰か察しがつく。アルフやライオネルと同じ衣装を身に纏っているからだ。

その男はウィリアムと名乗った。


「部下からの報告を信じていないわけではないが、その力を見せてもらうことは可能か」


そう言って何かを取り出すと机の上に置く。

それはガラス瓶の中に入った鉛のようなものだった。文鎮というのだろうか?物を書くときに紙を押さえるあれにとても似ている。


「これは完全に密閉されている。中の重りも風で飛ぶほど軽くない」

「あぁ、なるほど」


合点がいった。

つまりレイラの魔法を風魔法かなにかだと勘繰っているのだ。


「分かりました。浮かせればいいんですね」


レイラが一歩前に出ようとするとぐっと手を引っ張られた。

振り返るとギルバートが訴えかけるようにこちら見つめている。

言葉にしてないのにその視線は彼が言いたいことを如実に表していた。

だがレイラはその手に反対の手を重ねるとそっと解く。

分かってる。でも叶えてあげられない。

これはレイラの我がままだ。だからそんな顔をしないで欲しい。


レイラは腰から下げていた杖を取り出そうとして、ふと思い直しそれを戻す。

そしてひとつ大きく深呼吸すると、ガラス瓶を真っ直ぐに見つめてすっと目を細めた。



「舞い上がれーー」



「なに!?」

それは誰の声だったか。

レイラの声と共に、鉛は見えない何かに引っ張られるかのように宙に浮いた。


「レイラ!」


ギルの声が聞こえたかと思うと体を後ろに引かれて、レイラの集中はそこでふっときれた。

その拍子にふわふわと宙に浮いていた物体は不快な音を立ててガラス瓶の底へと戻る。


その音が消えても誰も声をあげなかった。

ただ、みなが酷く驚いた様子でガラス瓶の中を凝視している。

しばらく沈黙がその場を支配した後、絞り出すように声を出したのはウィリアムだ。



「無媒体だと……」


その声さえもあまりの驚きからか僅かに掠れていた。

表情はまるでこの世のものではないものを見たかのようだ。

彼が驚くのも無理はない。それだけのことをレイラはやってみせたのだから。



「媒体を介さず魔法を発動出来る者など、私は初めて見た……」


魔法を発動するために必ず必要なものがある。それが今言われた媒体だ。

一般的には杖が多い。もちろんレイラも持っているし、普段はそれを介して魔法を発動している。

中にはギルバートのように特殊な媒体を使用する者もいるが、それほど多いとは言えないだろう。


はー、とウィリアムは言葉にならないように大きなため息をついた。


「驚いた。お前の空間魔法の力は本物らしい。しかもかなり強い魔力を持っている」

「これは想像以上ですね」

「いやぁ、長生きはするもんですな」


ウィリアムに続いて事態を呑み込んだトレバーが頭が痛いとでも言うようにこめかみを押さえた。

ライオネルの反応は前の2人と少し違い、面白いものを見たという顔つきだ。驚きよりも好奇心が前に出ているようである。

唯一、ライリーだけは何が起きたのかいまいち分かっていないようで首を傾げていたが、只事ではないことは分かっているようだ。



「レイラ殿の力は理解しました。そこで貴方にお願いしたい。いえ、お願いというにはあまりにも卑怯かもしれませんね」


トレバーが机の上からレイラに視線を戻した。

レイラの手を握っていたギルバートの腕に力が入る。

それに反対の手を重ねることで大丈夫、と伝える。


「貴方も自分の力の重大さが分かっていると思います。人々はずっとその力を求めてきました。それは良いようにも、悪いようにも。これは私たちの利益だけではありません。貴方が力を貸してくれると言うのなら、私たちはあらゆる敵から貴方を守りましょう。これは取引です」


トレバーは今までにない鋭い目つきでレイラを見据えた。


「我々に、その力を貸してください」


「あ、いいですよ」

「え、いいの」


ライオネルが思わず声を上げる。

他の3人からじろっと目を向けられ面目ないというように頭をかいた。


「いや、あまりにもあっさり頷くものだから、つい」

「それは私も驚きましたが」

「あ、でも条件があります」


レイラが思い出して2人の話を遮ると今度は全員が一斉にレイラの方を向く。


「なんでしょう。そう、もちろん貴方がたが協力してくれる限り身の安全は保証しますし、必要に応じて報酬もお支払いしましょう」

「ありがとうございます。ですが私が望むことはひとつです」


トレバーから提示された条件はとても嬉しい。

これからレイラに何が起こるかわからない以上、自分を守ってくれる存在は1人でも多いにこしたことはないし、自由になるお金が手に入るのはとてもありがたい。

だが、レイラが望むことはひとつだ。


「どうか、誰も、私の大切な人を傷つけないでください」


一瞬、トレバーが微かに体をぴくりと揺らした気がした。

それはそう見えただけで、実際は違ったかもしれない。

でも、これだけは正しく伝えなくてはいけない。


「決して、誰も、私の人質をとることは出来ません。私の両親も、ギルバートも、マギーさんもローラちゃんもみんな。誰ひとりだって私を強制させる道具には出来ない」


ごくり、と誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。


「約束してくれますか?」

「……もし。もしその約束を違えた時は?」

「そうですね。その時は、私はその大切な人ごと、この国を滅ぼしてしまうかもしれません」


レイラは冗談のつもりで口にしたが、誰もそうは受け取らなかった。

なぜなら、レイラの目が微塵も笑っていなかったからである。

トレバーはゆっくりと胸に手を当て、静かに目を閉じた。


「その言葉、しかと胸に刻みましょう」










案内されたのは青を基調とした可愛らしい部屋だった。

どれもレイラが使ったことがないような高そうな家具ばかりだったが、ここがこれからレイラの部屋になると言うのだからもっと驚く。


「今日は疲れただろうからゆっくり休んで。これからの予定はまた明日話そう」

「分かりました」

「ギルバート。君が望めばここの隣に部屋を用意できる。だが君の部屋は変わらず宿舎に残っている。どうするかは君が決めてくれ」


アルフレッドの言葉にギルバートは返事をしなかった。

ではまた明日、と言ってアルフは部屋を後にした。


「ギル、ごめん」

「なにに謝ってるの? 謝るってことは自分が悪いことをしたって思ってるってこと?」

「ううん、悪いことをしたとは思ってない。でもギルの思いを無視した。だから、ごめん」


突然、身体がふわりと浮いたかと思うとぼふんと背中からベッドにダイブした。


「知ってるなら、どうして!? どうしてあんなことしたの。レイラは意地悪だ。俺の気持ちを知ってるくせに聞いてくれない。でも!」


レイラの上に覆い被さるように手をついていたギルバートは、力をなくしたようにレイラの上へと倒れ込んだ。


「でもレイラの思いを尊重出来ない俺の方が、もっと意地悪だ」

「ギル……」

「分かってる。レイラはずっと自分の力を隠さず生きたいって望んでた。それを止めてレイラに制限をかけてきたのは、他でもない俺だよ」

「そんなことない。たくさん守られてるよ」


力を明かさなかったから危険な目に遭わなかったのだ。ギルバートの選択は決して間違ったものではない。いやそれどころか彼の選択肢こそが正しいのかもしれない。


でもそれじゃ駄目なのだ。レイラがこの力を受け取ったのにはきっと意味があると思うから。だからこの時間を無駄にはできない。

この生が終わるときに、なにか、少しでもいいから、大切な人に返せるように。


「ギルに呆れられても、私は足掻いていたいの。この力は誰かを傷つけるものじゃないって、みんなに知ってもらいたい」

「うん、レイラなら出来るよ」

「ありがとう」

「強くなりたい。こんなものじゃない。レイラを傷つけようとする奴みんな返り討ちにできるぐらい」


顔を上げたギルバートの目には決意が宿っていた。


「だから魔術師団に戻るよ」

「そっか」

「うん、まだまだやりたいことが沢山あるんだ。空間魔法も調べ途中だしね」

「あ、魔法は私がいるんだしわざわざ調べなくても」


と言いかけると「レイラのために何かしたいの!」と拗ねたような声で遮られる。

バタバタと足を動かすものだからスプリングのきいたベッドがリズミカルに跳ねた。


「わ、分かったからストップ!」


静止の言葉をかけてようやく動きを止める。

そしてぽつりと。


「それに」

「……それに?」

「あそこには仲間がいるから」


ふふ。ふふふ。

レイラが堪えきれず笑いだすと、きりと睨まれた。

だがそんな耳を赤くして睨まれてもこれっぽっちも怖くない。

あまりにもレイラが笑うものだからギルバートはぷいっとそっぽを向いてしまった。

ごめんごめんといって頭を撫でる。


ギルバートは小さい頃から極度の人見知りだった。人と会うと必ずレイラの後ろに隠れてしまう。喋りかけられるのはもっと駄目。口を一生懸命動かしても音にならない。

自分の思ってることがなかなか表に出せなくて、そのせいで傷つくこともあって、その度にレイラの後ろに隠れてはしくしくと泣いていた。

そんな彼が。そんな彼がだ!


はー、とレイラは息をついた。

これは喜びのため息だ。

嬉しい。こんなにも、自分のことのように嬉しい。


ギルバートの帰りを待ってる人がいる。

ギルバートが仲間と呼ぶ人たちがいる。

ギルバートを愛しいという人がいる。

少しずつ彼の世界が広がっていく。


それはきっとレイラが望む未来への一歩だ。

いつかきっと成し遂げる現実への足掛かりだ。

大袈裟だと思われてもいい。

誰がどう思おうとレイラにとってギルバートより大切な人はいないのだから。

だから。


「レイラ?」


なに?、と答えたつもりだったが声にならなかった。

ふわふわ、と体が浮いてゆくような感覚に捉われる。それとともに、意識がゆっくりゆっくりと霞みがかっていった。

抗うとこのできない眠気だ。

雲の上に乗っているような、そんな心地いい眠気に誘われるまま、レイラは意識を手放す。

最後にふわりと布団がかけられる感覚がした。


「おやすみ、レイラ」


おやすみ、ギルバート。

明日もどうか貴方に優しい世界でありますように。










「起こしにいった侍女が、何度呼びかけても反応がないって言うから何かあったのかと思った」


次の日、アルフに会って真っ先に言われたのはそんな言葉だった。

結局レイラが起きたのは昼すぎだ。

昨日眠ってしまったのが6時頃だったと思うからかれこれ18時間は寝ていたことになる。


「いやぁ、すっかりお伝えするのを忘れてました」

「体は大丈夫なの?」

「はい、全く問題ないです」

「それならいいんだけど」


レイラは遅めの朝食、もとい昼食を食べていた。

アフルは向かいの席に座っている。


今朝レイラを起こしたのはギルバートである。起きたら居たと言った方が正しいが。

いつまで経っても目覚めないレイラを心配して連れて来られたものの、レイラの事情を知っている彼は無理矢理起こさずレイラ自らが目覚めるのを待っていたのだ。


「それでギルバートに聞いたところ、睡眠時間は空間魔法に関係あるようだけど」

「あー、恐らくですが空間魔法を使うには莫大な魔力消費が必要なんだと思います。なのでその時に使った魔力を回復するために時間がいるのかと」

「つまり魔法を使えば使うほど睡眠時間が長くなる」

「はい」


レイラはハムを口に放り込んだ。肉厚なうえにジューシーでとても美味しい。

この食事はレイラと同じ年ぐらいの女性が運んできてくれたものだ。

昨日、廊下ですれ違った人たちと同じ格好をしていたので恐らく侍女か何かだと思う。

鼻のスッと通った美人さんで少し釣りあがった目が特徴的だった。

彼女はテーブルの上にさっさと食事を置くと一言も発することなく帰っていった。

部屋を出る際、ぎろっと睨まれた気がしたが気のせいかもしれない。


「1日の睡眠時間はどのくらいなの?」

「魔法を全く使用しなければ10時間。一度でも使えば最低でも12時間は眠ってます」

「なにもなくてもそんなに長いのか」

「昨日、魔法を使ったのはあの一回だけでしたが少し無理したのでいつもより長く眠ってたみたいです。まぁ、回数だけでなく質量、時間も関わってくるのでなんとも言えないんですけど。これから魔法を頻繁に使うなら今日と同じぐらい眠ってると思ってもらっていいです」


それを聞いてアルフ頭を抱えた。

彼にとって、いやこの一件に関わる全ての人にとって予想外だったに違いない。


「起きてる時間が6時間。支度や食事を抜くと4時間もない。計画が大幅にズレるどころか、今のままだと成り立ちすらしない」


片手にもった紙を見ながらぶつぶつと呟く。

整った眉はすっかり下がってしまい、誰から見ても困っていますという表情だ。


「正直、よく今まで生きてこれたね」

「我が家にはルールがあるんです。眠りだしてから最初の24時間で起きなかった場合、食事や排泄のために強制的に起こされます。そのあとは12時間おきです」

「24時間? 12時間?」

「あぁ、今はなくなりましたけど昔は1ヶ月とか眠ってました」


アルフはあんぐりと口を開けた。

想像できない数字だったのかもしれない。レイラもアルフの立場だったらきっと同じ表情をしていたと思う。

しかしこれでも成長するにつれて随分と短くなったものだ。

先日ギルバートを乗せて街まで帰った時も昔なら1か月は寝ていてもおかしくなかったのに5日で目覚めた。

これはレイラの回復量が早くなっているのか、魔力の消費が少なくなっているのかは分からないが、少なくとも幼少期より格段に空間魔法の使える範囲が上がっているのは確かだ。

黙々と食事を口に運んでいると、アルフは気を取り直すように紙に視線を向けた。


「計画を練り直すとして、そうするとお披露目式の準備を優先して進めなくちゃいけないな」


その言葉にレイラは思わず手を止める。


「いつでしたっけ?」

「ちょうど2週間後。今回は自国民への挨拶だけだから10分程度の顔見せになるだろうけど、衣装や段取りについて詰めていかなければ」

「そうですか」


相槌をうちながらレイラは内心ドキドキしていた。

どうやら“歴史上3番目の空間魔法の使い手”の存在についてはもう国内外に広がっているらしい。

正直にいうと、自分の存在を多くの人に知ってもらえるのは嬉しい。

空間魔法を操る者がけして特別な人間ではないということを知りえる機会になるならこんなに有り難いことはない。

では何故そんなにもドキドキしているかというと、単純に恥ずかしいというのもあるが、1番は不安だ。

けして人々の反応を恐れているわけではない。

ただ、いままでレイラの力を知る人間は手の指で数えられるほどしかいなかった。

レイラの世界はとても狭かった。


それが一変する。

そこに集まる数えきれない人々がレイラという存在を認識する。

その時、自分は淀みなくそれらの目を見返せるだろうか。

覚悟はある。足りないのはあと少しの勇気。


すっかり考え込んでしまったレイラははっと我に返った。

このあと、これからレイラが魔法を使用するにあたり貸し与えられた、いわば実験場になる場所に案内してもらえる予定になっているのだ。

すでに今までのやりとりで時間を使ってしまっているので、もう無駄に出来ないとばかりにレイラは急いでご飯を口に詰めこんだ。そしてアルフを急かして部屋をでる。



連れてきてもらったのは建物を背にして半円形に造られた庭のような場所だった。

建物の3階部分までレンガの壁でぐるりと囲まれたそこは、太陽に照らされ芝生が青々と輝いている。

レイラの部屋から10分も経たない距離にあるここはクレセントと呼ばれているらしい。


「舞い上がれ!」


レイラが杖をふると箒は音も立てずにレイラの腰のあたりまで浮きあがった。

慣れた足取りでそれに飛び乗る。


「舞い踊れ!」


再び呪文を口にすると箒はいつぞやのように宙に跳ね上がった。

レイラが杖をくるくると回すとそれに合わせて箒も右へ左へ動く。

それが楽しくてレイラは上下左右と飛び回った。

隠れてこっそり飛ぶことは少なくはなかったが、こんなにも自在に空を飛んだのは生まれて初めてかもしれない。


「ふぅー!!」

「落ちないように気をつけなよ!」

「大丈夫ですよー!」


下でアルフがひやひやとした様子でこちらを眺めていた。

初めて見る人からすれば不安に思うものだろう。だが心配は無用だ。

だてに何年も空間魔法を操ってきたわけではない。

誤って落ちたもの1度や2度では済まないが。


「そいっ」

「危ない! 危ないから!」

「大丈夫ですってばー」


焦った声をだすアルフにレイラは呑気な返事をした。

昔は飛ぶどころかある程度まで浮くとこしか出来なかったが、今では飛ぶことはもちろん棒の上に立つことも出来る。

まぁ、立ったところで特にメリットがあるわけではないが、高いところから見下ろす景色とは壮大なものだ。

あまり高くには行かないよう言われているので塀を少し越えたところで王城を見渡す。

今日は天気がいいので遠くまで見渡すことが出来る。

残念ながら城壁の方が高いので街の様子は見えないが、代わりに王城の中を行き交う人々が見えた。

とはいえこちら側は建物も少なく、見えるのも巡回している兵士ぐらいなので、あまり人が通るような場所ではないのかもしれない。

ここがレイラに与えられた場所だと考慮するとそれも当たり前なのかもしれないが。


「おーい、嬢ちゃーん!」


レイラが外を眺めていると下から声をかけられたので顔だけ振り向いた。

そこには昨日会った赤髪の男が、腕を組んでこちらを見上げている。


「騎士団長さん」

「ライリーでいい。よう、嬢ちゃん。昨日はよく眠れたか」

「はい、嫌というほど」


立ったままゆっくりと箒を下へ移動させるとライリーの前でぴょんっととび降りた。


「そうか、それは良かった。にしても不思議だな。一体どうなってるんだ」

「私も仕組みについてはよく分かりません。でも他の魔法を発動するのとそれほど変わらないと思います」

「そんなもんか。まぁ、そもそも俺たちからしたら魔法自体どう使ってるか分かっちゃいないけどな」

「ライリーさんは、魔法は」

「俺はさっぱりだ。というより魔術師団にいるやつ以外はほとんどそんなもんだろ」


案外そうなのかもしれない、とレイラは頷いた。

いまからおよそ千年前。

記録によるとその頃、世界のほぼ全ての人間が魔法を使えたという。しかし歴史が過ぎるとともにその数はひとりまたひとりと減っていった。

いまではすっかり逆転し、魔法を使える者、いわゆる魔法使いは人口の2割にも満たないと言われている。

ちなみにレイラの両親も魔法は全く使えない。


かわりに長い歴史の中で魔法を使わなくても生活できるいろいろな物が生み出された。

例えば水は蛇口を捻ればでてくるし、料理をしたければコンロで火がつくし、髪を乾かしたければドライヤーがある。

皮肉なことにも魔法が衰退する一方、人々の生活は反比例で栄えていった。

だが魔法使いにしか出来ないことがあるのももちろんだ。

それこそ新しい魔法を生み出すことは魔法使いにしか出来ない。


「ところで嬢ちゃん、もう一度その物を浮かせる魔法、近くで見せてくれないか」

「はい、構いません」


アルフの方をチラリと伺うと大丈夫というふうに頷かれたので、レイラは箒を地面に置くと一歩下がった。


「舞い上がれ」

「うーん、何度みても不思議なもんだ」


浮き上がる箒をしげしげと見つめながらライリーは首を傾げる。

その姿がなんだか、初めて見たものを親にあれは何これは何と尋ねる子供のようで思わず笑ってしまった。

ライリーは見た目こそいかつくて怖そうだが、もしかしたら昨日会った中で一番純粋で素直な性格なのかもしれない。


「どちらにせよ俺にはよく分からねぇな」

「私もよく分かってないんで最もだと思います。自分で使ってるのに可笑しな話だと思いますが」


そう言って困ったように笑ってみせると、ライリーはおかしな事を聞いた、というような顔をした。


「そんなの初めは当たり前だろ。どうせこれからあれこれ調べるんなら、それから知っていけばいい話だ」


そう言ってにかっと笑うライリーを見て、レイラはほんの少し心が軽くなった気がした。

知らず知らずのうちに肩に力が入っていたのかもしれない。

そんな自分を元気づけられた気がして、ありがとうございますと言ってレイラも笑みを返す。

彼の笑顔には他人を笑みにする成分でも含まれているのだろうか。

なににせよ、ライリーの言葉にレイラは元気が湧いてきた。


「騎士団長、用件はお済みでしょうか?」

「おっと違う、違う。魔法が見たかったのは本当だが、本題は別だ」


目的が見えないライリーにとうとう痺れを切らしたのか、アルフが後ろから声をかけた。

そこでようやくライリーは自分がここに来た理由を思い出したらしい。


「嬢ちゃんの護衛をだな」

「護衛?」

「あぁ。嬢ちゃんを守るために護衛が必要だろ。うちの騎士団の中でも腕のいい奴を用意したから紹介しようと思って」

「わ、ありがとうございます!」


他にも仕事が山程あるだろうにわざわざレイラのために動いてくれるのだから本当に感謝しかない。

出来る限り自分の身は自分で守るのはもちろん、危険な真似はしないようにしよう、と心に誓う。

そうしてからレイラはあたりをキョロキョロ見渡した。

しかしライリーの後ろには誰の姿も見つけられない。おかしいな、とレイラは首を傾げた。


「あの、その護衛の方は」

「あ、いけね。連れてくるの忘れた」

「えー!?」


驚きの声が見事にアルフと重なった。

がはは、と豪快に笑うライリーを見て目が点になる。

護衛を紹介しに来てその人を忘れるなどあり得るのだろうか。

それではまるで学生鞄を忘れて学校に行くのと同じようなものだ。いや、それよりももっと酷い。

学校の場合、学びに行くのが本来の目的であるため鞄を忘れても成り立つが、今回はその忘れたものが重要である。


「まぁ、これからずっと嬢ちゃんについてるんだ。そのうち会うだろ」

「え。いや、まぁ、そうでしょうけど」

「じぁ、用も済んだことだし俺は戻る。じゃあな」

「あ、はい。どうも」


なおも笑い声をあげながら立ち去るライリーの後ろ姿を、呆然と見送る。

レイラに護衛を紹介するという用件を何ひとつクリアしていないが、彼の中で話は終わったらしい。

様子から察するに連れて戻ってくるわけでもなさそうだ。


「騎士団長はああいうお方だよ」

「そうなんですね」


レイラと同じ目を入り口に向けていたアルフはポツリと呟いた。

ひとつ訂正するべきかもしれない。

彼は純粋というより単純なのかもしれない。








睨まれている。

やはり気のせいではない。

王城に住み始めてから5日が経った。

相変わらずレイラの起きている時間は6時間から、長いときは10時間ほどしかない。

ここに来てからやっていることと言えば、空間魔法を振るうことと作法の勉強だ。


魔法に関してはアルフが用意する様々な物を浮かせている。

昨日は一辺が10センチほどの木で出来た四角形を同時に何個浮かせられるか挑戦していた。


もともと実家にいたころは宅配便を運ぶ仕事に就いていたのだが、日々いろんな荷物を浮かせる特訓をしていた甲斐あって、5個までは余裕で浮かせることが出来た。

しかしそれ以上になると浮き方にだいぶ差が生じてくる。

あるものは地面すれすれだったり、あるものは高くあがり過ぎてしまったり。

特に自分の目で捉えきれる範囲を越えると、とたんに集中が疎かになる。

これに関しては特訓すればまだまだいけそうなので、とりあえず10個を目指したい。


反対にひとつのものなら、ほぼ自在に操れると言っても過言ではなかった。

上から下へ。右から左へ。

一度クレセントの3階部分を突き抜けて空高くまで飛ばしてみたが、視認出来なくなったあたりで魔法が切れたのか、豪速球となって落ちてくる鉛をかろうじて避けてから怖くてやっていない。


お披露目式の準備に関しても着々と進んでいるようだ。

この間、綺麗なお姉さんが集団となって押しかけてきたと思ったら、色とりどりの布を代わる代わるあてがわれたうえ、あちこち採寸された。

どうやら式で着る衣装を作るらしいが、入ってきた途端みながレイラを見て難しそうな顔をしたのは鮮明に覚えている。

そんなあからさまな表情をしなくても、と悲しくなったのは内緒の話だ。


今はどちらかといえば魔法より作法の勉強時間が多い。

たった10分ほどと言っても覚えなくてはいけないことが沢山あるみたいだ。

歩き方から立ち方、お辞儀の仕方や手の振り方まで。

これが思いのほか難しい。いくら使える魔法が他の人とは違う言ったって、レイラ自身はそういうものとは無縁で生きてきたのだ。

正直、そのままの自分を知ってもらいたいという気持ちはあるが王宮にも事情があるだろうから素直に従う。


そんなこんなで、レイラは忙しい日々を送っていた。

そのなかでひとつ分かったことがある。


レイラの食事は朝と夜、正確に言えば起きた後と寝る前、の2回運ばれてくる。

それを運んでくるのは初日から変わらずあのつり目の女性だ。

名前はわからない。なにせ聞ける雰囲気ではない。

その女性はいつも無言で部屋へ入ってくると、およそ丁寧とは言い難い手つきで食器をテーブルに並べる。

そして並べ終わり部屋を出て行く際。

ぎろり。

睨まれている。間違いなく睨まれている。

もともとつり目がちなだけあって睨むと迫力がある。


あまりの眼光にレイラはそれを真正面から見返す度胸もなく、女性が出ていくのを冷や汗をかきながら待った。

扉が閉まるとふーっと息を吹き出す。

彼女の全身からはレイラを歓迎していませんという意思がありありと伝わる。

いや、なんだったら顔に書いてある。


レイラは参ったなぁ、とため息をついた。

あそこまで態度があからさまなのは彼女ぐらいなものだ。

誤解をしないで欲しいのは彼女の態度が顕著というだけで、レイラに怖い目を向けるのは彼女だけではない。

ここに住み始めて分かったのはレイラが思うより遥かに、レイラに恐怖とまではいかないものの、なにかしらの懸念を抱いている人間が多いということ。

たまに廊下ですれ違う侍女や兵士の目に隠しきれない心の様子が映し出されている。


それを見てレイラは「あぁ、そういうものなのか」とひとりごちた。

レイラはこの国にとって毒にも薬にもなる。

薬になれば幸いだが、毒になる恐怖をみな抱えているのだ。


でも、忘れてはいけない。レイラはそういう人たちと戦いに来たのだ。

この力を敬う人や恐れる人がこの世界に多くいることは最初から分かっている。

分かっていてレイラはその壁に挑むことを選んだ。

自分で居場所を掴み取ることを望んだ。

未来に、自分ではない空間魔法の使い手が現れたとき。

その人がけしてこの世界で悲しい思いをしないように。


そのためならどんな苦境にだって立ってみせよう。

どんな危険があったって立ち向かってみせよう。

その人が笑って過ごせる日々がくるのなら、それほど価値のある明日はない。


それがレイラの昔からの願いだ。


そのためにはまずここにいる人たちと友好関係を築かねば。

もちろんあの女性もそうだ。安易な考えかもしれないが、真っ直ぐ向き合えばきっと分かり合えると思っている。

だからどんな目を向けられようともレイラは挫けない。

とは言っても、あまりにも鉄壁で声をかけるのも憚られる。

一体どうしたのもか。

レイラは目下、彼女と仲良くなることに頭を悩ませていた。












「同じ人物ですか?」


数秒間レイラを奇妙なものを見るような目で見ていたトレバーが、思わずと言ったように呟いた。


「僕も同じことを思いましたが、あまり不用意に口に出すのはやめたほうがいいかと」

「これは失礼いたしました。とてもお似合いだと思いますよ。まるで別人のようです」


後ろに立っていたアルフに諭されたトレバーがすぐさま言い直すが、内容はそれほど変わっていない気がする。

さらにいえばアルフも言葉の最初に本心が漏れてしまっている。

とはいえ、ふたりがそう思うのもわかるのでここは聞かなかったことにしておこう。


レイラは鏡に映る自分の姿を改めて見直した。

いま着ているのは純白の布で作られたマーメイドドレスだ。肩からはそれよりも少し薄い素材で出来たケープを羽織っている。

昔から童顔と言われてきただけあってレイラには着たことのないタイプの洋服だ。

それに加え髪もドレスに合わせて結ってもらったため、いつもの少女姿からは想像もつかないほど見違えた。

その変身ぷりは自分でも驚くほどで、本当に鏡に映っているのか自分なのか分からなくなってくる。


ただレイラを綺麗に見せるためだろう渡された靴の踵が、異様に高いことだけがなんとも悲しいところだ。

ここまで歩いてくるのに非常に苦労した。

いや待てよ、それだったら飛べば良かったかもしれない。


「レイラ、綺麗……」


そこでようやくレイラを見つめたまま固まっていたギルバートがまるで息を吹き返したかのように呟いた。


「似合ってる?」

「うん。いつものレイラも可愛いけど、今日の姿も可愛い」


いつものレイラをなんのからかいもなく可愛いと言ってくれるのはギルバートくらいなものだ。

でもそう思ってくれているのなら安心した。

どうやらこのドレスに気後れしていたのは自分だけだったようだ。


「そろそろ時間ですが、準備は?」

「大丈夫です」


もう時間が迫っているのか、トレバーに質問されてレイラは頷いた。

いよいよ式の時間だ。


入り口から外に目を向けると、雲ひとつない晴天が広がっている。

広間には既に多くの人が集まっているのか、ざわざわとした話し声がここまで聞こえてきた。

みながレイラの登場を今か今かと待っているに違いない。

それは好意だろうか。それとも敵意だろうか。はたまたただの興味本位かもしれない。

どれにせよ、きっといまに分かる。

間もなく正午の鐘が鳴るだろう。

レイラたちのいるちょうど上。この塔の5階部分にある鐘は毎日正午に鳴り響く。

その時が開始の合図だ。


「じゃあ俺は戻るね」

「ありがとう。仕事頑張ってね」

「うん」


手を振るギルバートにレイラも手を振りかえした。

この幼馴染みは昔からやけにレイラに対して心配性なところがある。

式に出るのはレイラとアルフとトレバーだけなのに、こうして休憩をぬってやって来てくれるのだから。

だがそれはレイラも同じかもしれない。


ギルバートの姿が見えなくなってから、レイラは今まで習ったことをもう一度頭の中で反芻した。

作法はこの2週間のうちにばっちり覚えた。

完璧とまではいかないそうだが短い期間にしては頑張った方だという。

その証拠に作法の先生からも及第点をもらっている。

一連の流れはもう目をつむってても出来るほど練習したので、あとはそれをなぞるだけ。

よし、と呟く。

レイラが最終確認を終えたちょうどその時、

ーーカーン、カーン。

青空の下に高らかに鐘の音が響き渡った。



「では、参りましょう」

「はい」


トレバーとアルフが先行して観衆の前へ進みでた。

その様子をなんだか遠い出来事のように感じながらも、レイラも一歩足を踏み出す。

すると前を行くふたりの姿を捉えたのか、先ほどまで聴こえてきた人々の話し声がぴたり、とやんだ。

その静寂がやけに現実味をもたらして、レイラは踏み出しかけていた足を止めてしまう。

その瞬間。

自分の体が石のように固まった錯覚を覚えた。


息までも止まってしまったかのように、そこから微動だに出来ない。

レイラは驚嘆した。

ここに来て初めて、自分が酷く緊張していることを自覚したからだ。


振り返ったふたりがこちらを見つめているのが分かっても、どうしても足が動かない。

早く行かなければみんな疑問に思うだろう。

だが、急がなければと思えば思うほど、体が言うことを聞かない。

鼓動が飛び出してしまうんじゃないかと思うほど脈打っているのに、手足は反対にどんどん感覚がなくなっていく。

焦りのあまり、気が遠くなりかけた時。


「レイラ」


ハッとして後ろを振り返った。

その声を聞いた途端まるで金縛りから解放されたかのように体が動き出す。

いつの間に戻ってきていたの後ろに立っていたギルバートを見つた。


「レイラ、行かなくていいんだよ」

「え、」


一瞬、何を言われているのかわからなかった。

だがその言葉を脳が理解すると同時に、レイラは無意識に首を横にふっていた。


「ううん。いくよ」


そうだ。成したい未来があるから、自分はここに立つことを選んだのだ。

もう後戻りは出来ない。する気もない。

未来のために。この一歩を確実に踏み出さなくてはいけない。

そしていつか必ず証明してみせる。


「待っていて。私は必ず未来を掴み取ってみせる」


そう言ったレイラの瞳にはもう迷いはなかった。

それを見たギルバートは眩しいものを見たかのような表情をする。


「レイラが望むならいつまでも待つよ。だから迷わず俺の元に帰ってきてね」


レイラは再び前を向いた。

目に飛び込んできた突き抜けような青空に目眩を起こしかけたが、それはほんの一瞬のことでゆっくり閉じた目を開ける。

ただ真っ直ぐに前を見つめて、一歩踏み出した。

歩くたびに体が足元から徐々に太陽に照らされていくのを鮮明に感じる。

そして全身が太陽の下に晒された時、眩しさからレイラは思わず目を瞑った。


そして目を開いた瞬間に飛び込んできたのは人の波だった。

4階部分にいるレイラたちをぐるりと囲むようにして作られた円形の広間には多くの人たちがひしめき合っていた。

地面から段々になるように作られた2階バルコニー3階バルコニーも同様だ。

男性、女性、大人から子供まで。


そこに集まった多くの人々の目がただひとり、レイラのもとに注がれる。

その数々の瞳はレイラを見定めようと一心に向けられていた。

その圧に思わず押されそうになって、耐えるように体にグッと力を込める。

大丈夫。私はきっとこの目をちゃんと見返せる。


「そんなに怖い顔をしなくても大丈夫だよ」


レイラを見かねたアルフが苦笑いしながら声をかける。


「すみません」

「無理して笑う必要もありませんがね」

「宰相様は愛想がなさすぎます。もう少しにこりとしないと周りが怖がりますよ」

「残念ながら我が家では、母親のお腹に愛想を置いてくるのが決まりです」

「どんな決まりですか」


レイラは思わずぷっと吹き出した。

ふたりのやりとりがあまりにも面白かったからだ。


「笑って欲しかったのはそういう笑みじゃないんだけど」

「もし私が笑われているとしたら心外ですね。可笑しなことは何も言っていないのですから」


真面目な顔つきで眼鏡をかけ直すトレバーは冗談でなく本当にそう思っていそうだ。

何にしても先ほどの緊張が嘘のようにレイラは自然に微笑む。

彼らなりに励ましてくれたのだろうか。

そうだとしたらその思いに応えなくてはいけない。


「さ、ただ笑っている場合ではありませんよ」

「もちろんです」


レイラは改めて眼下を見下ろした。

どんな思いを抱えてるにせよ、ここにいる人たちはきっと少しでもレイラを知るためにやってきてくれたのだ。

そんなみんなを少しでも安心して帰せるように。

レイラは自分の精一杯の微笑みを向ける。

どうかこの思いがたった1人にでも伝わりますように。


レイラはただひたすらにその思いだけで手を振り続けた。


「そろそろ戻りましょうか」

「分かりました」


トレバーに声をかけられてレイラは頷き返した。

体感だとまだ5分も経っていないように思えたが、実際は思ったよりも早く時間が過ぎていたようだ。

ふたりに促されて群衆に軽く一礼する。

最初はどうなることかと思ったが無事に終わって良かった。

レイラは安堵のため息をついた。


だが、これが終わりではなく始まりである。

これから歩み始める道のりの最初の一歩。

その道がどこに続いてるかまだ分からないけれど、きっとレイラはひたすらに前進してみせる。きっと、必ず。


レイラは決意に満ちた心で広間に背を向けた。

その背が広間から見えなくなる。

まさにその瞬間。


「うわぁぁぁぁぁぁ!」


広間の方から悲痛な叫び声が上がったのは。

咄嗟に顔を見合わせたレイラたちは急いで今いた場所に引き返す。

柵から身を乗り出すように広間を見下ろすと、なんとそこには。


「魔物!?」


全身が赤い毛で覆われた2メートルほどの巨大な獣が唸り声をあげていた。

かなり興奮した様子で口から抑えきれない火の粉が飛び出している。

その隣には騎士服を着た男数人が倒れており、おそらく先ほどの声は彼らのものだと予想された。

どうやら獣はあの男性たちが立っていた門を突き破って侵入してきたようだ。

それはそうとして何故こんなとこ魔物が、とレイラは驚く。


「何故、魔物がここに!?」


トレバーも同じことを思っていたらしく、微かに動揺の窺える声で口にした。

街に魔物が出ることは少なくないが、それはあくまで田舎の話であって王都は別だ。

現れると言っても年に一回あるかないかと言う程度で、あれほど大きな魔物がそれも王都の中央である王城に現れるというのは明らかに異常事態だ。


いきなりのことに呆然としていた市民たちも、状況を理解したのか一斉に悲鳴を上げた。

それにつられるように獣も咆哮をあげる。


魔物は出入り口を塞ぐように立っていたため、一階部分にいた人々が少しでも上に逃げようと階段部分押し寄せた。

しかし既に上には大勢の人がいるだけでなく、一斉に階段に押しかけたためなかなか前に進むことが出来ない。


「ただちに魔物の討伐を!ひとりも被害を出してはいけません!」


トレバーが叫ぶ。

騎士たちはそれに従うべく剣を構えたがもともと広間を囲むように配置されていた彼らは、どうにか中央に進み出ようとしても人の波に逆らうことが出来ず押し戻されてしまっている。


「まずい」

「ダメ!」


杖を構えようとするアルフの手をレイラは咄嗟に抑える。

ここで魔法を使えば確実に人にも被害が出るだろう。

軽度で済めばいいがレイラもアルフも使えるのは火魔法だ。

アルフもそれを分かっていたのか、悔しそうに推し止まった。


「きゃあぁぁー!」


一際高い女性の声が聞こえて慌てて広間に目を戻すと、転んでしまったのか少女が中央付近でうずくまっていた。

あまりの恐怖から腰が抜けてしまったようでその場から動くことも出来なさそうだ。

魔獣は恰好のターゲットを見つけたとばかりに少女に視線を向けた。


「危ない!」


レイラは反射的に杖を抜いた。


「舞い上がれ!!」


レイラがその少女に向かって杖を振ったのと魔獣が飛びかかったのはほぼ同時だ。

間一髪のところで少女は空に浮き上がる。

だが魔獣がそれで大人しくなるはずもなく、次に目に止まった者に標的を変える。


「舞い踊れ!!」


レイラは少女を3階のバルコニーまで飛ばすと、次に標的となった位置にいる5、6人ほどにまとめて魔法をかけた。

なかば投げ飛ばすような形で人々を安全な場所へ移動させる。

飛ばされた人々は上の階を守っていた騎士を筆頭に、近くにいた人たちが積極的に受け止めてくれている。

その姿に心の中で感謝を述べながら一心不乱に杖を振った。


「レイラ殿、右です!」

「舞い上がれ!」


だが、このままじゃ埒があかない。

こんなことを続けたところでただの付け焼き刃だ。

もっと直接な攻撃を仕掛けなければ、かけられる魔法に限界のあるレイラが押し負ける。

レイラは魔法をふるいながら、必死に頭を回転させた。


魔法は使えない。

頼みの騎士はこの混乱のせいで身動きがとれない。

とはいえ、レイラの魔法で避難させるだけでは人が多する。残念ながら今のレイラの力では、全員を浮かせるのは不可能だ。

本当に手はないのだろうか。なにか、なんでもいいから。

手を止めることはせず、レイラは頭の中でひたすら考えた。

一瞬、何かに反射したのか、ちらついた太陽の光に目を細める。


そこではっとした。

あぁ、そうか。そういうことか。


なにもレイラが出来るのは魔法だけではないはずだ。

下にいる人間が戦えないのなら、上にいる人間が戦えばいい。

うまくいくか分からないが、やらなければ待っているのは悲惨な結末だけ。

ならレイラの取るべき行動はひとつ。


レイラは焦りたくなる気持ちをおさえながら、その機会を根気強く待った。

そして魔物が足をとられてよろめいたのを見逃さなかった。

いまだ!


「お借りします!」

「レイラ殿!」


レイラは近くにいた騎士の1人から剣を抜き取ると、柵を蹴って跳んだ。

魔物の真上。

ちょうど重なる位置にレイラの影ができる。


人々が驚きの目でその姿を追う。

まるでスローモーションのように時間が流れていくのを感じながら、レイラは剣を下に向けた。

魔物が体勢を立て直して飛び出すよりも前に。

お願い、届け!


「はぁぁぁぁぁ!!!」


レイラは落下する勢いのまま魔物のもとに飛び込んだ。

剣が確かに刺さった感触が、手に伝わってくる。

よし、と喜んだのも束の間。


「うっ!」


刺さりどころが良くなかったのか仕留めるまでいかなかった魔物が、最後の抵抗とばかりに腕をふる。

その腕がレイラの腹に直撃して、レイラは門の近くまではじき飛ばされた。


お腹と左半身に痛みを感じながら、微かに目を開く。

魔物は口から血を流しながらも、目を血走らせてこちらを睨みつけていた。

もう足取りはふらふらと覚束ないのに、しかし確実にレイラに敵意を持って身構える。

相手も決死の覚悟だろう。


レイラも痛みに耐えながらもなんとか上半身を起こした。近くに落ちているだろう杖を懸命に探す。

だが、そうしている隙にも魔物は最後の力を振り絞ってレイラに飛びかかった。

目前に迫る魔物の姿を捉えながら、レイラはぎゅっと目をつぶる。



「よく頑張ったな、嬢ちゃん!」


勇ましい声が耳に届いたと思ったら、間髪入れずに魔物の鋭い咆哮が広間に響き渡った。

ドサッと重いものが倒れる音を聞いて慌てて目を開けば、完全に動かなくなった魔物とその横に立つライリーが目に入る。


「……ライリーさん」


呆然と呟くとライリーが振り返る。


「魔法は一級かもしれねぇが剣捌きはまだまだだな!」


そう言って、ライリーはにかっと笑う。

その顔を見たらなんだか気が抜けてしまって、レイラは完全に倒れ込んだ。


「おっと、大丈夫か」


近寄ってきたライリーがレイラを軽々と抱え上げる。

さすが鍛えているだけあって抜群の安定感だ。

しかしもう少し丁寧に持ち上げてくれないとあちこちを打撲しているレイラには辛い。


「それにしても、まさか飛び降りてくるとは思わなかったな」

「はは、どうも」


ライリーが変な人を見るような目でこちらを見てきたので、レイラはとりあえず笑って誤魔かした。

レイラからしたら高いところから飛び降りることはそれほど恐怖ではないが、普通の人からしたら信じなれない行動だったかもしれない。

とは言っても怪我なしでいられるとも思っていない。

もう少し待てばライリーが来てくれると分かっていたらレイラだってあんな無茶はしなかったはずだ。

だが、いずれにせよみんなを守れたなら良かった。


「ま、今日は嬢ちゃんがお手柄だな」


勇敢なお嬢さんに拍手を!

ライリーが動向を見守っていた観衆に向けて声をあげると、わっと歓声が湧き上がった。

驚いて見上げると多くの人がレイラに拍手を送っている。

アルフとトレバーも同様だ。


その光景がレイラにはあまりにも眩しすぎて、困ったようにでも嬉しそうに笑った。












「レイラ、レイラっ」


ギルバートの声が聞こえてレイラはようやく重い瞼を持ち上げた。持ち上げてから自分がいつの間にか眠っていたことに気づく。


「レイラ、口の周りが大変なことになってるよ。こっち向いて」

「んむ……?」


椅子に座っているレイラを下から覗き込むような形でしゃがんでいたギルバートが、ハンカチを持った手をこちらに伸ばす。

そのハンカチで口の周りを丁寧に拭われた。


そうだ。ご飯を食べている最中だった、とレイラは覚醒しきっていない頭で思い出した。

その証拠に右手にはフォークが握られており、その先にはご丁寧にも厚切りの肉が刺さっている。


強制的に起こされたのが30分ほど前のこと。

用意された料理を半分寝ながら口に運んでいたら、お肉を食べた途端あまりの美味しさにほっぺたが落ちるかと思ったのがそれから5分後のこと。

いつもなら再び夢の中に戻っていたレイラだったが、こればかりはなんとしてでも食べ切ろうとしていたのだ。


「こら、レイラ。食べるか寝るかどっちかにしなさい」

「たべう」

「あ、ちょっと」


レイラは意識が朦朧としつつも持っていたフォークを懸命に口元に運んだ。

だが頬に何かが当たる感触があるだけで一向に口の中にお肉がやってこない。


「当たってる、当たってる」

「おいく」


なおもぐいぐいと手を動かすとギルバートにその手を引っ張られる。

咄嗟に、とられてなるものか、と思った。

レイラは今日のように食べてる途中に寝てしまうことがしょっちゅうあった。

その度に美味しいものを食べ損ねてきたのだ。

きっとここで寝てしまえばこのお肉は起きた時になくなってしまう。

そうはなるものか。


「おにく、おいく」

「レイラ、めっ!」


レイラがジタバタと暴れると、まるで犬を追い払うかのようにあしらわれて、しゅんとした。

ギルバートはそんなレイラを宥めすかすように反対の手で背を撫でる。


「そんなに食べたいなら今度俺が作ってあげるから、ね」

「うべぇえぇぇ」

「……レイラさん、その反応はさすがに泣いちゃうよ」


想像しただけで胃にくるものがあった。

ギルバートは彼の父親と同じでかなりの料理下手だ。

それを食べるぐらいなら素直に寝たほうがマシだ。


レイラは握られていた手から力を抜いた。

それに気づいたギルバートがすかさずレイラからフォークを抜き取る。

そして掬い上げるようにレイラを抱え込むと優しくベッドの上におろした。


「痛くない?」

「ん」


レイラをしっかりと布団の中に寝かせたギルバートが、湿布の貼られたレイラの左頬にそっと触れる。

ちょっとひりっとするが痛くはない。お腹の傷もだいぶ癒えた。

恐らく、もう少しすればまたいつものように目覚めるはずだ。


「レイラのお馬鹿さん。どうして自分が傷つかない選択を選べないんだろうね」


ギルバートが誰に聞かせるでもなくそっと呟く。

レイラは心の中で首を振った。


おかしなことを言うものだ。

この世に傷つかない人間などいないというのに。

そして誰もが、傷ついてでも大切な人を守るためなら戦いと願っているのだ。

だからどうか今度はレイラにも戦わせてくれ。

守られるだけじゃもう嫌だ。

せめて誰かが泣いているのならその隣で泣かせて欲しい。

そして互いに励ましあって前に進ませて欲しい。

きっとレイラなら誰よりも早く駆けつけられるから。

だから、いつかその時まで。


「レイラ、どこにも行かないでね。約束だよ」


いまのただ純粋なこの思いを、どうか愛と呼んで。











お読みいただきありがとうございます。

自分用のメモ。


・レイラ(黒髪、橙目)目の色忘れがち

・ギルバート(黒髪、青目)目の色忘れがち

・アルフレッド(金髪、碧眼)性格定まらない

・トレバー(黒髪、灰紫目)名前忘れがち

・ライリー(赤髪、赤目)唯一覚えてる

・ウィリアム(黒髪、?目)存在忘れがち

・ライオネル(白髪、?目)多分昔モテたんだろうな

・エリーナ(?髪、?目)結局誰やねん

・もし評価が5000いったらまた続編を検討させて頂きます。


ありがとうございました。

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