水商売と売春と金銭感覚
人間世界のミステリーだが、風俗嬢の体を買うのはずいぶん安いが、水商売の女の歓心を買うのはずいぶん高い。たいていは商品の価格は「それなり」であるのだが、水商売は価格の妥当性が破綻している。水商売の箍の外れた高額さに共感できない人が大半であるはずだが、たとえば書画骨董のようなものというか、高額で取引する市場が成り立っているのも確かである。ホストクラブも同様である。女であれば、そもそも男の体はタダで買えるはずで、少なくとも風俗店の面接で落とされない容姿レベルなら、どんなイケメンに抱かれることだって可能である。それにも関わらず風俗嬢として金を稼ぎホストに貢ぐ不可思議な人種がいるわけである。このあたりを考えると、水商売においてセックスは付録なのであろう。貢ぐこと自体が快楽なのである。お金を捨てるのが快楽だというのだから、理解できない人が多数派になるのだが、この悪魔的な快楽に取り憑かれる人がそれなりにいて、都心の一等地の一角に集まっているわけである。おそらく虚栄心と関係してるのだろうし、何かしらパトロン気取りというか、貢ぐと虚栄心が満たされるという倒錯的な心理構造があるのである。嘘やインチキが大好きな性格、もしくは自分で自分を騙して生きてるとか、そんなところであろう。そして、水商売というのは接待が中心なのであろうし、貢ぐと接待してもらえるという構図が、インチキな人間にとっては快楽なのだと思われる。通常であれば先方がお金を出してくれるのを接待と呼ぶので、お金を払って接待してもらうのは変だと思うのだが、インチキな人間は疑問を持たないようであるし、この悪魔的な快楽に抗えない業病の持ち主がそれなりにいるわけだ。脱線というか、文章としての統一性を損なうのを厭わずに余白に書き足すが、ソーシャルゲームとかAKBなどを連想しても差し支えあるまい。貢ぐことの快楽のためにスッカラカンになるわけだ。握手会とか、自分でお金を払って接待してもらう構図であろうし、水商売と縁がないオタクでもいわば社長さんとして女に貢いでいるわけだ。先程パトロン気取りという言葉を用いたが、つまるところ、消費者としての等価交換原理ではなく、王侯貴族がパトロンとして散財しているのである。有村悠さんとか有村悠さんなどは艦これに百万円以上の課金をしているが、まさしく王侯貴族なのである。エリート東大生から「おまえは高卒」とか「おまえは特別な人間ではない」と言われて不登校になって退学した有村悠さんだからこそ、王侯貴族なのである。エリート東大生はたとえば年収二千万円もらえる能力があるから年収二千万円なのであるし、ごく普通の等価交換原理で生きている。だから高収入であっても、ただの消費者である。有村悠さんはこのような原理から落ちこぼれているから、艦これに百万円使ったりするのだし、無意味な散財をする貴族性がある。二千万円貰う能力があるから二千万円貰うというのではエリート労働者なのであり、決して王侯貴族ではない。要するに、いや、思いついたことを類聚的に縷々と綴っただけの殴り書きにきちんとした結語を付して文章を結ぶ必要もあるまいが、やはり金銭感覚の破綻というのは消費者としての等価交換原理からの逸脱であり、そして、それによって得られるパトロン感や王侯貴族としてのプライドはさぞかし絶大なのだろうと思われる。もちろんこの悪魔的な快楽の代償は大きいのであるし、たとえば有村悠さんとか有村悠さんの生活そのものが、刹那的な貴族性の末路を体現しているが、ド田舎の母子家庭で朝から晩までガリ勉して東京大学にギリギリ合格してエリートと一緒になるというのは、その据わりの悪さたるや論を俟たないし、やはり王侯貴族になるのもやむ無しであろう。