「水素爆発はしないって言ったじゃないですか」東電が官邸に出していた原発事故“隠蔽”の要請とは

文春オンライン / 2021年2月24日 6時0分

写真

©iStock.com

「呼吸にも気を遣わなければ…」福島第一原発の“決死隊”に命じられた想像を絶する作業の実態 から続く

 所員の決死の作業によってベントに成功し、格納容器の破損を免れた福島第一原発1号機。しかし、それからおよそ1時間後には水素爆発が起こり、建屋の上部が吹き飛んでしまう事態に見舞われる。当然のことながら、現場にいた作業員の間では爆発の直後、大きな動揺が走ったという。ここにいてどうなるのか、ここにいたら全員が死ぬ……。極限状況下に追いやられる所員、そして、東電と官邸は、その瞬間、どのような対応に走ったのか。

 ここでは、船橋洋一氏を中心とした調査委員会による綿密な取材をまとめた書籍『 フクシマ戦記 上 10年後の「カウントダウン・メルトダウン」 』を引用。当時の様子を子細に紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◇◇◇

「頼む。頼むからここに残ってくれ」

 12日午後3時36分。福島第一原発の1号機の建屋の上部が轟音とともに吹き飛んだ。

 中央制御室(1/2号機)は、ドシャーンと上下に揺れた。天井のルーパーや蛍光灯が外れ、宙ぶらりんとなった。白いダストが部屋を覆った。その直後、蛍光灯に点っていたほのかな明かりも消え、真っ暗になった。

〈あっ、格納容器が爆発した〉

〈死ぬのか、ここで〉

 運転員たちの脳裏をそうした恐怖がよぎった。

 その時、伊沢は、当直長の椅子に座っていた。直撃爆弾を受けたような感じがした。

〈中操(中央操作室=中央制御室のこと)そのものが壊れたのか〉

 そんな思いが脳裏を横切ったが、口は叫んでいた。

「マスク! マスクをかけろ」

 その声で全員、マスクをきっちりと着用しているかどうかを確認した。

 誰かがとっさに線量計をかざし指示値を確認した。

「あれっ。上がっていない」

「大丈夫かな」

「中操の天井はそんなに頑丈にできていないよな」

「早く非常扉を閉めて、外気が入らないように」

 免震重要棟とのホットラインは生きている。

若い運転員たちの間に広がる動揺

 真っ暗闇の1、2号機中操では、若い運転員たちの間に動揺が広がった。

 そのうちの一人に運転員の井戸川隆太がいた。27歳である。井戸川は入社後8年。双葉町の出身である。前年の7月、補機操作員から主機操作員に昇格したばかりだった。先に述べたように、伊沢と同じD班に所属、11日朝、発電所にかけつけた。

 地震が起きたとき、井戸川は双葉町の実家にいた。父も母も職場に行っていた。地鳴りが聞こえてきた。危険を感じ、部屋から出てカーナビでテレビを見た。津波警報が出ていた。

〈中操はてんやわんやしているだろうな。行けば何か役立つだろう〉

 中越沖地震のとき、柏崎刈羽原発の現場がいかに大変だったかという事後報告を読んだ。何はともあれ駆けつけよう。ただ、その前に両親の安否確認だけはしなければならない。両親の働いている会社に行って、互いの無事を確認した後、また実家に戻った。

〈ジョンに何かあったらいけない〉

 オスのビーグル犬である。首輪を外し、放した。

 それから福島第一原発の独身寮まで車を走らせた。自分の部屋に寄って外に出ようとすると、後輩たちがたむろしていた。

「オレはいまから会社行くけど、お前ら行くか」

「行きます」と声を上げた一人を乗せて、海沿いの道を通って発電所に向かった。到着すると 津波が来たことを知らされた。

「津波が来たんだ。海の下まで全部、水が引いた底が見えたよ」

 それを聞いて、ジョンのことが心配になった。

〈あいつ、どっちへ逃げたのか。無事だろうか〉

 井戸川はこの日の夕方から2号機の運転員として勤務した。ただ、同期の主機操作員がこの日は本番の運転員席に着いた。井戸川は主に圧力や水位を測る仕事に就いた。

「このままここにいたら、全員死にますよ」

 翌12日午後、ボーンという音と運転員たちのけたたましい叫び声でガバッと身を起した。何かが爆発したようだ。隣を見ると、先輩運転員はまだぐっすり寝ていた。

〈この人ちょっと格が違うな〉

 同時に、井戸川は恐怖心に囚われた。このままでは死んでしまう。逃げたい。ベントをやったからには後、ここにいて何が出来るのか。もう、炉は溶けているにきまっている。すべて手遅れだったし、ことごとくダメだった。なるようにしかならなかった。井戸川はきわめて冷静だった。

 しかし実際は、いかにしてここから逃げるか、さまざまな考えが頭の中をぐるぐると回った。

〈年齢の若い順に避難させるべきだ。研修生の子たちをまず避難させる。もしかしたら、その次には自分たちも避難できるかもしれない〉

 後に井戸川は「出られなかったから、あそこにいたというのが真実だ」と告白したものである。

 爆発の衝撃がまだおさまらない中、井戸川の声が響いた。

「ここにいてどうにかなるんですか」

「このままここにいたら、全員死にますよ」

 そこには副主任の米桝充もいた。井戸川より10歳ほど年上である。柏崎刈羽原発でも運転員をした経験を持つ。自分が言いたくても言えないことを井戸川が言ってくれている。

〈井戸川さん、勇気がある〉

 米枡はそう思った。

 そうした若い運転員の気持ちを察知していたのがベテラン運転員の高橋静夫だった。柏崎刈羽原発の6/7号機の運転員からこの一月、1/2号機の運転員に代わったばかりである。

 高橋は、12日の昼前、免震棟に入った。その後、他の6人の副長とともに中操にやってきた。

〈若い連中というのはほったらかしにすると何もしなくなっちゃう〉

 高橋は個々の任務分担を明確にし、どうしてもいなければならない者以外の若い従業員は免震棟に避難させるべきだと考えていた。

「オレたちがここにいる意味があるんでしょうか」

 高橋が発言した。

「ある程度の人間は一時的にもここから逃すべきです。全員死んだらこのあと何もできなくて、本当に手がつけられなくなる」

 伊沢は黙ったままである。しばし、沈黙が流れた。その時、助っ人に来ていた運転管理部作業管理グループの金山将訓(かねやままさのり)副主任(43)が立って、伊沢の名前を呼んで、直接問いただした。

「伊沢さん、オレたちがここにいる意味があるんでしょうか」

「操作もできず、手も足もでないのに、我々全員がここにいる必要はないじゃないですか」

「こんなことならもっと人数、少なくてもいいんじゃないですか」

 大友喜久夫が声を上げた。

「いま、ここから出ても、安全に免震棟にいける保証はない。爆発はあったが、ここはいま大丈夫なんだから、ここにいたほうがいい」

「ベントもしてるのだから、線量が高い。いま外に出て大丈夫なわけないだろう」

 金山は言い返した。

「いや、線量を測りながら低いところを走りながらいけば、そこはいいんじゃないですか」

 金山は補機指導職という肩書を持ち、入社して間もない若い運転員を指導する立場にあった。爆発後、彼らがパネルの前の床に座ったまままったくモノを言わなくなってしまったことに気づいた。家族のだれよりも長い時間を一緒に過ごしている運転員仲間だ。常日頃、冗談口が絶えない。その彼らがみんな震えている。

〈ここは自分が直接、伊沢に言った方がいいだろう〉

 と金山はあえて発言したのだった。

 井戸川は「金山さん、よく言ってくれた」と心の中で感謝した。他の運転員たちが座ったまま小さくうなずいている。

「世界中がここを見ているんだ」

 しばし沈黙が続いた。

 伊沢は当直長席から立って、みんなの方に歩み寄った。

「われわれが……」

 伊沢は言葉を探したが、出てこない。

 ひと呼吸して、伊沢は言った。

「われわれが……ここから退避するということは、もうこの発電所の地域、まわりのみんなを見放すことになる」

「世界中がここを見ているんだ。だから、俺はここを出るわけにはいかない。君たちを危険なところに行かせはしない。そういう状況になったら、俺の判断で君たちを避難させる」

「頼む。それまでは頼むからここに残ってくれ」

 伊沢は、そういうと頭を下げた。

 大友と平野も伊沢の前に出て、無言のまま頭を下げた。

 みな50代である。その3人が、そろって頭を下げた。

 それから伊沢が、口を開いた。

「副主任以下は免震棟に移動して待機してくれ。いいな」

 運転員たちはうなずいた。

 高橋は、伊沢の言った「世界中がここを見ているんだ」という言葉に心を動かされた。

〈こんな言葉を吐ける伊沢さんは偉い。伊沢さんは、冷静だ、決してパニくらない。そして、先を見た行動ができる〉

 金山が20人近くを率いる形で免震重要棟に向かうことになった。金山は残ることになった主任の一人に「すみません」とだけ言い、中操を出た。外はまだ明るかった。1号機の建屋が無残な姿をさらしている。金山は若い運転員の一人にそこを撮影し、免震棟に着いたら発電グループと情報を共有するように指示した。全員、競歩のように足早に坂を上った。

「班目さん、アレは何なんですか」

 その時、菅直人首相は、首相官邸4階の大会議室で、与野党党首会談を行っていた。11日夕方に次いで、二度目の与野党党首会談である。与党は来年度予算案と関連法案の年度内成立の後、来年度補正予算を早急に編成したい。それに対して野党は、通常国会をいったん休会し、今年度補正予算の早期成立を図るべきだと主張、対立していた。

 党首会談の席上、菅は、その日の朝、視察した福島第一原発の状況を野党党首たちにブリーフした。

 水素爆発などありえない、と菅は自信たっぷりだった。

 福島第一原発に行くヘリの機中、班目春樹原子力安全委員会委員長と話した際、班目が菅に言った言葉を鮮明に覚えていたからである。

「2号機以降はRCIC(原子炉隔離時冷却系)というのがついているが、1号機はIC(非常用復水器)ですよね。それは何でなのか。出力が違うからなのか」

「炉心では被覆管と水が反応してどうなるんだ」

「その反応で水素ができます」

「じゃあ、水素を放出したら水素爆発が起こるんじゃないか」

「いいえ、圧力容器で水素ができているわけですけども、それをまず格納容器に逃します。格納容器の中は、これは窒素で全部置換されていますから、酸素がないから水素は爆発しません。ベントで煙突のてっぺんから外に放出すればそこで燃えるわけですから、水素爆発は起こりません」

 班目は明確にそう言い切った。

 菅は帰京すると「水素爆発は起きない」と秘書官たちに言って回った。

 野党の党首たちにも、原子力に関する「土地勘」の冴えを大いに披露した。

錯綜する情報

 午後4時過ぎ。党首会談を終え、菅は首相執務室に戻ってきた。

 福山哲郎官房副長官と班目が部屋で待っていた。

 菅が戻るとすぐに、伊藤哲朗内閣危機管理監が地下1階の危機管理センターから上がってきた。

「福島第一原発で爆発音がしました。煙が出ています」

 爆発から5分後、たまたま近くを通りかかった警官が「ドーンという音を聞いた。それから1号機から白煙のようなものを目で見た」という目撃談を報告してきたという。

「白煙って何ですか」と菅は班目に尋ねた。

「火事ではないですか。おそらく揮発性のものが燃えているのではないですか」

 武黒一郎東電フェローも呼び込まれ、聞かれたが、「聞いていません」「本店に聞いてみます」との答えしか返ってこない。

 武黒は、いったん外に出て、東電本店に電話をした。

「そんな話は聞いていないとのことです」

「あなたは水素爆発はしないって言ったじゃないですか」

 戻ってきてそう報告したところで、寺田学首相補佐官が首相執務室のドアを開けて飛び込んできた。

「総理、1号機の建屋が爆発しています。すぐ、テレビをつけてください」

 そう言いながら、寺田はリモコンを操作しながら、自分でテレビのチャンネルを変えた。

 日本テレビが臨時ニュースを流していた。

「福島からお伝えします。原発に関するニュースをお伝えします」

「ご覧頂いているのは、ほぼ3時36分の福島第一原発の映像です。水蒸気と思われるものが、福島第一原発から、ポンと噴き出しました。水蒸気と思われるものが出たのは、福島第一原発1号機付近とみられます」

 1号機の建屋が四方に吹っ飛び、白い煙が上空にもうもうと沸き上がっている。

 斑目は、それを見て、頭を両手で抱えながらテーブルにこすりつけ、「あちゃー」とうなった。

 菅は、声を張り上げた。

「こりゃ、何だ。爆発じゃないのか」

「これは爆発ですね」

 武黒が応じた。

 菅は努めて冷静に言った。

「班目さん、アレは何なんですか」

 斑目は絶句した。頭の中がクルクルまわって、言葉が出てこない。

「水素爆発じゃないんですか。あなたは水素爆発はしないって言ったじゃないですか」

 福山が声を荒げた。

身の毛がよだつ思い

「あれはチェルノブイリ型の爆発ですか。チェルノブイリと同じことが起こったのですか」

 班目は直接、福山の質問には答えず、やっとのことで言葉を絞り出した。

「私が申し上げたのはあくまで格納容器の話であります」

 水素爆発の可能性は格納容器について述べたのであって、建屋の水素爆発は想像だにしなかったと言おうとしたのである。

 菅は秘書官に強い口調で命じた。

「あんな爆発だったら、現地の人間はすぐに分かるはずだろう。なぜ報告が上がってこないんだ。早く情報を上げてくれ!」

 班目同様、武黒もまともに答えられなかった。

 後に、武黒は、「タービン発電機の冷却用の水素なのか……などとりとめもない考えが浮かぶだけで、身の毛がよだつ思いがした」と告白している。

 菅は、この後、隣の首相応接室へのドアを開け、そこにいた海江田たちに大声で叫んだ。

「1号機が爆発した。どうなっているのだ!」

 海江田たちは、そのとき、海水注入の話をしており、テレビをつけていなかった。

 玄葉光一郎国家戦略担当・内閣府特命担当相は、そのときたまたま地下1階の危機管理センター中2階の小部屋にいた。

 部屋のテレビに爆発シーンが映っている。その場に居合わせた東電リエゾンに質したが、分からない。電話で本店に連絡したが、分からない。窮した揚げ句、彼は答えた。

「地震で粉塵の類が建屋に積もっており、大きな余震でそれが舞い上がったのではないでしょうか」

 政府が手にした唯一の情報は、日本テレビが放映した爆発映像だけだった。

 この映像は、同テレビ系列の福島中央テレビ(FCT)が撮った映像だった。

 福島中央テレビはJCO臨界事故後、福島第一原発から17キロメートル離れた富岡町の山中にSDカメラを設置した。それ以後、一日も一秒も休むことなく福島第一と第二原発を撮り続けて来た。

 そのカメラが、その瞬間をとらえたのである。この間、映像はBBCのネットをはじめインターネットのサイトにアップされ、爆発そのものの映像はまたたくまに広まった。

「原発が爆発していないことを国として国民に説明してほしい」

 しかし、その映像は何を意味しているのか?

 日本テレビは、最初の映像放映の後、スタジオに有冨正憲東京工業大学原子炉工学研究所所長(原子力安全委員会専門委員)を招き、解説させた。

 アナウンサー「いま、映像が流れましたけれども、何か爆発のような……、煙のようなものが……」

 有冨「爆破弁を使って……先ほどの絵では、水蒸気が出てきましたね」

 アナウンサー「これは爆破弁というものを使って、意図的に出したものですね」

 有冨「はい、意図的なものだと思います」

 原子炉が爆発したのか。それとも、別の何かが爆発したのか。ポイントはその点に尽きた。

 唯一の情報は、テレビに映った爆発の映像だった。その映像から見る限り、「原子炉建屋の上がない」。東電はそれ以外、何一つ確かな情報を保安院にも官邸にも報告して来ない。

 何が起こったかは知らせない。ただ、何が起こらなかったかは熱心に伝えようとした。

「17:34 原発が爆発していないことを国として国民に説明してほしいと東京電力から要請あり」

 保安院の「内部メモ」(2011年3月12日午後5時34分)にはそう書かれている。

 

(船橋 洋一/ノンフィクション出版)

×


この記事に関連するニュース

ランキング