僕と私の自殺攻防戦
シンアヤ大学生パロを書こうとした結果できた、長編第1話風の話。*注意・パラレル設定です。カゲロウデイズから数年後とかではなく、大学に進学して一人暮らしを始めたシンタローの隣の部屋にアヤノが引っ越してくるという感じの話で、二人はこの時点で初対面です。タイトル通りちょっと物騒な話もあります。今回は過去最高に個人的趣味を詰め込んだので、広い心で読んでもらえれば幸いです。こんな感じに共同生活を始めるシンアヤ大学生パロがみたかったんです(遺言)。○追記:ブクマや評価等ありがとうございます!意外と好評のようなので、この小説をシリーズ化した上で、続きを投稿しました。第2話→novel/3140878
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外は春らしい快晴だというのに、カーテンを閉め切った薄暗い部屋で一人、俺は黙々と作業を進めていた。
時刻は既に夕方だが、外はまだ十分明るいため、部屋の明かりがなくとも簡単な書き物くらいはできる。最後に『如月伸太郎』と署名して、大方の準備が整った。
「……よし」
緩慢な動作で立ち上がると、俺は部屋の中央に置いた椅子の座面に足を上げる。
その途端、ドアのチャイム音と共に聞こえてきたのは、若い女性の声だった。
「こんにちはー!」
母でもなければ妹でもなく、知らない人間の声だ。俺は上に伸ばしていた手を下ろしてから、扉の方に顔を向ける。
この春大学に入学し、適当な安いアパートで一人暮らしを始めてから早一ヶ月。この部屋に見知らぬ誰かが訪ねてくるというのは、初めての出来事だった。
家主の返事がないにもかかわらず、突然の来訪者はドアの外で喋り続けている。
「隣に越してきた者です。ご挨拶に伺いました!」
そう言えば、隣の部屋はまだ空室だった。
大学生の一人暮らし然りといった具合の1Kであるこの部屋は家賃も安く、この辺ではなかなかの良物件だと思う。何より素晴らしいのは、電波の繋がりが非常に良いという点だった。しかし、最寄りの駅が少し離れているためなのか、あるいは建物の外見が非常に古めかしいためか、このアパートは不思議と空き部屋が多い。人付き合いを不得手とする俺にとっては、それも魅力の一つだったわけだが。
それにしても、誰もが新生活を初めてから、ある程度時間が流れた今の時期に引越しというのも珍しい。
初めは居留守を使うつもりだったが、隣人を名乗るその声は存外長い時間玄関ドアの前に居座っているため、致し方なく俺は玄関へと向かった。
まずはドアを少しだけ開いて、隙間から顔を覗かせる。
「あっ、よかった。やっぱりいらっしゃったんですね」
そこに立っていたのは、黒いミドルロングの髪の若い女性だった。歳は俺と変わらないか、俺より少し若いくらいに見える。季節はこれから春から夏に移り変わる頃だというのに、何故か首には赤いマフラーを巻いていた。ファッションには疎いのでよくわからないが、最近の流行りなのだろうか。
彼女は口元で綺麗な弧を描くと、丁寧にお辞儀をした。
「初めまして。隣に越してきた楯山文乃と言います」
今時わざわざ隣人に挨拶に回るなんて、ご丁寧な人間もいたものだと感心する。礼儀正しい口調と落ち着いた物腰、黒髪と対象的な白い肌に穏やかな笑顔、華美ではないが女性らしい服装から、どこかのお嬢様だったのではないかと思わせるような雰囲気だ。
「よかったらこちらも、つまらないものですが…」
そう言って差し出してきたものを見ると、定番のアレ、引っ越し蕎麦というやつだった。
「ご迷惑おかけしないように気をつけますので、これからよろしくお願いします」
「あ、いや…」
再び頭を下げる彼女に、誰かと面と向かって話すことがあまりに久しぶり過ぎて、俺は咄嗟の返事に迷う。加えて、「これからよろしく」と言われても、困る理由が俺にはあった。
とりあえずは、両手で差し出された蕎麦を受け取るべきだと感じて、俺は扉を抑えていた手を空けるために扉を全開にする。ドアのストッパーがかかったところで手を離すと、俺は彼女の正面に立って向き合った。
「どうも」
彼女に倣って両手を出す。しかし。
「な、何ですか、あれ……?」
この時、俺はあるミスを犯した。
彼女は目を見開いて、俺の肩越しに部屋の中を凝視していた。具体的に言えば、部屋の中央、天井からぶら下がっている先が輪っか状に結ばれたロープを見つめているのだろう。
「えっと……曲芸の練習か何かですか?」
彼女の声は先程までのよく通るそれとは異なり、怯えるように震えていた。
ああ、誰にも知られることなく、ひっそりと進めていた作業だったのに。
久方ぶりの他人との会話で俺の体を縛っていた緊張が、途端に全て消え去った。もう何もかもがどうでもいい。別に相手にどう思われようと、これから消えようとしている俺にはもう関係のないことだ。
「あんたには関係ないだろ。用が済んだなら帰れ」
我ながら、冷たい口調だった。彼女は顔をしかめると、一度瞬きをしてから、真っ直ぐな視線をこちらに向ける。意志の強そうな、黒い瞳。
「これ!受け取ってください。それから今すぐに食べてください」
穏やかな口調は一変して、力強い口調だった。俺の体にぶつかりそうな勢いで、蕎麦をこちらに突き出してくる。
それを見下ろして、鼻で笑う。
「いらねぇよ。俺にはもう必要ない。自分の今後の食費を浮かせるためにも、持って帰れば?あんた多分、学生だろ」
「そういうあなたも、学生じゃないんですか?遠慮しないで受け取ってください」
半ば適当に言った言葉だったが、彼女は本当に学生らしい。これから新しく一人暮らしを始めようとしていたところで、俺みたいな人間に出くわす羽目になるとは、哀れな話だ。
「ああ、わかったよ受け取りゃいいんだろ」
相手に早く立ち去ってもらうべく、面倒になった俺は、相手の手からひったくるようにそれを受け取った。
それでも、彼女はそこに姿勢良く立ったままだ。
「今すぐ食べてください」
「食べるかどうかは俺の勝手だろ」
「食べてくれないんですか」
「だったらあんたが持って帰れよ」
互いに睨み合う。
一体何なんだこいつは。
苛立った俺に、もう強引に扉を閉めてしまえばいいのでは、という考えが浮かんだその時。
「食べてもらうまで、帰りません!」
大声でそう言うと、彼女は素早く俺の体を押しのけて、無理矢理部屋の中に足を踏み入れる。
「はぁ!?おい!勝手に入るな!」
咄嗟に空いている方の手で彼女の手首を掴んだ。
バタン、と扉が閉まる。おそらく彼女が侵入してきた時のもみ合いで、ストッパーが外れてしまったのだろう。
捕まえられたのと同時に、彼女の動きも止まっていた。少しの沈黙の後、彼女は俺に背を向けたままゆっくりと首を回して、こちらに顔を向ける。眉根を寄せて、苦しそうな表情だ。
「あのロープと椅子の理由を、説明してください」
部屋の中央にぶら下げられたロープの真下には、実家から持ってきたパソコン用のデスクの椅子が置いてあった。無論、踏み台用として。
「あれ、は……関係ないだろ!俺に構うなよ!」
頼むから、俺に構わないでくれ。
これが俺なりに出した結論なんだ。
救いなんて、求めてない。
「それなら……」
彼女は服のポケットから携帯電話を取り出すと、空いている片手でそれを操作し始める。
「自殺しようとしてる人がいるって、警察に」
彼女の指がキーパッドに伸びるのを視認して、俺は即座に手を伸ばした。
「馬鹿っ、やめろ!!」
「きゃっ!」
俺は携帯電話を奪おうとして、彼女はそれから逃れようとした。その結果、二人ともバランスを崩して床に倒れこむ。
「痛っ」
膝に痛みを感じながら目を開くと、目に入ったのは赤い色。それが彼女のマフラーで、マフラー越しに彼女の首元に顔をうずめている自分を自覚するのに、数秒かかる。
「いたた…」
彼女の声を耳にしてからさらに数秒後、自分の身体が彼女にぴったり重なるように倒れていることを、俺はやっと認識できた。
「うおわぁっ!!!」
奇声とともに飛び起きる。あまりに勢いよく後ずさり過ぎて、後方の壁に盛大に後頭部を打ち付けてしまう。
19年生きてきて、家族以外の女性とあんなに接触したのは初めての経験だった。戸惑うのも必至である。膝の痛みはどこへやら、柔らかかったという感触だけが脳内にインプットされる。顔が今にも発火しそうだ。
悪かったな、童貞で。
「大丈夫?」
童貞を心配された!?
いや、落ち着け俺。ここは普通に考えて、怪我がないかを確認しているのだろう。怪我というならむしろ、下敷きになった彼女の方が大丈夫だったのだろうか。
「そっちこそ大丈夫か?」
「うん。平気だよ」
後頭部をさすりながら、彼女は答えた。カーペットもない床に受け身もなしに倒れただけじゃなく、俺という重しまでのしかかったわけだから、きっと強がっているだけで本当は節々を痛めたはずだろうに。
「わ、悪い……」
罪悪感で居た堪れなくなり、頭をかきながら謝罪した。
彼女はきょとんとした顔でこちらをしばし見つめた後、今度は未だ彼女の手にあった携帯電話に視線を向ける。それから、俺に向けてそれを差し出した。
「はい」
「は?」
何で俺にこれを渡すんだ。まさか自首しろとでも?別に犯罪は犯してないが。
彼女の口調は、最初の落ち着いたそれに戻っていた。
「もう通報はしないよ。約束する」
漫画で言うと、俺の頭上には疑問符が浮かぶところだろう。彼女が何をしたいのか、俺にはさっぱり理解できなかったからだ。一体何が目的なのだろうか。
「でも、その代わり、」
次の言葉は、俺の疑問に対する答えだった。
「お願いだから、死なないで」
やけに力の入ったその言葉に、俺は口を噤む。
二人の間に重たい沈黙が流れた。
互いに面識さえなかった初対面の二人が、相手の息づかいしか聞こえないほど静かな部屋で二人きり。なんて異様な状況だ。
「……なんで、」
沈黙を破ったのは、俺の方だった。
冷静さを取り戻した頭が、最大の疑問を彼女にぶつける。
「何が目的なんだ?なんで俺に構う。お前からみたら俺なんか、赤の他人だろ」
そう、俺たちは今日初めて会った見ず知らずの他人のはずだ。赤の他人の死をそこまで気にする必要もメリットも、彼女にはない。
彼女は一度唾を飲み込んでから、おずおずと口を開いた。
「……それなら、君はどうして死のうとしたの?」
彼女の視線から逃れるように、部屋の真ん中に吊り下がったロープを横目に確認する。
「……俺の勝手だろ」
そんなに簡単に他人に気持ちを打ち明けられるような人間なら、俺はこんな道を選ぶこともなかっただろう。
「じゃあ、君を止めるのも私の勝手だよ」
静かにそう告げてから、彼女は徐に立ち上がる。それから部屋の中央に進み、床に転がっているハサミを拾い上げた。あれはロープの長さを調節するのに使ったものだ。そのハサミを片手に、彼女は椅子の上に上がる。
その一連の行動を、俺は座ったまま、黙って見ていることしかできなかった。身体は石のように重く、動かそうという気も起きないまま、俺は彼女に目を奪われていた。
彼女の表情は真剣そのものだというのに、なぜか笑っているような気もした。
「私は絶対に、君を死なせない」
じゃきん、とハサミの音が室内に響く。ぼとりと音を立てて床に落ちたのはもちろん、輪っか上に結ばれたロープ。
俺は目の前の光景に、唖然とするほかなかった。
これまで、俺しか存在しなかったはずの部屋の真ん中で、知らない女が落ちたロープを拾って、それをハサミでぶつ切りにしている。そんな果てしなく異質な光景が、そこにはあった。
そこまでして俺の死を阻んで、どうしようというのだろう。わけがわからない。
ロープを切り刻み終えると、彼女は満足そうに頷いた。これでもう俺が死ぬことはできないとでも言うつもりか。
笑わせるなよ。
「はっ、好きにしろよ」
立ち上がって、吐き捨てるように言葉を発する。
「手段なんざ、いくらでもあるしな」
俺がこの手段を選んだのにも、それなりの理由がある。だが、この手段以外にも人間が死ぬ方法は数えきれないほど存在するのだ。ここで生き永らえたからといって、諦める程度の覚悟で始めたことではない。
驚きに染めた顔で俺を見返すと、彼女は静かに瞳を閉じてからハサミを椅子の上に置いた。
「わかった」
やっと諦めたか。
そうだ、それでいい。最初から、俺みたいなやつに関わるべきじゃなかったんだ。今からでも遅くない。早くここから出て行くといい。
彼女は玄関に向けて足を進める。
かと思いきや、俺の正面に立つと足を止めた。身長差的に少し下に位置する彼女の瞳が、こちらを見上げる。
「私、君が死なないって約束するまで見張ってる」
「はあ?」
予想の斜め上を行く発言だった。
「何バカなこと言ってんだよ。んなことできるわけ…」
彼女は俺の右手首を掴んで、再び宣言する。
「まず、今日は君が寝るまで見張ることにする」
強い意志を感じさせる真っ直ぐな瞳に、少し怯んだ。
どうやら、彼女は本気らしい。
「な、なんでそこまで…」
正直な話、ドン引きだった。
確かに、見ず知らずの赤の他人が自ら命を絶とうとするところを発見した時、止める人間は他にもいるかもしれない。だが、その後の相手の行動を監視してまでそれを阻もうとする人間は、果たしてその内の何パーセントだろうか。俺はこいつ一人だと思う。
事の流れに脳がついていかなくなった俺は、掠れた声で言葉を零した。
「いい加減にしろよ……お前は一体なんなんだよ」
おそらく切迫した顔をしているだろう俺に対して、彼女は満面の笑みで答える。
「私は今日から隣に引っ越してきた楯山文乃だよ。よろしくね、お隣さん」
そうして、アヤノと名乗る彼女は俺の右手と無理矢理握手を交わした。
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