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差別主義者 & 偽善者の公開コメント一覧

  • 2012年10月09日 13:21

    こうした話を読むと、私も元気がでてきます。

    木村正人
    京都大の山中伸弥教授と共同受賞の英ケンブリッジ大のジョン・ガードン博士はとんでもない落ちこぼれだった
  • 2012年10月09日 13:05

    あわれ。

    しんぶん赤旗
    私はこうして退職を強要された/NECリストラ 面談一問一答メモ
  • 2012年10月09日 08:07

    米国の憲法の改正は、もっと難しいです。上・下院でそれぞれ3分の2以上の賛成が必要で、4分の3以上の州で批准されるなければなりません。

    uncorrelated
    「美しい国、日本」な安倍晋三の政策にある問題点
  • 2012年10月09日 03:18

    > 大陸から台湾にやってきた国民党という大陸の中国人の支配があまりにひどかったが故に、それに対する当てこすりとして、日本の植民地時代の方がよかったと言っている 私も、これは20年ほど前に台湾からの学生からききました。実は、彼の父親は国民党軍の将位の軍人であったということで、他の学生達から自分は嫌われているといっていました。

    台湾が尖閣諸島問題で中国と連携しない理由
  • 2012年10月08日 16:15

    > 歴史資料を再構成して、通説と異なる史観を示す歴史修正主義者の代表格。 ファーガソン教授がどうして歴史修正主義者と呼ばれるか調べってみました。それは、例えば、インドは、イギリスの植民地化により経済状態が改善したとか、英国は、より悪いドイツや日本の帝国をつぶすために、結果として自国の帝国を破綻させたといった主張をするからです。 この伝によれば、「英国」を「日本」に、「より悪いドイツや日本の帝国」を「西洋の植民地支配」に置き換えた主張も、歴史修正主義となります。

    植草一秀
    尖閣領有権問題に対する読売新聞社説の正論
  • 2012年10月07日 14:14

    日本国の公開された公文書ぐらいは、英語で探さなくても、見つけられて読めるようしてほしいですね。

    加藤紘一
    これからの日中国交を作り直す知恵をしぼろう
  • 2012年10月07日 13:16

    > 相変わらず「外国語で書かれた資料なら捏造し放題だぜ」ってやってるんだなw 2-5は、日本国内でやりとりされた日本政府の公文書に書かれていることで、Webで原文が読めます。 

    加藤紘一
    これからの日中国交を作り直す知恵をしぼろう
  • 2012年10月07日 10:23

    > トンデモ学者 ハ-バード大学ファーガソン教授についてご存知ですか? 彼は、「世で影響力のある100人」に選ばれるような学者です。彼の基本的な理解は、帝国主義競争に遅れて参加した日本ということですから、清国の領土であった領土を日本が領有化したとなるわけです。これが、トンデモ説かどうかの判断は、はみなさんおまかせます。 私が指摘したのは、このような説が欧米にはよくあるということです。逆に、日本の1895年の領有化が正当であったという記事は、統一教会の文鮮明の始めた、Washington Times でしかみていません。もし、他にもあれば教えてください。 ただし、1895年以降は、日本と米国が実効支配しています。こちらの方が、領土権については重要かもしれません。

    植草一秀
    尖閣領有権問題に対する読売新聞社説の正論
  • 2012年10月07日 04:19

    > しかもロシア、小笠原と中国が同じ色で塗り分けられている。つまり、林子平は国境を色で分けてるわけではなかったことが分かる。 地図の色分けは、隣接する地域(この場合は国)は別の色にすることで、色が同じであれば同じ国ということではないです。最近証明された四色問題という有名な数学の問題があります。

    植草一秀
    尖閣領有権問題に対する読売新聞社説の正論
  • 2012年10月07日 04:11

    > 1945年以降はアメリカが尖閣諸島を射爆場にしていたんだけど。中国の国内で、アメリカは練習していたと言うのか 日本が台湾を放棄したあと、GHQの支持で国民党が台湾に入ったのです。米軍にとっては、尖閣諸島が沖縄に属そうが台湾に属そうが、意のままです。中国本土では共産党と国民党の抗争が続いていました。1972年までは、中国の共産党政権と米国は敵対しており、人民解放軍にはまともな海軍はありませんでした。 1972年の米中国交回復後は、米国は尖閣諸島の領有権については中立の立場になり、米軍は射爆場の使用を控えているということです。

    植草一秀
    尖閣領有権問題に対する読売新聞社説の正論
  • 2012年10月07日 02:57

    > 沖縄の漁師たちがカツオ節工場などを作ったり これは、日清戦争以後1940年までです。この間に、台湾は日本に割譲され、辛亥革命が起き、満州事変、日中戦争と続きます。 仮に、太平洋戦争の終盤に、米軍が日本本土に上陸し、戦闘が10年も続いていたとします。このとき、日本政府は米国に、「沖ノ鳥島を不法占拠するのはけしからぬ」と抗議したでしょうか?

    植草一秀
    尖閣領有権問題に対する読売新聞社説の正論
  • 2012年10月06日 12:46

    > 1894年以前に日本で発行された『尖閣諸島は清領』が記された地図 有名なのは、林子平による「三国通覧図説」です。例えば、http://www.mahoroba.ne.jp/~tatsumi/dinoue16.html で見られます。上部の大きな島が琉球で、下部の陸地が中国大陸です。福建省から琉球へつらなる右側の複数の島が尖閣列島で、中国大陸と同じ桜色に塗られています。クリックして拡大すると「釣魚台」という島名が読めます。 参考文献には他の地図もあげてあったので、Webで探してみます。

    植草一秀
    尖閣領有権問題に対する読売新聞社説の正論
  • 2012年10月06日 12:21

    > 中華民国駐長崎領事から玉代勢孫伴氏らに送られた感謝状について 下記の中国文で、[台灣之一部,因《馬關條約》第二條台灣割讓予日本,釣魚台列嶼亦然;1895年至1945年日本統治釣魚台期間,釣魚台與台灣俱為日本領土」とあります。つまり、領事が尖閣諸島を台湾の一部と考え、台湾は1895年の下関条約で日本に割譲されていたので、尖閣諸島を日本領と考えていたのだろうというこです。 私は、中国語は読めませんが、いわゆる「お経」には慣れてていますので、中国語の漢字を頭からみていくだけで、返り点がなくても大体の意味は分かります。 日中華民國政府駐長崎領事馮冕就日本政府對31名遭遇海難的福建省漁民的救助的一封“感謝狀”,係當時的中國正處於北洋政府統治時期混亂狀態,而早在1895年日本通過《馬關條約》獲得台灣,並在此前先行竊取了釣魚島,而釣魚島又是台灣的附屬島嶼,這種狀態一直持續到1945年日本戰敗投降。所以,在這期間所謂“感謝狀”中的表述,充其量只反映了當時民國政府部分地方官員的錯誤認識,他們的表態和發言並不能夠代表中國政府的原則和立場,更不能改變釣魚島及其附屬島嶼自古就是中國固有領土的事實。或者說釣魚台列嶼本屬台灣之一部,因《馬關條約》第二條台灣割讓予日本,釣魚台列嶼亦然;1895年至1945年日本統治釣魚台期間,釣魚台與台灣俱為日本領土,日本人使用該島自無他人抗議,可解釋當時駐長崎總領事馮冕何以在感謝狀中承認「尖閣群島」為日本領土。 もちろん、これはこじつけかもしれません。

    植草一秀
    尖閣領有権問題に対する読売新聞社説の正論
  • 2012年10月06日 11:32

    GEの製品のデモをおこなっていた展示会で、あるGEの従業員が、ウエルチのあだ名は、”Neutron Jack"だといっていました。ここで、”Newtron"は中性子爆弾のニュートロンです。つまり、不振事業を整理するとき、建物等は無傷で残し、人(つまり従業員)だけ、きれいさっぱりなくすということです。 ですから、失業率が下がるということは考えられないのだとおもいます。それから、GEは税金を払っていないことで有名でしたが、今は払っていますか?

    広瀬隆雄
    ゼネラル・エレクトリック前CEO、ジャック・ウェルチが失業率の数字の急改善にブチ切れTweet
  • 2012年10月06日 10:36

    Wikipediaの尖閣問題についての記述をみると、日本語版は日本よりで、英語版は中立的で、中国語版は多分(私は中国語が読めません)中国よりだとおもいます。これらは、異なった情報を載せています。 問題の核心は、1895年の日本による尖閣諸島の領有化をどうみるかとういことです。日本の立場は当然合法であったということですが、不適切な時期と手段で領有化がなされたという見解も、欧米にも多いということです。  この問題は100年論争しても解決しません。世界中の領土問題も、大部分は「棚上げ」になっているようです。

    植草一秀
    尖閣領有権問題に対する読売新聞社説の正論
  • 2012年10月06日 04:36

    論文 http://ir.canterbury.ac.nz/bitstream/10092/4085/1/thesis_fulltext.pdf  に述べてある尖閣諸島の領有化の経緯の要点を簡潔に記します。 1. 1984年以前の地図では、日本で発行されたものも含めて、尖閣諸島は清領であり、漁と薬草の採取が行うわれていて、漁師の避難港としてもつかわれた。また、琉球への施設の航海の海標ともなった。 2.1984年に古賀氏が上陸したあとに、沖縄県と国に領有を依願した。しかし、政府は清の地図に、尖閣諸島と思われる島が載っていることを知っていたので、時期尚早ということになった。内務省は領有化を主張したが、外務省が清国の反発をおそれて反対した。 3.1994年に清の皇后がある中国人に尖閣諸島での薬草採取の勅許を与えた。 4.1895年に、日清戦争の帰趣も決まり、領有化が閣議決定された。ただし、このことは清国等の反発を考慮し、1952年まで秘密にされた。 5.1896年に、日本国で、沖縄の各郡を構成する島を示す勅令が出されたが、それには、尖閣諸島は含まれていない。 2、4、5は、日本国内でやりとりされた公文書に記載されています。公文書の訳文を読んでいくと、政府が清国に気づかれないように領有化の機会をうかがっていたことが分かります。もちろん、これは帝国主義の時代には普通のことでした。 それから、石原閣下については、欧米の主要メディアの記事でも、「常に中国たたきを画策している極右の国粋主義者(これは、一番極端な例です)」といったような形容がなされていますが、閣下は、今度は寄付金を使って尖閣に構造物を建てようと画策されておられます。また、ひと騒動が期待できます。今から、武者震いしています。

    植草一秀
    尖閣領有権問題に対する読売新聞社説の正論
  • 2012年10月06日 04:11

    だいぶ前に、孫崎亨氏ビデオをみまして、日中漁業協定などいろいろ知ることができました。 欧米の主要メディアの記事でも、しばしば、尖閣諸島は日清戦争の結果、日本が”つかみ取ったと”というような記述がなされています。例えば、ハ-バード大学の保守的な(つまり親中ではないとおもわれる)歴史学者のファーガソン教授でも、次のように述べています。 http://www.thedailybeast.com/newsweek/2012/09/23/niall-ferguson-on-how-china-is-on-the-march-in-asia.html ”The historical record suggests that the Diaoyu/Senkaku islands were the property of imperial China until the Japanese annexed them after their defeat of China in 1895. Administered by the United States after 1945, the islands were handed back to Japan in the early 1970s. Some reverted to their prewar private owners, the Kurihara family. But neither the People’s Republic of China nor Taiwan accepted this arrangement.” この理由を探しているうちに、次の論文をみつけました。 http://ir.canterbury.ac.nz/bitstream/10092/4085/1/thesis_fulltext.pdf (続く)

    植草一秀
    尖閣領有権問題に対する読売新聞社説の正論
  • 2012年10月05日 16:54

    おもろい。何度も、微笑んで、そして笑いました。とにかく、愉快。一服の清涼剤。

    HONZ
    『弱くても勝てます』 超進学校の「異常な」セオリー - 土屋敦
  • 2012年10月05日 11:32

    それから、ほとんど議論されていないですが、下記の論文に述べてある尖閣諸島の領有化の経緯の要点を簡潔に記します。 http://ir.canterbury.ac.nz/bitstream/10092/4085/1/thesis_fulltext.pdf 1. 1984年以前の地図では、日本で発行されたものも含めて、尖閣諸島は清領であり、漁と薬草の採取が行うわれていて、漁師の避難港としてもつかわれた。また、琉球への施設の航海の海標ともなった。 2.1984年に古賀氏が上陸したあとに、沖縄県と国に領有を依願した。しかし、政府は清の地図に、尖閣諸島と思われる島が載っていることを知っていたので、時期尚早ということになった。内務省は領有化を主張したが、外務省が清国の反発をおそれて反対した。 3.1994年に清の皇后がある中国人に尖閣諸島での薬草採取の勅許を与えた。 4.1895年に、日清戦争の帰趣も決まり、領有化が閣議決定された。ただし、このことは清国等の反発を考慮し、1952年まで秘密にされた。 5.1896年に、日本国で、沖縄の各郡を構成する島を示す勅令が出されたが、それには、尖閣諸島は含まれていない。 2、4、5は、日本国内でやりとりされた公文書に記載されているということです。

    中原徹
    国際紛争について
  • 2012年10月05日 11:24

    > 国際問題に対する認識がとても甘いです 国際問題に対する認識が鋭くても、国際社会の現在の価値基準を無視して、自説を強く主張するだけでは、逆効果です。 例えば、次のような視点も心に留めておかれるとよいとおもいます。 http://world.time.com/2012/09/14/tensions-with-japan-increase-as-china-sends-patrol-boats-to-disputed-islands/ "Unlike Chinese disputes with some of its Southeast Asian neighbors over South China Sea claims, the Diaoyu conflict carries the added weight of Imperial Japan’s brutal wartime occupation of China. The Diaoyu Islands fell under Japanese control after the First Sino-Japanese War in 1895, when Japan took over Taiwan and its surrounding islands.”

    中原徹
    国際紛争について
  • 2012年10月05日 10:23

    > 沖縄の漁師たちの話では、古くから尖閣では中国の漁船などは見られず、「漁師の避難港としてもつかわれた。」などというのは、全くのでたらめだとしか言えません。 次のような見解もありますが、私はこれらの説の真偽を判断できません。 『琉球を構成しているのは本島と附属三十六島であるが、そこに釣魚嶼、黄尾嶼、赤尾嶼は含まれていない。これらの島々と琉球との間には深い海溝が存在し、小舟では簡単に往来することができず、琉球の人々にとってこれらの島々との結びつきはほとんどなかった。一方、深さ200メートル未満の大陸棚の縁に位置する釣魚島は、福建や台湾など中国沿海の漁民にとって悪天候時の避難場であった。帆船による航海で中国と琉球の往来がなされていた当時、冊封使を乗せた船は夏至の頃に西南の風を利用して福建の福州から出航し、釣魚嶼、黄尾嶼と大陸棚沿いに点在する島嶼を目標にしながら進み、赤尾嶼を過ぎて深い海溝に入り、それを渡り切ると久米島には琉球の派遣した役人が舟で待ち受けていて、那覇まで彼らが先導していくのであった。つまり中国と琉球との外交使節の往来にあたっては、両国の領域についての明確な了解が存在していた。無主地という見解は成り立たない。』

    Chatnoir
    尖閣の問題
  • 2012年10月05日 10:13

    > 日清戦争で勝利をおさめ莫大な賠償金も手に入れた日本が、どうして「清国等の反発を考慮」する必要があったのか。台湾さえ割譲させた日本が尖閣のことを秘密にする必要性があったというのはどう考えてもあり得ないと思う。 とにかく秘密にしようということが公文書に書いてあります、1884年ごろはまだ清国の反発を心配しています。1895年の領有時に、公告しなかったのは、日本国政府の手落ちであったと、佐藤優氏はビデオでいっていました。

    Chatnoir
    尖閣の問題
  • 2012年10月05日 10:02

    > 尖閣で薬草の採取を行ったというのだったら、その薬草名も示していただきたいものである In 1893, the Empress Dowager Cixi granted the Diaoyu Islands to Sheng Xuanhuai who was the Chief Minister of the Court of Imperial sacrifices at that time. Being also a businessman in the pharmaceutical sector, he was keen on harvesting the plant “statice arbuscula” on the islands. ... Dowager Cixi awarded three of the disputed islands to the Chinese pharmacologist. This decree carried the imperial seal thereby making it official: “The medical pills submitted by Sheng Xuanhuai have proved to be very effective. ... The three islands of Diaoyutai, Huangwei Yu, and Chiwei yu are hereby ordered to be awarded to Sheng Xuanhuai as his property for the purpose of collecting medicinal herbs. Seal of Queen Mother Cixi この文書の真偽は知りません。

    Chatnoir
    尖閣の問題
  • 2012年10月05日 09:48

    >特定の問題に関して、 http://sankei.jp.msn.com/life/news/121003/edc12100308060006-n1.htm このような記事を読んだばかりです。 この記事は、「南京」学会についてであって、『「虐殺」は当時の国民党政府のプロパガンダであることがはっきりした。所期の目的を達したとして解散したのである。』とあります。歴史学というものは、事実の積み重ねであって、意図的な目的があってはいけません。そして、「目的を達し」て解散するとは、まさに、『日本学術会議の協力学術研究団体には加入していない、いわゆる学会ではない「学会」』です。 日本において、中学・高校で現代史を教えることは、とてつもなく困難なことが分かります。

    中原徹
    国際紛争について
  • 2012年10月05日 09:32

    トルストイの寓話に、A家のニワトリがB家の庭で生んだ卵をめぐる口論がエスカレートし、最後はお互いの家に放火した、というのがあるそうです。

    中原徹
    国際紛争について
  • 2012年10月05日 08:36

    Newsweek の記事です。 http://www.thedailybeast.com/newsweek/2012/09/23/niall-ferguson-on-how-china-is-on-the-march-in-asia.html The historical record suggests that the Diaoyu/Senkaku islands were the property of imperial China until the Japanese annexed them after their defeat of China in 1895. Administered by the United States after 1945, the islands were handed back to Japan in the early 1970s. Some reverted to their prewar private owners, the Kurihara family. But neither the People’s Republic of China nor Taiwan accepted this arrangement.

    加藤紘一
    これからの日中国交を作り直す知恵をしぼろう
  • 2012年10月05日 07:09

    それよりも、Blogosにコメントする人達に、各自の知能指数、出身校、席次等を公開して欲しいです。コメントの質を、判断するための一助になるとおもいます。 ちなみに、私の場合は、知能指数 = 30、出身校 = 馬鹿田大学、席次 = 999/1000です。

    議論「大阪・泉佐野市が学力テストの学校別成績を公表…」どう思う?
  • 2012年10月05日 06:53

    下記の論文より、尖閣諸島の領有化の経緯が分かりましたので、簡潔に記します。 http://ir.canterbury.ac.nz/bitstream/10092/4085/1/thesis_fulltext.pdf 1. 1984年以前の地図は、日本で発行された地図も含めて、尖閣諸島は清領であり、漁と薬草の採取が行うわれていて、漁師の避難港としてもつかわれた。また、琉球への施設の航海の海標ともなった。 2.1984年に古賀氏が上陸したあとに、沖縄県と国に領有を依願した。しかし、政府は清の地図に、尖閣諸島と思われる島が載っていることを知っていたので、時期尚早ということになった。内務省は領有化を主張したが、外務省が清国の反発をおそれて反対した。 3.1994年に清の皇后がある中国人に尖閣諸島での薬草採取の勅許を与えた。 4.1895年に、日清戦争の帰趣も決まり、領有化が閣議決定された。ただし、このことは清国等の反発を考慮し、1952年まで秘密にされた。 5.1896年に、日本国で、沖縄の各郡を構成する島を示す勅令が出されたが、それには、尖閣諸島は含まれていない。もちろん秘密ですから。 2-5は、日本国内でやりとりされた公文書に記載されているということです。

    Chatnoir
    尖閣の問題
  • 2012年10月05日 06:50

    下記の論文より、尖閣諸島の領有化の経緯が分かりましたので、簡潔に記します。 http://ir.canterbury.ac.nz/bitstream/10092/4085/1/thesis_fulltext.pdf 1. 1984年以前の地図は、日本で発行された地図も含めて、尖閣諸島は清領であり、漁と薬草の採取が行うわれていて、漁師の避難港としてもつかわれた。また、琉球への施設の航海の海標ともなった。 2.1984年に古賀氏が上陸したあとに、沖縄県と国に領有を依願した。しかし、政府は清の地図に、尖閣諸島と思われる島が載っていることを知っていたので、時期尚早ということになった。内務省は領有化を主張したが、外務省が清国の反発をおそれて反対した。 3.1994年に清の皇后がある中国人に尖閣諸島での薬草採取の勅許を与えた。 4.1895年に、日清戦争の帰趣も決まり、領有化が閣議決定された。ただし、このことは清国等の反発を考慮し、1952年まで秘密にされた。 5.1896年に、日本国で、沖縄の各郡を構成する島を示す勅令が出されたが、それには、尖閣諸島は含まれていない。もちろん秘密ですから。 2-5は、日本国内でやりとりされた公文書に記載されているということです。

    加藤紘一
    これからの日中国交を作り直す知恵をしぼろう
  • 2012年10月05日 06:45

    1. 1984年以前の地図は、日本で発行された地図も含めて、尖閣諸島は清領であり、漁と薬草の採取が行うわれていて、漁師の避難港としてもつかわれた。また、琉球への施設の航海の海標ともなった。 2.1984年に古賀氏が上陸したあとに、沖縄県と国に領有を依願した。しかし、政府は清の地図に、尖閣諸島と思われる島が載っていることを知っていたので、時期尚早ということになった。内務省は領有化を主張したが、外務省が清国の反発をおそれて反対した。 3.1994年に清の皇后がある中国人に尖閣諸島での薬草採取の勅許を与えた。 4.1895年に、日清戦争の帰趣も決まり、領有化が閣議決定された。ただし、このことは清国等の反発を考慮し、1952年まで秘密にされた。 5.1896年に、日本国で、沖縄の各郡を構成する島を示す勅令が出されたが、それには、尖閣諸島は含まれていない。もちろん秘密ですから。 2-5は、日本国内でやりとりされた公文書に記載されているということです。

    猪野 亨
    米国は、尖閣問題が起きたら助けてくれる?