第41話「元魔王、姫さまの部屋を訪ねる」
数日後。
宿舎に、アイリス王女の馬車がやってきた。
「第8王女、アイリス=リースティアさまの命により、お迎えにまいりました」
「ユウキさま。アイリス殿下の使いの方がいらっしゃいました」
「きましたー」
マーサとレミーが、俺を呼びにきた。
前もってアイリスから話を聞いてるから、準備はできてる。
服も髪型も整えてもらったし、髪は昨日マーサとレミーに洗ってもらった。
「それじゃ行くか。マーサ」
「ユウキさま」
「どうかした?」
「どうしてあたりまえのように、マーサの手を取っているのでしょうか?」
「一緒に行こうかと思って」
「なぜそんなお話に?」
「だってマーサ、王宮なんか見たことないだろ?」
「もちろんです。マーサは地方出身のメイドですから」
「だから、見せてやろうと思って」
「そんな簡単に言わないでくださいませ」
「だめかな?」
「姫さまの許可が必要だと思います」
「アイリス王女の許可をもらったら?」
「……姫さまがどうしてもとおっしゃるのでしたら、マーサも覚悟を決めましょう」
「わかった。じゃあそれで」
「時々ユウキさまはマーサの心臓が止まるようなことをなさいますね」
「
「お気持ちはうれしいですか。次の機会に」
「わかった。次の機会な」
マーサとハイタッチしてから、俺は馬車に乗り込んだ。
王家の馬車は貴族門を通り、王宮に向かっている。
乗ってるのは俺と、御者の男性だけだ。
御者はこっちを見ようともしない。黙々と仕事をこなしてるって感じだ。
『ごしゅじんー』
窓の外を、コウモリのディックが飛んでる。
さっさっさっ、と翼を振って、去っていく。異常なしの合図だ。
王都の空には、使い魔のディックを中心とする『コウモリネットワーク』ができあがってる。
昼間動けるのはディックとニールとゲイルだけだけど、夜になると一般のコウモリまで参加して、王都、王宮、すべての空から情報を得るシステムになってる。
ただ、今のところ、俺とアイリスに対してなにかしてくる奴はいない。
サルビア王女も、あれから大人しくしているようだ。
「──間もなく、西の離宮に入ります。ご用意を」
橋を渡ったところで、御者が言った。
いつの間にか馬車は王宮の近くまで来ていた。
正面の通りをまっすぐ進むと、王と正妻たちが住む王宮。
右に曲がると、嫡子が住む東の離宮。
左に曲がると、側室の子ども──アイリスたちが住む西の離宮がある。
俺は窓から、王宮の方を見た。
明るくて見えにくいけれど、魔力で動く、セキュリティの警報がセットされてる。
夜は王宮の上空を覆う網のようなものが見えるけど、昼間は弱めているようだ。
…………『
ああいう強い警報装置を見るとね。ついいじりたくなるんだよなぁ。
魔力の網は王宮の庭のあたりから出ている。
ということは、あの辺にセキュリティ用の魔術具がありそうだ。
あとでディックたちに調べさせよう。
そんなことを考えているうちに、馬車は西の離宮に入り──
その後、馬車を降りた俺は、アイリス王女の部屋に案内されたのだった。
「い、いらっしゃいませ。ユウキさま!」
アイリスがドレスの裾をつまんで、俺に一礼した。
「改めまして護衛騎士への
「こちらこそ。一命をかけて、アイリス殿下をお守りする所存です」
俺はアイリスの前にひざをついた。
アイリスが差し出す手を捧げ持ち、自分の額につける。
これがこの国の、騎士の礼らしい。
「では、メアリ。リンディも、さがってよろしい」
アイリスは部屋づきのメイドたちを見て、告げた。
「……で、でも姫さま」「自室で殿方とふたりきりというのは……」
「ユウキ=グロッサリアは私の護衛騎士です。これからずっと側にいて、私を守ってくださる方です。危機においては、私はこの方こそを命を預ける盾といたします。そんなとき、殿方とふたりきりでいてはいけない、と言って離れることができますか?」
「た、確かに」「姫さまは、そこまでお考えに?」
「治において乱を忘れず、ですよ」
アイリスはメイドたちに笑いかける。
「もしもの時のために、私はユウキさまとふたりでいることに慣れる必要があるのです。賢明なメアリ、リンディならわかるでしょう?」
「は、はい」「わかりました!」
「では、扉の外で控えていてください。なにかあったら呼びますね」
「「かしこまりました」」
メイドの少女たちはアイリスと俺に頭を下げ、部屋を出て行った。
その背中を見送って、メイドたちが戻ってこないのを確認してから──
「…………マイロードが来てくれた。やった。マイロードがアイリスのお部屋にいるよ。えへへ」
「いきなりキャラを変えるな。アイリス」
「……ふたりっきりの時はアリスがいいな」
「お前ねぇ」
「わかってるもん」
アイリスは部屋の椅子に、ちょこん、と座って、
「今の私はアイリス=リースティア。その記憶もあるからね。この離宮ではちゃんと、お姫さまをやるよ。でも、マイロードとふたりきりの時くらい、アリス=カーマインに戻ってもいいじゃない」
「まぁ、いいけど」
「じゃあ、はい」
アリスは立ち上がり、自分が座っていた椅子を、ぱん、ぱーん、と叩いた。
「はい。どうぞ」
「……わかったよ」
俺は椅子に座った。
当たり前のように、アイリス王女──アリスは俺の膝の上に腰掛ける。
「お前さぁ。もう13歳だろ」
「残念でした。アリスの記憶を取り戻したのは10日くらい前ですから、まだ生後10日ですー」
「そうかよ。それで、記憶を取り戻した記念に送った奴は届いてるのか?」
「うん」
アリスは机の引き出しから、銀色の杖を取り出した。
対アレク=キールス戦で俺が使ってたものと同型で、少し短い。
コウモリのニールに頼んで送っておいたものだ。無事届いてたか。
「『グレイル商会』のローデリアさんに感謝しないとねー。マイロードとおそろいのを作ってくれたんだから」
「
「うれしいんだからしょうがないじゃない」
肩越しに俺の顔を見上げたアリスは、歯を見せて笑う。
「これって、私もマイロードと同じ使い方ができるの?」
「それは研究次第だな。そもそも俺は『古代魔術』がどうやって発動するのかがわかってない」
「わかってなかったの?」
「うちの兄貴が空中に
「……やっぱりマイロードはすごいね」
「だけど『魔術ギルド』に入る前に、基本は押さえておきたいんだ。だから今日、アリスに教えてもらおうと思って、ここに来た」
「じゃあなでて」
「はいはい」
俺はアリスの銀色の髪に触れた。
200年前にそうしていたように、アリスの好きななで方で、髪を
「そういえば、マイロードの髪から石けんのにおいがするね」
「昨日洗ったからな」
「マイロードが髪を!? 人間より
「それはメイドさんにやってもらってる」
「ぜひ、会わせてください」
「つれて来ようかと思ったけど、断られた」
「次回は連れてきてくださいね」
「どうしても?」
「どうしてもです。私はマイロードに髪を洗う気にさせる方法を教えてもらって、その方を
そういえばマーサも「姫さまがどうしてもと言うなら行きます」って言ってたな。
じゃあいいか。
「わかった。次回連れてくる」
「約束ですよ」
「それより『古代魔術』について教えてくれ」
「わかりました」
「魔力運用が重要で、呪文の詠唱はその運用を助けるもの。
「言うことがほとんどなくなりましたよ?」
アリスは困ったような顔で笑った。
「まったく、生まれ変わってもマイロードは桁外れの方ですね」
「長く生きてるだけだよ」
「では、13年生きているアイリス=リースティアの知識で『古代魔術』のことをお伝えしますね」
そうしてアリスは俺の膝の上で、楽しそうに身体を揺らしながら──
ゆっくりと、『古代魔術』について語り始めたのだった。