杉浦由美子(すぎうら・ゆみこ) ノンフィクションライター
1970年生まれ。日本大学農獣医学部(現・生物資源科学部)卒業後、会社員や派遣社員などを経て、メタローグ社主催の「書評道場」に投稿していた文章が編集者の目にとまり、2005年から執筆活動を開始。『AERA』『婦人公論』『VOICE』『文藝春秋』などの総合誌でルポルタージュ記事を書き、『腐女子化する世界』『女子校力』『ママの世界はいつも戦争』など単著は現在12冊。
エリート官僚の殺人犯は、徹底して弱者への想像力がなかった
ところがだ。今回の息子殺しの事件に関して、被告への同情の声が強いのだ。
橋下徹はツイッターで「僕が熊沢氏と同じ立場だったら、同じ選択をしたかもしれない。(中略)僕は熊沢氏を責められない」と投稿した。また、被告の妹は「兄は武士ですよ。追い詰められて、誰かに危害を加えてはいけないから最後は親の責任で(長男の殺害を)決めたのでしょう」とコメント。そして、報道でも、被告に同情する意見が多く見られる。
また、法廷には被告の農水省の後輩が証人として出廷した。証人は被告を尊敬し、農水省関係者などから1609通の嘆願書を集めたという。そして、判決が出た後に検察官が「お体に気をつけて」と被告に声をかけたという。検察官がこんな言動をするのは非常に珍しい。公務員として頂点にいた人への敬意から出た言葉だったのだろう。殺人罪の実刑判決後に異例の保釈もされている。
どうして、熊沢被告がここまで同情され、敬意を払われるのか。特に農水省の後輩が嘆願書を集めたことは理解できない。仮に後輩たちが常日頃から被告の家庭の悩みを聞いていて、事情を把握しており、「熊沢さんは父親として一生懸命やっていたんです」と訴えるならまだ分かる。だが、この後輩は「熊沢さんからご家庭のことで、相談を受けた人はいらっしゃらない」と述べている。つまり、家庭内のことはなにも知らなかった。知らない家庭内で起きた事件を、「尊敬できる官僚だから情状酌量を」というのは意味が分からない。職業人としての能力と、家庭人としての能力は別だろう。
ここでふと思い出すのは、神田沙也加の離婚の時に、自分が生まれた環境が原因で子供を持つ気持ちになれないと述べ、それが原因で、母親の松田聖子がバッシングを受けたことだ。
松田聖子思春期の娘を寮に入れ、自分は新しい夫とアメリカに渡った。娘はその寮で壮絶ないじめに遭った。そのため、松田聖子は歌手として成功し、今でも第一線で活躍するが、母親としては至らなかったということで、延々と責め続けられる。
なのに、なぜ、男性であるこの被告は元事務次官だからということだけで、家庭人としては至らなくて殺人を犯しても擁護されるのか。
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