第36話「オデットの決意と、『マイロード』と『アリス』の秘密通信」
『グレイル商会』の応接室では、オデットが待っていた。
「……ずいぶんと長かったですわね。一体なんの話をしてましたの? アイリス殿下も、ユウキも」
「お待たせしてごめんなさい。オデット」
「ごめん。意外と時間がかかった」
「まぁ、わたくしは別にいいのですけど」
オデットは
彼女の前には、スイーツが載った皿がある。
パンケーキに果物のハチミツ漬けを乗せたもの。果物を練り込んだパイ。木の実のケーキ、などなど。
オデットはそれらに半分しか手をつけず、心配そうな顔で椅子に座っていた。
「『グレイル商会』が、王都いちのパティシエを呼び出したそうですけれど。でも……わたくしひとりで食べ尽くすわけにはいきませんもの。待ちくたびれましたわ」
「本当にごめんなさい」
「構いませんわよ、殿下。お話は聞かせてくれるのでしょう?」
オデットが言うと、総支配人のローデリアがベルを鳴らした。
しばらくするとメイドたちがやってきて、俺とアイリスにお茶を
それが終わると、ローデリアもメイドも退室した。「人払いいたします」とだけ言い残して。
部屋に残るのが俺とアイリスと自分だけになってから、オデットは俺の方を見て、
「結局、アイリスの夢の話はどうなりましたの?」
「事実だった」
「…………え?」
「俺は前世ではアイリス殿下がいらっしゃった村の守り神で、殿下はその村の住人だったんだ。でもって、色々あって俺はこの時代に生まれ変わって、アイリス王女も色々あってこの時代に生まれ変わったんだ」
オデットは、ぽかん、とした顔をしてる。
手にしたままのティーカップが震えて、お茶がぽたぽたとこぼれ出す。
でも、それにも気づいてない。
オデットに前世のことを秘密にするのは無理だ。
彼女はアイリスから夢の話を聞いているし、『グレイル商会』の
ここでうまく隠したとしても、あとで必ずボロが出る。
それに、アイリスの事情がわかったのはオデットのおかげだ。
彼女が『グレイル商会』の紋章について教えてくれなければ、俺もアイリスもこの場にはいなかった。ローデリアは俺に出会うこともなく、俺が村の事情を知ることもなかった。
そこまでしてもらったのに、オデットを
ここはオデットを信用して、話しておこう。
「……え、えっと。えっと」
オデットはティーカップを手にわたわたしてる。
それから、アイリスの方を向いて──
「アイリス……いえ、アイリス殿下」
「ほ、ほんとです」
アイリスは俺の手を、ぎゅ、と握った。
「……ユウキさまが、私のマイロード、でした。わ、私は、マイロードを追って、ここに」
「え、ええええええええええっ!?」
「で、で、できれば、将来的に、私はユウキさまの元に
「は、はあああああああああっ!?」
「俺としては、アイリスのそばにいることができれば、立場的にはどうでもいいんだが」
「……またそういうこと言うんですから……」
「あの、アイリス? ユウキの手を握って……頬を染めて……あれ? あれ? あれえええええっ!?」
オデットは頭を抱えてる。
無理もないよな。
転生なんて普通にはありえないものだし、証明もできない。信じろって方が無理だ。
俺とアイリスがオデットをからかってると思われても──
「……わかりました」
「わかるのか?」
「いえ、本当はよくわかってませんけど、わかったことにします!」
「それでいいのか……?」
「正直、転生とか過去とか、村の守り神とかはどうでもいいのです。大切なのは、わたくしの親友であるアイリスが、わたくしの仲間であるユウキに嫁ぐつもりでいるということ。それだけわかれば十分です」
「すごいなオデット」
「スレイ
オデットは席を立ち、まっすぐに俺の方を見た。
「わかってますの、ユウキ。王家が子女の結婚相手に選ぶのは、他国の王家か
「ああ。だからうちの
「……へ?」
「聖剣を別とすればあと2個、『古代器物』を見つければ
「手伝っていただきたいとは言いません。私とユウキさまが『エリュシオン』に入るとき、こっそり余分な調査をするだけですので」
「オデットには迷惑をかけないようにするから……って、おい」
「もー! もー! もーもーもーっ!!」
オデットがキレた!?
「冗談じゃありません。アイリスとユウキが巨大ダンジョン『エリュシオン』の調査に出ている間、わたくしに宿舎で休んでいろと言うのですか!? そんなこと、できるわけがないでしょう!?」
「いや、だけどオデットに迷惑は」
「迷惑なんかではありません!」
ふわり、と、オデットが、手を重ねてくる。
片方の手を俺に、もう片方の手をアイリスに重ねてから、オデットは優しい笑みを浮かべた。
「むしろ魔術師として興味しんしんですわ。あなたたちが本当に前世の記憶を持っているのか。ユウキが本当に、守り神のような存在なのか。あなたたちが本当に『古代器物』を見つけることができるのか……それを見届けなくて、なんの魔術師ですか」
「それはもしかして」「協力してくださる、という意味ですか?」
「むしろ協力させろと言いたいですわ」
オデットは、俺とアイリスの手を、自分の胸元に引き寄せた。
「こんな面白そうなこと、関わらずにいられるものですか」
「ありがと。オデット」
「でもねぇ、ユウキ。あなたは
「そうなのか……?」
「考えてもみなさい。男爵家を上級貴族にまで押し上げて、王女を妻にしている
「あのね、オデット。私は、ユウキさまの側室でも構わないの」
「もっと話がややこしくなるから黙りなさい。アイリス」
「……はい」
「とにかく、いっそのことユウキは『古代器物』を4つ見つけて、いちから
「考えてみるよ」
「それから、もちろんこの話は秘密にしますからね」
「ありがとう。オデット」
そう言って、俺たちはそろって窓の外を見た。
いつの間にか、日が暮れ始めてる。
そろそろ時間だ。
アイリスはお忍びで出てきてる。あまり長時間は出歩けない。戻った方がいい。
俺とオデットは互いの手を放し、アイリスは
それから俺たちはローブを着て、『グレイル商会』を出た。
総支配人のローデリアは互いの姿が見えなくなるまで、入り口でお辞儀をしていた。
従業員と、通り過ぎる人間がおどろいて足を止めるくらい、長い間。
俺たちは貴族門を通って、宿舎に続く道へ。
門の側では、白い馬車が待っていた。
バーンズさんは俺たちに気づいて、馬車をこちらに寄せてくる。
「殿下。急いでください。予定の時間をだいぶ過ぎております。お忍びで外に出たことがばれると、今後に差し支えますので」
「申し訳ありません。苦労をかけますね。バーンズ」
「殿下のための苦労は、わしの生きがいでありますよ。ささ、お早く」
バーンズさんが御者台から降り、馬車のドアを開ける。
ローブの
前世の記憶を持っていても、やっぱりアイリスはお姫さまなんだな……。
「……ちょっと待ってください。バーンズ」
と、思ったら、アイリスがいきなり動きを止めた。
ととととっ、と駆け足で、俺の方にやってくる。
彼女は間近で、俺の顔を見上げながら、
「いなくならないですよね……?」
そんなことを、言った。
「今度は黙って、いなくなったりしないですよね?」
「……ならないよ」
「はい。信じます」
俺の答えに満足したのか、アイリスは満面の笑みをうかべて、うなずいた。
そして、今度こそ馬車に乗り込み、王家の住む区画へと帰っていったのだった。
「ふふっ。アイリスのあんな顔、はじめて見ましたわ」
「聞いてもいいかな。オデット」
「なんですの? ユウキ」
「親友の目から見たアイリス殿下って、どんな感じなのかな」
「見た目は
「だよな」
「でも、芯は強い子ですわ。自分にとって一番大事なものはなにか知っていて、そのためには無茶なこともします。見ててほっとけないんですの」
「変わってねぇなぁ」
「ふふっ」
「ここ、笑うところかな」
「いえいえ、わたくしは自分がおかしくて笑ってますの」
オデットは困ったように首をかしげた。
「だって、あなたがたの前世の話を、信じそうになってしまっているんですもの」
──そんなことを話しながら、俺たちは宿舎に戻った。
──アイリス=リースティア視点──
アイリスは夕食前に、
王家の居住区は、3つに分かれている。
中央にあるのが、王と正妻、側室が棲まう王宮。
東側にあるのが、正妻の子どもである
西側にあるのが、王の側室が産んだ子どもたちが住む離宮だ。
アイリスが住んでいるのは、西側の離宮だった。
離宮の建物は大きく、庭も広い。
父も時々は訪ねてきてくれるし、特に不自由は感じない。
他の兄弟姉妹との人づきあいは大変だが、王家に生まれた者の義務だと思えばなんとかなる。
不満はとくに、ない。
というか、今はひとつのことで頭がいっぱいで、不満や悩みが入りこむ隙間なんかどこにもない。
「……ユウキさまが……マイロードだった」
アイリスはベッドに横になり、お気に入りの枕を抱きしめた。
「……マイロード。ディーン=ノスフェラトゥさま。アリスのマイロード。アイリスのユウキさま。アイリスの、好きな人……」
つぶやいて、アイリスは真っ赤になった顔をおおった。
心臓がどきどきする。身体の中の熱が、おさまらない。
自分のすべてが、マイロードと出会えたよろこびで震えているのかわかる。
頭の中は真っ白。『グレイル商会』を出た後、なにを話したのかほとんど覚えていない。
おかしなことを言わなかったか──
ユウキに嫌われるようなことをしなかったか──
そんな思考がぐるぐる回り、身体もベッドの上でごろごろ回る。
正直、まだアリス=カーマインの記憶は、完全にはなじんでいない。
記憶もまだ中途半端だ。思い出せるのはマイロードが死ぬ数年前まで。
なのにどうして、こんなに胸が温かいんだろう。
男爵領で『ダークベア』から助けてもらったとき、たぶん、アイリスはユウキにひとめぼれした。
この人に側にいて欲しいと、そう思った。
だから
大事な人だと、わかったから。
「……アイリスも、アリスも。ユウキさまを……マイロードを」
ユウキのことを考えると、自分の中の『アイリス』と『アリス』が溶け合っていくような気がする。
結局ふたりが同一人物だってことがわかって、それがすごく恥ずかしい。
だって記憶があってもなくても、自分はユウキに
「…………は、はずかしい……です」
『キィキィ』
不意に、窓の外で奇妙な鳴き声がした。
アイリスはベッドから跳ね起き、部屋の窓を開ける。
コウモリがいた。
器用に窓枠にぶら下がり、上下逆になって、じっとアイリスを見ている。
「もしかしてあなたは、ユウキさまの使い魔ですか?」
『そうですよー』
「しゃべった!?」
『わかるですかー!?』
思わず顔を見合わせる、アイリス王女とコウモリ。
『これはびっくりですー。使い魔の言葉は、ご主人しかわからないはずですー』
「運命ですねっ」
『そうなのですかー?』
「いえ、もしかしたら私は前世の記憶を取り戻したことで、ユウキさまに近いものになっているのかもしれません」
『なっとくですー』
「はじめまして、アイリスです」
『はじめましてー。ニールですー。ちなみに女の子ですー』
「ごていねいに」
『いえいえこちらこそ』
お辞儀を交わすアイリスと、コウモリのニール。
『ご主人から伝言あります。
「両方でお願いします」
『よくばりですねー』
「ユウキさまのものなら、なんでも……触れてみたいですから」
『ではまず言葉で。羊皮紙も、同じ内容ですけどー』
コウモリのニールが部屋の中に入ってくる。
アイリスは窓とカーテンを閉じて、それから、ベッドに腰掛けた。
ニールは彼女の椅子の背もたれに着地。
互いに顔を近づけて、王女とコウモリは話をはじめる。
『まずはこれからのことをお話するです』
「お願いします」
『ニールはご主人より、殿下の側にいるように言われたですー。ご主人との連絡役と、護衛を務めるためにー』
「『グレイル商会』のローデリアさまのところにも、お仲間がいるのですよね?」
『はいです。そちらへの連絡もできるです』
「わかりました。頼りにしております」
『それから、ご主人から伝言なのです。次に会うとき、アイリス殿下がご存じの「古代魔術」を教えて欲しいとのことですー』
「古代魔術を」
『目の前で使ってくれればいいそうです。理由は、えっとですねー』
「わかります。これから『エリュシオン』を
『だいたいそんな感じです。よくおわかりです。さすがですー』
「
『長くおつとめですか?』
「ええ。200年前から」
『おお! 大先輩ですー』
「いえいえ私など。むしろニールさんがうらやましいくらい」
『そうですかー?』
「ええ。使い魔になれば、いつでもユウキさまの側にいられますもの」
『それ、お伝えします?』
「い、いえ!
『しょうちですー。では、お待ちするので考えてくださいー』
「え? え? ちょ、ちょっと待ってくださいね……」
なぜか顔が赤くなる。
コウモリのニールはユウキに言葉を伝えてくれる。
つまり、ニールを通してアイリスは、ユウキと繋がっている。
「……どんな言葉でも、伝えられるのですよね」
ユウキ……マイロードと自分だけの秘密通信。
コウモリの言葉は他の者にはわからない。どんな恥ずかしいことを言っても大丈夫。
はじめて出会ったとき、アイリスがどう感じたか、とか。
前世でマイロードの治療を受けたとき、すごく恥ずかしかったこと、とか。
言いたいことは、頭の中から噴き出しそう。
でも、どの言葉も恥ずかしすぎて口に出せない。
次にユウキと出会ったとき、どんな顔をしたらいいのかわからない。
いやいや別に気にしなくても。だってマイロードとは、これから長いお付き合いに──
「────っ!!」
『なんでうずくまるのですかー。どうしましたかー。アイリスさまー』
「な、なんでもないです……」
これ以上は危険。
そう考えたアイリスは、ニールの耳元に唇を寄せる。
ひとこと、ふたことつぶやいて、マイロードへの伝言を完了。
夜に定時連絡に行くそうなので、そのときに伝えてくれるようにお願いした。
それからアイリスは……ベッドにもぐって、頭から毛布をかぶって、目を閉じて──
夜になったら食堂でメイドに「熱でもあるのですか?」と心配されながら食事をして──
湯浴みをして、着替えて、やっぱりまた毛布をかぶって──
結局、寝付くまでの間に、10回以上も伝言を訂正することになったのだった。
──夜、ユウキの部屋──
「お帰り。ニール」
『ただいまですー。ご主人』
「アイリスには伝言を伝えてくれたか?」
『もちろんなのです。「古代魔術」の件は、確かにうけたまわりましたと言っていました。ただ、数日後に「護衛騎士」の
「ああ。それでいいと伝えてくれ。後に伝言は?」
『ありますよー』
「うん。教えてくれ」
『ヴァージョン1からヴァージョン12までありますが』
「なんでそんなにあるんだよ」
『乙女だからだそうです』
「とりあえず全部聞かせてくれ」
『それはできませんー』
「なんで!?」
『乙女だからだそうです』
「200年経ってもアリスの考えることはよくわからんな……」
『ニールはわかります。女の子ですので』
「確認だけど、その伝言って、聞かないと大変なことになりそうか?」
『全然です』
「そっか」
『しかも、ほとんど全部同じです』
「……なにやってんだろう、アリス。いや、アイリス殿下」
『とりあえず最終ヴァージョンをお届けします』
「そうしてくれ」
『えっとですねー。こほん』
コウモリのニールは俺の前で深々と一礼して、
『「マイロードに再会できた運命に感謝しております。この身を臣下としてお使い下さい。末永くよろしくお願いしますね」ですー』
「……全ヴァージョンほとんど同じ?」
『同じですねー』
「…………やっぱりアリスだな。そういうとこ」
『それでは、ニールはアイリスさまのところに戻りますね』
「ご苦労。それから──」
俺は飛び立とうとするニールを呼び止めて、言った。
「お前には『
『しょうちですー』
そうして、ニールは夜の中へと飛び去って行ったのだった。